837■■ 時間は同じに流れている

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夜の羽田はセカセカとしていなくていいものだ。
だが、考えてみると、これまでの夜の羽田それは旅先から疲れて帰ってくる場所で、そこは到着ロビーへと足早に向かう人の流れの中であり、その先に待つ雑踏の中だった。
それは朝も同じで、そこはこれから出掛けて行く場所であり、出発ロビーへと向かう雑踏の中であり、搭乗ゲートの先に待つ感情なく整然と並ぶ椅子の群れの中だった。

同じ空港でも目的が異なることでこんなにも違って感じるものかと思った。
着いた日曜の朝の羽田は空いていて、ガラガラのモノレールからの景色もどこか新鮮に思えたし、それをユッタリとした気持ちで眺めることもできた。
帰る月曜の夜の羽田も何だかのんびりしていて、2日間の余韻を反芻しながら、灯りに照らし出された外の景色を眺めて出発までの時間を楽しんだ。
そして、見慣れた着陸の時の上空からの夜景も、離陸の時に高度を上げながら眼下に遠ざかるものは一段と美しく感じられた。


よく田舎に行くと時間がゆっくりと流れているようだと人は言うし、自分もそう感じてきた。
それは人々の暮らしがのんびりと感じられることで、そこに流れる時間もゆっくりとしているように感じるからだろう。
だが、筆者は今回の東京での2日間、時間がとてもゆっくりと流れているように感じた。
体内時計と感覚時計がずれていなければ時間はどこでも同じに流れているのだと思った。
但し、少しの調整が必要で、両者のズレは少し針を止めて補正をしてやることで解消できることも分った。

気の持ちよう己のスタンス次第で、同じものが違って見え、初めての人とも旧知のように話せ、優しく穏やかになれ許すこともできる。
そんなことを感じ何だか得をしたような2日間だった...。

by finches | 2012-02-28 06:32 | 時間


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