■■ Prologue
b0125465_131031.jpg essay bibliophobia Hakodate
  函館市大火復興小学校
essay bibliophobia Annex
  東京市震災復興小学校
essay bibliophobia Nuclear  
  福島第一原子力発電所における想定津波高さの検証

# by finches | 2017-01-01 01:01
1008■■ 燻製




# by finches | 2015-02-11 10:32
1006■■ 燻製
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どこでも、ということはないだろう。
いつも、ということもないだろうが...。

日曜日たまたま訪れた開店直後のスーパーは既に買い物客で賑わっていた。
瑞々しい野菜、新鮮な魚、量り売りのブロック肉、そんなコーナーが設えられ、そのいつもと違う趣向に活気付いているようにみえた。
筆者もその雰囲気に釣られるようにベーコンブロックをカゴに入れた。

ベーコンブロックは燻し色をしていたが、切り口から冷燻だと思われた。
大きなバラ肉全体を薫煙したものをブロックに落とさなければこうはならない、即座にこれは使えると思った。
薫煙をかけ直せばもっと美味くなる、と想像も膨らんだ。

よく使うチップは、ナラ,クルミ,サクラ,ヒッコリー、このあたりが多い。
手元には温燻用にヒッコリーとリンゴ、 冷燻用にクルミとナラがあった。
それらからヒッコリーを選んだ。

いつもよりもかなり長い3時間燻煙をかけた。
出来は上々。
厚めのベーコン、これを焼くとたまらなく美味い...。

# by finches | 2014-03-07 08:12 | 無題
1005■■ 古本屋
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高校時代、街には3軒の書店があった。
それらは子供や学生から大人までが利用する街では大きな書店で、いつも大勢の客で賑わっていた。
そして、これらとは別に雑誌を主に扱う店や、兎に角雑多な書籍で溢れている店や、古本や古書を扱う店など、それら小さな店と大きな書店とが程よい距離を保って共存していた。

その中でも一軒不思議な雰囲気の店があった。
その店はアーケードのある二つの商店街を繋ぐその中間辺りにあって、商店街の名前こそあるがアーケードのない、どこか裏寂れた雰囲気の漂う通りに面していた。

その店は通りを挟んで斜向かいに一対あった。
斜向かいに建つ二軒其々にどんな本が置いてあったかは憶えていないが、少なくとも片方には透明なビニールに包まれた怪しい本が並んでいた。

あれから長い年月が流れ、怪しい片方は昔の面影を残す錆びた看板をそのままに、店を閉じていた。
そして、一方は今尚現役の古本屋として、一人二人と少ないなりに人の出入りがあった。

初めて見るその空間はどこか懐かしく、まるで遠い昔にタイムスリップしたように感じられた。
蔵書を増やすために行き止まりになった通路を、行きつ戻りつしながら全てまわった。

そこはまるで図書館のようで、思わず店主に岩波文庫『大君の都』はないかを尋ねていた。
そして筆者は岩波の棚で見つけた『西田幾多郎歌集』を手に店を出た。

今、『大君の都』が手元にある。
その店で思わず尋ねなければ、手に入れることはなかったかも...。

# by finches | 2014-03-01 11:29 | 無題
1004■■ 雪
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雲海からひとり頭を出す富士山を眺めながら、やはり富士は日本一の山だと思った。
一方でその厚くタイトな雲を見遣りながら、これが明日になれば地上に落ちてくる正体なのかとも思った。

一夜が明け今まさにその正体が雪となって降っている。
川面に消えてゆく雪を眺めながら、今朝は珍しく2杯のコーヒーを飲んだ。

亀島川は日本橋川から別れて途中桜川と合流して隅田川に注いでいる。
とは言っても桜川はもうないし、江戸時代そこにあった稲荷橋や高橋ももうない。

江戸時代、隅田川の河口の佃島辺りの海は江戸湊と呼ばれ、ここに全国から荷を満載した帆船が集まった。
そして、そこから小舟に積み換えられ、日本橋川や亀島川から更に奥の河岸へと運ばれた。

川面に舞い落ちる雪は江戸の風景を想像させた。
雪の中を往き交う人や舟の活気を...。

# by finches | 2014-02-14 08:53 | 季節
1003■■ 復路機中にて
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出発の朝この地では珍しい濃霧に覆われたが、東京では春の陽気に汗をかいた。
二日目は朝からの冷たい小雨が、夕刻を前に雪に変わった。
三日目は一枚着込めば丁度いい、そんな冬らしい寒さに戻った。

慌ただしい二日半ではあったが、予定は卒なくこなせた。
新しい出会いもあったし、発見もあった。
そして、いつものように、新しい発見は新たな疑問を生んだ。

だが、新しい疑問に立ち向かい、悩み考え調べるのは楽しいことでもある。
遠路遥々調査を依頼した図書館の丁寧な対応と、惜しみない協力には随分と助けられた。
法務局でも調査の意図を告げると、通常なら閲覧に辿り着けないであろう資料まで出してくれた。

最後に訪れた図書館では新たな知見に震えた。
それは筆者の予想を否定し、新たな方向を予見させるものだった。
だがそれは、筆者が明らかにしようとした「未来」を終焉させることを暗示していた...。

# by finches | 2014-02-02 17:43 | 無題
1002■■ 蕗の薹

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夜露に濡れた中に、朝靄に霞む中に、霜に覆われた中に、健気に小さな顔を覗かせる蕗の薹。
蕗の薹が一日のうちで最も美しいのは、露が靄が霜が朝日に上気し輝き出す瞬間で、そこには生命の神秘漂う美しさがある。

蕗の薹は毎日少しづつ大きくなり、そして、そっと開き始める。
そして、ふと気が付くと、あたり一面に蕗の薹は顔を出している。
この毎朝違う様相を見せるそれらの変化を、毎朝異なる光と空気の中で眺める。
時にはコートを羽織り、時には傘をさし、時には雪が積もるのさえ気にせず、じっと眺める。

その初々しい蕗の薹を家人が蕗味噌にした。
初春を感じさせるその爽やかな苦味が、体の中を真っ直ぐに降りていった...。

# by finches | 2014-02-02 09:00 | 季節
1001■■ 空間を遊ぶ
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写真に撮って改めて見ると、玄関の廻りにはいろんなものが無造作に置いてある。
薪ストーブもないのに薪用にと手に入れた柳の生木も、既にもう乾燥から朽ちへと向かっている。
この冬は北海道では卵形ストーブとして親しまれている薪ストーブを取り寄せ、メガネ石の代用にデラクリートの板を加工し、遮熱に気を使いながら煙突を繋ぎ、もう何度もその柳の薪を焼べた。

玄関前の柳も残り僅か五本になった。
玄関前の柳はいつしか空間を遊ぶ大きな剣山のような存在になっていて、大枝を差してみたり、小枝を鳥の巣のように重ねてみたり、こんな陶製のルーバーを置いてみたりと、思い付くままに楽しんでいる。
大甕に生けた南天と松は正月用の飾りだったが、まだ元気だからそのままにしてある。

木賊(とくさ)も根をつけた。
去年の夏の暑さで瀕死の状態だった蕗も可愛い蕗の薹をつけている。
柏葉紫陽花は今年もたくさんの花をつけ、見事な紅葉も見せてくれるだろう。
隣家の庭には今年も色取り取りの花が咲き揃うことだろう。

そんな季節に呼応してこの大きな剣山に何を生けよう...。
まだ寒い冬、芽吹きが始まったら考えよう...。

# by finches | 2014-01-31 05:09 | 空間
1000■■ 大晦日
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頼んであった煙突が北海道から届いた。
煙突は地元のホームセンターでも買えるには買えるが、北国のものは作りが一味違う。
灯油であれ薪であれストーブには煙突が付きものだが、人々の暮らしと一つになったその長い歴史が、煙突ひとつをしていい加減さを許さない、それがもの作りに表れている。

梱包を解き安価な薪ストーブに煙突を繋いでいった。
メガネ石は手持ちの材料で代用した。
昔小学校にあった石炭ストーブの煙突のことを思い出しながら、何とか形になった。

薪割りをしてから2年近く乾燥した柳はよく燃えた。
時折薪が爆ぜる音を聞きながら、セイゴの燻製を焼きながら、低い木の椅子に座って炎を見ている。
静かな大晦日、正月を迎える準備も年賀状を除き万端整った...。

# by finches | 2013-12-31 14:52 | 無題
999■■ 心を育んだ小山
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網代に竹を編んだ弁当箱に葉蘭を敷き、そこに炊きたての玄米を軽くよそい、梅干とラッキョウと茄子の辛子漬をのせた弁当を作った。
それにリンゴも一つ添えた。

紅葉はもう終わっているかもしれない、そう思いながらもそれらを手に小春日和の小山に入った。
日々の温泉通いで山の色の変化には気を留めているが、美しい紅葉の瞬間にはなかなか立ち会えないものだ。

子供の頃にこの小山で見た紅葉の美しさが今も頭から離れない。
それは山が最も美しい瞬間に立ち会えた忘れられない体験で、今とは違う眼下に広がる素朴な景色とともに頭に刻み込まれた二つとない心象風景だ。

熟した木の実はまるでルビーのようだし、その極めつけの瞬間はまだこれから訪れるのかもしれない。
紅葉は終わったと決めつけるのはよそう。

人気のない山の斜面で書くブログもたまにはいい。
小鳥が鳴き、赤トンボがやって来て 腕にとまる。
時を経てここは今も大切な場所に変わりない...。


# by finches | 2013-11-23 14:58 | 季節
998■■ 鏝
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東京京橋の西勘本店は左官鏝を扱う老舗で、それらは店の奥に鎮座している。
勿論値段もいい。

鍛冶屋が作る鏝と違い昨今のホームセンターに並んでいるものは、プレスで打ち抜いた板に柄を溶接したものばかりで、それは数百円から手に入る。
それらは使い捨てで、柄が取れたらお仕舞い、新しいものに買い替える。

そこには良い道具を手入れして使い続けるという文化はもうない。
腕の立つ職人が持つ手入れの行き届いた使い込んだ道具が如何に美しいものか、それらが生み出す仕上がりが如何に研ぎ澄まされているか、それさえも知らない職人が使い捨ての道具を使い野帳場の仕事に身を削る。

素人が高価な鏝を揃えるのは流石に愚か、然りとて数百円の鏝で済まそうとも思わない。
我が家にあった鏝の中から三本を選んで手入れをしてみた。
モルタルや漆喰が付着し、厚く錆びている代物ばかりで、それらを削り落とすことから始めた。

ところが使ってみると滑りが違う。
どうせ安物には違いなかろうが、以前とは全く違う風格も出てきたから不思議なものだ。

それらを、家人は、綺麗だと言う...。

# by finches | 2013-11-10 10:37 | 持続
997■■ 初湯たんぽ
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寒さを感じる今日この頃、朝の洗顔の水も日に日にその冷たさを増してきたように感じられる。
そこで昨夜から湯たんぽを使い始めた。

湯たんぽを使い始めて二年目になる。
こんないいものがあったのかと今更ながら思うが、ブリキ製で真鍮の口金のついたやつ、やはりこの伝統の型が一番だと思う。

今も椅子の足下にその湯たんぽはある。
それはほのかに暖かい。

湯たんぽのお湯は行きつけの温泉のもので、朝はそのお湯で顔を洗う。
一晩寝かせたお湯はまるで焼酎の前割りのように、一層そのまろやかさを増している。

家人はそのお湯での洗顔がたまらないと言う。
然もありなん...。

# by finches | 2013-10-19 05:13 | 季節
996■■ グランルーフ
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東京のこんな都市的空間が好きだ。
光を透過するテフロンの膜材、スレンダーな鋼材の接合部のディテール、隠れて見えないがタイロッドも美しくおさまっているだろう。

かつてこの場所には12階のデパートが建ち、視界を遮っていた。
それが今このグランルーフに変わり、八重洲から丸の内へ風穴が開いた。

丸の内側の東京駅は創建時の姿に復元された。
まるでその復元と対峙するかのように、デパートの『壁』は消えた。

再開発により高度な集密化を図りながら、一方でスパッと『減算』する。
東京のそんな都市的ランドスケープが好きだ。

だがそこにはそれを、想い、創り、闘い、成した、人間が必ず、いる...。

# by finches | 2013-10-14 10:32 | 空間
995■■ 秋分の朝顔
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初めて経験するこの夏の暑さ、それは酢橙の枝につけた温度計の水銀柱を38度まで上げた。
その暑さのために新しく植えた草木も随分と枯れた。
たとえそれをまぬがれても、葉焼けした草木は弱々しくしな垂れ、その暑さが過ぎるのをただただじっと待っているように思えた。

初めて経験するこの夏の雨、それは獣のように恐ろしい雄叫びを上げて叩きつけ、草木も大地もそして人もその余りさにおののき、それが過ぎるのをただただじっと待った。
真夏日ということばが生まれて久しい。
そのことばと足並みを揃えるように、優しかった日本の夏の雨は南の国のスコールに変わった。
そして猛暑日ということばが生まれ、更に「これまでに経験したことがない」ということばが冠せられ、雨もスコールからとうとう音からまるで違う恐ろしささえ感じる雨に変わった。

夏に向けてヘブンリーブルーの種を幾十と蒔いた。
そのうち何割かが無事に芽を出し、それを何箇所かに分けて植え替えた。
そのうちまた何割かが無事に育った。

蔓を伸ばし始めた朝顔のために棕櫚縄を張った。
蔓は竹垣をはい、屋根まで上がり、柿の木のてっぺんまで伸びた。
だが花を咲かせることなく 暑過ぎる夏は過ぎた。

秋の彼岸を前にして突然ヘブンリーブルーは真っ青な花をつけ始めた。
竹垣、トマトの竹棚、屋根、柿の木のてっぺん、とにかくそこら中で。

今朝も何十もの真っ青な花が風に揺れている。
秋分、朝顔はまだ明け遣らぬ闇の中でその美しい青い花を開いたのだろう...。

# by finches | 2013-09-28 06:55 | 季節
994■■ 階段の小物たち
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階段にはいろんなものが置かれている。
古い煉瓦、白い大理石、赤い陶板、籐編みのパネル、古い碍子、故宮の瓦、梟の置物、額絵、本、などなど。

栗板の上には小さな小物たちが並んでいる。
家人がカンボジアで買った楽器たち、鳥笛、遥々千葉で買い求めた竹刀、階段の灯りの製作を頼んだ作家からいただいたガラスのオブジェ、函館の坂上のギャラリー店主からいただいた招き猫、アクリルのオブジェ、東京の粋人からいただいた万年筆のピン飾り、家人がくれた和紙紐、などなど。

友人がくれた首長の花器には薄がよく似合う。
同じ友人がくれた小額の中では天女の顔が微笑んでいる。
別の友人がくれた額絵の招き猫は、ひとつは左手ひとつは右手を上げている。
どれもこれもみんな、大切な宝ものだ。

本を読むには暗い階段だが、上り下りはいたって楽しい。
時々、小物たちを並べ替えたり、文庫や新書の順序を入れ替えたり、階段に座って眺めるだけでも楽しいものだ。

未完成の階段はまだまだこれからも進化する予定だ。
それをあれこれ考えるのが、また楽しい...。

# by finches | 2013-09-06 06:26 | 無題
993■■ 眠り蝉
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蕗の葉と酢橙にたくさんの蝉の脱け殻が残されている。
蕗の葉だと地上に出てからの距離は50センチくらい、酢橙だと2メートルくらいになる。

前者の場合、地上に出た蝉の幼虫は羽化をすべく手直にあった蕗を選んだことになる。
後者は、同じく地上に出た幼虫はわざわざ離れた場所に立つ酢橙の木をその場所に選んだことになる。

酢橙の木に残る脱け殻の数の方が断然勝ることから、蕗の葉を選んだ方は本来の蝉道からは邪道なのだと思う。
まだ体の柔らかい幼虫が外敵を逃れ羽化を果たす確率、無事に羽化を終えてもまだ柔らかくフニャフニャの羽根を伸ばし飛べるようになるまでの危険、地上に落ちることなく確実に飛翔できる可能性、それらをして蝉の幼虫は程よい高さの灌木を選ぶのだろう。

早朝、無事に成虫となったクマゼミを酢橙の枝に見つけた。
手を近づけても微動だにしない。
しかし、数時間後に再び手を近づけると、今度は一声を残して飛び去った。

前者は、体温が上がらず動けずにいたクマゼミだったのだろう。
後者は、日が射し始め気温の上昇がクマゼミの体温を徐々に上げ、危険から逃避し得たその瞬間だったのだろう。

いつものことだが、自然は多くのことを考えさせはするが、最後にはきちんとその訳を教えてくれる...。

# by finches | 2013-08-04 14:56 | 季節
992■■ 影

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昨日の柿の木の温度計は38度を示し、噴き出す汗にひとり得心をした。
その夏の強い陽射しが毎朝白塀に鮮明な影を創り出す。

それぞれの色を持つ竹も棕櫚縄も朝顔も黒い影に同化し、それぞれのシルエットも同一平面に転写される。
竹は吊り橋の主塔のよう、棕櫚縄はメインケーブルとハンガーロープのよう。
ならば、朝顔は何に喩えよう。

明石海峡を跨ぐ吊り橋はメインケーブルから、デコレーションライト用ケーブルがハンガーロープを伝い下りている。
朝顔は正にこれだ。

そのケーブルがどっち巻きだったかは忘れたが、朝顔の弦は間違いなく左巻きだ。
暑い陽射し、目を射るその強さ、だが、それがあって黒い鮮明な影が結ばれる。
夏本番、それにしても暑い...。

# by finches | 2013-07-21 10:16 | 無題
991■■ 糠床
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絶妙の味加減を安定維持していた糠床、その味を迂闊にも狂わせてしまい、その味の復活にあれこれ挑んだものの、とうとうその味は戻らず諦め新しい糠床を作ることにした。
新しい糠床を仕込んでちょうど四日目の朝、初めて蓋を開け掻き混ぜ、味を整える試し漬けに入った。

容器はホウロウから『1995年 未熟樽』と墨書されたわが家の木樽に替えた。
蓋の密封度はホウロウに劣るものの、木肌を通して呼吸できるその素材は、冬は温度を保ち夏は下げてくれる、まさに生きている優れものだ。

古い糠床は八朔と八朔の間の固い土を浅く耕してそこに埋めた。
糠床の微生物が今度はいい土を作ってくれる筈だ。
循環型のライフスタイル、心の持ちようで全てを豊かに変えてくえる。

打ち水を終えた庭の小径を眺めながら文字を打つ朝のひと時。
今日も暑くなりそうだが、柿の木の下は涼しい海風が抜けてゆく...。

# by finches | 2013-07-14 07:55 | 無題
990■■ 初蝉鳴く

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今年はまだ蝉の鳴き声が聞こえてこないと思っていたら、きのう日が落ちてヤマモモの木の方角に蝉らしき一声を聞いた。
実はその前兆はきのうの朝あって、庭の小径の石ころにじっとしている一匹のアブラゼミと出合った。
みかんの枝にそっと置いてやると、まだ羽が開ききっていない蝉は、ジージーと鳴きながら草むらに飛んで(落ちて)行った。

今朝も小径の小椅子の脚に蝉がとまっているのを見付け、そっとみかんの枝に置いてやった。
開ききっていない羽はきのうと同じで、この蝉は飛ぶことができないのかも知れないと思った。
飛べない蝉は、きっと鳴くこともできないのだろうと思った。

今、蝉の鳴き声が聞こえている。
だが、一匹の蝉の鳴き声はまだ単調で、本来の鳴き声とは程遠い。
それを聞きながら、蝉というものは二匹以上が競演することで初音の調整ができるのだと分かった。

今、蝉の鳴き声は聞こえない。
だが、木々の枝々には無数の蝉が初音の準備を既に整えていて、リーダーテノールの一声を待っている筈だ。
そして、その瞬間大合唱が始まるに違いない...。

# by finches | 2013-07-13 07:49 | 季節
989■■ 庭の小径
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鬱陶しいばかりの梅雨の長雨も時に清々しい感動を与えてくれる。

土を割り土をモッコリと持ち上げる双葉の力強さ、名も知らぬ無数の野草の健気な生命力、一本また一本と其々のペースで蔓を伸ばし始める朝顔の堅実さ、何時そんなに大きな実をつけたのか胡瓜の不思議、透明なカプセルの中に色の宇宙を宿すトマトの神秘さ、朝霧にシルエットを現す蜘蛛糸の妖艶さ、まだまだ言い尽くせないくらい無数の感動がある。


雨に濡れた庭の小径も日に何度も心に感動を与えてくれる。

自然摘果の柿や酢橙の青い小さな実が散らばっていたり、シダが突然勢いよく生長を始めたり、島の竹箸工房を訪ねた時に分けてもらったトクサから小さな芽が伸びているのに気付いたり、柿の二葉がそこら中から顔を出していたり、水鉢の中に生まれたばかりの子メダカが泳いでいるのを発見したり、番いの雉鳩が向こうから歩いて来たり、これまた数え上げれば切りがない。

不要なものの置き場、薄暗くてジメジメとしていて、決して近付きたくなかった場所、それがこの小径の辺りだった。
その場所が、今では静かな癒しの空間に変わった。
鬱陶しいばかりの梅雨の長雨も、この小径にはよく似合う。
梅雨明けももう間近、次は朝夕の水打ちだ...。

# by finches | 2013-07-08 06:40 | 季節
988■■ 東京

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昨日、台風が温帯性高気圧に変わったことで、東京以西は随分と気温が上がったようだ。
一方、東京は久方振りに梅雨に舞い戻ったように、終日小雨が降り続いたが、その酷暑からは解放された。

今朝、外を見ると一つ二つと傘の華が、クルクルと回るように、スーっと滑るように、同じ方向に移動していた。
そこで、朝の散策と外での朝食は取り止め、ゆっくりと部屋で過ごした。

雨は止んだ。
散策を兼ね、ゆっくりと八重洲に向けて歩いた。

途中、遅目の朝食をとった。
老舗の心地よいサービスと苦めのコーヒーが、一日の始動の力をくれた...。

# by finches | 2013-06-14 10:24 | 無題
987■■ 東京

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久し振りの東京、なのに生憎の雨。
傘なしでも済みそうなくらいの弱い雨で、フランス人ならこんなの雨のうちに入らないだろう。

東京は中継地だが、今日一日と明日半日時間を取ってある。
大半の荷物は最終到着地に送ってあるとは言えども、細々したものもそれなりに集まると重い。
まして雨。

予定は大幅に狂う。
何より楽しみにしていた街の探訪ができない。

雨宿りにはいささか大き過ぎる空間だが、しばし雨宿り。
これを書いたらホテルに荷物を預け本屋にでも行こう。
どさっと買って送ろう。

コンサート開始は夕方。
風邪など絶対にひけない...。

# by finches | 2013-06-13 11:28 | 空間
986■■ 朝顔

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梅雨の合間に朝顔の種を蒔いた。
翌日は再び鬱陶しい梅雨空に戻り、二日間降り続いた。
フカフカの土に僅か1センチの深さに植えられた種はそんな雨に打たれたら一溜まりもない。
そこで、覆いを掛けてやった。

再び梅雨の晴れ間が訪れ覆いを外すと朝顔は一斉に小さな芽を出していた。
色は薄いベージュで、もともとそんな色なのか、覆いを掛けられ日の当らないモヤシ状態で発芽したせいなのか、兎に角そんなひねた色をしていた。

もっとよく日の当たる場所にポットを移してやった。
日の光を浴びて一日で随分と大きくなったが、色はまだ薄いベージュだった。
だが、今朝見るとその葉が薄緑に変わっていた。
きっと、夜の間に日を浴びてできた葉緑素で色が置き変わったのだろう。

ヘブンリーブルー、大きく育って青い花を咲かせてくれ...。

# by finches | 2013-06-04 06:35 | 季節
985■■ まずめのシャワー
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まずめとは日の出と日没の前後をいい、それぞれ朝まずめ,夕まずめというが、この時刻は魚が餌を良く食うとされている。
だから、釣りに行く時はまだ夜も明けやらぬ暗いうちに家を出るのが常となる。

汲み置きしてカルキを抜いた水をメダカの水鉢に補給するのを日課にしているが、そのやり方を数日前に変えた。
それまでは陶器のボールでそれを行っていたが、流れ込む水の勢いで水は掻き回されて濁り、それが収まってみてもなかなか水の汚れが取れていないことに不満があった。

新しいやり方はブリキのじょうろに汲み置きした水を移して補給するというものだ。
これだと表面に浮いた汚れをオーバーフローする水と共に流し出し、メダカたちはこのシャワーを甚く歓ぶし、周囲もまるで打ち水でもしたように程良く濡れて、その様が何とも瑞々しく清々しい。

このシャワーを朝まずめと夕まずめの頃に行うことにしたのだ。
一頻りそのシャワーと戯れた後に食餌なのだから、メダカが悦ばないはずがない。

そして、これが人にとってみても、一日の始まりと終わりの切り替えと共に、減り張りにもなるから心身にいい。
朝まずめ,夕まずめは釣りを始めて知ったことばだった。
だが、今それらは暮らしの中で、生きたことばに変わった...。

# by finches | 2013-05-17 06:45 | 時間
984■■ 障子と夕日
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どこでもいい、急に古い建物を見たくなった。
西に行こうが北に行こうが東に行こうが、南以外そこには歴史の面影を残す城下町がある。
だが、その日は以前に外からの家の構えに興味を抱いた、ある作家の生家を訪ねたいと思った。

到着するや玄関先の椅子に座って途中で買い求めたお萩と粟もちを、少し高台にあるその生家から山々と小川と田んぼを見下ろしながらいただいた。
田植えの終わった田んぼは、百匹近い野生の猿に荒らされて去年は田植をしなかったという話を聞いた。

また去年の小川の蛍はすごかったそうで、まるでその上を歩けそうなくらいの乱舞が見られたという。
護岸工事がされる前の小川はさぞ美しかったろうと尋ねると、それはそれは美しかったそうで、そのかつての情景を聞きながら、筆者の記憶の中にある,ある小川の護岸工事前と後の姿と重ね合わせた。

一人になると座敷に座りそこからの景色を飽きることなく眺めた。
燕が入って来るからと言いながら開けてくれた障子は両側に引き分けられていたが、それが四本引きの障子であることに気付いた。
四本引きとは障子の溝が4本切ってあるもので、全開すると障子3枚分の開口が得られる。

その様をどうしても伝えたくて写真1枚という方針を今朝は曲げて、2枚の写真を掲載した。
引き分けた2/4の開口と、片側に引き寄せた3/4の開口の開放感の違いはこれ程ある。

冬、山に日が落ちる頃、夕日が二つの座敷の奥まで明るく照らすそうだ。
山に沈むその美しい夕日を、座敷の奥から思い描いた...。


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# by finches | 2013-05-14 06:33 | 空間
983■■ 雉鳩と蓮華

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これまでこの硬く締まった土には草も生えなかった。
そんな硬い土に穴を掘っては野菜屑や木の葉を埋め、自家製の発酵液を散布しては土着微生物の活性化を促しポジティブに土づくりに参加してもらおう、そこに生える草はそのままの状態を保持することで土の温度は下がり根は土をふかふかにしてくれる、そんなイメージを頭に描きながらこの一年その硬い土と格闘してきた。

去年の秋の終わりにその硬い土に蓮華の種を撒いた。
白いタンポポや芙蓉の種も撒いた。
春か来たらその硬い土を可憐な蓮華の花が覆う様を思い描いた。

硬かった土は柿の木の周りからだんだん柔らかい土に変わり、まだ硬い土の部分からも小さな草が少しづつだが顔を出してきた。
蓮華は咲いた、だがその硬い土に根を伸ばすことはできないようで小さな体に小さな花をつけた。

雉鳩はそんな手塩に掛けた土の上を歩いてやってくる...。

# by finches | 2013-05-11 08:06 | 季節
982■■ 採石場跡

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去る日曜日、散砂を求めて採石場を歩いたことがある。
それまでは散砂は埠頭に山積されたものを買うものとばかり考えていたが、自分の足で歩いてみると掘り出される山によって、つまり採石場によってそれは微妙に違うことが分かった。

散砂を探し歩いたのは、旧家を歴史資料館に改装した庭一面に敷かれている散砂が、どうも他とは違うという思いが頭の片隅で燻っていたからだ。
頭の中ではその散砂を採った採石場は中学一年の臨海学校で訪れた海の、その岬の先にあった採石場と重なって、きっとあの場所に違いない、そう勝手に思い込んでいたのだからたわいも無い。

その日、訪れた一つがこの採石場で、既に廃業して年月が経っているらしく、入口には立入禁止のロープが張られ、かつて船に直接積み込んだ錆びた桟橋からは、ここがかつて空港の埋め立てに使う砕石を採った採石場であることが窺えた。

山を削り地の底を掘った跡が、切り立った高い崖と湖となって静寂の中に取り残されていた。
そこは覗き込むと引きずり込まれそうな殺気に満ちていて、高所恐怖症の筆者にはこれ以上近付くことは到底出来なかった。

この景色はここまで来るか、船に乗って海からでないと、見ることはできない。
人家の方からだと雑木の生い茂った普通の山にしか見えず、その裏側が半分削り取られ、その底には青い水を湛えていようなど想像すらできないだろう。

立入禁止のロープを越え、恐る恐る奥まで入った。
そこで目に飛び込んできた世界、散砂探しの小さな冒険が世にも不思議な大きな体験をさせてくれた...。

# by finches | 2013-04-25 06:53 | 遺産
981■■ 窓下の景色

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風化花崗岩をクラッシュして小粒にしたものを散砂などと名付けて売っている。
花崗岩が風化した土は真砂土と呼ばれるが、その土を掘ってふるいにかけると天然の風化花崗岩の豆石が採れる。
クラッシュして人工的に作られたものと違って、天然のものには柔らかな味わいがある。

その天然の豆石を幾つもの円錐形の山にして置いていたが、それが伐採木を乾燥させるための格好の支点となり、最後には比較的口径の大きい数本を残して玄関先のオブジェにした。
今は、その井型に組んだ伐採木の間に自然に落ちた柿の枝と、剪定で間引いた蜜柑の枝を挿している。

隣人もやって来る人もきっと不思議に思っていることだろう。
筆者としては花を活けているつもりなのだが、きっと万人にはそうは見えないだろう。

我が家で『松本ブルー』と呼んでいる朝顔をここに植えたいと思っている。
無数の青い花が創り出す空間、それはきっと幻想的な世界だろう。
Heavenly Blue、それは一人の亡き友人が好きだった花だ...。

# by finches | 2013-04-14 11:32 | 無題
980■■ 無垢な季節の始まり
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啓蟄のあたりから姿は見えねど、微かに蠢く動物たちの始動の気配を感じ始めた。
まだ冬を纏った地面は殺伐としていて、取り残された落葉はこの数カ月虫たちによって分解されることもなく、ただ風にカラカラと翻弄されるままに身を任せ、仕舞にはいくつかの吹き溜まりに集められた。

春分のあたりから色は見えねど、其処彼処から淡く色づく植物たちの始動の気配を感じ始めた。
まだ冬色の殻に覆われた芽先からも、芽吹こうとする生気の色を感じ、それらは次第に空間のあちこちで一斉に色づき始めた。

満開の桜を散らす時ならぬ冷たい雨の中、清明の輝きに見蕩れた。
木々は枝先に小さな若葉を付け始め、野草は青々とした葉を広げ、蕗は若葉を軽快に持ち出し、キャラブキは象の鼻のような小さな葉を広げ始めた。
葉を垂れていたフイリヤブランも真っ直ぐに上を向いて伸びる若葉が顔を出し始めた。

傘をさし、しゃがんで、美しい清明の世界を堪能した。
地上に蠢く動物はいなかったが、土の中で蠢く動物たちの躍動の気配を静かに感じ取った。
清明、再び無垢な季節が始まった...。

# by finches | 2013-04-07 11:16 | 季節
979■■ 薪割り
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長年の念願だった薪割りを楽しんでいる。
念願だったのだから楽しんではいる、だがしかし、それはかなりの重労働を強いられる。

それは先ず伐採木を30センチの長さで輪切りにするところから始まる。
結果、1本の伐採木から5~6本の薪割り用の丸太が得られる。
チェーンソーで切れば簡単なのだが、生木を鋸で切るのは結構しんどい。

チェーンソーがないのかと言えば、あるにはある。
だが、たとえ不本意に伐採木になったとはいえ、命を半ばにして経たれた柳の無念さを慮る時、切るのにもそれなりの構えと言おうか作法があるように思う。

当然、丸太を薪割機で割るなど、愚の骨頂と言うか邪道以外の何物でもない。
そんな楽をしてはならない。
やはり、薪割りには斧を使わなければいけない。

鋸で挽き、斧で割ってみると、その木の癖がよく分かるものだ。
咲き始めた春の花を横目に、薪ストーブもないのに薪を割ることは是か愚か分からない。
だが、薪が先にあってもいいように思う。
この薪に似合った小さなストーブを探す楽しみもある...。

# by finches | 2013-03-26 12:58 | 無題