江戸四宿と呼ばれる宿場がある。東海道の品川宿、甲州街道の内藤新宿、中山道の板橋宿、そして日光街道・奥州街道の千住宿がこれに当たる。 千住は日光街道と奥州街道の始点で、江戸時代からその第一宿として整備され発展した。 松尾芭蕉が奥の細道への出発に際し、千住で詠んだ「行く春や鳥啼魚の目は泪」という矢立初めの句は余りに有名だが、当時の千住は大江戸八百八町の北限で、その先への旅は二度と戻れないかもしれない未知への旅立だったのだろう。 千住大橋を取り上げるのは二度目となるが、隅田川の震災復興橋梁として架けられた永代橋から千住大橋までを改めて見てみると、この千住大橋が最も短いことに気が付いた。そんな川幅が狭い場所であったことも江戸時代に最初にここに橋が架けられた理由かも知れないと思ったりした。 さて、千住大橋の親柱はその一部だけが残っていて、現在のものは平成17年(2005)に橋の全面塗装が行われた時に復元改修されたもので、架橋当時の姿に復元されている。 灯具の作りに古さが感じられないのと、石の磨き方に機械研磨の味の無さを感じる他は、やがて時間がこの親柱と灯具を昭和2年生まれの橋と同化してくれる時がくるだろう。 見掛けだけのレプリカではなく、復元もオリジナルに忠実に行えば本物としての正しい年の取り方をし、そして自然な経年変化の末に新旧が同化していく好例を見た気がする...。
by finches
| 2009-11-17 06:30
| 復興
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