カテゴリ:無題( 215 )
942■■ 追想Ⅰ-東京
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着陸時に窓を流れ去る雨粒に些か消沈したが、地上に着くと幸い雨も上がっていた。
最初の予定に決めていた公文書館に着くと、なんと移転、友人に電話して移転先を確かめた後、気を取り直して学会図書館へと移動した。
受付を済ませ、席にメガネと手帳を置き、徐に電動集密書架のボタンを操作すると目的の資料のある通路が開き、その通路に灯りが点った。
二時間と決めていたそこでの時間はあっという間に過ぎた。

次に向かったのは八丁堀、写真は亀島川に架かる高橋から撮った南高橋で、その先の水門を抜けると隅田川に繋がる。
右岸の船溜まりはかつての桜川の河口跡で、かつてそこには稲荷橋が架かっていた。
南高橋右岸を少し入ると鉄砲洲稲荷があり、その横には鉄砲洲公園という復興小公園がある。
筆者は亀島川左岸の新川からこの鉄砲洲界隈が好きで、江戸の川が残っていることで街は大きく様変わりしていても、どこか他の場所にはない風情と情緒が残っている。

最近まで鉄砲洲公園に面して鉄砲洲小学校という小さな復興小学校があった。
その学校が取り壊されてから初めてそこを訪れたが、新しい校舎がそこにはあった。
その校舎を見ながら過去の色んなことが頭を廻り、新しい色んなことが頭に浮かんだ。

そして、その新しい校舎を横目に、目的の勉強会へと向かった...。

by finches | 2012-09-26 12:53 | 無題
916■■ 紫蘇水
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筆者にとってお茶は年間を通して水分補給の必需品だったが、抜歯をした後の口内消毒にもなると家人が作ってくれたハーブウォーターが甚く気に入ってしまった。
ハーブはレモングラスとレモンバームを使い、これらをミネラルウォーターのペットボトルに入れて冷蔵庫で冷やすと、爽やかな香りと仄かな甘みがあって爽快な気分にもなれる。

ところが、レモンバームの方は豊富にあるのだが、レモングラスの方は希少品で、一回に使える量にも制限が課せられている。
そこで、筆者は資源保護の観点からビーフステーキプラントウォーターを作ってみた。
名前が面白いのでわざと書いたが、beefsteak plantとは紫蘇のことだ。

紫蘇なら豊富に生えているから、新しい葉を毎日摘んでやった方が却って紫蘇の為には良いかもしれない。
紫蘇の葉をそのまま入れると緑が綺麗で目に優しく爽やかなのがいい。
また、紫蘇の葉を箸で潰してやると、濃い紫蘇の香りが立ってこれもいい。

今朝は雨も止み霧が立ち込めている。
霧がつけた無数の小さな水滴は蜘蛛の巣のシルエットを浮かび上がらせ、それはそれは幻想的な光景を作り出している。
そんな朝霧の中で飲む冷えた紫蘇水はまた格別だ...。

by finches | 2012-07-15 04:56 | 無題
915■■ 山津波
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今朝も目を覚ますと、激しい雨音と音のしない稲光りとが眠っている間の外の様子を暗示するかのように思えた。
部屋に灯りを点けカーテンを開け激しい雨の滴が伝うガラス越しに外の様子を見ると、煉瓦で造った件の排水溝には濁った水が勢いよく流れ込んでいた。
玄関から外に出ると、そこは長靴を履かなければ歩けない程の濁った水の海で、離れはまるで秀吉の備中高松城の水攻めの様を呈していた。

気象庁はこの雨を「これまでに経験したことのないような大雨」と表現した。
かつて同庁が新造した「戻り梅雨」という表現には苦笑したことがあるが、この度のこの表現は感情移入の入った文章構成になっている分、状況が素直に伝わる的確な表現だと感心した。

だが、九州ではこの「これまでに経験したことのないような大雨」の為に未曾有の災害が起きている。
その大雨を大地震だとすればその後に襲う洪水や土石流は大津波と重なる。
土石流を山津波と呼ぶのも先人たちの時代にもきっとあったのであろう、「これまでに経験したことのないような大雨」による自然の畏怖を、「山津波」と呼んで後世に言い伝えて来たのではないかと思う。

地球が生き物であり人間がその上で暮らさねばならない限り、いつ襲い来るか分からない天変地異をも受容するしかないだろう。
それが今か先の時代なのか、自国か他国でか、我か他者へか、それらは誰にも分からない。
だが、いつ、どこで、だれに、それが起きても受け留めて来たのが人間の歴史ではなかったろうか。

自然を畏怖し自然を畏敬することを忘れるな、このところそんな鉄槌を自然が下しているように思えてならない...。

by finches | 2012-07-14 05:40 | 無題
914■■ 梅雨への備え

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水捌けが悪く長年気になっていた場所に排水溝を設えた。
タイトルは「梅雨への備え」としたが、実際は雨を待って水捌けを確認しながらの調整を要する作業となった。
だから、梅雨と同時進行の「梅雨への備え」と言った方が正しい。

どうすればよいか随分と考え迷った。
穴を掘ってみると既設の配水管が顔を出した。
その配水管が貫通するように煉瓦を積んで枡を造り、最後に枡の中を渡っていた配水管を切って流路を枡に開放した。
それと同時に今まで閉じていた流路に集水枡が加わった。

この簡単なことが思わぬ難工事になろうとは予想もしなかった。
既設の配水管の周りに煉瓦を積むやり難さ、掘った穴の底で枡を建物と平行に造る精度の出し難さ、狭い穴の底で煉瓦を水平に積む難しさ、モルタルを詰める困難さ、どれ一つをとってみてもスムーズに行ったものはない。

出来上がると土で勾配をとり、煉瓦に水が集まるようにした。
そして雨を待った。
梅雨の激しい雨は土の勾配を雨水が最も流れやすい自然な形に削り直してくれた。
そして、雨による洗礼が終わった土に薄く散砂を撒き、枡に割竹を敷き並べた。

苔の生えた汚い煉瓦を洗って使った。
あるものだけでそれを工夫することで何とか造れるものだと感心した。
そして、それは何か不思議な庭のオブジェになった...。

by finches | 2012-07-12 06:20 | 無題
912■■ 津軽海峡
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まだ青函トンネルが工事中だった頃に好奇心から、本州側の坑口のある津軽半島の龍飛までその工事現場を見に行ったことがある。
その時に初めて寒風が吹き荒ぶ中を出港する青函連絡船を見たが、函館に渡ることはなかった。
あの時津軽海峡を渡っていたらと、その日のことを思い出す度に後悔が頭を過る。

その後は何度もその海峡を飛行機で越えた。
海峡を隔てた一方と他方の季節の移ろいや違いを、機上から下に見ながら通り過ぎた。
津軽海峡に来ると途端にそれまで雲ひとつなかった空が一面厚い雲に覆われていたり、黒い海が荒々しく白波を立てる怖いような冬の日もあった。
勿論今も青森と函館との間にはフェリーはあるが、列車を載せた青函連絡船の業務はさぞや過酷なものであったろうと思う。

その津軽海峡を大間へ初めてフェリーで渡った。
そこで、大間やその周辺の村々の人たちにとって、そのフェリーが生活に欠かせないものであることを知った。
大間から函館へは病院通いをする人が多く、病院での用が済むと後は買い物やその他の用に一日をたっぷり有効に使うことができるようにフェリーの便は組まれている。
フェリー乗場からある総合病院経由のバス路線があるのも頷けた。

都会から見れば大間は本州の端のそのまた端の僻地、過疎の寒村に過ぎない。
ここに『大間の鮪』というブランド名がなければ、本州最北端のこの小さな寒村など誰も知らないだろうし、そこで原発が建設されようと誰も関心を示さなかったかもしれない。
しかし、この地の生活は海峡を隔てた函館と繋がり、函館から見ると大間は海峡を隔てて僅か20キロの距離しかない。
共通の生活圏で見た時函館と大間は一体で、そこに今も建設が進められている原発が対岸の火事では済まされないことも頷ける。

さて、函館戦争ではどうしても落ちない弁天台場を攻略するために、官軍は函館の漁師を買収して海への防備に集中していた弁天台場を函館山から駆け下って奇襲を掛け、この要塞を打ち破ったという。
大間原発では大間の漁師が電源公社に買収され、広大な建設地が攻略された。
二つは違うようだが、小市民が巧く利用される歴史は昔も今も変わらない気がしてならない...。

by finches | 2012-06-26 05:52 | 無題
909■■ ヒバの森の流れ
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製材所から山に入る道沿いには杉を専門に扱う別の製材所や、今や何処ででも見られる老人介護施設などがあった。
川もまた何処ででも見られる護岸工事が行われ、その川を鮭が上ると言われてもとても実感が伴わなかった。

だが、人家が途切れた先には深い森が口を開けていて、そこからは川も自然の流れを取り戻した。
小さな赤い橋の上から見た渓流は北海道のそれとは全く違っていて、津軽海峡を隔てた植生の違いをここでも実感することができた。
そして、改めて北海道との川床の傾斜の違いも実感した。

森を案内してくれた製材所の主は、釣りのシーズンが終わって人がいなくなってから来ればいいと勧めた。
その言葉に、ここの人たちには解禁も禁漁もなく、川の流れは普段の生活と共にあって、無暗に魚を取り過ぎることも無駄な殺生をすることもなく、森の生態系の循環を壊さない中でその恵みを受けて自分たちの暮らしがあることを良く分かっているのだと思った。

ヒバの森や川、そしてそこに暮らす人から、また多くを学んだ。
同行した家人も同様に多くのことを学び、それらは時間をかけてゆっくりと醸され、きっと優しい何かに生まれ変わって誰かに返されるのだろう...。

by finches | 2012-06-21 05:30 | 無題
908■■ ヒバの森
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函館から大間に渡った目的はあのブランド鮪を食べる為ではなく、ある製材所を訪ねる為だった。
今の時期の函館-大間間のフェリーは一日二往復しかなく、滞在できる時間は僅か3時間足らずだったが、一分一秒の無駄なくその限られた時間を堪能した。

大間から下北半島を時計回りに薄霧に覆われた海岸線を走り製材所のある風間浦村に着いた。
二つの川が作り出した沖積扇状地にその集落は形成されているようで、「土石流が起きれば危険なんだ」と、そんなことが起きることはないだろうという前提での説明を受けた。

材料として青森ヒバのことは知っていても、その産地が恐山一帯の森だということも、ヒバがどんな皮を纏い、どんな葉を付けるのかさえ知らなかった。
ヒバだけを扱う製材所の中には、それこそヒバの香りが立ち籠め、その中を歩いているだけで全身の細胞が浄化されていくような気がした。

ヒバの森にも案内してもらった。
写真はその森の入口でヒバより杉の方が多かったが、その林道を更に奥へと入ると次第にヒバの森になるのだろうと想像をしただけで、その豊かな森とその濃さに胸が高鳴った。
林道に沿った渓流もそれはそれは美しい渓相で、必ず釣りに訪れたいと垂涎の溜息をついた。

函館の友人の工房を訪ねて、ヒバは余す所なく使い切ることができる木だということを学んだ。
そして、紹介された製材所を訪ねることを決めた。

予定を決めない旅でこそ出会えた人と豊かな自然、函館は訪れる度に新しい発見と出会いと感動がある。
そして、学ぶことも多い...。

by finches | 2012-06-20 06:00 | 無題
907■■ 大間で最初に聴いたこと
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大間の漁師が皆鮪を追いかけているとは思っていなかった。
普段は普通の漁をしている漁師が、時に鮪漁をするのだとも思ってはいなかった。
漠然とだが、一般の漁師と鮪漁師とは違うのだろうと思っていた。

そのことを尋ねてみた。
すると、百人の鮪漁師がいれば、実際に鮪で稼いでいるのは十人くらいだということだった。
だから、ほとんどの漁師は目の前に広がる海から細々と日々の糧を得ている人たちだった。

その多くの漁師が電源開発㈱という天下りの温床に、現金と引き換えに海から糧を得るという人間らしい生活を売り渡してしまった。
一人一千万円を受け取っても、漁協への借金を引かれて手元に渡るのは百万円足らずという漁師も多かったそうだ。
潤ったのも儲かったのも漁協という本来漁民の為の組織だけという皮肉な話だ。

山に入ると舗装された林道から更に枝分かれした舗装道路が目に留まった。
それは送電線のメインテナンスの為のもので、どんなに金を掛けても損をすることがない強い自信と傲慢さがその舗装道路からは感じられた。
金に糸目を付けない原発はあらゆる物に湯水のように金を浪費し、「原子力村」に外科的メスを入れない限り、その傲慢で陰湿な体質はこれからも変わることは決してない。

その現実を大間に見た。
この国の未来に対して強い信条を持った政治家の出現がなれば、戦後連綿と築き上げられたこの不条理を壊すことはできない。
3.11後のこの国を見ていて、只々その不条理の淵を憂う。

前稿のゲートで遮断された道路はかつての生活道路だった。
上の写真はそのゲートの手前に広がる風景だ...。

by finches | 2012-06-17 04:15 | 無題
906■■ 大間で最初に見たもの
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これから船で津軽海峡を大間へと渡るところで止まっていたが、今梅雨真只中の地に戻って来てその楽しかった日々を反芻している。
さて、津軽海峡を渡っただけで梅雨のない北海道と本州最北端の町はその様相が一変した。
その地には雨が続く梅雨はなく、どんよりと曇って一日中薄霧が空を覆い肌寒い日が続くのが特徴とのことだった。

ボートで何度か函館港の外に出たことはあったが、フェリーからの眺めはその時のものとは全く違っていて、見慣れた海がこんなにも広く怖い程の色をしていたのかと思った。
箱館戦争の海戦は正にこの海で行われ、弁天台場からは無数の砲弾が放たれた。
青函連絡船洞爺丸転覆事故もこの海で起きた悲惨な海難事故だった。
その海を沖に進むに連れて怖いような黒い色へと変わり、船は大きな波のうねりと闘いながら更に沖へと進んだ。

大間に近づくに連れ波のうねりは次第に収まり、いつも機上から見ていたその景色が目の前に現れた。
そして、その山も丘もない平らな風景の中に巨大なクレーンと建設中の建造物だけが異様に映った。
迎えの車で早速その異様な物体を案内してもらった。
それは大間原発の工事現場で、かつて海沿いにあった生活道路は遮断され、原発敷地を迂回するように立派な道路が出来ていた。

航空写真で知ってはいたが、この原発が他と違うのは人々の生活圏と隣接する、否、隣接というよりその只中に建設されているということだ。
ゲートの手前には大間の町があり、反対側のゲートの向こうには漁師の港があった。
どちらのゲートからも中を窺い知ることはできないが、巨大な送電線だけがその中から始まり、山の彼方に消えていた。

大きな不条理が人々の暮らしや営み、そして自然を有無を言わさず支配していた。
ゲートと監視カメラに囲まれた敷地の中は、利権に群がる人間の醜い我欲だけが支配する鬼たちの棲む檻だった。
ここに来た目的は別にあったが、先ずここでの現実を目に焼き付けておきたかった...。

by finches | 2012-06-16 06:52 | 無題
905■■ 函館は晴れ

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今北海道はいい季節だ。
梅雨のない北海道にも近年蝦夷梅雨などと言う言葉が無いでもないが、カラッとした空気は軽く清々しく爽やかで、津軽海峡を越えただけでこんなにも違うものかと改めて思う。
青空に聳える入道雲もどこか軽やかで、本州のそれとは全く違って見えるから不思議なものだ。
動植物の分布境界線に津軽海峡を東西に横切るブラキストン線と言うのがあるが、気候の境界線の呼び名があってもいいくらいだと思う。

一日の時間がもっと欲しいと思う。
友人を訪ねての暫しの会話、友人たちとの楽しい夕餉、好きな道や建物との再会、新しいものや人との出会い、そのどれもが爽やかに過ぎていく。

書きたいことは山ほどあるが、もう暫くすると船で津軽海峡を大間へと渡る時間だ。
予定外の予定だが、そこには新しい人たちとの出会いが待っている。
そんな訳で今朝はここまで。
行って来ます...。

by finches | 2012-06-12 06:20 | 無題