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407■■ 白鳥はカモ目

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筆者もよくやるが白鳥に草を毟って来ては与えている親爺がいた。
筆者の場合は足下かせいぜいその近くの草を毟ってやるくらいだが、その親爺は何度も美味そうな草を探して来ては与えていた。

白鳥は何でも貪るように食べる。
だからその親爺が投げ入れる草を特別な思いで待っている訳ではないのだが、投げ入れる方にはそれなりの蘊蓄があるようで、この草こそ白鳥の好みだと言わんばかりなのが、微笑ましくもあり可笑しくもある。

日曜日ともなると子供から大人まで餌をやる人が増え、白鳥を始めとして大きな鯉や鳩や時には鴎なども集まってくる。
鯉に餌をやるのは至って困難で、目の前に投げ入れてやっても素早く白鳥に食べられてしまう。
やはり水の中から水面を見ている方が不利だと思い、いつも鯉の味方をする。

白鳥もガチョウもアヒルも同じカモ目の仲間で、だから白鳥の尻羽根はアヒルと瓜二つだし、白鳥の番が陸に上がり羽根繕いをしている傍にどういう訳かカモの番がいたりする。
こうして見ると、醜いアヒルの子が本当は白鳥であったというアンデルセンの童話も、満更見た目だけではない深い洞察があるように思えてくる。

一羽黒鳥が写っているが、黒鳥は白鳥に比べてスリムで首も細い。
そして何よりその特徴は尻羽根にあって、白鳥をストレートとするなら黒鳥のそれはカールがかかっている。
所謂天然パーマがかかっている感じで、実は筆者はフライの材料に抜け羽根を狙っている。

白鳥も黒鳥もいいのだが、これらが番になって二世が生まれるとこれがいけない。
体は白鳥、首から上は黒鳥で、その境はまるで定規で線を引いたように白黒に分かれる。
生まれてきた二世に罪はないが、やはり何度見てもこのツートンカラーだけは頂けない...。

by finches | 2010-06-30 02:44 | 時間
406■■ 江戸城中雀門跡石垣

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江戸城は天守台跡以外にも火災の跡を今に残す石垣が残っている。
江戸城は明暦の大火(1657)以後も度々火災を被るが、その跡を生々しく残している石垣が中雀門跡近くにある。
写真はその石垣の目と鼻の先にあるのだが、ここは火災から免れ往時のままの姿を残している美しい石垣だ。

かつてこの辺りには重箱櫓と書院二重櫓があったそうだが、それらが火災で炎上しても石垣全体が変形するまでに至るものかとずっと思っていた。
だが、今回改めてその焼け跡を見て、関東大震災で避難していた4万人が焼死した本所被服廠跡に発生した火災旋風のことを思った。
もしその鉄をも溶かす火災を伴った竜巻がここを一気に駆け上ったとしら、「然もありなん」、と長年に亘る疑問が一気に解けた。o

さて、江戸城を少し案内しよう。
大手濠と桔梗濠の間を進み右に直角に曲がって大手門を潜ると道は左に直角に曲がる。
更に進むと大手三の門跡があり、ここにはかつて同心番所があった。
そこを左に直角に曲がると百人番所が残り、ここでまた直角に曲がると大手中の門跡、その傍に大番所が残っている。
そこから道は両側を高い石垣に挟まれまるでヘアピンカーブのように進むが、その途中に中雀門跡はある。

中雀門は玄関前門とも御所院門とも言われ、本丸御殿に達する最終の門で、徳川御三家と言えどもここからは駕籠を降りて歩いて入ったと言われる。
そして、当時はそのヘアピンカーブのような坂道を抜け中雀門を過ぎると、江戸城本丸が目の前に現れたのだろう。
勿論防衛の為の築造には違いないが、その「閉」から「開」への空間の切り替わりは、それは息を呑むほど見事であり美しかったであろう...。

by finches | 2010-06-29 06:16 | 時間
405■■ 江戸城清水門石垣

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城の研究をしている訳でも、況してその石垣に詳しい訳でも、勿論石垣フェチでもない。
だが、郷里の城跡の濠には石垣があったとか、子供の頃初めて連れて行かれたのが熊本城でその次が江戸城だったとか、どこか城やその石垣に繋がる記憶が頭の引き出しに仕舞われているのは確かなようだ。

若い頃には幾つかの城も訪れた。
白鷺城の異名を持つ姫路城は実に見事で美しかった、島原城はその高い石垣と五層の天守が壮大だった、鶴ケ城の異名を持つ会津若松城はもの悲しくも凛として美しかった、熊本城は黒く勇壮で気品に溢れ、烏城の異名を持つ松本城はどこか心が落ち着き、夏草が生い茂る沖縄の城(グスク)では苦難の歴史を持つ琉球王朝のことを考えた。

石垣に特に興味がある訳でもまた詳しい訳でもないが、その形の美しさには興味をそそられる。
特にそこに巨石が使われ、それが隙間なく積まれている築造技術を見ると、もうそこには技術を越えた日本の美学を感じずにはいられない。

インカの石積みは紙さえ入らないくらい石同士が吸い付いている。
ピラミットや日本の横穴式石室の玄室や石棺のように、墓や棺を密封する石の加工技術がこのような石積を生んだ背景にあるのではないかと考える。

さて、江戸城清水門の近くの石垣はまるで守りの鉄壁さを誇示するように見える。
天守台石垣と違い城門の石積は、それを破壊することも登ることも全てが不可能であると石が言っているようだ。
そこには冷徹なまでに目的と機能と構造が追及され、無駄なもの全てが削ぎ落とされた究極美がある...。

by finches | 2010-06-28 05:34 | 時間
404■■ 江戸城天守閣石垣吐水口

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今単身我が家を離れ今まで経験したことのない仕事のやり方と格闘している。
それは地産地消の可能性を自らの足で確かめつつ取り組むことであり、また、筆者が毎回試みながら十分な得心を得るまでには至らなかった一人一人の相手の顔が見える仕事への取り組みと言ってもいい。

今年の三月の初めに進めていた一つの仕事を已む無くお断りするという、筆者にとって初めての重く苦しい決断をした。
その仕事を続けていれば、恐らく今ここでの取り組みに近いものをそこでも実践し、そして、無駄を排除し最も必要で相応しいものだけを依頼者と共に模索し考え、そしてそれらを一緒に解決していったことだろうと、今一人我が家を離れて格闘する中で振り返る。
だが、そこにはお互いが相手に寄せる深い信頼がなければ、筆者一人の努力では到底実現出来なかったこととも改めて思う。

さて、手許に資料がないので、復興小学校や復興橋梁、東京の川や街や日常のことなどを書きたいと思うが叶わない。
こちらにも2台のカメラを持参しているし題材にも不足はないのだが、なんせ写真を撮りに出掛ける時間と余裕がない。

そんな中で今朝は先週出掛けたアールデコ展の帰りに撮った写真を使うことにした。
江戸城天守閣跡の石垣に設けられた吐水口だ。
この不思議な形をしたものを興味深げに覗き込み暫く考えていた家人が口を開いた。
「この穴、奥まで続いているみたい!?」
「これは雨水を排水するための吐水口ですよ」
「奥まで続いていますよ」
そんな質問と説明が家人にとって不思議な形をした「もの」の前で続いた。

ここの石垣は他の城の天守閣城壁と比べると貧弱だ。
石も小さいし形もあまり美しくなく角の加工にも緊張感がない。
当時そのままのものかは定かではないが、既に戦国の世が終わり安定統治の時代に入った江戸城にとって、天守閣はその本来の使命を終え最早必要なかったのだろうとその石垣を見ながら思った...。

by finches | 2010-06-27 08:11 | 時間
403■■ 工場と時代背景

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近年頓に前稿で取り上げたアールデコへの人々の関心は高い。
ただこの様式が生まれた時代背景に目を向け、その中でこの様式が持っている意味や価値を捉えようとする人は少ない。
アールデコそのもの、またはその様式を汲む正統な建築が傍にあっても気付かない、そんな建築が取り壊されても感心すら示さない。
なのに調度や絵画や服飾などのような身の丈に近いものになると急に興味を示すようになる。

近年の建築を例に取ってみても、ホテルや商業施設に於いてこのアールデコの様式が、その表層だけの模倣やコピーされたものが案外多いことに驚かされる。
それは調度をして然りで、そんな流行に乗せらた「俄か」アールデコファンも多い。
この「俄か」は一般の人たちだけのことではなく、世間で専門家と思われている人たちの中にも見られ、この「俄か」専門家が実に質が悪い。

さて、ある建築家が手掛けた工場が残っていないかと探していて、東京に戻ったらその作品集の中にある工場建築の図面を確かめようと思った。
本稿の写真がその工場建築の一つなのかは作品集を見た後も自信はない、自信はないがどこかにその匂いを感じずにはいられない。
今、この建築家の手となる旧銀行が美術館として全面改修されている。
筆者はこれに疑問を感じる。 (決して保存や改修を反対している訳ではない)

この建築家による一連の建築がつくられた時代背景には目を向けない、身の丈程の低く狭い目線で既に往時の面影が大きく損なわれている旧銀行の改修に多額の税金を使う、そしてここに相応しい展示に対するビジョンもない。
そして、ここにも「俄か」を付けたくなる多くの一般人や専門家たちが、これまた俄かに湧き出てきて、まるで恵方巻を食べるように同じ方向を向いて同じ話をする。

その話を辿ってみると、これまた「俄か」専門家がどこからか拝借してきた模倣やコピーの文言の、まるで組み換え遺伝子のような話がその元にあることに辿り着く。
背景を振り返ること、それは全体を俯瞰することであり、常にズームではなくワイドレンズで見ることを忘れてはならないと思う...。

by finches | 2010-06-25 04:44 | 時間
402■■ アール・デコの精華

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東京での3日間は慌しく過ぎた。
自分の体が途方もなく疲れていることを実感したが、予定だけは何とかこなした。

そんな疲労感で重い体を押して日曜日に出掛けた東京国立近代美術館工芸館の「アール・デコの精華」展は楽しかった。
中でもカッサンドルの「NORD EXPRESS」という機関車をモチーフにした有名なポスター(上の写真)、「NORMANDIE」という船を正面から大胆に描いたポスターには思わず見蕩れた。
そして、帝都復興の文字の入った銀座線開通の2枚のポスターや、「CITROЁN」のポスターなどにも釘付けになった。

1931年にパリに建てられたガラスの家(ダルザス邸)で知られるピエール・シャローの家具からは、今の数多ある家具にはない力と新鮮さを感じた。
1937年のパリ万博のフィンランドパビリオンの為にアルヴァ・アアルトがデザインしたティートロリーも、思わずメモ帳を取り出してその細部のディテールを書き込んだ。
そして、この時代に影響を受けた日本の工芸家たちの作品にも興味を惹かれるものがあった。

旧近衛師団司令部庁舎を改修し重要文化財にもなっている工芸館には、清水門から入り木も草も土もみんな湿気を十分に含んだ蒸し暑い空気の中を、木や花の名を言い当てながら人のいない裏側から入った。
そして、工芸館を出ると北桔橋門から皇居東御苑に入り、ゆっくりと苑内を散策した後大手門から外に出た。

次に向かったのは銀座のアップルストアー。
そして、ここでの買物を済ませると、我ら行きつけの店の開店に合わせて銀座を後にした...。

by finches | 2010-06-24 06:29 | 時間
401■■ 工場の風景

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ある建築家が手掛けた工場が残っていないかと探している。
確か作品集の中には一連の工場建築の図面があったように思うが、それがどんな形をしていたかの記憶には些か自信がない。
もしやと思いカメラに収めた建物の近くにこの写真の建物はあった。

建物というより何か一つのオブジェのように見えたが、撮った時も今もこれが何だかは分からない。
柱のようでも煙突のようでもあり、それは青空の逆光の中に整然と並んでいた。
戦前から戦後にかけてその建築家はここに幾つもの工場建築を残したが、この写真を撮った一角にもその一つが壊されていなければある筈だ。

今夕、35日振りに東京に戻る。
戻っても東京での予定は詰まっているが、手持ちの作品集だけは忘れずに開き、一連の工場建築の姿だけは目に焼き付けて来ようと思う...。

by finches | 2010-06-19 05:18 | 記憶
400■■ iPad

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今朝は接続後の使い勝手を約束したiPadの続編となる。
前回はモバイル型の小型無線LANルータを(と思って)amazonに注文したところまでだったが、届いたものにルータ機能はなく結局新しく無線ルータを購入することになった。
筆者が仕事場や自宅に無線ルータを導入した時は世間はまだ有線の時代だったが、今や無線ルータの時代なのだと分かった。
だから最先端のiPadがこのWi-Fi環境を前提としていても何の不思議もないことに初めて納得した。

無線ルータの設定はノートパソコンで行い電波を受信していることは間違いないのだが、これがどうやっても繋がらない。(設定のどこかが違っている為でサポートに連絡すれば直ぐに解消すると思われるが、今だに無線機能を内蔵したノートパソコンは有線ランで使っている)
ノートパソコンの接続を諦め、iPadの接続を試みることにした。
パスワードの入力には随分戸惑ったが、正しいパスワードの入力に成功した途端、Windowsのように面倒な設定もなく直ちにiPadは我がWi-Fiスポットに繋がった。

後はスイスイ、もう素晴らしいの一語に尽きる。
そんなiPadの面白い使い方を思いついた。

ブログに使おうと小さな黄色い花の群生を撮った。
それはスギゴケの花に見えたからだったが、さて苔に花が咲くものかと疑問を持った。
よくよく観察するとスギゴケの間に別の小さな群生があって、その花だと分かった。
黄色い花、その形は小学校の校章のように5枚の花弁が手裏剣のようだった。
ネット上で検索してみるとそれらしき花が見つかったが、解説とは少し葉の色が違う。

早速iPadをその群生に持って行き比べてみた。
花は余りに小さくよく分からないが、iPadの画像をその花を見ながら拡大していくと正に両者が一致することが分かった。
そして、その花の名はタイトゴメ(大唐米)であることを知った。

電波さえ受信出来ればiPadは正に野外観察のお供に打ってつけだ。
ソフトバンクが今一好きになれない為にiPhoneも断念しているが、こんな使い方をするにはiPadも3Gモデルが欲しくなる。
だが、筆者にはソフトバンクは今一信頼ができないのだ...。

by finches | 2010-06-18 06:14 | 嗜好
399■■ 酢橘

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3週間前に取り上げた酢橘の花が1センチの大きさの実に成長した。
酢橘は現在2本がスクスクと成長しているが、実はこれらの酢橘は第2世となる。

父の痴呆が少しづつ進み庭の木を切るようになり、実家に帰省する度にその数は少なくなっていった。
今では3本の果樹を除いて全ての木が切られ、本人にはその庭が石庭に見えているらしく一人悦に入っている。
まだ症状も軽くドウダンや柘植などのたま物が庭から姿を消した程度だった頃、筆者たちが植えた木なら切らないだろうと庭の目立つ位置に一本の酢橘を植えた。
そのことを父も喜び水遣りも欠かさずにしてくれていて、今年は沢山の実を付けているとの母からの便りに初の大収穫を楽しみにしていた矢先、帰省を前にしたある朝母から「酢橘が切られた」という電話があった。

悪かったという意識はないらしく悪怯れてもいないし謝るでもない。
仕方なく新たに2本づつ植えた酢橘と金柑を筆者たちは第2世と呼んでいる。
昔は夏に帰省すると庭中に目の粗い市松模様の黒いランネットが張られ、沢山の庭木が陰を落とし、涼風が優しく吹き抜け、何十という庭石や歩石の間は良く手入れされた青々とした苔が覆っていた。
その夏の光景は目に涼しく清々しく、それを本当に美しいと思ったし、何より筆者たちを癒してくれたものだ。

ところでこの第2世の酢橘たちは大丈夫だろうか。
実を沢山付けていることが前回の悪夢を彷彿とさせる。
見張っている訳にもいかない、ここは運を天に任せるしかないだろう...。

by finches | 2010-06-17 04:57 | 嗜好
398■■ 建築の衣
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筆者が運営するサイトで 「環境と共生する歴史的建造物」 と題した小論がある。
その中で、優れた建築や歴史的価値のある建造物を「主役」とするなら、その影で環境と共生している名も知れない多くの建造物を「脇役」として捉えている。
また、寧ろその脇役たちこそが環境を育み作っている主役であって、両者が共存共生することでその環境は(豊かな森のように)成り立っているとしている。

さて、堅い話はさて置き、写真の建物を見た時にそのサイトで取り上げた数々の脇役たちの写真のことを思い出した。 (中でも最後列から3列前の中央の写真が浮かんだ)
その写真は漁港近くで撮った漁師の家の壁で、本稿の写真はそこから2000キロ以上離れた場所の小さな造船所の壁だ。
一方はトタン板、一方はトタン波板、共に茶色に塗装されていてそのことが不思議と記憶の中で繋がった。

朝鮮戦争特需による経済回復から第四次中東戦争をきっかけとしたオイルショックまで、この1955年から1973年までを高度経済成長期と呼ぶことは周知の通りだ。
この経済成長の影でスプロール現象と呼ばれる都市化の波が、まるで安っぽい絨毯を敷き広げるように郊外や農村へと進み、昔からの日本の風景を破壊していった。
映画 「遠雷(1981)」 は正にこの時代を捉えた立松和平の同名小説の映画化で、宇都宮を舞台に都市化の波に流される人々の中で、土地にしがみつきトマト栽培に賭ける青年の姿が描かれている。

今、かつてのスプロール現象と同じ、否以前よりもっと質(たち)の悪い駄目押しのような現象が、山や湖畔や田畑を浸食している姿に危機感を越えた絶望感を感じている。
田畑が造成されそこに建てられた皆同じ模型のような家を見ていると、このトタン板にペンキという粗衣を纏った建物の方が、遥かに魅力的に思えてならない。

環境破壊に加担した模型のような家々が環境を共生する脇役となろう筈もないだろう。
粗衣を纏えるかどうかはその生き方による。
今粗衣について考えている、そしていつかそんな建築を作りたいと思っている...。

by finches | 2010-06-16 03:41 | 空間