現在の道路と旧道との間に十本のカエデの高木が残る場所がある。 この高木は遠くからも眺められ、この季節そこだけが紅葉して期間限定のランドマークのように輝いていた。 旧道に車を止め近付くと、サラサラ、カサカサと互いの葉が擦れ合いぶつかり合いながら、クルクルと舞うように落ちて来て、舗装されてない土のままの旧道を覆い始めていた。 この木のことは覚えていないが、この辺りは子供の頃ボロ自転車で遊びに来た記憶だけは鮮明にあって、10歳足らずの子供の行動圏が半径5キロにも及んでいたことに改めて驚かされた。 この辺りは両側を山に挟まれた道から視界が開け、道沿いに小川が流れ、鉄道が大きくカーブを描きながら道路と小川に近付いて来て、開けた斜面には田んぼが広がり、それに沿うように茶色の瓦を載せた農家が点在している。 ここで見たもの起こったこと、また5キロの道すがらに見たもの感じたこと、それら全てが今の自分の原風景にあって、今見るもの感じるもの考えるもの作るもの、それら全ての底辺となり下地になっているように思えてならない。 下地と言えば昨日お茶を飲みながら三人で漆の話で盛り上がった。 内容は割愛するが、要は下地が何より大事だということことに話は及び、その中の一人は実際に京都の漆職人の仕事を目の当たりにした時の気の遠くなるような話まで披露してくれた。 育った環境も職種も年齢も違うが、もの作りに対する真摯な姿勢は共通したものを持っていると感じる二人との会話は、短い休憩のお茶ではあったが楽しいものだった。 さて、十本のカエデの下には一台の軽自動車が木の間に頭を突っ込むように止まっていた。 助手席には毛糸の帽子が覗き、何て良い時の過ごし方をしているのだろうと羨ましく思った。 写真を撮り終え邪魔にならないように落葉の道を一気に走り過ぎたが、助手席にあったのは毛糸の帽子だけで人影はそこにはなかった。 それを横目で見ながら、なんとも微笑ましく穏やかな時間がこの木の下には流れているのだろうと思った...。
by finches
| 2010-11-23 04:50
| 無題
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