255■■ 煉瓦造小学校?
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関東大震災が起こる前年に始まった東京市の鉄筋コンクリート造小学校の建設は、日中戦争勃発の翌年を最後に終了した。
当初の東京市の建設計画は関東大震災の発生により大きく軌道修正されたが、多くの有能な技師と彼らを支えるそれ以上の技手によって滞ることなく見事なまでに遂行されていった。

前稿の広尾小学校でこの期間に建設された鉄筋コンクリート造小学校のうち、現存する全ての小学校を取り上げたつもりだ。
これからも小文での掲載は現存しない小学校まで範囲を広げて続けるつもりだが、その一方で復興小学校や改築小学校という呼称に係わらず、その時代の校舎が現存する小学校については記事の加筆と写真の追加などの充実を図ることで、この時代背景とそれらがどんなに魅力的な建築であるのかをもっと伝えていきたいと考えている。

上の写真がどこの小学校がお分かりの方がおられるだろうか。
この建物は明治44年(沿革史では明治45年とある)に竣工した泰明小学校で、関東大震災で損壊するまでこの校舎が数寄屋橋の傍に建っていた。
泰明小学校は創立当時から煉瓦造校舎が建設されていた為に、筆者はこの写真を初めて見た時に煉瓦造だと思った。だがこの建物は木造で外部鉄網混凝土造とあることから、現在で言えば木造モルタル塗というところだろう。

しかし、他の学校が木造2階建てで建設されていた時代、この校舎は木造3階建ての上に外部を鉄網混凝土で仕上げているあたり、やはりこの学校は他とは明らかに違い優遇されているのは間違いない...。

by finches | 2010-01-20 07:21 | 復興


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