カテゴリ:季節( 57 )
834■■ 初鴬鳴く

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交差点をUターンするか,右に曲がるか,真直ぐ進むかで、その日の昼食のメニューは凡そ決る。
左に曲がることがない訳ではないが、それだとメダカのいるお好み焼き屋に決ってしまう。
だから、お好み焼きが食べたい時は迷わず左に曲がればいいが、後の三つにはそれぞれ複数の選択肢があって、曲る時点ではまだ何を食べるかの特定までには至る必要はない。

快晴の昨日は右に曲り、サンドイッチと午後の紅茶を買って公園の遊歩道に繋がる駐車場に車を入れた。
何面もある芝張りのゲートボールコースと広い野球場やサッカー場、それらすべてを使ってゲートボール大会が行われており、1組5人のグループが何十組も競技を楽しんでいた。
そこで、車から出ると早速芝張りのコースを見下ろす石垣に座って、お年寄り達の真剣なゲームを眺めながらサンドイッチと午後の紅茶を口に運んだ。

食べ終わると草木を観察しながら遊歩道をゆっくりと歩いた。
寒い日と雨の日が繰り返していたせいか、まだ草は芽を出してはいなかったが、木々の芽吹きの準備は着実に進んでいるのを感じた。

遊歩道から潅木が間引かれた林に入ってみた。
積もった落葉はフカフカとして、太陽の光はその落葉まで届いていた。
落葉を踏み締めながら歩いていると、ちょっと違う小鳥の鳴き声が聞こえてきた。
その鳴き声の方へと歩き耳を澄ませると、それは間違いなく鶯の鳴き声だった。

まだ「ホーホケキョ」とは鳴けないでいるものだから直ぐには鶯だと分らなかったが、それは紛れも無く今年初の鶯だった。
他の鳥は練習なしで鳴くことができるのに、どうして鶯だけは鳴く練習をしなければならないのか、いまだに不思議だ。
いつまでも「ホーホケキョ」と鳴けない鶯は多いし、「ケキョケキョ」と繰り返している鶯も多い。

だが、そんな春の始まりの舞台裏は楽しいものだ。
この春の始まりの中にいると、まるで自分の細胞までも新しく生まれ変わるような気がする...。

by finches | 2012-02-25 04:34 | 季節
827■■ ブログを差し替えさせた魚たち
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今朝は市場に行ってみた。
薄っすらと雪化粧した朝の爽やかな空気の中、海は美しく澄んで光彩を放っていた。
市場に着くといつものように一回りした後、旬の地魚を買って回った。

朝食を終えるや否や早速魚を下ろし始めた。
サバは三枚に下ろし、〆サバの準備を終えた。
アジも三枚に下ろし、二つのサクは冷蔵庫にしまった。
セイゴはウロコを取った後、エラとハラワタを取り、取り敢えず何にでも使えるようにしておいた。
コハダは三枚に下ろし、酢で〆る準備を終えた。

今朝は市場に行く前に別のブログを書き終えていた。
だが、買った魚の活きの良さから思わず写真を撮り、挙句の果てにブログまで差し替える破目になってしまった。

毎日でも市場には行きたいが、買った魚を毎朝下ろしていたら9時をまわる。
だから、市場に行くのは大抵土曜日になってしまう。
だが、お蔭で週末には美味い魚を堪能できる。
魚を下ろす水は氷のように冷たかったが、それもまた仕方ない...。

by finches | 2012-02-18 05:46 | 季節
822■■ 早春の台地
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土曜日に顔を撫でるように、髪をそよがせるように吹いたあの弱い南風が、やはり春一番に間違いなかったと思わずにはいられないような、そんな穏やかな日曜日だった。
温泉の水を使い陶器の釜で炊いた真っ白なご飯に梅干を入れただけのおむすび四つを、葉ランで仕切りながら竹皮に並べて経木の細紐で縛り、それを小紋柄の布に包んだ。
番茶を保温筒に入れ、筆者がこれ以上の味はないと認める竹輪を一本放り込んだ。

昔は有料道路だった台地を貫く一本の道の両側に広がる草原は、もう直ぐ行われる山焼きを待って芽吹こうとしているかのように、まだ冬枯れの衣を纏ったままじっとしているように思えた。
微かに聞こえる風と笹の共演によって生み出される音は、まるでそこに水の流れがあって、その水音かと聞き紛わされるような錯覚を覚えた。

この台地をこれ程歩いたことはなかった。
三つの山頂からの眺めも道すがら次々に現れる変化に富む景色も新鮮で、それは遠い記憶の中の景色と重なった。
風が冬枯れの野を揺らす音だけしかない静寂の台地。
動物の気配すらない静寂が支配する不思議な世界も、この台地のもう一つの姿だった。

この台地の植物を集めた写真集は、案の定車の中に置き忘れた。
だが、この何もない冬枯れの野が四季の中でどのように変化するのか、それを見届けてみたいと改めて思った...。

by finches | 2012-02-13 04:50 | 季節
821■■ 自分だけの春一番
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日常の生活圏は庭を囲むように三角形に分かれ、それに毎日通う温泉と昼食に出掛ける店が加わった半径4乃至14キロが筆者の一日の最低行動圏となる。
だから否応なく、雨が降れば傘を、紫外線から目を守るためにはサングラスや帽子を、寒ければコートを必要とする。
そしてこの行動圏に於いて、身近な草木の小さな変化から、空や雲や山道を抜ける時に感じる自然の日毎の変化まで、季節や気候の微妙な移ろいを鋭敏に感じ取る。

さて、春一番とは立春から春分までの間に吹く南からの強い風だが、やや強い場合もあるし、春一番がないという場合もあるようだ。
去年は25日、一昨年は26日、ともに東京に吹いた春一番だが、ここ10年のこの地方での記録は2月13日というのが最も早い。

昨日も一日中ストーブを点けて過ごしたが、障子に映る太陽の光は前日までとは打って変わって、燦燦とまるで春のように感じられた。
庭を吹く風は東から西、西から東が多いように感じるが、寒いと思うと北からに変わっている。
だが、昨日は一瞬風を温かいと感じ、その来る方向に体を向けるとそれは南からの風だった。

春一番にしては風は弱いしまだ少し早いとは思ったが、気象台の決める春一番などには迷わされず、これはきっと春一番だと思った。
弱かったけれど間違いなくそれは南風だったからだ。

世の決め事に迷わされず左右もされず、自分の感性で逸早く季節を感じ取り、季節を先取りして味わう、それは楽しいことだ。
今日は日曜日、今日の課外授業は台地に広がる草原と決めている。
件の写真集を持って...。

by finches | 2012-02-12 03:49 | 季節
819■■ 山茶花
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花のない時期に目を楽しませてくれた山茶花の花もそろそろ終わりを迎える。
雪はそんな山茶花に最後の化粧をしてやっているようだった。
雪が溶けると鮮やかな花びらが一面に散り落ちているかもしれない。

椿に似ているが、花びらが散るところが椿とは違っている。
散った花びらが繊細でいつまでも色鮮やかなところもいい。
冬、山茶花が咲いているのを見ると、童謡『たきび』が口の奥に出て来る。

 かきねの かきねの まがりかど
 たきびだ たきびだ おちばたき
 あたろうか あたろうよ
 きたかぜぴいぷう ふいている

 さざんか さざんか さいたみち
 たきびだ たきびだ おちばたき
 あたろうか あたろうよ
 しもやけおててが もうかゆい

 こがらし こがらし さむいみち
 たきびだ たきびだ おちばたき
 あたろうか あたろうよ
 そうだんしながら あるいてく

山茶花は植えたい木の一つだ。
庭にまだ山茶花はないが、『おちばたき』ならできる。
風がなければ、今日の昼は落葉焚きで芋を焼いてやろう...。

by finches | 2012-02-10 05:53 | 季節
818■■ 吊るし飾り-春二月
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東京での生活は毎日がカレンダーの上で過ぎて行った。
そんな中でも二月には豆まきもしたし菜の花も食べたし、そんな形で季節を大切にした。

東京を離れた暮らしは毎日が季節の中で過ぎて行く。
そんな昼下がり、毎年この時期に行われる吊るし飾り祭りに出掛けた。

家々に飾られた吊るし飾りを中に入って見たり、ガラス戸越しに見たりしながら通りを歩いた。
会場の一つとなっていた店では桜餅と欠餅を買ったりもした。
小雪が舞う中で温かい善哉も食べた。

昨年お世話になった吊るし飾り作りのおばあちゃん先生の元気な姿もガラス越しに見えた。
雪が顔に吹き付けるように降り始め帰路についた。
鮮やかな山茶花の花が薄っすらと雪化粧を始めていた...。

by finches | 2012-02-09 05:46 | 季節
813■■ 立春の色
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まるで冬の力を脳裏に刻印しようとでもするかのような突然の寒さと雪に戦いた。
だが、日の光と土の中の微かではあるがその熱が、雪を少しづつではあるが確実に溶かしていった。

待っていた立春を迎えた。
まだ冬を纏ってはいるが、寒さは峠を越えこれから一歩づつ春に向かう。

旧暦ではここを正月としていたが、一年を季節の移ろいで考えた昔の人の季節感と感性が伝わってくるように思う。
季節の始まる立春に、あらためてこの一年を頭に入れておこう。

一年は春夏秋冬の四つに分けられる。
春は立春から立夏の前日までの二月初旬から五月初旬にかけて、夏は立夏から立秋の前日までの五月初旬から八月初旬にかけて、秋は立秋から立冬の前日までの八月初旬から十一月初旬にかけて、冬は立冬から立春の前日までの十一月初旬から二月初旬にかけてとなる。

これを季語でみてみると、春は春二月・春三月・春四月、夏は夏五月・夏六月・夏七月、秋は秋八月・秋九月・秋十月、冬は冬十一月・冬十二月・冬一月に分けられ、それぞれの季節の輪郭がはっきりとしてくる。

季語でいうと水仙は冬一月のものだが、毎年立春の頃になると無数の水仙が凛と咲き誇る水仙郷を思い出す。
淡路島の南端、眼下に紀伊水道を望み、沖に国生み神話の残る沼島を望む急斜面には、500万本ともいわれる野生の水仙が今年も咲き誇っていることだろう。

辺りが冬色の中にあって、花びらの白と中心にある筒状の黄色、そして気品のある香りが春の訪れを暗示する。
だから、記憶の中の水仙の黄色が筆者にとって立春の色だ。
さて、一年の始まり、一日とて無駄にはできない...。

by finches | 2012-02-04 20:40 | 季節