前稿で昭和8年(1933)に建設された追分小学校と本郷高等小学校がインターナショナルスタイルであることは述べた。 昭和6年(1931)までに全ての建設が終了した復興小学校117校や、昭和7年に建設されたものと、明らかな違いが昭和8年になると現れてくる。それがインターナショナルスタイルの小学校で、現存するこのタイプの小学校の沿革史には総じて、最新鋭校舎、東洋一美しい、東京市のモデル校、などと言った形容が添えられている。 まだ断定はできないが、震災復興事業が完了し新しい都市基盤が整備された背景の中で、より余裕を持って取り組めるようになった小学校建築が、当時最新鋭の建築スタイルであったインターナショナルスタイルの衣を纏って現れたのが昭和8年ではないかと考えている。 言い換えれば、復興小学校は元より昭和7年までに建設された小学校に見られる、建築スタイルに統一性の無い過渡的な表現に変わり、その後の小学校に於いては復興事業としての小学校の集大成として取り組まれた結果ではないかと考えている。 さて、津久戸小学校も昭和8年に完成したインターナショナルスタイルの小学校で、この建築スタイルの弱点を補いながら活用し続ける為の耐震補強が施されているが、完成当時はさぞ美しかったであろうと思う。 復興小学校を含めて総じて残念なのは、当時のスチールサッシが全てアルミサッシに変えられていることがある。 写真左の現在のカーテンウォールのように見える連続窓も、アルミサッシに変わりその美しさは完全に失われているが、その明らかにバウハウスの影響を受けたデザインが当時どれだけ斬新で新鮮であったことかと思わずにはいられない。 これから何回かこのインターナショナルスタイルの改築小学校を取り上げてみたい...。
by finches
| 2009-11-05 07:01
| 復興
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