946■■ 追想Ⅴ-東京・隅田川
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同じ朝、佃島からの帰りは隅田川の下流を眺めながら歩いた。
かつて佃の渡しがあった場所に架けられた佃大橋の向こうには隅田川の第一橋梁となる勝鬨橋の雄姿が銀色に見える。
右岸手前は亀島川、その少し下流にはかつての鉄砲洲川跡が水門として残り、勝鬨橋の右岸上流にはかつての明石堀跡が水門として残っている。

以前この明石堀について拙稿では次のように書いている。
「写真はあかつき公園となっているかつての明石掘跡だ。
かつて築地川はこの公園の名の由来となった暁橋を過ぎると、築地川南支川との出合で直角に曲がり、その曲がった所には境橋が架かっていた。
そして、しばらくその川幅のまま流れた後、新栄橋の手前辺りから徐々に川幅を広げ明石掘と呼ばれる船入澗が造られていた。
その明石掘の最も幅が広い東端にはかつて鉄砲洲川が流れ込み、その出合から明石掘は南に向きを変えて川幅を狭め、明石橋を過ぎた先で隅田川に注いでいた。
そして、この隅田川との出合にかつては月島の渡しがあった。」

隅田川左岸の佃島はかつて隅田川の河口に浮かぶ小島だった。
佃大橋が架かり消滅した佃川は、埋め立てによって次々に拡張されていった月島とのかつての境で、佃大橋から手前の部分がかつての佃島となる。
その佃島の船入澗は今も佃大橋の左岸上流に残っていて、住吉水門で隅田川にその口を開いている。
佃島には……、おっと、切りがないのでこの辺にしておこう。

川筋には消すに消せない街の歴史が深く刻まれている。
その歴史は昭和から大正へ、大正から明治へ、明治から江戸へと繋がっている。
そして、江戸から今を逆に見てみると、大樹のように枝を張った街の歴史が見えて来る。
そして、そのことに気付くと、未来の有りようも見えて来る。

過去をそのまま未来へと引き継ぐこと、引き渡すこと、それこそが今を生きる者の使命だと改めて思う...。

by finches | 2012-10-04 06:16 | 無題


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