■■ 福島第一原子力発電所における津波想定高さの考察 01~09
01.はじめに

東日本大震災の発生から三週間が過ぎ、未曾有の被害をもたらした巨大津波は想定外であったと言われています。
しかし、万が一にも起こしてはならなかった原発事故が想定外として片付けられることは、決してあってはならないし許されることではないと思います。
そこで、想定外と片付ける前に、本当に津波の想定高さには誤りはなかったのか、本当に津波の高さだけではなく津波によって引き起こされるあらゆるリスクについて検討を重ねた結果、設定された数値であったのかを考えてみようと思います。

さて、筆者の手元には幾つもの研究論文があります。
それらの資料を基に津波の想定高さについて考えていきたいと思います。
そして、原発事故に想定外という逃げ道はないこと、これは専門家を含めた関係者達の責任による人災であることを解明したいと思います。



02.貞観津波

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近年の津波研究によってその被害の実態が科学的に解明され、その結果は歴史書やこの地方に伝わってきた津波伝説や伝承とピタリと一致するものでした。
そして、津波による堆積物などの詳細な調査から当時の津波の高さが想定され、浸水区域から震源地とマグニチュードや地殻変動の長さや範囲が計算され、それらを元に実際の津波を三次元でシミュレーションするところまで研究と解明は進んでいます。
当然、それらの研究は現実の津波対策、取り分け安全を最も優先すべき原子力発電所に於いては、その研究成果を真摯に受け止め実際の地震・津波対策に反映させる責任があったと思います。

さて、東北地方に於ける津波の研究論文を読み解いていこうと思います。
しかし、ただその全文を掲載したりリンクを貼る方法ではなく、また、分かり難い個別の論文を取り上げて解説するのでもなく、それらの複数の論文の趣旨を先ず咀嚼した上で、分り易いことばに置き換えて説明を加えながら考えていこうと思います。

平安時代の貞観(じょうがん)11年(869年)に三陸を襲った貞観津波という巨大津波があります。
この津波は1990年に箕浦幸治・現東北大学教授らにより貞観津波の堆積物が発見されたことで明らかになりました。
その津波は平安時代に編纂された歴史書 『日本三代実録』 の記録に登場し、光を伴った鳴動と共に大地震が起き、次いで押し寄せた津波は平野の奥深くまで侵入し陸奥国府の城下まで達し、千人を越す犠牲者が出たことが書かれていますが、その歴史書の記録に残る津波を地質学的に実証した点で、箕浦教授らの発見は正に画期的なものでした。



03.津波災害は繰り返す

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1990年に箕浦東北大教授らによる仙台平野での津波堆積物の発見から869年貞観津波の存在が地質学的に実証されました。
もともとこの地域は多賀城跡の考古学的発掘調査が長年にわたって行われてきた関係で、その地層に含まれる砂層の存在はそれより前から分かっていたものと推察されます。
箕浦教授らはその砂層と泥炭層がつくる地層をジオスライサーによる掘削と、放射性炭素によるその成分の年代測定をすることで、その最上部にある砂層が貞観津波によるものであることを解明し、同時にその下に先史時代の巨大津波の跡を示す二つの砂層を発見しました。

この時に発見された最下層の砂層は今から3000年前のもので、869年貞観津波までの間には800年から1100年の周期で貞観津波に匹敵する巨大津波が仙台平野を襲っていたことが新たに分りました。
その後も更に箕浦教授の研究は進み、『貞観津波と低剛性地殻破壊による巨大地震津波再来周期(2001~2002年)』と、『貞観津波による津波被害の定量的評価(2005~2007年)』という二つの論文を発表されました。
そして、箕浦教授は上の論文の前者の一部を書き直され2001年に『津波災害は繰り返す』として、東北大学広報誌 『まなびの杜 No.16 (2001年)』に寄稿されています。

ここで箕浦教授の論文についてその発表経緯を説明しているのは、貞観津波の堆積物を発見した1990年の時点では貞観津波による浸水範囲と津波の遡上高さはまだ解明されていませんでしたが、2001年の時点では巨大津波が仙台平野に押し寄せ、それが繰り返される周期が指摘されていたことを時系列で知ってもらう為です。
言い換えれば、今から十年前には近々必ず起こる巨大津波の予想が箕浦教授の研究で明らかにされ、それは全ての専門家、研究者、東北大学学友、報道関係、そして原子力安全委員会、原子力安全・保安院、経済産業省、自治体、政府、東京電力、東芝、土木学会、原子力学会、それら全ての関係者がこの研究成果を共有することが出来ていたということです。

さて、箕浦教授の指摘を受けてか否かは分りませんが、複数の組織が協力してこの貞観津波の解析が更に進められました。
それは平安時代に起きた貞観津波という巨大津波をただ研究することが目的ではなく、近々起こる大地震とそれによる津波の高さと浸水範囲を予測し、防災に役立てようとする国家プロジェクトであったと推察さらます。



04.巨大津波の警鐘

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Research for tsunami hazards assessment-Historical data to estimate the tsunami source



箕浦東北大教授の『貞観津波と低剛性地殻破壊による巨大地震津波再来周期(2001~2002年)』によって、凡そ1100年の間隔で仙台平野に巨大津波が襲来している可能性が指摘されました。
続いて同教授は平成17,18,19年度の研究成果報告書『貞観津波による津波被害の定量的評価(2005~2007年)』を発表されました。

時期を同じくして文部科学省研究開発局の委託により、東北大学大学院理学研究科,東京大学地震研究所,産業技術総合研究所の協同による『宮城県沖地震における重点的調査観測』が実施され、こちらは平成17,18,19,20,21年度の五ヵ年に亘って行われました。

後者の二つは基本的な部分では貞観津波における浸水域の特定や津波の遡上高さ、破壊プレートの大きさや地震規模の解明など、時期を同じくして内容がリンクした研究のようにも見え、東北大学大学院理学研究科がその中心研究機関となってはいますが、箕浦東北大教授の名前はその中にはなく、全く独立した調査・研究であったようです。

その後産業技術総合研究所は、これらの研究で得られた成果を元に『仙台平野の堆積物に記録された歴史時代の巨大津波-1611年慶長津波と869年貞観津波の浸水域-(2006年)』と、『石巻・仙台平野における869年貞観津波の数値シミュレーション(2008年)』という二つの論文を発表しています。

もう一つ論文ではありませんが、2007年に開催された『地震・津波に関する原子力防災と一般防災に関するIAEA/JNES/NIEDセミナー』において、東北電力の橋本康男氏による『女川原子力発電所における津波に対する安全評価と防災対策』という大変興味深いテーマでの発表がされています。
 [筆者注記] IAEA:国際原子力機関、JNES:原子力安全基盤機関、NIED:防災科学技術研究所

このセミナーでは『Research for tsunami hazards assessment-Historical data to estimate the tsunami source』と題する今村文彦東北大学教授の発表も行われていますが、箕浦東北大教授の『貞観津波による津波被害の定量的評価(2005~2007年)』における理工学的解析を共同で行ったのがこの今村文彦東北大教授というのも大変興味深いところです。

筆者も箕浦幸治東北大教授の『津波災害は繰り返す(2001年)』と、東北電力・橋本康男氏の『女川原子力発電所における津波に対する安全評価と防災対策(2007年)』の存在はネットで知りそれらを手に入れていました。
ところが、入手したこれらの資料からはその発表された年と場所、更にはその目的が分からず、これらの中だけで結論付けられている一部の結果だけを取り上げることには躊躇と抵抗があり、その元となった文献,調査資料,論文などを探してきました。
現在、津波の想定高さにおいての報道や、週刊誌などで取り上げられている出典元の資料は概ねこれら二つだと思います。



05.巨大津波の襲来履歴

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Wikipedia/File:2011Sendai-NOAA-TravelTime-Ttvulhvpd9-06.jpg
[NOAAによる東日本大震災津波の予想到達時間試算]



地層に残る先史時代の二回の巨大津波の痕跡と、歴史時代の最も古い巨大津波である869年貞観津波の痕跡から、巨大津波の発生周期が凡そ1100年であることが解明されました。
文献に残る最も古い津波はこの貞観津波で、この津波が有史以後記録として残る最大規模の津波とされ、それから数えると今年は1142年目に当たり、いつ巨大津波が襲来しても不思議ではない正に秒読みに入っていたことが分り、そしてその警鐘は10年前には既に鳴らされていました。

ここで869年貞観津波以後、近年までに東北太平洋岸を襲った津波について少し触れておきます。
江戸時代になると津波の記録が多く残されるようになり、それによると1611年慶長津波が最初で規模も最も大きく、その慶長津波を含めて江戸時代には10回の津波の記録が残されています。
それらの発生周期を数字で追ってみると次のようになります。

 [江戸時代] 1611年慶長津波→66年→40年→46年→46年→30年→42年→8年→13年→5年(1861年文久津波)
 [明治時代] 1861年文久津波→33年→2年→1年(1897年明治津波)
 [昭和時代] 1897年明治津波→36年→19年→16年(1968年昭和津波)
 [平成時代] 1968年昭和津波→43年(2011年東日本大震災津波)

こうやって見ると2011年という年は約40年周期で繰り返される津波と、約1100年周期で繰り返される巨大津波の発生周期がほぼ一致してる年でもあることが分ります。

これらの中から取り分け大きな津波を整理すると次のようになります。
  869年 貞観津波
 1611年 慶長津波
 1896年 明治三陸津波 (大船渡で38.2m、仙台平野で5m以上)
 1933年 昭和三陸津波 (大船渡で28m超、仙台平野で3.9m)
 2011年 東日本大震災津波

869年貞観津波と1611年慶長津波の数値を考慮せず、また津波エネルギーが増幅される三陸海岸での数値は無視するとしても、1896年明治三陸津波と1933年昭和三陸津波だけの数値からして、5m以上の津波高さは想定していなければならないことが分ります。



06.貞観津波の高さ

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Numerial simulation of the AD 869 Jogan tsunami in Ishinomaki and Sendai plains



869年貞観津波と1611年慶長津波における津波の高さを整理しておきます。
先ず869年貞観津波ですが、出典ごとにその推定高さを並べてみます。

[貞観津波による津波被害の定量的評価(2005~2007年)/ 東北大学教授,箕浦幸治]
津波発生の理工学的解析を試み、貞観津波の数値的復原に成功したことで、仙台平野の海岸部では最大9mに達する到達波が7~8分間隔で繰り返し襲来したと推定、と述べられています。
更に、その結果は相馬市の海岸には更に規模の大きな津波が襲来したことを示唆している、と続いています。
更に別章には、相馬から気仙沼にかけての約6~12mという津波の復原データも示されています。

[石巻・仙台平野における869年貞観津波の数値シュミレーション(2008年)/産業技術総合研究所、他]
津波の遡上高さと最奥の津波堆積物の標高との比較表において、4.1mという数字が示されています。

[女川原子力発電所における津波に対する安全評価と防災対策(2007年)東北電力,橋本泰男]
調査の結果とした上で、2.5~3mという数字が示されています。
  [筆者注記] 具体的な調査内容についての明記はありません。

次に1611年慶長津波ですが、同じく出典ごとにその推定高さを並べてみます。
[貞観津波による津波被害の定量的評価(2005~2007年)/ 東北大学教授,箕浦幸治]
慶長津波の津波高さへの言及はありません。

[仙台平野の堆積物に記録された歴史時代の巨大津波-1611年慶長津波と869年貞観津波の浸水域-(2006年)/産業技術総合研究所、他]
記録によれば、宮城県岩沼市の阿武隈川沿いにある千貫山の麓に船が運ばれたらしい、との記述が見られます。

[女川原子力発電所における津波に対する安全評価と防災対策(2007年)東北電力,橋本泰男]
文献によるとした上で、6~8mという数字が示されています。
  
それでは前稿の空欄を埋めた上で、その他の東北沖を震源としないものも加えて並べると次のようになります。

 869年,貞観津波 仙台平野で9m
 1611年,慶長津波 仙台平野で6~8m(但し、根拠となる出典文献は不明)
 1960年,チリ地震 三陸沿岸で6m
 1968年,十勝沖地震 三陸沿岸で5m
 1896年,明治三陸津波 仙台平野で5m以上、大船渡で38.2m
 1933年,昭和三陸津波 仙台平野で3.9m、大船渡で28m超

これらのデータはそれぞれの算出根拠は異なるとしても、そのデータが示す通り貞観津波の高さが決して特異なものではないことが分ります。
即ち1100年周期で予想されている巨大津波への万全の備えとして、少なくとも原発においては貞観津波の高さに安全率を掛けた値を想定高さとすべきであったと考えられます。



07.東北電力の場合

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女川原子力発電所における津波に対する安全評価と防災対策



東北地方沿岸に或る周期性をもって襲来する巨大津波の存在、その最大の高さは9mに達するものであることが東北大学箕浦教授の『貞観津波による津波被害の定量的評価(2005~2007年)』で明らかにされました。
また、同教授はその論文の発表に遡って2001年には東北大学広報誌・まなびの杜に『津波災害は繰り返す』を寄稿され、その中で既に巨大津波の周期性と最大高さについて言及されていました。
そこで、今回は原子力発電所における津波への対応はどうなっていたのかを一つの事例を基に考えてみようと思います。

それは2007年に開催された『地震・津波に関する原子力防災と一般防災に関するIAEA/JNES/NIEDセミナー』で、東北電力の橋本泰男氏によって発表された『女川原子力発電所における津波に対する安全評価と防災対策』の中に見ることができます。
全14ページのPowerPointによるプレゼンテーションで、実際の東北電力における津波対策を、上のセミナーのためにまとめられたものと思われます。
写真の左上から始まり右下で終わる全14ページですが、中身の12ページについてその内容を説明したいと思います。

[2ページ] 東北電力の持つ2つの原子力発電所、青森県の東通原子力発電所と宮城県の女川原子力発電所の位置と概要が示されています。

[3ページ] 女川原子力発電所の安全評価のフロー図が示され、既往津波高さの調査、支配的な歴史津波の選定、数値計算、予想最高水位と予想最低水位、と続いています。
そして、フロー図の最後に評価として、津波遡上による陸上構造物の被害なし、最低水位時の原子炉冷却用水量の確保、と結ばれています。

[4ページ] 文献調査として、多くの津波が三陸沿岸に来襲したことが挙げられ、日本で発生した869年貞観津波,1611年慶長津波,1896年明治三陸津波,1933年昭和三陸津波と、海外のプレート境界津波である1960年チリ津波が示されています。

[5ページ] 同じく文献調査として、南三陸地域でより大きな被害をもたらした1611年慶長津波,1896年明治三陸津波,1933年昭和三陸津波の比較がされています。

[6ページ] 同じく文献調査として、1896年明治三陸津波,1933年昭和三陸津波, 1960年チリ津波の比較がされ、女川原子力発電所周辺での津波高さが示されています。

[7ページ] 考古学的調査と堆積学的検証として、869年貞観津波と1611年慶長津波が比較され、ここで前者の津波高さが2.5~3m(調査結果)、後者は6~8m(文献による)とされています。
ここで示されている数字は箕浦教授の解析結果とは異なりますが、明らかに不利な材料を基により高い安全評価を導き出そうとしている姿勢が読み取れます。

[8ページ] 同じく考古学的調査と堆積学的検証として、869年貞観津波の浸水域想定ラインが示され、浸水域の範囲から津波高さが2.5~3mと見積られるとしています。

[9ページ] 数値計算のパラメーターが示され、それを基にしたシュミレーションから最高水位と最低水位を導き出すフローが描かれています。

[10ページ] 数値シュミレーションの結果として、海から原子炉建屋に至る断面が示されています。
そして、最高水位と敷地標高との関係と、最低水位とその状態での原子炉冷却用水確保の説明が明確に示されています。

[11ページ] 評価結果が次にようにまとめらています。
 →安全評価を実施し、その結果は国の安全審査によって確認されていること
 →1611年慶長津波を支配的津波としたこと
 →数値計算の結果、最高水位は敷地高さ以下になったこと
 →同じく、引き潮時の最低水位は取水口敷高を数分間下回るが、原子炉の冷却用水量は取水設備に十分確保できること

[12ページ] 津波に対する防災対策(気象庁から津波警報が発せられた場合)として、海岸線の+3.5m地盤にいる作業員は+14.8mの敷地地盤に避難することや、保安員の召集と監視強化などが挙げられています。

[13ページ] 津波に対する防災対策(津波が発電所に来襲した場合)として次の3つが示されている。
 →原子炉等の主要機器やポンプを安全に制御
 →循環水ポンプは最低水位で自動的に停止
 →原子炉冷却用水は取水設備内に確保

これが東北電力の間違いなく襲来する巨大津波に対する原子力施設に対する安全評価と防災対策です。
これらの津波に対する姿勢は広報誌の記載にも見られ、一つの特別なセミナーの為にまとめられたものではないことが分かります。

 『女川原子力発電所における津波に対する安全評価と防災対策』
 →http://www.jnes.go.jp/content/000015486.pdf



08.東京電力の場合

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『女川原子力発電所における津波に対する安全評価と防災対策(2007年)東北電力,橋本泰男』から女川原子力発電所における東北電力の津波に対する考え方をもう少し見てみます。
写真の右上はその資料の10ページですが、数値シミュレーションの結果として敷地標高と設計水位の関係が断面図で分り易く示されています。

上半分には次の内容が示されています。
 →平均高潮位O.P.+1.43m
 →最高水位(設計高水位)O.P.+9.1m
 →敷地標高O.P.+14.8m
そして、最高水位は敷地標高以下になるとの結論が示されています。

同じく下半分には次の内容が示されています。
 →最低水位(設計低水位)O.P.-7.4m
 →取水口敷高より下の水位が濃青で、最低水位が薄青で色分けされています。
そして、最低水位時にも原子炉冷却用水は確保されるとの結論が示されています。

また、これら二つの断面図からは更に次のことが読み取れます。
一つ目は、最高水位で原子炉建屋への直接的な浸水のチェックが行われ、最低水位で原子炉冷却用水の確保のチェックが行われていることです。
二つ目は、海水面と海水ポンプ室はサイフォンになっていて、原子炉冷却用水の取水口の先は最低水位時でも水面下になければならないということです。

つまり原子力発電所の津波対策とは、津波の最高水位だけではなく最低水位のチェックが原子炉の冷却維持を担保する上でより重要であることが分ります。
この資料からは、O.P.+9.1m~O.P.-7.4mまで、即ち16.5mの潮位の変化に対する検討とその対策が必要だということを読み取ることができます。

次に、写真の下側に大きく断面図が描かれていますが、これは東京電力福島第一原子力発電所3号機の断面図です。
左側の赤い部分が原子炉でそれを覆う建物が原子炉建屋、右側の低い建物がタービン建屋となります。
タービン建屋の主階は地下1階にあり、原子炉を冷やす為の冷却ポンプなどの主要機械もこのフロアーに配置されています。

断面図の中に赤い3本の線がありますが、一番下の線がO.P.±0m、真ん中の線がO.P.+10mで地盤のレベルになります。
東京電力が発表している津波高さ14mはその真偽を確認する術がありません。
また、同じく東京電力が言うところの津波の想定高さ5.4m~5.7mもその算出根拠が示されていません。




09.岩手県の場合

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岩手県地震・津波シミュレーション及び被害想定調査に関する報告書



岩手県によって2004年に作成された資料があります。
それは『岩手県地震・津波シミュレーション及び被害想定調査に関する報告書(概要版)』で、全191ページに及ぶ報告書です。

その報告書は、明治以降を見ても明治三陸津波、昭和三陸津波、チリ津波などの大きな津波に見舞われていることをはっきりと説明した上で、国では2033年までに宮城沖地震が発生する確率が99%、更に明治三陸津波級の地震が起きる確立は20%と評価していることも伝えています。
そして、津波の高さが1986年明治三陸津波では大船渡で38m、1933年昭和三陸津波では同じく大船渡で28m、1793年宮城県沖津波では釜石の北の両石で9mであったことが既に発表されている論文のグラフによって示されています。

そして、これらの津波の検証を行った上で、起こり得る津波の予測計算を行い、建物被害,人的被害,道路被害,ライフライン被害などの予測が明らかにされています。
また、津波による浸水予測図と津波の遡上もCGで示されています。
それを見ると、この度の津波の比ではありませんが、それぞれの町の浸水の様子がかなり緻密に予測され、それらの情報は7年前には近隣県も国も専門家も、そして東北電力を始め各電力会社も共有していたことになります。

東京電力による原発事故は想定外なる主張は論外としても、今回津波の被害を受けた市町村がこれだけ詳細に各市町村の被害状況を予測した報告書が作成されているにもかかわらず、それを生かせなかったことが返す返すも残念でなりません。
周知されたそれらの情報があっても、地震発生から津波が襲来する短い時間での避難が如何に難しいことかを思い知らされます。

1990年に箕浦東北大教授により869年貞観津波の堆積地層が発見され、その後も同教授や産業技術総合研究所によって詳細な貞観津波の研究・解析が続けられ、2001年から2007年にかけて次々にそれらの結果は論文として発表されています。
今回少しですがその内容について紹介した岩手県による報告書もその中の一つです。
そして、それらの全ての資料は共有できていたのです。

 『岩手県地震・津波シミュレーション及び被害想定調査に関する報告書』
 →http://www.pref.iwate.jp/~hp010801/tsunami/yosokuzu/houkokusyo.pdf
by finches | 2009-04-02 01:15 | 無題


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