880■■ 手紙
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筆者がまだ青かった頃、文通などという黄色い世界に嵌ったことがある。
相手からの手紙はいつも10枚も15枚もビッシリと書かれていて、それを読むだけで疲れたことを懐かしく思い出す。

今はもう見なくなったが、ある有名なブログもその長さには圧倒された。
3000字くらいは日常で、5000字でも6000字でも、またそれ以上でも、兎にも角にも長文が延々と続き、それを読むだけで疲れ果てた。
そして、それを読むたびに、「1/3にまとめろよ!」といつも思った。

手書きの手紙は今だに苦手でなかなか書くことはない。
スラスラと手紙が書ける人が羨ましいが、これがどうにも書けない。
手紙の場合、書こうとしている一段落くらいは頭に浮かんでいて、それを忘れないように一気に書かなければならないが、浮かばない上に浮かんでも書いている途中で忘れてしまうからどうにも始末に悪い。

だから、筆者の場合どうしても手書きの手紙を書かなければならい時は、PCで書いたものを書き写す無駄な手間と労力を伴う。
それでも字が斜めに登って行ったり下がって行ったり、誤字など書こうものならそれこそパニックに陥る。

昨今はメール隆盛の時代だ。
メールを手紙のように書ける人は羨ましいが、いくら気を遣って書いたつもりでもメールの文章は独断的、断定的になり勝ちで、本意とは違う誤解を相手に与えてしまうことが多い。
そんな失敗は山ほどもある。

だからメールでもちょっと長くなると、PCで書いたものをPDFファイルに変換して添付するようにしている。
これで手紙に近づけようとしている訳だが、それ程までに気を遣っても手紙と同じにはいかないのが悲しいところだ。

メールに欠けていて手紙に備わっているものは何かと考えた。
それは、相手を思いやる、相手を気遣う、相手の立場をおもんばかる、相手にへりくだる、そんな気持ちではないかと思う。
そして、何より書き手の温もりが文字に行間に溢れていることだろう...。

by finches | 2012-04-28 03:35 | 無題


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