一日の内で橋が最も美しく映える時間を迎えようとしていた。 それはまるで木洩れ日の中の枝葉の影のようで、夕日とトラスがつくり出す光と影の遊戯にしばし見とれた。 空が茜色に染まりその色が橋を鮮やかに染め、やがて訪れる黄昏時までの光の変幻はあっという間に過ぎ去ってしまう。 そして、灯りが点るとその表情は一変し、夜のとばりに包まれる頃には川も黒い帯に変わる。 筆者の好きな昭和の初めにつくられた鉄の橋、それは関東大震災の震災復興事業で架橋された震災復興橋梁と言われるが、勝鬨橋はその仲間ではなく紀元2600年を祝うかのように、昭和15年(1940)に建設された戦前橋梁の集大成とも言える橋だ。 この橋は中央部に跳ね上げ式の可動部を持つことで知られるが、昭和45年(1970)を最後に一度も跳開されていない。来年は震災復興事業が完了して80年という節目の年を迎えるが、この勝鬨橋も跳開した姿を是非見せて欲しいものだ。 これらの橋と今の橋とは同じ橋であっても別物と考えた方が分かり易い。 デザイン、ディテール、設計及び施工レベルの高さ、そして美しさ、どれを取っても今のものに勝るとも劣るものは一つとない。 筆者はそんな橋のある特徴に気付き、それに気付いたことで気付かなかったよりは、きっと上質の橋上ライフを密かに楽しんでいる。それは、当時の橋は上路タイプを除きその橋の形式に違いがあっても、橋の主構造材の外に歩路が跳ね出している。このことは橋の美しいプロポーションにも寄与しているのだが、主構造材によって歩路と車路が如実に分けられていることで、車に邪魔されず又意識せずに橋を隅々まで観察することができる訳だ。 勝鬨橋もそうだが、意識して橋の全景を取り上げることをして来なかった。 それは本物の橋が持っている魅力は全景だけでは言い表せないのと、全景はその橋の説明に陥りそうで避けているとも言える。 一つの橋を何回、何十回取り上げるか分からないが、その途中には全景を紹介する機会もあるだろうが、ただ今は、橋の行間を読み埋めることで、その橋の本質をもっと知りたい考えたいと思っている...。
by finches
| 2009-11-28 06:43
| 時間
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