091■■ 数矢小学校と平久小学校
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旧深川区には15の復興小学校があった。
だが、その中の2つは一つの建物を共有しているため、実際の建物数は14ということになる。
現存している復興小学校はそのほとんどが隅田川以西にあり、隅田川を越えた旧本所、深川区には僅か1校しか残っていない。
それでも、街の中にその面影を捜すことは出来るし、何より、魅力的な鉄の橋と出合える楽しみがある。
旧牛込、四谷、芝区にはまだ訪れていない復興小学校があるのだが、イザ探検、と地下鉄の改札をくぐると、その足は隅田川を挟んで向かい合う旧京橋、深川方面に向いている。

写真は昭和38年のものだが、明治の地図の臨海、数矢、平久辺りもこんな風に変わっている。
写真では左上に数矢小学校、右下に平久小学校が見えるが、多くの川や掘割が既に姿を消しているのが分かる。
平久小学校辺りは複雑な地形をしていて、こんな所には自ずと近い距離に橋があって、人々の暮らしや営みと密着しているためにその数も多い。

数矢小学校の北側にもまだ掘割が残っているが、昭和39年の東京オリンピックに向けて高速道路が整備されたために、ほとんどの川は埋め立てられ、また、橋脚を立てる場所として空を失った。
この掘割も現在は埋められ、その上を美のかけらもない高速道路が走っている。

現在、戦後、戦前、大正、明治、江戸、これらの時代を復興小学校と鉄の橋が繋いでくれる。
それは機織りの杼(ひ)のように、時空を越えてその時代へと運んでくれる...。

by finches | 2009-07-16 07:10 | 復興


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