カテゴリ:時間( 263 )
985■■ まずめのシャワー
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まずめとは日の出と日没の前後をいい、それぞれ朝まずめ,夕まずめというが、この時刻は魚が餌を良く食うとされている。
だから、釣りに行く時はまだ夜も明けやらぬ暗いうちに家を出るのが常となる。

汲み置きしてカルキを抜いた水をメダカの水鉢に補給するのを日課にしているが、そのやり方を数日前に変えた。
それまでは陶器のボールでそれを行っていたが、流れ込む水の勢いで水は掻き回されて濁り、それが収まってみてもなかなか水の汚れが取れていないことに不満があった。

新しいやり方はブリキのじょうろに汲み置きした水を移して補給するというものだ。
これだと表面に浮いた汚れをオーバーフローする水と共に流し出し、メダカたちはこのシャワーを甚く歓ぶし、周囲もまるで打ち水でもしたように程良く濡れて、その様が何とも瑞々しく清々しい。

このシャワーを朝まずめと夕まずめの頃に行うことにしたのだ。
一頻りそのシャワーと戯れた後に食餌なのだから、メダカが悦ばないはずがない。

そして、これが人にとってみても、一日の始まりと終わりの切り替えと共に、減り張りにもなるから心身にいい。
朝まずめ,夕まずめは釣りを始めて知ったことばだった。
だが、今それらは暮らしの中で、生きたことばに変わった...。

by finches | 2013-05-17 06:45 | 時間
940■■ 朝の水玉

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土日は水曜に迫った東京での勉強会のための資料のまとめ作業に没頭した。
とは言っても、土曜の朝は魚を買いに市場に行き、下処理と下ごしらえを終えると、新鮮な野菜を求めて三市にまたがるドライブに出かけたりもした。
日曜の朝は4時間の集中作業の後、バケットとチーズの簡単な昼食を終えるや、午後からの作業のための気分転換に温泉へと直行した。
帰ったら同じく4時間の集中作業をと考えていたが、思わぬ温泉効果からだるさと強烈な睡魔に襲われたが、それでも何とか2時間ほどは頑張って資料作りに勤しんだ。

今朝、まだレジメもない作りかけの資料を元に要する時間を計ってみた。
勉強会での発表の持ち時間50分に対して、17分を残してほぼ終わった。
早口で喋っての結果だから、もっとゆっくり喋り、ちょっと違う話を交えても50分で収まる大雑把な目途だけはついた。
後はレジメを完成させればいい。

疲れた時や気分転換が必要だと思うと、柿の木の下まで行ってみるか、庭に設えたガラステーブルまで行って戻る短い歩行を楽しむ。
この間に取り入れる新鮮な酸素から新たな活力が得られる。

雨が降ったのか、ガラスのエッジには幾つもの水玉がついていた。
シマヤブランも紫の小さな花をいっぱいにつけていた。
こんなささいなことに感動する新しい朝が好きだ。

東京での滞在は三泊四日、その朝はどんなだろうか。
宿は温泉のある川の傍のホテルに決めた。
隅田川も近い、朝の散歩が楽しみだ...。

by finches | 2012-09-17 07:21 | 時間
939■■ 朝の時間

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一週間後に迫った東京での勉強会のために予習を始めている。
蒐集した資料は机の上に積まれているが、一年以上それらから遠ざかっていたことで、却って違う視点で物事を考えられるようになった。
だから、今朝も勉強会でのテーマからは大きく逸脱したところであれこれと調べを続けている。

だが、この脱線こそが大事だと思っている。
一本道を突き進むような調べ方とは違い、物事を俯瞰して見、考えることで、より広く深くその本質に近付き、捉えることができるようになる。
今朝もそんなことをやっていて、ふと東京での朝の時間を懐かしく思い返した。
手探りでまだ暗いリビングのスタンドを点けソファに座り、カーペットの上に所狭しと資料を広げ、電子辞書を横に置き、頭に浮かぶことをiPadでどんどん検索する、そんな朝の時間のことを…。

調べる行為に対してその環境というものは大切で、そのリビングは決して広くはなかったが、壁までの距離、天井の高さ、窓の位置や大きさ、サイドテーブル代わりのスツールやオットマン、それらが調度いいスケール感を保っていたのだと思う。
そして、ソファーがカーペットにめり込む数ミリの高さの違いが、最も落ち着ける楽な姿勢を作り出してくれていたのだと思う。

ソファーの座り心地が前とは違うと感じていたが、それはカーペットから木の床に変わり、数ミリの沈み込みがなくなったせいだということに、今朝これを書いていて気が付いた。
今朝はモックアップとして作られた椅子に座り調べを進めた。
そして、新たな発見や感動がある度に、柿の木の下に行ってその数を増した落ち柿を眺めた。
落ち柿を照らす朝日は、新しい影と光の帯を長く伸ばしていた...。

by finches | 2012-09-14 07:12 | 時間
937■■ 海の見える城下町
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二週間の単位で一緒に過ごす家人とのここでの暮らし、それは一年春夏秋冬を三カ月の単位で分けると、筆者は一つの季節を六つに見ていることになり、家人は一つ飛ばしに三つに見ていることになる。
だから、途切れることなく行き過ぎる季節も、家人からすれば大きく変化したものに感じるようだ。

この二週間で家人が一番よく口にしたのは、稲の実りへの感動のことばだった。
毎夕山間の道を温泉通いしていると、その道沿いに広がる田んぼの変化に否応なく目が行く。
それはそれぞれの季節で美しいものではあったが、刈り入れを間近に日々黄金色に近付いて行く稲穂は殊更に美しい。
それは、自然の美しさに加え、実りへの感動と収穫への歓びと期待が加わるからだと思う。

日曜日、後三日の滞在を残す家人を連れて少し離れた温泉へと出掛け、その足を海の見える城下町まで延ばした。
海岸は埋め立てられ、国道は車の喧騒で溢れていたが、一歩入った旧道は静かな佇まいを今に残し、時折聞こえてくる中学校の運動会の声援以外は時々のつくつく法師の鳴き声くらいだった。

藩主の旧宅ではゆっくりと時を過ごした。
鎌倉と見紛うような山門からの眺めに驚きながら、古刹のひんやりとした空気に息を付いた。
石垣や土塀が往時の区割りを今に残し、そこには連綿と続く人々の暮らしが今もあった。

帰路、降り始めた雨の中を走りながら、その日最初に見た写真展のこと、工事中の橋を写真に撮ったこと、干拓地の樋門に立ち寄ったこと、古刹の石段から鬱蒼とした葉がまるでその景色を見せようとしているかのようにポッカリ開いた先に見えた古い歴史のある島のこと、そんな幾つものことを思い浮かべ反芻した。
そして、いい時を過ごせたことに感謝した...。

by finches | 2012-09-10 08:07 | 時間
936■■ 図書館で借りた一冊の本

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二週間後に迫った東京でのある勉強会の為に久し振りに手元の資料に目を通し始めた。
図書館で集めた資料や論文のコピーはサイズも区区で、その整理には難儀をする。
書棚に立てておけるものはまだ良いが、大型の横版になると平置きする以外に上手い保管方法も思い浮かばない。
それぞれのコピーの右上には書名・出版年と蔵書図書館名を記した付箋を貼り、関連付けてのグループ分けもしているが、それらが縦に重なるとどうにも始末が悪い。
そんな資料を全てテーブルと床に広げ、改めて見直している。

ある目的を持って何度も読み返した学術論文もひとつの結果を得るに至った上で改めて読み直すと、その論考の構築のためにあった参考文献の中身を実際に確かめてみたくなってくる。
例えば、『※※史』によれば、日本で最初の鉄筋コンクリート造校舎は神戸市の須佐小学校、などという件に対して、それが実際その本の文脈の中ではどのように扱われ表記されているのか、筆者が次に知りたいその背景に必ずある筈の我が国の教育施設転換期の均衡した思潮への言及が見られるかも知れない、などと期待も膨らむ。

『※※史』について国立国会図書館のサーチエンジンでデータベースを検索してみると、国会図書館以外に3つの市立と15の県立図書館が所蔵していることが分かった。
そして、その内の一つに我が県立図書館の名前もあった。
その本は巡回車サービスにより市立図書館で受け取れたが、30分の距離を車を飛ばして県立図書館まで出向いた。

久し振りに訪れる県立図書館は改装を終え綺麗になっていた。
その図書館なくして今の筆者はないと言っても過言ではない、その図書館は筆者にとってそんな存在だった。
その図書館で初めて利用者カードを作り、初めて一冊の本を借りた。
それは筆者にとって、自分の起点との対話の場所から、その中で本と静かに対話する場所へと変わった瞬間だった...。

by finches | 2012-09-07 07:55 | 時間
934■■ 懐かしの海―九月
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五月蠅かった蝉の声も何時しか消え、朝夕虫の声が聞こえるようになった。
日中はまだ暑いが流石にあのうだるような熱波だけは去った。
空には夏の雲に混じり秋の雲も見られるようになった。

暑い最中にエアコンが壊れ修理に出した愛車は、2週間が経つのにまだ戻って来ない。
そんな日曜日、代車として借りているバンで海を見下ろす高台にある温泉に出掛けた。
昼食は以前から無性に気になっていた雑炊屋に立ち寄り済ませていた。
温泉のある宿はまだ昼食の予約客を席へと忙しく案内している最中だった。

その宿は中学一年の筆者が臨海学校に来た場所で、眼下に広がる大海原も沖に浮かぶ無人島も、緩くカーブを描く砂浜もその両端にある岬も昔のままの姿でそこにあった。
宿への長く急な坂を車で登りながら、この坂を確か午前午後の二回、上り下りしたことを懐かしく思い返した。
それは小学校が異なる2クラス70人の新入生の親睦を兼ねた入学後初めての夏の合宿でもあった。

泳ぎの得意でなかった筆者は海の塩水に助けられたことをよく覚えている。
泳ぎながら見た沖の無人島も、水平線から立ち昇る真っ白な入道雲の記憶も、長い時を経て未だ鮮明に残っている。

海と雲を何枚も写真に収めた。
輪郭濃くもくもくと聳え立つ入道雲も、もう直ぐ弱々しい姿へと変わる。
そして、空じゅうが秋の雲に変わる日がやがて来る...。

by finches | 2012-09-03 05:50 | 時間
920■■ 図書館の日
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別に決めているわけではないが、我が家には図書館の日がある。
それは気が付くと月二回、二週間おきの土曜日で、今のところこのペースがちょうどいいと思っている。
図書館の日というのは母に借りて来た本を図書館に返し、新しい本を借りて来る日で、このところやっとこれが軌道に乗ってきたと感じている。

高齢の母はほとんどの自分の蔵書を処分し、目も悪くなったことで本を読みたいと思う気持ちも萎えていた。
ところがある日、筆者が図書館から借りていた古事記を読んだことで、元来の本好きの血が騒ぎ出した。
ならばと、次は日本書紀に関する本などを数冊借りてみると、それを楽しそうに読み終えた。

その日を境に、母の読む本は筆者の図書館カードで借りるのを止め、早速母専用の図書館カードを作った。
杓子定規な書類や手続きや無理な決まり事は全て図書館員と談判してクリアーした。
本を借りるときは図書館に行くことができない母の代行を筆者がすることで、母の図書館カードには小さな星印が付けられている。

次は、家人の手を借りて借りたい本を自分で検索する練習を繰り返し行った。
習うより慣れよ、何も難しいことはないのだと分かれば、自らの意思で自由に航海できる本の海が待っている。
今はまだ無理だが、母のiPadで自分の読みたい本を検索し、予約を入れるところまで自分でできるようになることを目標にしている。
カウンターで母の図書館カードを差し出し、母の予約した本を受け取って帰るだけというのが筆者が考える最終形だ。

母の本を借りた日に筆者も自分のカードで一冊の本を借りた。
芥川賞全集・第五巻の中の一作を読みたかったのだが、ついでに何作か読んだことで筆者が苦手意識を持っていた二人の作家への敷居も幾分低くなった。
我が家の図書館利用、それはこんな風に自由に、そしてスローにすすむ...。

by finches | 2012-07-21 05:13 | 時間
918■■ 明和の石仏
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筆者が分校跡に辿り着いた細道はかつてそこを行き来していた交通の方法とそのスケールとを物語っているように思えた。
写真の石仏も今では草生したかつての道の傍に人知れず寂しく立っているが、そこは海辺の港のある村から更に山の奥の村へと通じる只一本の道であったのだろう。

石仏の台座には、正面に漢字四文字が、側面には年号が刻まれていた。
正面の四文字は最初の「三界」は読めたが、後の二文字がどうしても分からなかった。
筆者は、「衆生のこの世は励めば光が射す」というような意味ではないかと推測した。
この石仏は細道から少し上がった山の斜面に置かれていたが、それは道標のようなものではなく、恐らく谷を隔てて対角に対峙する寺と一対になって、道を行き交う人々や谷底の田畑で働く人々や、山に寄り添うように建つ家々の暮らしを見守ってきたのだと思った。

年号は明和三年と読めた。
明和3年は今から236年前の十代将軍・徳川家治の時代で、その石仏が立てられるもっと昔から、ここでは人々の暮らしと営みが静かに連綿と続いていたことが窺えた。
新しい道路から見ると、この石仏は草生した山肌にまるで取り残されたように立っている。
そして、それが何であるかに思いを寄せる人もいないだろう。

石仏を右端に置いて写真を撮ったのは、左端の平らな部分がかつての道の跡だと思ったからだ。
この草生した道はその先に造られた新しい道で途切れていたが、かつてその途切れた道の先はあの鯉のぼりが泳いでいた土手に繋がっていた筈だし、もう一方の先は件の分校に続いていた筈だと思った。

いつも新しい発見の歓びの裏で、いつもこの寂しさを味わい虚しさが込み上げてくる。
そして、今の自分に何ができるのだろうかと、今更のように考える...。

by finches | 2012-07-19 06:14 | 時間
917■■ ある分校跡
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毎日温泉に通う道は中央分離帯と両側に歩道を持った四車線の立派なもので、それは山を削り谷を埋めて造られた、自然の地形を無視し傲慢に机上の地図の上で線引きされた血の通わない太い線だった。

その道からは山を削られた崖の上にまるで取り残されたように建つ家々や、道が出来たことでかつて分校しかなかった地に大きな小学校が建てられていたり、コンクリートに覆われた小川がその道と右に左に交差しながら上流へと続いていたり、五月にはかつてその道のなかった頃の長閑な光景を彷彿とさせる鯉のぼりが風になびいていたり、ほんの時々だが木々の間から青々とした昔の姿を残す田んぼが見え隠れしたり、かつて人々が行き来した山道の跡らしき所に石仏が立っていたりした。

その中で一つ強烈に引き寄せられる景色があった。
そこには石の柱らしきものと神社の鳥居と大きな楠の木があって、何かその由来の説明でも書かれていそうな白い板が小さく見えていた。
それが通る度に気になっていて、いつかそこに訪れたいと思っていた。

当時の筆者は知らなかったが、筆者が通っていた小学校には分校があって、梅雨の晴れ間にその場所を探して自転車で行ってみようと考えた。
当時、小学校から北に向かうと鬱蒼とした森の中に八幡様があって、そこから更に奥へと進むと湯治場の温泉があった。
小学生の筆者にとっては八幡さまから更に奥など立ち入ろうとも思わない未知の場所で、その湯治場の更に奥にある分校など例え知っていたとしても興味すら持つこともなかったと思う。

不思議なもので自分が興味を持ち探そうとするといつもこんな風に導かれる。
強烈に引き寄せられる景色、その場所こそが正にその分校の跡だった。
そして、その分校へと続いていたかつての道を辿ってそこまで行ってみたいと思った。

起点は小学校と決めた。
そして、その脇の道を八幡様に向けて走り、かつて鬱蒼とした森に消えていた道を抜け、今では見る影もなく宅地開発されたかつての湯治場の裏道を通り、かつての道は川沿いにあった筈だという予測を基に立派な道路で途切れたその先の道を探した。
宅地を抜けその立派な道路が小川を跨ぐ巨大な橋の下を潜ると、そこにはそれまでとは全く違う開発の手の入っていない昔ながらの里の景色が緩くカーブを描きながら奥へ奥へと続いていた。

小型車一台がやっと通れるくらいの細道をひたすら進むと突然その分校跡は現れた。
そこから見ると崖の上にまるで取り残されたように建つ家々が眼下を流れる小川と繋がっていたことも、五月の風になびいていた鯉のぼりが分校に通う子供たちからよく見えたということも、ひっそりと草むした中に立つ石仏も子供たちが通う小道にあったことも、今では一本の道に断ち切られているが、それら全てが関わりを保ちながら途切れることなく繋がっていたことも良く分かった。

かつて美しかった頃の里の景色を想像しながら、高く埋め立てて造られた道路を行き交う車を眺めた。
そして、便利さの裏で忘れている、便利でないものの中だけにある豊かさを思った。

かつての分校は立派な小学校に変わった。
だが、その小学校の沿革史にその地区の子供たちを育て続けた分校の記述はない...。

by finches | 2012-07-17 05:49 | 時間
899■■ 蕗の露
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火曜の朝、歯痛の初診を待っている時から歯痛とは異なる変調の兆しが体にはあった。
夕方、どうにも辛く体温を計ってみると、38度を優に超えていた。
そして、その晩から平熱に戻るまで三日間床に臥した。
四日目の昨日、熱が下がり起きはしたものの体はまだ辛く、歯痛がそれに加わった。

少し体を動かそうと、昼下がり家人を散歩に誘った。
その変貌を見たくなくて行くことがなくなっていた海へと足が向いた。
綺麗だった砂浜は草に覆われ、大勢が潮干狩りを楽しんだ沖まで続く干潟は消え、丸~く見えた水平線は堤防に隠れ、賑わっていた海水浴場は消波ブロックで海と遮断され、無数にいた干潟の生き物は数えるほどにその数を減らし精彩を失っていた。

それらの現実と記憶の中にある風景とを反芻させながらゆっくりと歩いた。
夏にはこの海岸のごみ集めに参加するつもりでいるが、人との関係を断たれた海岸の清掃の意味について考えながら歩いた。
一両編成の電車がかつての防波堤の上を汽笛を鳴らしながら走り去った。

今朝、義理の祖母が亡くなったことを知った。
百二歳と七カ月の大往生、その穏やかな死に悲しみなどはない。
ただただ、ご苦労様でした、お疲れさまでした、という気持ちが静かに湧いてきた。

蕗の露が葉際に点々と連なっていた。
その露の一つひとつには、消えて行ったたくさんの思い出が映し出されているように思えた...。

by finches | 2012-06-02 07:10 | 時間