カテゴリ:復興小学校( 4 )
763■■ ブロッコリー ロマネスコ ヴェロニカ
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東京の暮らし以上に、その生活をスリムでシンプルにするためパソコン環境にも手を付けた。
この一年でベアボーン(bare bone 半完成品の状態で売られているパソコン)をカスタマイズした半自作の3台が壊れたことが、その環境に手を付けようと決めるきっかけだった。

完全自作のメインパソコンはOSこそ古くなったものの、当時入手できた高性能の部品でカスタマイズされた性能は今だ衰えをみせてはいない。
その古くなったOSに、バ-ジョンアップという『改修』を繰り返すのを止め、古い環境のまま優しく使い続ける『サステナブル』な道を選択した。

それは長年慣れ親しんだWindowsとの決別の始まりであり、他方、カスタマイズ仕様の最新のMacを手に入れた。
そして、この週末はメール環境のほとんどをこのMacに移行する設定作業に悪戦苦闘した。
正直に言えば、サポートの力を借りなければ自力での設定は到底不可能だったのだが。

日曜の午後も大分回ってから、気分転換にと初めての温泉に出掛けた。
その温泉も気に入ったが、一発でその町が好きになった。
そこは歴史のある宿場町で、川が流れる美しい風景と里山の景色が続いていた。
そして、これまでその場所すら知らなかった硯の里への道は、まるで五箇山の相倉集落に入る山道を彷彿とさせた。

さて、写真は温泉に併設する店で買ったブロッコリー ロマネスコ ヴェロニカだ。
まるでコンピューター グラフィックスのようなその形に興味津々で、手に取って不思議そうに眺めていたご婦人の手を離れるや、その最後の一個、珊瑚のような不思議な物体をかごに入れた。

コンピューターと格闘した疲れを癒しに出掛けた温泉で、摩訶不思議な形をしたまるでCGで作ったようなブロッコリー ロマネスコ ヴェロニカに出合った。
そして、これもまた縁かと思いながら、雲間の夕焼けの方角に帰路を取った...。

by finches | 2011-12-12 04:04 | 復興小学校
583■■ 旧待乳山小学校

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旧下谷、旧入谷に続き旧待乳山小学校の内部を見る機会が訪れた。
初めてこの小学校を訪ねてから早いものでもう二年近くが経とうとしているが、その時のことは今でもよく覚えている。
それはその時まで「待乳山」をどう読むのか分らずにいたが、たまたま正門前の道をやって来たおばあちゃんに声をかけその読み方を尋ねると、よく聞き取れない言葉で「まつちやま」と教えてくれた。
「まちちやま...?、まちちやま...!、まつちやま...?」、と何度も聞き直したことが懐かしい。
昭和3年に竣工した学校よりももっと前の生まれだと思えたそのおばあちゃんは、真新しい真っ白なその小学校に目を輝かせて通ったのだろうと思いながら、束の間の遣り取りの時を過ごした。

待乳山小学校は10年前に田中小学校(昭和5年竣工)と統合され、今では東浅草小学校と名を変えている。
両者は共に震災復興事業で建設された復興小学校で、田中小は既にないが統合後も待乳山小学校の校舎がそのまま使われている為に、当時の面影を今も随所に残している。

そんな校舎の階段に鋳物製の透かし飾りが残っていた。
戦時中武器として鋳造し直せる金属は全て供出させられたことから最初は木製だろうと思ったが、触ってみると明らかにそれは金属で何らかの方法でこれらを隠し供出を免れたのだろう。
腰壁の木は新しいものに変わり、廊下や階段には天井が張られ、往時の裸の美しさは失われているが、当時のままのテラゾーの腰壁と鋳物製の透かしが残っていることで、まだまだこの建築が持つ力は失われていないと感じた。

三つの復興小学校では通底するものを感じた。
そして、現在そのどの建物からも建設中の東京スカイツリーが良く見えた。
窓から屋上からその姿を眺めながら、古いものと共存してこそ新しいものもより生かされると、改めて考えさせられた...。

by finches | 2011-02-01 06:19 | 復興小学校
580■■ 旧下谷小学校
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待ち合わせ場所の旧下谷小学校は上野駅の近く、待ち合わせ時間には十分な余裕があり二つ手前の神田でメトロを降りた。
そこから旧下谷小学校までの間には3つの復興小公園があり、それらを見ながら行こうと思ったからだ。
初めての道を通勤の人の群れに逆行するように歩き、普段なら絶対に気付かないと思うような場所にある狭い階段を上がり神田川に架かる歩道橋を渡った。
歩道橋の上からは朝の光に輝く震災復興橋梁・美倉橋(昭和4・スチールアーチ橋)も望めた。

3つの公園を見ようと歩き出したものの、思いの外上野までは距離があり、結局御徒町公園を一つ見ただけに終わったが、かつてこの公園には復興小学校・御徒町小学校が隣接し、今は中学校に変わってはいるが、当時の公園との繋がりを想像するには十分だった。

さて、旧下谷小学校を訪れるのは昨日で3度目だったが、初めて校舎の中を見る機会が訪れた。
中に入るとかつての昇降口は薄暗くひんやりとしていたが、柱や壁に腰高より少し上まで貼られた桜色のラスタータイルがほんのりと浮かび上がり、漆喰が塗られた柱や梁は角のない柔らかな幻想的な翳をつくり、板張りの薄暗い廊下は往時の面影を残し奥へと続いていた。

学び舎の建築の記憶、そんな凛とした空気を毛穴の奥まで感じながら、軋み音を立てる木製の階段をゆっくり、静かに上った...。



[補記]
下谷小学校は改めてessay bibliophobia annexの方で取り上げます。
by finches | 2011-01-29 05:45 | 復興小学校
241■■ 箱崎小学校
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箱崎小学校は昭和3年(1928)に完成した復興小学校となる。
また、この箱崎小学校には南側に箱崎公園という復興小公園が隣接している。

実はこの小学校が現存していることを確認したのは僅か一週間前のことだ。
それまでは、近くの阪本や明正小学校を幾度も訪ねながら、浜町川や箱崎川の跡を探し歩きながら、取分け日本橋川沿いに豊海橋まで歩きその手前から豊海橋と永代橋が重なって見える景色が好きで何度となく訪れていながら、その目と鼻の先にある箱崎小学校に足を向けることはなかった。
勿論、それはこの小学校の場所には新しく日本橋高校が建っていると思い込んでいたからだが。

最近目にしたある小論文で箱崎小学校が現存しているらしいことを知り、半信半疑で訪ねたものだが、そのタイル貼りの外壁から跳ね出した玄関の大きな庇に昭和初期の建築の面影があり、もしかしてこれは旧箱崎小学校の外壁にタイルを後から貼ったものではないかと想像した。
思った通り、道路に面した部分とその両妻側部分にだけタイルが貼られ、校庭側はかつての箱崎小学校の外観がそのまま残されていた。残されていたと言っても、元々の「コの字型」をした平面のほとんどは取り壊されなくなっていたが。

これを現存していると言えるのだろうかと掲載を迷ったが、年内に現存する復興小学校全ての投稿を一先ずの目標としていることもあって、状態の如何に係わらず復興小学校最後の建物として書いておこうと決めた。
復興小公園が残っていることで、そこから校舎を眺めると往時の姿、即ち今はなき屋内体操場と校舎が校庭を囲み、その校庭がこの公園と連続していた姿が目に浮かび、その校舎はこの写真のように白く輝いていたことだろうと容易に想像することができた。

箱崎小学校の現況には一つの教訓がある。
それは、ものの価値をその本質に於いて見ない人たちには、ここで行われたような「外壁にタイルを貼る」という姑息な改修で、見掛けだけ新しくしたものに価値があるという誤った見識だ。
それは同じく、毎年少しのメインテナンスを継続することで現存する校舎を使い続けることができるのを放棄し、新校舎に建て替えようとするのと同じ誤った価値感に通じると思う。

かつての新車も何十年も経てばクラシックカーと呼ばれる。その車を古いから価値がないと思うだろうか。
その車は大事に手を加え続けられることで、名車としの輝きを更に増すのではないだろうか。
復興小学校とは正にこの名車ではないだろうか。
117台あった名車も現存するのは僅か19台だけとなった...。


[追記]
単稿としての復興小学校の掲載はこれからも続けるつもりですが、他方でessay bibliophobia annex に復興小学校をまとめて掲載します。
こちらでは夫々の復興小学校についての新しい記事、データ、他の写真、等々の追加や加筆を続けるつもりでおりますので、essay bibliophobiaの中の annex(別館)とお考えいただき、本稿共々お立ち寄りいただければ幸いです...。
by finches | 2009-12-26 07:20 | 復興小学校