「包む」の次は「入れる」で書いてみようと思っていたのだが、思わぬ出来事にその予定を変えることにした。 前稿「包む」は家人も甚く気に入ったようで、出掛けに何やらソワソワ、ニコニコしていたのが妙に印象に残った。 十日間床に臥し正体不明の細菌と戦う為に飲み続けた抗生物質のせいで、腸内の善玉菌が絶滅したらしく、ヤクルトやら日替わり野菜スープで新たに善玉菌の育成を図っている。 そんな訳で家人が作ってくれる弁当は温められるようにと野菜スープは瓶に入れ、小さなおにぎり二個と玉子焼きなどの御数は別に包んで持たせてくれる。 昨日はその紙袋に何かが入れてあるようで、それでソワソワ、ニコニコしているものと想像した。 だが、お昼に取り出してみても中からはいつも以上のものは出て来ず、おかしいと頭を傾げたが、次の瞬間弁当の包みがいつもと違うことに気付いた。 それを見て、前稿「包む」を読んで早速実践したのだと思い可笑しかった。 その包みをほどき温めたスープを啜り小さなおにぎりを食べながら、さてこれは前稿でいうところの「包み」なのか「包む」なのかと考えた。 確かにいつも以上に綺麗には包んであった。 だが、その包むときの気持ちが「包む」なのだとすれば、見掛けの綺麗さでその気持ちを量ることはできない。 包むものが綺麗な布であっても新聞紙であっても、包み方が丁寧であっても雑であっても、その時のせわしさなどを重ね合わせて考えると、それらのことには左右されない推し量れない心というものが「包む」の中にはあるように思う。 さて、折角の家人の気持ち、その気持ち、その心、「包む」の方にしておこう...。
by finches
| 2011-01-14 07:23
| 無題
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