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382■■ 八幡宮の心柱

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八幡宮の楼門の改修を見る機会があった。
この楼門は元亀二年(1571)の竣工とその歴史にあるが、現在のものが全てその時代のものかは定かではない。
欅が使われている1階の丸柱の中に一本だけ檜の丸柱が混じっていたりすることから、過去に少なくとも一回の改修が行われていることは確かだろう。
その他の貫や台輪などの構造材には檜、化粧垂木などには杉が使われ、1階の腰板には朴(ほう)の木が使われていてこれが大変珍しいとの説明を受けた。

2階は井桁に組まれた1階の上に御輿のように乗っているだけ、2階の柱は1階の柱より45度内側にずれた位置にある、軒の出を支えている筈の化粧垂木もそのほとんどが本当に化粧だけで使われている、心柱の重さで屋根を跳ね上げる構造になっている筈だがその心柱が浮いている...。
こんな説明をされても頭の中は「???」で、筆者の頭脳の理解と想像の限界を超えている。

「どうしてもという方がおられれば、本日は特別に一人か二人なら上に上がれます。」
地元の民家再生研究会の催しにヘルメットまでご好意でお借りして参加している手前、流石に手を上げることは差し控えたが、運良く2度目があって、「もうご覧になりたい方はおられませんか。」との声には透かさず手を上げた。

昔、知恩院だったか南禅寺だったか忘れたが京都で楼門の2階に上がったことがあるが、その時の印象とは今回は随分と違った。
いたってシンプル、まるで東屋の屋根を見ているような気さえした。
四隅の斗栱以外は全て化粧、化粧垂木も中まで伸びているのは数本だけ、心柱は確かに浮いている、1階の上に乗っている御輿、すべてが成る程と合点がいった。

小さな楼門だったのでその構造が分かり易かったのも幸いした。
それにしても神社仏閣はその建築の威厳をこのように目に見える表だけで造っている一面もあるのだと改めて考えさせられた見学会だった。
写真の化粧垂木、このほとんどが本来必要ないとは、やはり筆者の理解を超えた造形への強い意志と、それを支える宮大工の高い技がそこにはあるのだろう...。

by finches | 2010-05-31 04:13 | 遺産
381■■ 逆転の動揺

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ブログはラップトップで書いているが、一昨日の朝仕事に使っているデスクトップの画面を見て目が点になった。
画面の天地が逆転していて、マウスを右に動かすとカーソルは左に動き、上に動かすと下に動く。
昨夜仕事を終えた時バックアップは取ったと、先ずは最悪の状況を想定してデータのことを考えた。

こんな時に先ず試みることは再起動。
いつもと違い逆に動くマウス操作にカーソルはアッチに行ったりコッチに来たり、挙句の果ては画面から飛び出して行方不明になったりと、苦闘の末何とか再起動ボタンをクリックできた。

Windowsの初期画面の向きはどうやら正常、しめしめと思っていると、最終画面はやはり天地逆転。
余り触りたくないSetup画面を覗いてもそんな設定があろう筈もなく、手の打ちようもなく只々再起動を繰り返した。
だが結果は同じ。

次に取るべき行動は電源を切り、電源コードを抜くこと。
そして再度試みるが結果は同じ。
サポートの電話受付までにはまだ何時間もあり、それを待ってなどいられない。

Googleにこの症状を打ち込んで検索をかけてみた。
すると同じ経験をした人はいるもので、同じ症状に対する質問への短く冷めた、しかし、的確なコメントが直ぐに見つかった。
「Ctrl+Alt+↑↓で戻ります」

ラップトップからデスクトップに移り透かさずCtrl+Alt+↓を押した。
一時はモニターをひっくり返して使おうかと思った画面が元に戻った。
読者のパソコンもある朝突然、画面が直角に回転していたり、天地が逆さまになっているかも知れない。
その時は焦らず「Ctrl+Alt+↑↓→←」を押すことをお忘れなく...。

by finches | 2010-05-29 05:41 | 無題
380■■ プレミアム カルピスの味

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数ヶ月前の明け方まだ暗い部屋に灯りも付けず、冷蔵庫からカルピスを取り出して飲んだ。
その時の印象は「カルピスってこんな味だったっけ? 美味しい!」と思った。
それは子供の頃自分好みの濃さを図ってカルピスと水の量を調節して作ったオリジナルな味、その味の記憶との比較を筆者の脳は瞬時に行いその印象を導き出した。

「冷蔵庫のカルピス飲みましたよ」
「どうだった、お味?」
「カルピスってあんなに美味しかったっけ? 美味しかったです!」

朝食を食べながらの取り留めのない会話だったが、明らかに家人の顔には自信が溢れ、自分だけがその秘密を知っているというような余裕の表情が伺われた。

「あれ、プレミアム カルピスって言うの、知ってた?」
「普通のカルピスとは違うの?」
「何処の店にも置いてないんだけど、近くの自販機だけにはこれがあるの!」
「きっと試験的に置いているんじゃないかと思うの!」

その表情はそれを売っている秘密の場所まで知っているという優越感に満ちていた。
だが、家人はまだこのプレミアム カルピスを飲んだことはなく、筆者が飲んで好印象だったことを嬉しそうにまるで自分のことのように喜んでいる。
以来我が家ではこのプレミアム カルピスを買い求めるようになり、家人も遅れてその恩恵をこうむり「やっぱり美味しい!」と喜んでいたが、ある日突然その自販機は普通のカルピスウォーターだけに変わった。

その落胆にもめげず新たな購入ルートを探していた家人だったが、その家人から差し入れが届いた。
なんと、その箱にはプレミアム カルピスが24本入っていた。

プレミアム カルピスは元々のカルピスに数千種類の中から2種類の乳酸菌を厳選して加え新たに生み出されたコクも白い色も一味違う逸品だ。
今では4月から始まったANAの有料ドリンクサービスのメニューの一つにもなって一本300円で販売されているが、家人にはまだ余り知られていないこの飲み物の創始的発見者としての自信とその後の独自の薀蓄(うんちく)も加わり、このプレミアム カルピスに関しては今や無敵だ。

子供の頃両親が買ってくれた何十巻もの世界文学全集はとうとう読まなかった。
Essay bibliophobiaの「bibliophobia」もその源を辿るとこの世界文学全集に行き着く。
家人の心の篭ったプレミアム カルピス24本、「Calpisphobia」にならなければいいが...。


[補記]
家人から指摘を受けないように、正式名称は「ザ・プレミアム カルピス」ということを書き添えておきます。
by finches | 2010-05-28 05:32 | 嗜好
379■■ 貝汁

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実家から海まで子供の足で五分で行けた。
その海は広く綺麗で、遥か先の水平線は遮る物もなくどこまでも丸く続き、遥か遠くの小島は蜃気楼の一種の浮島現象で海との境界が切れ浮いて見えた。
目と鼻の先にも鍋島という小島があり、潮の満ちた海はその島をまるで絶海の孤島のように遮断した。
だがこの海は潮が引くと、その小島まで歩いて渡れる広大な干潟をつくった。

潮が引き始めるとどこからともなく人が集まり始め、思い思いの場所で、思い思いの道具を使い、獲った浅利を袋や網袋や籠や笊(ざる)やバケツなど、思い思いの工夫を凝らしたものや俄仕立ての入れ物に入れ、そして思い思いの方角へと帰って行った。
中には浅利獲りを生業にしている人たちもいて、彼らは次の満ち潮が始まっても暫くは水抜き穴を開けた大きな袋に二つも三つも獲って、それがいつもと変わらぬ日常であり、そしてそれが当たり前の繰り返しであるかのように引き上げていった。

自然の地形も潮も良かったのだろうが、それに加えてその小島との間の岩盤で浅く砂と小石が混じった干潟は特に浅利の宝庫で、幾ら獲ってもそれこそ浅利は湧いてくるように獲れた。
獲った浅利は一晩蓋をして暗くした塩水に浸けて砂を吐かせ、次の日の朝食に貝の味噌汁として出された。
その味噌汁は貝からの出汁が十分に出て、薄く味噌を入れただけのその味噌汁の味は正に絶品だった。

今も定食屋などに行くと味噌汁と貝汁が品書きにあって、どっちにしますかと聞かれるくらい、昔から貝汁は普段の暮らしの中に根付いていることが分かる。
だが、昔絶品と感じたあの味はもうどこでも味わうことはできない。

もう直ぐ春の浅利の美味い時期も終わり、次は秋まで待たなければならない。
だが、まだまだ身も厚く柔らかく、なんだかフックラ、プックラしている。
そんな浅利いっぱいの味噌汁を見て、昔の美味かった貝汁の味を思った...。

by finches | 2010-05-27 03:31 | 記憶
378■■ 舞踊家・池田瑞臣

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昨夜からモダンダンスの祭典が東京で始まり、29日までの5日間で全73作品の上演が予定されている。
その初日の昨夜、池田瑞臣(敬称略、以下同様)が井上恵美子作・構成の「声」を自ら一人で踊った。
池田は江口隆哉賞を受賞し海外でも高い評価を受けている現代舞踊界の第一人者で、下北半島の津軽海峡に面した大畑町で生まれた御年82歳、筆者が敬愛して止まない舞踊家だ。

縁あって家人共々もう20年のお付き合いになる。
池田瑞臣は長嶺ヤス子の振付・演出で知られているが、長嶺ヤス子への妖艶な振付の一方で、次々に発表される数々のモダンダンスを通して見てきた振付には、その斬新さも然ることながら、いつもその芸術性の高さに感銘を受けたものだ。
体全体、指先まで寸分の妥協も許さない振付・演出からは、優しく穏やかで繊細な中に研ぎ澄まされた池田の鋭い感性をいつも感じた。

昨夜はどうしても東京に戻ることができず、楽しみにしていた舞台を観ることは叶わなかったが、同氏と付き合う切っ掛けをつくってくれた友人とその舞台を観た家人から詳しくその様子が伝えられた。
それによると、休憩が終わり次のステージを待っている中での、陰マイクによるお使いを頼む女性の声からその舞台は始まったようだ。

それを知って「池田さんらしい演出だなあ」と先ず思った。
この始まりによって前の時間とこれから始まろうとする時間とが一つに繋がり、まだ何もない舞台を注視する観客の頭の中には、既にある一つの生活とそれを取り巻く空間とがセットされる、これが正に池田瑞臣の時間と空間を取り込んだ演出の始まりだと思った。

ここからは家人からの知らせをそのまま。
ピアノ一本で演奏される「愛を奏でて」が流れる中を白の上下に赤いシャツを着た池田さんが上手から登場。
認知症らしき男性(池田さん)がお買い物を頼まれて出掛けて行きます。

「坂に気をつけて」(声:陰マイク、以下同様) 
歩いたり時に軽やかに舞いつつ、お出掛けです。

「お財布持っていったかしら」(声)
慌ててお財布を確認、にっこりとまた歩き続けます。

「きっといつもの公園を通っていくのよね…昔から鳥やお花が好きな人だから」(声)
鳥を追いかけたり、お花を見たりしながら進んで行きます。

「何を買うか忘れてないといいいんだけど」(声)
魔法のようにレジ袋を取り出した男性。
下手袖にそれを差出し、右手にレジ袋(葱など)、左手に箒(ほうき)を受け取ります。
楽しそうに帰宅。(上手に)

「箒なんて頼んでないでしょ、ほおずきでしょ、返してらっしゃい!」(声)
一旦家を出て歩き出したかにみえた男性ですが、突然箒を舞台中央に投げ出し立ち尽くします。
半分困惑したような、半分苛立ったような子供の表情、舞台は暗転。

始まりと同じくこの終わり方でこの先もう見ることの出来ない時間がまた一つに繋がった。
家人のくれた知らせに、頭の中で池田さんの喜怒哀楽の表情、踊り、体と指先の動き、間合い、照明の作り出す色等々が鮮明に浮かび上がった。

舞踊家池田瑞臣を生んた大畑町と津軽海峡を挟んだ函館は舞踏家大野一雄を生んだ。
二人に何か共通点があるとすれば、それは共に津軽海峡という心象風景を持っていることではないかと思った。
そして、その荒涼とした風景の中でそれそれの感性は磨かれ研ぎ澄まされていったのではないだろうか...。

by finches | 2010-05-26 02:59 | 時間
377■■ 月に燕

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歌川広重の「月に雁」に準(なぞら)えて「月に燕」としてみた。
前者が大きな満月を背景に三羽の雁が斜め下に向かって飛ぶ姿を縦に描いた静と動の大胆な構図であるのに対し、後者は一羽の燕の背景に月を無理やり納めた強引な構図で、準えたのは名前だけでお恥ずかしい限りだ。

今の時期、番(つがい)になった燕は巣作りに忙しく、時々この電線に二羽が寄り添うようにとまっては実に仲睦(むつ)まじく鳴いている。
燕の鳴き声は通常の囀(さえず)りとは別に「クリクリ」「カリカリ」というクリック音があり、番はその音を交えながら会話をしている。
燕が飛んでいる時にこのクリック音を聞いた記憶はないのだが、どうしてとまっての会話に時折この音を交えるのかが不思議でならない。
先日も部屋の電灯の笠の上に燕が巣を作ろうと頭の上を飛び回り、笠の上にとまって通常の鳴き声とこのクリック音を交えて巣作りの話し合いを始めた時は流石に「もっと静かに!」と思ったものだ。

Echolocation(反響定位)という言葉がある。
これはイルカや鯨などで良く知られているが、超音波を利用した高度な反響定位能力で微細な障害物も鋭敏に回避するあれだ。
イルカで言うと、鼻道付近からクリック音(パルス状の超音波)を放射し、その反射音が戻ってくる時間と方向から対象物を探知したり、仲間とのコミュニケーションを計っていることなどは周知の通りだ。

燕が飛びながら直角にその方向を変えたり、障害物の直前で鋭敏にそれを回避したりできるのは、燕にこの反響定位能力が備わっている為ではないかと、あのイルカに似た「クリクリ」「カリカリ」というクリック音を聞きながら思った。
燕が超音波を出しているかどうかは知らないが、もしあの音がそうだとすれば、佐々木小次郎が錦帯橋の下の川原で燕返しの会得に励んでいた時、さぞかし小次郎は煩(うるさ)い音の中にいたのだろうと、馬鹿な思いを巡らせた...。


[追記]
ブログを書き終えキャスティングを練習しながら燕を観察して来たが、筆者の直前で回避行動をとってもあのクリック音は聞こえなかった。
燕は賑やかで騒がしい一面もあるが、飛ぶ時はステルス機のように音も立てず静かだった。
by finches | 2010-05-25 03:42 | 空間
376■■ 霞草

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母が霞草が好きで庭の片隅に植えていることを最近になって知った。
そう言えば筆者もこの花がいつも添え物としての脇役に甘んじていることに不満を抱いていた。
それこそ、この花だけを買いたい、この花だけを花瓶に挿したいと思ったことも度々あったが、花屋にとってはあくまで高値で売れる花の添え物、おまけとして扱われていた。

霞草(カスミソウ)とは小花が多数集まり霞のように見えることから名付けられたようで、確かにその咲いている姿を見るとそんな風にも見える。
この花も草(一年草)ではなく木であったなら扱いも随分と違ったものになっていたのではないだろうか。
小手毬(コデマリ)の花も小さいし、満天星躑躅(ドウダンツツジ)もまた然りで、もしもこの花も木に生まれ霞某(なにがし)という名であったならもっと違った運命が待っていたことだろうと思う。

霞草が咲いているのを見るのは初めてのような気がする。
名前は綺麗だが筆者には霞と言う寝惚けたものより、恒星の光を反射して輝く星雲のように見えた。
星雲はその一個一個が星であり、そしてその一個一個が輝いている、それは正にこの小さな花が空中に軽く浮かんで白く輝く様と同じに思えた...。

by finches | 2010-05-24 04:30 | 記憶
375■■ 酢橘

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自分が料理をするならせめて「さしすせそ」は好みのものを使いたい。
砂糖は粗目(ざらめ)か無漂白の黒、塩は赤穂の甘塩といくつかの岩塩、酢は置いといて、醤油は湯浅の溜りと柳井の甘露、そして味噌は広島の麦に加えて赤・白・八丁があればもう言うことはない。

こうして並べてみると酢に対して余り執着がないことに気付く。
これまで純米、玄米、京都の千鳥酢は勿論、柿酢や鹿児島の黒酢まで、これはと思うものは試してみた。
魚を〆たりする時は丸々一本を使い切ることもあるくらい決して酢を使い慣れていない訳ではないが、これはと思える一本に今だ巡り合わない。

そんな酸っぱい世界で柑橘類にはもう目がない。
昔は馬鹿の一つ覚えのように黄色いレモンだったが、稀に我が家では料理によっては安全な国産レモンに限り使うことはあるが、それ以外は他の柑橘類を楽しんでいる。
中でもオールマイティなのが酢橘(すだち)で、繊細でありながら寝惚けず輪郭のはっきりしたその微かな酸味は、仕上げのひと垂らしに良し、お酒に入れるも良し、正に小さな巨人、万能選手だ。

思い返せば酢橘との決定的な出合いは香川県で地元の人が食べさせてくれた讃岐うどんだった。
以来、我が家で作る讃岐の「ぶっかけ」には酢橘が欠かせないし、以前は徳島の知人にお願いして取り寄せていた時期もあった。
その徳島の知人宅にはたわわに実をつける酢橘の木があって、その実を分けてもらったお礼に上手い焼酎を送ったこともあった。

数年前に植えたMy酢橘が今年も花をつけた。
二年くらい前から実が取れるようになったが、まだ数も少なく実も小さい。
だが、この花があの緑の丸い実になるのかと思うと、その一つ一つが愛しくてたまらない...。

by finches | 2010-05-23 03:48 | 嗜好
374■■ コーヒーの味

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手許にはカメラもあるし周りには題材も溢れているが、それらを撮る時間と余裕がない。
なのにどうしても気分を切り替えたくてコーヒーを飲みに出掛けた。

何十年ぶりかに白いタンポポが咲いているのを見つけた公園を抜けた少し小高い場所に一軒の家が建っている。
その完成間もない家は200円のお金を小箱に入れることでコーヒーを飲むことができる。
喫茶店ではない、宣伝もしていない、ただ口コミだけで人が訪れる。

壁も床も天井もほとんど全て杉板で仕上げられている。
大きなテーブルには珍しいゼブラウッドの突板を貼った椅子が10脚添えられ、床には村野藤吾が使った塩焼タイルの復元の為に焼かれた紫の還元焼成タイルが使われている。
そのテーブルを挟んで先月知りあったばかりのこの家の主人と1時間ほどの会話を楽しんだ。

楽しい会話ではあったが、その中では教わることの方が多かった。
穏やかだが鋭い視線でシビアな指摘や助言も受けた。
写真を撮る時間も余裕もないと勝手に決め込んでいたが、やはり出掛けて来て良かったと思った。
コーヒーはまだこれからという味だったが、そこには主のここでの新しい生き方が涼しげに重なってみえた...。

by finches | 2010-05-22 03:08 | 時間
373■■ 銀座 天満つ

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銀座という名前は全国でみられる。
戸越銀座のように実際に東京の銀座との縁(ゆかり)があるものや、ただ人通りが多く賑わっていることから銀座と名付けたものまでその由来はまちまちだ。
函館にもかつて銀座通りと呼ばれる通りがあったが、そこは函館の繁栄を象徴するようにモダンなカフェーや映画館などを始めとするあらゆる商業施設が建ち並ぶ一大歓楽街だった。

この銀座通りのことを別稿で「かつての函館の繁栄の面影を薄墨のように残す一角」と書いたことがあるが、御多分に洩れず栄枯盛衰の跡を今も微かに残している筆者が好きな一角だ。

この通りは余りの繁華街であった為に大正10年に起きた大火後の不燃化計画で道幅を拡幅することが出来ず、防火に強い都市計画的改造を置き去りにした質の悪いコンクリート造建築での不燃化へ回避した為に、続いて発生した昭和9年の未曾有の大火によってそのほとんどが焼失することとなるが、その中の一部で修繕により蘇ったものが現存する何棟かの建物ということになる。

写真の中央にある白い建物は蕎麦屋の「銀座 天満つ」だが、その両隣にはその時に蘇った建物が残っていて、この店主は店の新築にあたり大正ロマンと昭和モダンを併せ持つような新しい店で、この銀座通りにあったかつての街並みの再生を試みたように筆者には思えてならない。

この店のデザインをしたのは建築のプロではないと聞いて驚いたことがある。
入口に合わせてその手前に柳を植えたのか、柳に合わせて入口を決めたのかは分からないが、何ともこの組み合わせが好きだ。
そして、往時の建築によく見られた装飾と見紛うような装飾がパラペットがカーブして盛り上がった絶妙な位置に配されている。

そして、その装飾は海老の天ぷらが二本交差するようにデザインされているのがまた心憎い。
そこからはこの店の名物・海老天蕎麦の暗喩的表現であると同時に、昭和初期の建築に冠された装飾への回帰的表現であることが読み取れる...。



・別稿で「銀座 天満つ」が登場する記事の紹介
  ■■ 街の記憶 - 街への想い
by finches | 2010-05-21 04:53 | 空間