363■■ 水ノ子島灯台

363■■ 水ノ子島灯台_b0125465_1665655.jpg[Photograph source]
 haikyo-hunter.blog.so-net.ne.jp/2009-09-27



友人が遠路水ノ子島灯台まで釣りに出掛けた。
映画「喜びも悲しみも幾歳月」のロケが行われたところだと聞いても、最初はその姿を思い描くことは出来なかったが、その灯台の写真を見せてくれた時に亡くなった叔父がサザエ獲りに潜っていた灯台とその縞模様がそっくりで興味が沸沸と湧いてきた。

灯台には赤いもの、白いもの、石積みだけのものなど様々だが、よくよく思い返してみるとそれらは港の入口や陸(おか)にあるもので、港口が広い場合などは白と赤の灯台が1基づつあったりもする。
するとこの縞鯛(シマダイ)のような模様は岩礁や島にあるるもので、航行する船に注意を喚起する目的があることが容易に想像される。

この灯台は明治33年に着工し4年後の明治37年に点灯したと記録にあるが、後にも先にもこれだけ長い歳月を掛けて建設された例はなく、如何にこの水ノ子島灯台の建設が難工事であったかがこの歳月からも伺える。
また、昭和37年まで燈台守たちは鶴見町にあった宿舎から、船でこの水ノ子島へ交代で赴いていたそうで、その燈台守の生活は過酷を極めたことだろう。

この灯台の内部は8層で6、7階が詰員の寝室になっていたそうだが、大正元年9月22日の台風では、水面上34メートルの高さの灯台の窓からは波が室内に打ち込み、一時は56メートルの灯台頂部までが怒涛の飛沫に包まれた記録も残っているそうだ。

ところで、灯台は1等から6等までレンズの焦点距離によって格付けされているそうで、第1等となると「焦点距離910㎜、内径1,840㎜、レンズの高さ2,590㎜」もあって、この水ノ子島灯台もその第1等レンズを持っていた。
そのレンズも太平洋戦争末期にアメリカ軍機の機銃掃射により破壊されたが、山口県徳山産の花崗切石を積んで造られた灯塔は激しい機銃弾の跡と、爆弾の炸裂の痕跡を残しながらも倒れずに残った。

戦争末期に航行の安全を守る灯台までをも無差別に攻撃したアメリカ軍、それは病院船を攻撃するのと寸分の違いもないと思った。
拙稿「外濠 鎌倉橋」にも書いたが、アメリカ軍が日本の敗戦が明白にも係わらず日本全土で繰り広げた弱者を狙った卑劣極まりない蛮行の一つが、こんな孤高の島の灯台にまで及んでいたのかと驚かされた。

さて、友人の釣りは不発に終わったようだが、筆者はその釣り場から多くのことを学ばせてもらった...。




363■■ 水ノ子島灯台_b0125465_8332193.jpg
これは筆者が描いた石積みの灯台です。
by finches | 2010-05-10 06:08 | 時間


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