行きつけの店で、やっとゴミ問題が解決したという常連の一人の話を聞いた。 それは、自宅前にゴミは置きたくないという住民エゴと、他所からこっそり捨てに来る不法投棄に対し、たまたまゴミ置き場となった住人の長い戦いが終わったという話だった。 ところで、都会のそれは人間の身勝手はエゴに起因するが、自治会が管理する地方のごみ出しにはもっとドロドロとしたものがある。 この自治会組織、まさに戦争中の町内会・部落会・隣組を彷彿とし驚かされる。 実家を例に挙げると、自治会ごとのゴミ集積場が決められていて、そこに行くには分離帯まである4車線の道路を信号まで迂回して渡らねばならず、ゴミ袋を抱えた高齢の足では10分近くもかかる。 そして、これにはごみ当番が回ってくる。 このゴミ当番、きちんと分別されているか、不法投棄ではないか、これらを早朝から数人で監視し、ごみ袋の中身まで改める。 まさに戦時中の検閲に等しい行為が、自治会という行政の末端に似た組織体制で今も行われている。 だから、実家では住民税を払っているにも係わらず、有料のゴミ回収業者に頼んでいる。 震災と津波被災地の報道を見ていて考えることがある。 被災地には先祖代々そこに暮らす住民もいれば、部屋を借りて暮らす他所からの住民もいると思う。 それらの人たちが避難場所の割り当てや仮設住宅の申し込みなど全てにおいて、果たして平等に扱われているのだろうかと。 被災地の市町村にもきっと旧態依然とした自治会があるだろうし、それが旧住民と新住民の間に差別を生んではいないだろうかと。 コミュニティと差別、これらが紙一重に思えてならない。 写真には「これより先、許可なく進入禁止」と書かれている。 扉の内側の安全な場所に身を置き完全防備で立ち塞ぐより、扉の外に放射線計を持って迎える発想がどうしてできないのかと思う。 このような人が人を差別する心ない行為がどれほど被災者の心の傷に追い討ちをかけるか、どうして気付かないのかと思う。 写真を見ながら自治会という組織体制が心ない差別を生み、同じ被災者の心を傷つけて欲しくないと願う。 そして、復興に向けて常に平等であることを願う...。
by finches
| 2011-05-18 04:25
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