620■■ 大地震の恐怖
東北関東大震災で罹災された方々に心よりお見舞いを申し上げます。
合わせて、お亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。



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2011年3月11日午後2時46分に発生した地震は小刻みな嫌な振動から始まりました。
その小刻みな嫌な振動に始まる揺れはその二日前くらいにもあり、これまでとは違う書架の軋む音から揺れる向きがいつもとは違っていることを察し、嫌な気持ちになったことを覚えています。
思えばそれがこの度の大地震の兆しであったのかと思います。

この不幸な出来事をいつものように書くことはできません。
このことに触れずにおくこともできたでしょうが、やはり書いて残しておこうと思いました。
そして、今回は本来の私に戻って一人称で書こうと思います。

私の体験したことは津波で罹災された方々の恐怖や深い悲しみの比では勿論ありませんが、東京の私の事務所で起きた事実だけを書き残して置くことは決して意味のないことではないと思います。
私なりの恐怖の体験の後、なんとか歩けるように最低限の片付けを済ませ、街はどうなっているのかと心配しながら地震で停止したエレベーターの前を通り階段で7階から下に降りました。
しかし私の想像に反し地上は普段と変わらないままで、サイレンの音こそ聞こえ交差点は渋滞していましたが、建物が壊れている様子もなく火災も起きておらず、何より何もなかったかのように買物客で賑わっているスーパーには驚きました。
それらを見て、さっき体験したあの恐怖は一体何だったのかと思いました。
そして、帰宅し東北での津波の惨状をニュース映像で見て、あの時に起こっていたことの全貌を初めて知ることができました。

地震が発生した3月11日午後2時46分はちょうど札幌からの来客と話をしていたところでした。
小刻みな嫌な振動は次第に大きな揺れに変わり、周りの書棚からは滝のようにあらゆるものが落下を始め、私たち二人は思わず立ち上がり書架が倒れるのを両側から押さえました。
その間も机の上の大型モニターやプリンターは反対側にひっくり返るように落下し、スキャナーは机と床の間で宙吊りになり、大型プリンターも今にも飛び出しそうに動くのを、片方の手で書架を押さえながら片方の手を伸ばしてやっと止めました。

長い揺れが続きました。
収まったのかと思っても大きな余震が何度も何度も繰り返し襲ってきました。
電話も携帯も繋がらず、辛うじてiPadを操作して情報を得ようと努めました。
東京直下の大地震だと思い先ず東京の震度を知りたいと思いましたが、東北沖を震源とする地震であることを知りました。

1時間くらい経ってその日のうちに札幌まで帰る予定だった来訪者は私の事務所を後にしました。
家の様子が気になりましたが、兎に角歩けるようにと散乱した本を重ねては置き重ねては置き、足下から順々に通路を確保していきました。
有線放送の操作パネルに手が届くようになると、ニュースを流しているチャンネルを探しました。
暫くして天井スピーカーから聞こえてきたのは、押し寄せる津波の様子を伝えるニュースの声でした。
窓までの通路を確保しブラインドを上下に広げて下の景色を見ましたが、そこに広がっているのは普段の平穏な景色そのものでした。
外が薄暗くなるまで片付けを続けた後、帰宅の途につきました。

阪神淡路大震災の後の惨状もこの目で見ました。
そして、東北関東大震災の大きな揺れを震源から離れた東京で体験しました。
それは経験したことのない信じられないくらいの大きな揺れでした。
強い恐怖を感じました。
そして、建物が倒れ破壊される揺れとはこれ以上なのだと自分の体で知りました。

原発の安全も根底から崩れました。
マグネチュード8.8の大地震は想定外だそうです。
想定外とは一体何だろうと考えました。
想定外で済むのなら、来るべき東京直下の大地震で想定されているもの、想定されて造られたもの、その全ては机上の、責任のない絵空事ではないかと思うようになりました。
そして、東京直下の大地震が発生すれば、今の予想・想定を遥かに上回り、東京は壊滅するのではと思うようになりました。

昨日の土曜日は普段は見ないテレビのスイッチを入れ、NHKの報道を一日中見ていました。
そしてこの国が行ってきた防災が自然の驚異には全く無防備なのだということを知りました。
長くなりましたが、これが私が今回の大地震で体験したこと、見たこと、感じたこと、考えたこと、そして書いておこうと思ったことです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
by finches | 2011-03-13 04:43 | 無題


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