徒歩による交通が中心であった江戸時代、橋の両側の橋詰には広場状の空間があった。 その空間を橋詰広場と言うなら、そこは様々な都市機能が集積した拠点としての役割を担っていた。 例えば情報の発信や交換、監視、商い(屋台)、興行(見世物)等々の場所としての機能を持ち、明治の初めからは現在の交番や公衆便所なども置かれるようになっていった。 そして、近代に入り徒歩から車へと交通手段が変化する中、この橋の両側にあった橋詰広場も、橋の上流と下流側の四ヶ所に分断されていった。 余り知られていないが、関東大震災後の帝都復興事業でこの橋詰の空間は都市計画的、交通計画的に整備され、近代以前の橋詰広場とはその意味が大きく変わっている。 写真は厩(うまや)橋の右岸下流の橋詰だが、橋詰広場、公衆便所、交番などが揃っている例と言える。 人の顔が描かれた部分が公衆便所で、その右側が交番となる。 現在も橋詰には公衆便所を併設している橋は見かけるが、これ以上にユニークなものには未だ出合ったことがない。 そして、ここで敢えて取り上げたのはそのデザインが、写真ではこの左側に隠れている厩橋を意識したものに思えてならなかったからだ。 筆者の視線も最初は橋に釘付けになったが、暫くしてこの顔のデザインをふと疑問に思った。 普段ならそれ以上考えることもないが、何故かどうしてこんなデザインなんだろうと考えてしまった、そして、気になった。 気になったから、厩橋のプロローグとしてこの記事を書き、そのプロローグとして花の人形まで書くに至ったという訳だ。 呵呵大笑、くだらないとお思い召されるな...。
by finches
| 2009-10-05 06:35
| 空間
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