912■■ 津軽海峡
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まだ青函トンネルが工事中だった頃に好奇心から、本州側の坑口のある津軽半島の龍飛までその工事現場を見に行ったことがある。
その時に初めて寒風が吹き荒ぶ中を出港する青函連絡船を見たが、函館に渡ることはなかった。
あの時津軽海峡を渡っていたらと、その日のことを思い出す度に後悔が頭を過る。

その後は何度もその海峡を飛行機で越えた。
海峡を隔てた一方と他方の季節の移ろいや違いを、機上から下に見ながら通り過ぎた。
津軽海峡に来ると途端にそれまで雲ひとつなかった空が一面厚い雲に覆われていたり、黒い海が荒々しく白波を立てる怖いような冬の日もあった。
勿論今も青森と函館との間にはフェリーはあるが、列車を載せた青函連絡船の業務はさぞや過酷なものであったろうと思う。

その津軽海峡を大間へ初めてフェリーで渡った。
そこで、大間やその周辺の村々の人たちにとって、そのフェリーが生活に欠かせないものであることを知った。
大間から函館へは病院通いをする人が多く、病院での用が済むと後は買い物やその他の用に一日をたっぷり有効に使うことができるようにフェリーの便は組まれている。
フェリー乗場からある総合病院経由のバス路線があるのも頷けた。

都会から見れば大間は本州の端のそのまた端の僻地、過疎の寒村に過ぎない。
ここに『大間の鮪』というブランド名がなければ、本州最北端のこの小さな寒村など誰も知らないだろうし、そこで原発が建設されようと誰も関心を示さなかったかもしれない。
しかし、この地の生活は海峡を隔てた函館と繋がり、函館から見ると大間は海峡を隔てて僅か20キロの距離しかない。
共通の生活圏で見た時函館と大間は一体で、そこに今も建設が進められている原発が対岸の火事では済まされないことも頷ける。

さて、函館戦争ではどうしても落ちない弁天台場を攻略するために、官軍は函館の漁師を買収して海への防備に集中していた弁天台場を函館山から駆け下って奇襲を掛け、この要塞を打ち破ったという。
大間原発では大間の漁師が電源公社に買収され、広大な建設地が攻略された。
二つは違うようだが、小市民が巧く利用される歴史は昔も今も変わらない気がしてならない...。

by finches | 2012-06-26 05:52 | 無題


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