カテゴリ:季節( 57 )
866■■ 春の光
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今年に入ってから、自らの体が自然な代謝を行なうような体づくり、免疫力を高め自然治癒力に依存するような体づくり、この二つを意識している。
それを機会に医者に勧められ長年飲み続けてきた薬も止めている。
人間の体で言うなら、こんな僅か数ヶ月の試みでも些かの改善を意識するようになってきている。

これを家屋に置き換えてみるとどうだろう。
高温多湿な日本の風土は家屋に梅雨から夏を旨として造ることを教え伝えてきた。
今でもこれが日本の家造りの伝統であり、それが基本であることに何ら変わりはない。

湿気のことを考えると、家は敷地から1mくらいは離し通風を良くした方がいい。
我家も人間の体で言うところの、自然代謝と自然治癒力を高める改善に取り組んでいる。
その為には先ず家の周囲の環境を見直し、その改善こそが最も手早く簡単で効果を発揮すると考えた。

それはいたって簡単で、衛生的で清潔で綺麗な環境にしてやることだ。
長年何気なく置かれていた不用な物は片付け、すべての場所に太陽の光は無理としても風が当るようにしてやる、それだけで大幅に改善できる。
次に、家屋の周りの土をほんの少しでも下げてやって水捌けを良くしてやる。
この二つを行うことで先の二つの改善は間違いなく図れる。

写真の場所も土を漉き取り水捌けを考えて散砂と小石を敷き詰めたものだ。
以前は左にある酢橙の木の下には、幾つもの鉢や石の欠片やブロックや煉瓦などが無造作に置かれ、ジメジメと虫の住処になっており、正面の板戸も光と風を妨げていた。

今は酢橙の木の下の土は水捌けを考えて均してやり、板戸も竹に変えてやった。
すると、今まで近付きたくなかった裏の場所が衛生的な表の場所に変わり、日が射し風が抜ける場所へと変貌した。
そこに竹垣を通して春の光が落ちていた...。

by finches | 2012-04-06 04:46 | 季節
865■■ サクラ咲く
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流石に国の木と言うだけあって、サクラの木の多いことに今更ながら気付き驚かされる。
隣家のサクラは毎日のようにその開花の具合を見ているし、最近は一日おきに神社のサクラの偵察にも出掛ける。

満開の桜だけを見ていては気付かないことが随分とある。
枝からほんの少し小さな突起が出るのはまだ寒い冬の間だ。
それはゆっくりと大きさを増すがある大きさまでになると、その小さくて硬そうな突起のままじっと春を待つ。

暦の上で春を迎えてもその小さく硬い突起は慎重に外の様子を窺っているようにまるで変化がない。
だが、確実にその突起は膨らんで来ていて、気が付くと枝全体が今にもはちきれんばかりに膨らんだ、突起改め花の芽に覆われている。

この小さな芽の中には二つから四つの蕾が納まっていて、その芽のカプセルが開くや否や中からこの蕾が押し出されて来る。
この蕾が濃い桜色で球形をしているものだから、枝先は腫れたように丸く色付いて見える。
これが「山笑う」の状態だ。

カプセルから押し出された蕾が開くメカニズムがこれまた面白い。
面白いと言うより神秘的だ。
小さな丸い蕾は桜蕊(しべ)がどんどん伸びてカプセルから押し出され、やがて開いていく。
一つの花芽から二つ、三つ、四つ、と細い蕊の先に花が開くものだから、枝ごとに夢幻の変化に富み軽やかにまるで浮かんでいるように見える。

今年の花見はどこでしようかと悩ましい。
だが、間違いなく日曜日に決まりだろう...。

by finches | 2012-04-05 05:31 | 季節
864■■ コブシ咲く
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コブシが満開の花をつけている。
コブシは桜の前にまるで木全体が輝いているような純白の花をつける。

この木を初めて植えたのはもう二十年も前になる。
その時にこの木に出合わなければ、今もコブシとモクレンの区別さえつかないでいたかも知れない。

その時は、一年を通して花や実や匂いの絶えないようにと、一年を通して木々の変化が楽しめるようにと、庭造りの専門家の力を借り協同して取り組んだ。
その時に学んだ沢山のことが、後に木を選ぶ力になっている。
お蔭でどんな植え木の専門家に出会おうと言いなりになることはなく、はっきりと自分の考えを伝えた上で、相手の持つ力を引き出すように努めている。

そのコブシの木に実がついた時、名前の由来を初めて聞いた。
その実が人の手の拳に似ているからそう呼ぶのだということを。

一緒に食べたその実が甘かったような朧な記憶だけが残っている。
毎年コブシの花が咲く度に、その時のことを昨日のように思い出す...。

by finches | 2012-04-04 05:40 | 季節
863■■ 芽吹きの瞬間

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東京暮らしの中で季節を最も意識したのは、何と言っても桜が満開になった時だ。
自宅近くは大きな桜の木があったし、遊歩道にも桜はあった。
仕事場の窓からは眼下にいくつも大きな桜が見えたし、時々その下を散歩したりもした。

その桜を見ながら、「あー、また一年が過ぎた」と思ったし、「またこれから新しい一年が始まるんだ」とも思った。
そして、もう一つ、「来年もこの桜が見られるだろうか」とも思った。

去年は桜橋から隅田川を行き交う屋形船を眺め、左岸墨提で桜を見ながら持参した弁当を食べた。
江戸の頃と比べると川面までの距離は随分と遠くなったが、それでも春霞の中で目を細めると頭の中には江戸の風景が浮かんだ。

今年は桜の見方が去年までとは随分と変わった。
枝に小さな芽が出始める様子、それが次第に生長していく様子、慎重に気温の変化を探りながら芽吹きを待つ様子、カプセルが開き濃い桜色に膨らんだ蕾を押し出す様子、そんな桜の開花の過程全てを楽しんでいる。

桜の木は其処彼処にあって、今年はその中で一番の場所でのんびりと静かな花見ができそうだ。
歩いて行こうか、自転車で行こうか、電車で行こうか、バスで行こうか、選択肢が多すぎて迷ってしまう...。

by finches | 2012-04-03 05:08 | 季節
861■■ 春の恵み-海

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四日間いい天気が続き、四日目の朝、久し振りに市場に出掛けた。
オイルサーデンに持って来いの小鰯を二笊、塩焼きに良さそうな中鰯を一笊、何に使おうがオールマイティな小海老を一まとめ、干物に良さそうな小鯖を五本、〆鯖にしてくれと言わんばかりに目を輝かせている中鯖を一本買った。

鰯と小海老は家人に任せた。
オイルサーデンに初めて挑む家人はその重責からか、ちょっと緊張気味で、作り方をあれこれ調べ始めた。
筆者は三枚に下ろした中鯖を塩に埋めて冷蔵庫に仕舞うと、小鯖の干物作りにかかった。
余りの活きの良さに、五本の内三本を干物に、二本を焼きと味噌煮用に下ろした。

小鯖と言っても盆笊の直径は70センチだから、それ程小さい訳ではない。
色艶とも完璧で、こんな鯖が一本百円で手に入るのだから堪らない。

太陽と風と塩が美味い干物に仕上てくれた。
昨夜早速その一枚を食したが、思わず笑みがこぼれ自然の恵みに感謝した...。

by finches | 2012-03-31 04:24 | 季節
860■■ 春の気配

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季節は地球上皆平等にあって、四季も地球上皆平等に巡って来るものだと、大人になってからも思っていた。
それが当たり前だと思っていた。
だが、いつの頃からかこの国ほど四季に変化があって、そのそれぞれが美しい国は世界に二つとないと思うようになった。

よもを海に囲まれ、森は深く、川も多く変化に富む。
冬は寒く夏は暑い、雨も降れば雪も降る、乾燥もすれば多湿でもある。
負を克服することで知恵が生まれ、知恵が文化を育み、その知恵は連綿と伝承され受け継がれて来た。

四季の中でも、自然が新しく生まれ変わる、自然が自らをリセットする、そんな創生の季節が静かに動き出している。
これまで生きてきて、その間断なく続く自然の営みの始まりを、こんな風に感じ視るのは初めてだ。

それは、全てがけなげで、繊細で、いとおしく、そしてことばがない程に美しい...。

by finches | 2012-03-30 04:39 | 季節
848■■ と~りよ来い

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春が近いせいか小鳥の鳴き声も近くで聞こえるようになってきた。
そこで、皮に皺のよったネーブルを二つに割って柿の枝に針金でくくってやった。
勿論、小鳥たちがそれを食べるのを窓から楽しむためだ。

東京のベランダでも小鳥のための餌皿と水飲み鉢は一年を通して置いてあった。
餌皿には松の実や胡桃を砕いて置いてやり、小さな水鉢は毎日洗って水を満たしてやった。
鳥が来るようになるまでには随分と時間を要したが、現金なもので餌の乏しい季節になると決ってやって来て、餌が出ていないと手摺にとまって催促するまでになっていた。

窓越しにそんな鳥たちを眺めながら、ささやかではあるが、小さな季節の移ろいを共有して楽しんだ。
ある時ルッコラを植えたことがあって、これは小鳥たちにとって垂涎の葉のようで、ベランダの下まで降りるのは鳥にしてみれば清水の舞台から飛び降りるほどの勇気がいったろうが、とうとう下りて来てその葉を食べるようになった。

猿も最初に人間の差し出す餌を手に取ったり、温泉に入ったりするのは既成の箍の嵌っていない子猿と相場は決っているが、鳥の世界も初めてのものに恐る恐る挑戦するのは若鳥のようで、親鳥は安全だと分った上でも石橋を叩き、直ぐにでも飛び立てるようにビクビクしながら若鳥の後に続く。
そんな光景がまた人間の社会と同じものだからいくら見ていても飽きることがない。

枝のネーブルを目ざとく見つけたのはカラスで、一つは土の上に落とされ、これから芽を出す柿の枝も無残に折られていた。
時間は要するだろうが、小鳥たちが来るようになるのが待ち遠しい。
春はもうそこまで来ている...。

by finches | 2012-03-10 05:52 | 季節
846■■ 散歩の情景
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コートはまだ手放せないが、昼食後の散歩を楽しんだ。
日に日に膨らんでいく枝先の莟の方につい目が行ってしまうが、足元に目を落とすと10日前に見た世界とは全く違って、名も知らない沢山の草が葉を開いていた。

初鴬の鳴き声を聞いた10日前はただ一羽だけの下手な囀りだったが、昨日はまだ上手くはないが其処彼処から鶯の鳴き声が聞こえてきた。
また、運が良いことに、僅かに残った木の実をせわしく啄みながら、枝から枝に木から木に渡る鶯の群れにも遭遇することができた。

一年前までベランダで聞いていた鳥たちの鳴き声も林の中から聞こえてくると、何だかとても不思議な感じがした。
そして、いくら鳴き声のする方に目を凝らしても、どうしてもその姿を見つけることができなかった。

同じ時間の筈なのに、どうしてこんなに違って感じるのだろうと思った。
それは、知らず知らず急ぎ足になっていた頃と、力を抜いてゆっくりと歩いている今との違いだろうか...。

by finches | 2012-03-08 03:28 | 季節
845■■ 白梅咲く

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庭にまるで枝を土に挿したような不恰好な梅の幼木がある。
その不恰好で邪魔で一年を通して良いとこが無かった梅が白い花を付けた。
家人などは毎日近寄ってはその香りを楽しんでいる。

寒かったせいか今年は開花が随分と遅れた。
梅といえば二月に咲くものと思っていたが、その時期を守って咲いたのはスイセンくらいだった。

東京では先ず仕事場の近くのマンサクが黄色い花を付け、次に自宅近くの梅が白い花を付けた。
それから、どちらが先だったかは定かでないが、モクレンとサクラが前後して咲いた。
そして、最後に街路樹のハナミズキが次々に花を付けていった。

白い梅の花を見ているとそんな二つの季節の景色が重層した。
次に家人が戻って来る頃は、もうこの春の初めの美しい芽吹きは終わっているだろう。
昨日の昼はパンを買って海に行ってみたが、今日は昼食の後あの初鶯の鳴いた公園に行ってみよう。

春三月、林の中は季節と自然と生物たちの協奏が始まっているだろう...。

by finches | 2012-03-07 06:43 | 季節
835■■ 秦野のみかん
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店に並ぶみかんのように粒揃いでもないし、見掛けも良くはない。
だが、ただ甘いだけのみかんと違って、こんなみかんが美味い。

この秦野のみかんは友人が手塩に掛けて育てたというメッセージが付いていたが、まあどちらかというと、みかんの木が勝手に実を付けたという方が実態により近いようにも思う。
だが、本人がそう言っているのだから、肥料をやり、水をやり、少なくとも成長を見守ったことは間違いあるまい。

みかんは摘花をするものかどうかは知らないが、一つでも多くの収穫をと考えている友人の顔を想像すると、それはきっとパスするであろうと勝手に思った。
新築なった家に行った時、愛犬の紹介はちゃんとあったから、みかんの木の紹介もきっとあったに違いないが、こちらの記憶はとんと定かではない。

みかんの木を手塩に掛けているのは美人姉妹の姉の方で、妹の方はそれを食べるだけだ。
ところで、妹の方は名前で呼んでいるが、筆者の方が年上にも係わらず姉の方はお姉さんと呼んでいる。
ここまで書いて以前お姉さんが親戚のみかん畑を手伝っていると言っていたのを思い出した。
もしその親戚から譲り受けた苗木が実を付けたものなら、これは手塩に掛けたみかんと認めない訳にはいかない。

そうだとすると、残り2個は家人に取って置かねばなるまい。
手塩に掛けたお姉さんの汗がこの甘酸っぱい果汁を作ったのだから...。

by finches | 2012-02-26 02:45 | 季節