明石小学校 ・其九で筆者が勝手に決めた‘明石小学校スタイル’なるものを考えてみたい。 明石小学校の起工は大正14年6月5日で、関東大震災前に既に起工していた3校を除くと、復興小学校の中では3番目となる。 そして、竣工は大正15年8月28日で、こちらは9番目となる。 これら大正の時代に設計された学校建築が、当時の建築の潮流の影響を受けていたことは紛れもない事実であるし、中でもドイツ表現派の影響は、この時代全体が総じて受けていたと言っても過言ではないと思う。 この明石小学校も大きく捉えれば、確かにこの時代の底流にあった表現主義の影響を受けていることに間違いはないし、其処此処にその面影を見ることもできる。 だが、全体を覆う思想はそこからは既に離れたところにあり、それを一つの流派の型に嵌めようとしても無理があるし、最早そこから離脱した表現の模索が如実に見て取れると言っても過言ではないように思う。 明石小学校 ・其九で、明石小学校にはここだけにあって、残りの116校の復興小学校にはない顕著な特徴の存在を示唆した。 それはこの小学校だけがその平面計画に於いて、建物の角という角に大きく丸い面取りがされていることだ。 そして丸柱が建物外周部を一貫して支配し、その同じ柱は室内側では四角の柱に変わるが、その角には丸い面取りが施され、何より特徴的なのは、外に向かって曲面を描きながら反り返るパラペットの形状で、端部の端部に至るまで徹頭徹尾、その建築的思想は貫かれている。 写真は明石小学校の主昇降口だが、ここに表現派の面影が最も色濃く残っていると言えるかも知れない。 入り口扉の上のアーチ部分に嵌められたステンドグラスから射し込んだ朝陽は、中を色鮮やかに照らすだろうし、同じく校庭側のアーチのステンドグラスからは夕陽が射し込むことだろう。 全てに亘ってこの小学校には、周到に考え抜かれた設計者の優れた力量に溢れている。 そして、それを一年と三ヶ月という工期で成し遂げた竹田組の労苦も如何許りであったろうと思う。 それにしても、この学校を壊すのは余りにも惜しい、そして、もったいない...。
by finches
| 2009-09-26 06:48
| 復興
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