大横川に架かる菊柳橋は北の竪川から数えると二番目、南の小名木川から数えると3番目に位置している。 菊柳橋は昭和5年に震災復興橋梁として架橋された3径間のゲルバー橋で、現在は竪川を境に北が墨田区、南が江東区に分かれているが、架橋された当時この辺りは本所区(現墨田区)に属し同じく本所区の復興小学校である菊川小学校(昭和3年竣工)もこの近くにあった。 また、この橋を東に行くと深川区(現江東区)の復興小学校である猿江小学校(昭和4年竣工)もあった。 余談だが猿江小学校は木造校舎への鉄筋コンクリート造教室の増築ではなく、完全な形での鉄筋コンクリート造3階建校舎として建設された東京市で最初のものだが、竣工(大正12年5月)後間もなくして起きた関東大震災(大正12年9月)で内部が焼失し建て直された経緯があり、その為に竣工年が昭和4年となっている。 そんなこんなでこの辺りは歴史的にも大変興味深いものがあるのだが、残念ながら僅かに残る震災復興橋梁を除いて当時の面影を残すものはなくなっている。 だが、まだ幾つかの震災復興橋梁が残っていることで川の景色には色が添えられ、その橋が人々の暮らしに溶け込んでいることで何とも言えない安心感を与えてくれる。 そしてその橋を起点にあれこれ雑学を重ねていると、いつしかそれが別の起点からのものと連鎖し、点が線となりやがて面となって少しづつ往時の輪郭が見えてくるから面白いし止められない。 菊柳橋の写真ほど何度もどれを使おうかと迷ったり加工をやり直したものはない。 橋全体が分かるもの、ディテールが分かるもの、朽ちた様が分かるもの、人々の暮らしとの係わりが分かるもの、環境との融合が分かるもの、等々。 しかし、今朝の写真はそれらのどれ一つとして上手く伝えきれていない...。
by finches
| 2010-04-16 07:25
| 復興
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