831■■ 狭間から見えたもの
b0125465_7233918.jpg


あった、あった、こんな所にあったのか。
狭間から見えたものは,その日探し歩いていた正にその建築だった。

それは,大正13年(1924年)に完成した旧電信局で、その柱には古典的なモチーフが見られるものの、最早その扱いは古典主義の手法からは遠く離れ、分離派の目指した新しい建築の創出に向けての趨勢を窺うことができる。

山田守が東大を卒業し逓信省に入ったのは大正9年、そして同じ年に同級生5人と理想の建築像を目指して分離派建築会を結成する。
山田守の東京中央電信局の完成が大正14年だから、この旧電信局は逓信省で山田が指揮を取った一連の作品群の中の一つに間違いない。

特徴となるパラボラ(放物線)とアーチは今尚新鮮で見る者を魅了する。
建築に思想と力があるからこそ、これ程の改修を受けていてもビクともしていない。
この建築も市の取り壊しの決定を市民が覆したことで今こうして街並みの中に残っている。
それがどれ程豊かなことか、改めて保存と再生の有り方と方法を考えさせられた。

大正9年、分離派建築会は次のような宣言を発表している。

 我々は起つ。
 過去建築圏より分離し、総ての建築をして真に意義あらしめる新建築圏を創造せんがために。
 我々は起つ。
 過去建築圏内に眠って居る総てのものを目覚さんために溺れつつある総てのものを救はんがために。
 我々は起つ。
 我々の此理想の実現のためには我々の総てのものを悦びの中に献げ,倒るるまで,死にまでを期して。
 我々一同,右を世界に向かって宣言する。

こんな気持ちで先人たちが造り遺した優れた建築、それをそのままの形で次の時代に受け渡すこと、それが今の我々がなすべき責任だと改めて思う...。

by finches | 2012-02-22 05:07 | 遺産


<< 832■■ 豊かさの共存 830■■ 狭間から見えた景色 >>