918■■ 明和の石仏
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筆者が分校跡に辿り着いた細道はかつてそこを行き来していた交通の方法とそのスケールとを物語っているように思えた。
写真の石仏も今では草生したかつての道の傍に人知れず寂しく立っているが、そこは海辺の港のある村から更に山の奥の村へと通じる只一本の道であったのだろう。

石仏の台座には、正面に漢字四文字が、側面には年号が刻まれていた。
正面の四文字は最初の「三界」は読めたが、後の二文字がどうしても分からなかった。
筆者は、「衆生のこの世は励めば光が射す」というような意味ではないかと推測した。
この石仏は細道から少し上がった山の斜面に置かれていたが、それは道標のようなものではなく、恐らく谷を隔てて対角に対峙する寺と一対になって、道を行き交う人々や谷底の田畑で働く人々や、山に寄り添うように建つ家々の暮らしを見守ってきたのだと思った。

年号は明和三年と読めた。
明和3年は今から236年前の十代将軍・徳川家治の時代で、その石仏が立てられるもっと昔から、ここでは人々の暮らしと営みが静かに連綿と続いていたことが窺えた。
新しい道路から見ると、この石仏は草生した山肌にまるで取り残されたように立っている。
そして、それが何であるかに思いを寄せる人もいないだろう。

石仏を右端に置いて写真を撮ったのは、左端の平らな部分がかつての道の跡だと思ったからだ。
この草生した道はその先に造られた新しい道で途切れていたが、かつてその途切れた道の先はあの鯉のぼりが泳いでいた土手に繋がっていた筈だし、もう一方の先は件の分校に続いていた筈だと思った。

いつも新しい発見の歓びの裏で、いつもこの寂しさを味わい虚しさが込み上げてくる。
そして、今の自分に何ができるのだろうかと、今更のように考える...。

by finches | 2012-07-19 06:14 | 時間


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