仙台掘川の平久川との出合い近くに架かる亀久橋は昭和4年に架橋された震災復興橋梁で、トラス形式のその橋は今も人々の暮らしの中に溶け込み、なくてはならない橋として愛されている。 この亀久橋の近くには、少し西に行くと明治小学校(昭和2年竣工)と明治第二小学校(同左)、少し南に行くと数矢小学校(昭和3年竣工)という震災復興小学校がかつてあった。 また、この橋の北東には明川高等小学校(昭和2年竣工)という震災復興小学校もあった。 この橋からは門前仲町や以前拙稿で取り上げた清澄六軒長屋やヨーガンレールなども近く、今も下町情緒が町のあちこちに色濃く残り、いつ行ってもまたどこから歩き始めても新しい発見と出合いがある筆者にとってはすこぶる楽しい場所でもある。 だが、そんな場所にある亀久橋が2色に塗り分けられているのがどうにも気に入らない。 トラスのメインフレームとラチスが塗り分けられているのだが、このような塗装が施されている橋を他に一つ知っていたが、二つ目が存在していたことに、またそれがこの亀久橋であったことに大いに落胆した。 市松模様というのがあるが、元々は江戸時代に生まれた紺と白を碁盤目に並べた模様で、現在は色んな色でつくられたこの市松模様を見ることがあるが、使う側が余りこの模様の落とし穴を知らないというか、それに気付いていないというか、とにかくこの模様は目立つということだ。 控え目な2色であってもそれを市松にすると、まるで別物のように派手な印象に変わるから不思議だ。 だから、余程慎重に且つセンス良く使わなければほとんどの場合失敗する。(失敗だとも気付かないでいる人たちがほとんどだから余計にややこしい) 亀久橋の親柱は実にユニークで好きだが、この市松模様を彷彿とさせる塗装が何ともこの橋のデザインと合わないのが嘆かわしい。 トラス橋入口の門形部分を橋門構と言うが、亀久橋はこの上部に親柱上部のデザインと連鎖したようなユニークは装飾があしらわれているのだが、市松もどきの塗装の為に、この装飾が「なると模様」のように見えて情けなくなる。(注: 亀久橋には何の責任もない) 市松模様の使用にはくれぐれもご注意を。 良いと思っているのは本人だけで、傍目には下品に見えているかも...。
by finches
| 2010-04-17 06:45
| 復興
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