730■■ 柿のある風景

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玄関周りの石と植え込みと車庫までのコンクリート舗装を全て撤去し、土も鋤き取って平らにし、最後に散砂を全面に敷き詰めた。

長年に亘って慣れ親しんできて、それらがそこにあってそうあり続けることに何の疑問を持つこともなく、それが当たり前のように思ってきた松やバベ(ウバメガシ)やツツジなど、それらが全てなくなった何もない平らな空間は、この何もないままでも良し、雑木の一二本を植えるも良し、大きなテーブルか縁台を置くも良し、シンプルに水鉢だけを置くも良し、これからどうにでもなる真っ新なキャンバスのようで楽しい。

そこに柿の枝を活けてから早いもので三週間が経とうとしている。
その間に葉は散り、実も随分と落ちた。
落ちた実は少しの間そのままにしてその景色を楽しんだ後、当然だがその熟れた実は腹に納まった。
実が落ちた枝と実の残る枝のバランスが崩れると、実の落ちた方の枯れ枝を剪定してバランスを整えたりと、そんなことも楽しんだ。

だが、訪れる人は行く手を遮るように置かれた柿の枝に戸惑ったことだろう。
Coopの配達の人も宅配の人も、荷物を抱えてこの枝が邪魔な時もあったろう。
だが、このもてなしと遊び心を分る人も中にはきっといただろう。

今まであったものを無くしていくこと、それには手間も時間もかかる、神経も使う。
それはその先の姿を頭に描きながらの取捨選択の繰り返しであり、悩みもするしあるものを無くすことへの責任も感じる。
古いからとか、汚いからとか、ただそれだけで判断すると、それは捨てるだけの行為に終わる。
捨てるのではなく削ぐことでそこに眠ってる可能性を引き出してやることが大切だと思う。

昨日、竹の注文依頼をした。
余った竹を使って今年のクリスマスは雪洞(ボンボリ)を作ってみようか。
雪洞を作るならもう少し太い竹も追加しておこうか。
沢山の蝋燭も用意しなくては。
その時この瓶に活けるとしたら、やはり赤い実をいっぱいにつけた西洋柊(セイヨウヒイラギ)がいいだろうか...。

by finches | 2011-11-03 03:09 | 空間


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