156■■ 隅田川 千住大橋
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千住大橋は文禄3年(1594)隅田川に最初に架けられた橋で、一説には架設の資材は伊達政宗が調達した高野槙(こうやまき)が使われたと伝えられている。
千住(せんじゅ)は江戸時代、日光街道と奥州街道の第1宿として発展し、松尾芭蕉の奥の細道の出発点として余りにも有名だ。

芭蕉は、元禄2年(1689)の2月(旧暦)末、隅田川と小名木川の出合いに架かる萬年橋の北岸にあった芭蕉庵を手放し、仙台堀川に架かる海辺橋の南詰の採荼庵(さいとあん)に移った。

  草の戸も 住み替はる代(よ)ぞ 雛の家

そしてこの採荼庵で奥の細道の出立直前までを過ごし、翌月27日、ここを立って見送りの門人とともに、仙台堀川から隅田川を遡って千住で舟を下り、矢立初めの句を詠む。

  行く春や 鳥啼(なき)魚の 目は泪

芭蕉が千住を訪れる百年前には既に千住大橋は架かっていたことになるが、その後も何度か架け替えが行われ、関東大震災にも焼け落ちることはなかった。
現在の千住大橋は昭和2年(1927)に架設された震災復興橋梁で、形式はブレースドタイドアーチ橋となる。

またこの震災復興事業で千住大橋が架設されたことで、それまで橋がなかった千住大橋以北にも橋が架けられたことを付け加えておきたい。
現役バリバリのこの橋の昭和2年と彫られたプレートが、この橋の歴史を誇らしく告げていた...。

by finches | 2009-09-30 06:59 | 復興


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