937■■ 海の見える城下町
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二週間の単位で一緒に過ごす家人とのここでの暮らし、それは一年春夏秋冬を三カ月の単位で分けると、筆者は一つの季節を六つに見ていることになり、家人は一つ飛ばしに三つに見ていることになる。
だから、途切れることなく行き過ぎる季節も、家人からすれば大きく変化したものに感じるようだ。

この二週間で家人が一番よく口にしたのは、稲の実りへの感動のことばだった。
毎夕山間の道を温泉通いしていると、その道沿いに広がる田んぼの変化に否応なく目が行く。
それはそれぞれの季節で美しいものではあったが、刈り入れを間近に日々黄金色に近付いて行く稲穂は殊更に美しい。
それは、自然の美しさに加え、実りへの感動と収穫への歓びと期待が加わるからだと思う。

日曜日、後三日の滞在を残す家人を連れて少し離れた温泉へと出掛け、その足を海の見える城下町まで延ばした。
海岸は埋め立てられ、国道は車の喧騒で溢れていたが、一歩入った旧道は静かな佇まいを今に残し、時折聞こえてくる中学校の運動会の声援以外は時々のつくつく法師の鳴き声くらいだった。

藩主の旧宅ではゆっくりと時を過ごした。
鎌倉と見紛うような山門からの眺めに驚きながら、古刹のひんやりとした空気に息を付いた。
石垣や土塀が往時の区割りを今に残し、そこには連綿と続く人々の暮らしが今もあった。

帰路、降り始めた雨の中を走りながら、その日最初に見た写真展のこと、工事中の橋を写真に撮ったこと、干拓地の樋門に立ち寄ったこと、古刹の石段から鬱蒼とした葉がまるでその景色を見せようとしているかのようにポッカリ開いた先に見えた古い歴史のある島のこと、そんな幾つものことを思い浮かべ反芻した。
そして、いい時を過ごせたことに感謝した...。

by finches | 2012-09-10 08:07 | 時間


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