カテゴリ:季節( 57 )
935■■ 酢橘―九月

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このところ小鳥の為に庭に木の実を撒いてやることが毎朝の日課になった。
雉鳩の番いが毎日その実を食べに来ているが、食べている横を歩いても逃げなくなった。

子供の頃に鳩を飼った経験があるが、その目が余り好きではなかった。
今も鳩の目は好きではないが、ちょっと小さめに感じる雉鳩の目は嫌いではない。
それは表情のない鳩の目と違い、どこか目の奥に表情があるように感じられるからだと思う。

さて、高温多湿な日本は微生物の宝庫で、自家製の発酵液を土に撒くことでそれに含まれる麹菌や乳酸菌などが土着菌と協同して土質の改良を行う、そう信じてささやかな土づくりに挑みそれを楽しんでもいる。
木の周りの草をそのままにしておくことで、根元の土の表面温度を下げる効果もある。
これらはどれも本から得た知識をただ実践しているだけだが、水も肥料も何もやらなくても甘い実を付ける自然の柿を見ていると、そもそも自然の循環の中で全ては回っていけるのだと思えてならない。

酢橘の木の周りもこんな風に草ぼうぼうだ。
草が青々としているということは土には水分があるということで、逆に十分な水を与えないことで酢橘は長く根を張り自ら水を求めようとする筈だ。
この酢橘、来月になれば待ちに待った収穫もできそうだ...。

by finches | 2012-09-05 08:35 | 季節
929■■ 布袋葵咲く―八月
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このところ毎晩のように雨が強く降っていたが、今日は久し振りに快晴の清々しい朝だ。
そんな中、毎日のように見ていた筈の布袋葵が淡紫色の花をつけていることに気付いた。
今朝の今朝までその前兆には全く気付かなかったこともあって、突然の花の存在には初め我が目を疑い大いに面食らった。

花を付けた布袋葵は三種あるうちの一番大きな種類のもので、これまで我家の布袋葵は花を付けないというジンクスを見事打ち破って咲いただけに、その驚きと喜びはまた一入だった。
花が咲いたことを家人に告げると、朝食の支度を止めて水鉢に走ったことからも、その驚きたるや如何許りであったかが知れようというものだ。

花が咲いた布袋葵は一番大きな水鉢にあって、他には水草代わりにクレソンを植えてある。
クレソンを植えている内鉢は水深が浅く、子メダカの絶好の遊び場でもある。
この大鉢の前に小椅子を置いてメダカを観察するのを楽しんでいる身としては、そこに布袋葵が花を咲かせたことでその楽しみも倍加するというものだ...。

by finches | 2012-08-15 09:56 | 季節
926■■ 朝の涼―八月
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昨夜水を撒いて寝たせいか、柿の枝に吊るした温度計は今朝25度を示していた。
出しっ放しだったホースを片付ける前に追っ掛けで水遣りをすると、木も草もメダカもみんな喜んだが、水遣りを終えた途端にあちこちで蝉が鳴き始め、涼しく爽やかな夏の朝の涼は一変して、騒がしい暑い夏の一日が突然始まった。

朝こうして景色を見ながら書くのは楽しいものだ。
水を打った涼気に加え濡れた石は目にも涼しさを運んでくれる。
今朝点けたばかりの新しい蚊取り線香からは一筋の細い煙が上がっている。

一つ難があるとすれば右の耳と左の耳に否応なしに入ってくる蝉の大合唱だ。
その音たるや半端ではない。
夏の朝の束の間の涼、それを蝉が無下にも奪い去った。

八月の蝉は煩い。
うるさいは「五月蠅い」とも書くが、気分は「八月蝉い」というところか...。

by finches | 2012-08-04 06:18 | 季節
925■■ 青柿と柿渋

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摘果した青柿で柿渋を作ろうなどとその発案は良かったが、それはそう簡単に作れるものではなかった。
何より使う柿からして渋柿でなければならず、例え渋柿があったとしても柿渋を作る恐ろしい手間を考えると、早々に手を引く方が賢明と判断しただろう。

漆と並んで柿渋は古くから作られてきた塗料で、防水防腐効果があると言われている。
青柿の横のボトルは筆者手持ちの柿渋だ。
その横の板はその柿渋を塗った杉板で、雨風(あめかぜ)に当ててその経年変化を観察している。

さて、昨日摘果した青柿を数えたら凡そ70個あった。
それらは手の届く範囲で摘果したもので、脚立を持って来て本腰を入れてやれば500とは行かないまでも300くらいにはなるだろう。
今朝も涼しいうちに少し摘んでおこう。

因みに筆者は柿渋にベンガラを入れて使っている。
とは言ってもまだ試験的なもので、屋内で色がどのように安定して行くのか、その変化を観察している段階だ。

それにしてもこの青柿の使い道はないものか。
忍びなく摘果をしたのだから、せめて数日は目を楽しませてもらうことにしよう...。

by finches | 2012-08-03 06:16 | 季節
924■■ 柿の実の数
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自然摘果が正しいのか、自然落果が正しいのか、それは知らない。
自然摘果だと、柿の木が適正な量の実を残すために自ら摘果を行う現象のように聞こえる。
自然落果だと、雨風(あめかぜ)天候などの自然現象によって弱い実が淘汰される現象のように聞こえる。

柿の蕾は無数と思える程に付いた。
その蕾が開花した後には同じく無数と思える程の小さな実が付いた。
暫くすると、その小さな実はパラパラと落ち始めたが、これが自然摘果なのではないかと思う。

そして梅雨の頃には実も一回り大きくなったが、この梅雨の時期に今度は自然落果が進むようだ。
不思議なもので梅雨が明けるとその落果も落ち着き、今はほとんど落ちることもなくなった。

その自然落果を地上に落ちたガクの数で数えてみたのだが、その記録が写真の『正』の字だ。
単位は百だから、『正』の一字で五百、それが六つだから全部で三千となる。
これに自然摘果の数を仮に千とすると、自然摘果と自然落果を合わせると四千、否、それ以上となる。
そして、枝に残っている実の数を一枝十個と仮定し、その枝の数を仮に百枝とすると、残っている実の数は千となる。

実際にはこれ以上の実がなっているだろうから、柿は一本の木に五千以上の実を付けたことになる。
もし五千の一割くらいが適正な量だとすればその数は五百となり、その五百を残して摘果してやれば、木にも優しく実も大きい美味い柿の実を秋には楽しめることになる。

そう、柿の木自らが行う自然摘果、次に自然の力を借りた自然落果、そして最後に人の力を借りた人工摘果、この三位一体の連携プレーが美味い実を残す理に適った方法ではないかと一人合点した。

数えにかぞえた三千という数には驚いたが、その数から総量を予想し、そこから適正な収穫量を想定するとは、何と科学的だろう。
そうだ、これから摘果する五百個の実から柿渋を作ってみよう。
柿渋は自然塗料であり薬でもある、正に循環型エコの実践だ...。

by finches | 2012-08-02 07:28 | 季節
923■■ 気温を観る

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今日は爽やかな風が吹いている、いい朝だ。
柿の枝に吊るした温度計は27度、まだ六時過ぎだが太陽はもう濃い影を作っている。
蝉の鳴き声はマルチに響き渡り、隣家のトラ猫は朝のパトロールに出掛けて行った。

気持ちのいい朝だが今日も暑くなりそうだ。
このところの夏の暑さは半端ではない。
それでも汗を掻きかきの一日は五感が刺激され代謝も人間本来の生理にあったもので、冷房に頼らなければおれなかった東京とは、ヤンキースに移籍したイチローの言ではないが、「180度ではなく、540度違う」、正にそんな感じだ。

木陰とはいえ柿の枝の温度計も最高35度まで上がった。
それを観て、涼しいからと安心出来ないことを実感した。
体感温度は30度を切っていても、気温はちゃんと35度あるのだということを。

水分は小まめに採る。
ハーブ水、紫蘇水、麦茶、煎茶、焙じ茶、番茶、京番茶、どれも手ずから作るのがいい。
暑いが、暑くても、それでも今日もいい汗を掻けそうだ...。

by finches | 2012-07-31 07:16 | 季節
922■■ 蜂の水飲み―七月

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このところメダカの水鉢の傍に小さな椅子を置いて観察するのが毎朝の日課になっている。
それはだいたい五時から六時の間で、時間にすれば数分から数十分とまちまちだが、とにかくメダカは見ていて飽きない。

昨日余りの暑さに水鉢の上の柿の枝に温度計を吊り下げた。
驚いたことに木陰で風が抜けるそんな涼しい場所でも、温度計の目盛は31℃を指した。
道理で、暑い、はずだ。
風があるから涼しく感じてはいても、気温はしっかりと夏のもので、道理で手に汗が滲むはずだと得心した。

暑くなって仕事場を二階から一階に移動し、庭に面した扉も全部外しているために視界は良好、風通しもすこぶるいい。
疲れると水鉢の傍に座り水分補給をしながらメダカを観察するのだが、疲れも取れその上癒される。

七つある水鉢の左から二つ目の、それも決まった位置に蜂がやって来る。
椅子に座ってそれを見ていると、たまたま通りがかりに水を飲んでいるのではなく、どうやら巣へ水を運んでいるようで頻繁にやって来る。

水鉢の縁の定位置にとまる前のホバリングでワイヤープランツが揺れる。
それはまるで密林に降り立つ怪鳥のようで、普段は感じない蜂の羽圧の力強さに驚かされる。
こちらが何もしなければ蜂は何もしない、だから筆者の周りを旋回して水鉢の定位置にとまり、器用に体を支え、水に顔を近付けて美味そうに飲む。

暑い、暑いが、その暑い夏の片隅で蠢く虫たちの世界はすごい。
虫たちには一分の無駄とてない、その一つひとつがこの地球を育んでいるのだから、何ともすごい...。

by finches | 2012-07-28 06:09 | 季節
921■■ 梅雨明け
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治療中の歯の違和感に加え夏風邪までひいてしまい、その上このところの暑さでこの数日はなんとなく気の重い憂鬱な気分で悶悶と過ごしていた。
だから、書きたいと思った梅雨明けの瞬間もタイムリーではなくなってしまった。

突然の蝉の一声で梅雨が明けたと思った。
日射しもその日からジリジリとまるで音がするように焼けつくように肌を射る。
突然の雨も鬱陶しい湿った梅雨の雨からサッパリと乾いたような夏の雨に変わった。
梅雨の間は少しの雨でも傘をさしたが、夏の雨はなんとなくその中を歩きたくなるから不思議なものだ。

脱ぎ捨てられた蝉の抜け殻が至る所に置き去りにされている。
こんな土の中にどうやって生み付けたのだろうと思うような場所にもそれはあったりする。

抜け殻からの初飛行に出くわしたこともある。
一瞬のうちに音もなく体をかすめて飛んで行ったものが蝉だと分かったのは、そこに蝉の抜け殻が残されていたからで、まだ鳴くことを知らない若蝉はきっとまだ柔らかい体で、羽だけがやっと乾いた状態で突然の人の気配に逃げるように飛び立った、それは決死の初飛行だったに違いない。

初蝉の一声を合図にそこら中から蝉の大合唱が始まった。
それははっきりと分かる梅雨明けの合図だった...。

by finches | 2012-07-26 06:54 | 季節
913■■ 巣立ち間近
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雨雨雨の鬱陶しい梅雨に加えて奥歯を抜くことになった憂鬱が重なって晴れない日が悶々と続いた。
ところが一変してこの週末はいい天気に恵まれ、七夕には海辺まで笹竹を切りに行けたし、昨夜は満天の星が夜空を埋めていた。

きのうの日曜、朝食の後で甘酒の仕込みをした。
お粥に水と米麹を加え保温をセットし終えると後は待つだけ、夕方には美味い甘酒が出来上がる。
爽やかな気候に心まで清々しく体は踊るように軽く、夕食は筆者が作るからと思わず言葉が飛び出す程、気持ちのいい一日の始まりだった。

食材の調達も兼ねて久し振りに市営の温泉に出掛けた。
かつて宿場町として栄えた古い歴史のある町を過ぎ、川沿いの道を更に進んだ右岸にその温泉はある。
不思議な名前の付いたその地区ではこれから田植えをする代掻きを終えた田んぼが幾つも目に留まった。
他ではとっくに田植は終わっているから、この地区の米作りの違いが既に持っている知見と重なり、不思議な予感となって頭の中を駆け巡った。

そんな場所だから多くの燕が飛び交っていた。
温泉入口には「巣立つまでご迷惑をおかけします」という燕の絵入りの立て看板まで置かれていて、その上の巣には今にも落ちそうなくらいに大きく育った雛たちが親鳥の運ぶ餌を待っていた。

野も山も随分と緑が濃くなった。
そして、久し振りの青空に梅雨明けも近いと思った...。

by finches | 2012-07-09 06:57 | 季節
900■■ 生理摘果

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柿の葉の緑も日に日に濃くなっている。
花も終わり今は小さな実が無数についているが、今朝はその実が随分と落ちていた。
柿農家では蕾を間引く摘蕾を行うようだが、今朝のこの状態は柿自らが行う自然摘果ではなく、生理摘果と呼ぶらしい。
つまり、自然に実が落ちることをこう呼ぶらしい。

一昨年はたわわに実を付け沢山の小鳥たちが集まった。
中でも50羽以上のメジロが枝から枝に移りながら一途に実を啄む仕草は可愛いもので、その何とも上手に綺麗に食べる姿はいくら見ていても飽きることがなかった。
昨年はほとんどの実が落ちてしまったが、これは何らかの理由で柿の木が行った自主摘果だったのだろうと思っている。
その分、今年の実りは待ち遠しいし、メジロの再来も今から待ち遠しい。

生理摘果という言葉は初めて知ったが、実が無くなってしまわなければいいかと心配だ。
昨日まではガクだけが落ちていたのに、今朝は実付きで落ちているものだから慌ててしまう。
今日の昼から二日間祖母の葬儀で東京に行く。
その間も生理摘果は進み、明後日の朝は足の踏み場もない程に落ちているかもしれない。

この小さな柿の実を祖母に見せてやろう。
きっと喜んでくれるような気がする...。

by finches | 2012-06-04 08:52 | 季節