950■■ 追想Ⅶ-横浜・ヘボン

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横浜でのお目当ては三井物産横浜支店(明治44(1911)年、設計・遠藤於菟)を見ることと、横浜開港資料館の図書室で調べものをすることだったが、その資料館で一枚の絵葉書に目が止まった。
その写真は明治後期に撮影されたもので、絵葉書のタイトルには『谷戸橋のたもとの旧ヘボン邸』とあった。
『ヘボン』からヘボン式ローマ字の、あのヘボンだと直感した。

その一枚の絵葉書を入口に、これまで知らなかった横浜の歴史についての多くの知見を得ることができた。
入口となったキーワードは『川』と『橋』で、そこから調べを進めて開港前の横浜を表した『武州久良岐郡横浜村麁絵図』に出合い、当時の横浜が大岡川河口に広がる浅い内海と、『象の鼻』とよばれる砂州からなっていたことを知った。

この内海と『象の鼻』の跡は現在の地図の上にもくっきりと残されていて、現代にその過去のレイヤーを重ねると、はっきりと横浜開港から現在までの歴史の痕跡を辿ることができる。
簡単に説明すると、かつて内海には大岡川とその支流である中村川が注いでいたが、江戸時代の新田開発によりこの内海が埋め立てられ、『象の鼻』の縁に沿うように中村川は西へと流れを変え大岡川に合流した。
開港後はこの『象の鼻』部分の東側が外国人居留地、西側が日本人居留地として整備され、中村川から海に向かって現在堀川と呼ばれている川が開削された。

その堀川に架かる第一橋梁が谷戸橋で、そのたもとにかつてヘボン邸があったことを絵葉書は示していた。
かつて図書館で幾度も目にしたヘボン式ローマ字一覧表、それを作ったヘボン氏が実はJames Curtis Hepburnで、当時の日本人が英語の発音を聞き分けることができなかった為にヘップバーンがヘボンになったことも知った...。

by finches | 2012-10-14 11:19 | 無題


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