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460■■ 国分寺

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聖武天皇によって741年に国情の不安を鎮めるために各国に建立が命じられたのが国分寺と国分尼寺で、東大寺が総国分寺、法華寺が総国分尼寺として知られている。

打ち合わせの帰り、旧道に入り海に近い駅まで行ってみた。
そこは鉄道と国道が共に海岸線近くを走っていて、そこを通る度にその美しさを車窓から眺めた場所だった。
そこに行ってみたくなったのは、その日その海岸を見下ろす高台まで連れて行かれた為で、どうしても帰る前にそこまで行ってみたくなった。

堤防とテトラポットで変わり果てた海に消沈した後、その日の話に上った国分寺に立ち寄った。
その日は栗を見る為に三ヶ所の置き場を回ったが、そこに詰まれていた材木がその国分寺の改修に使われていたことで、いつもの見方とは随分と違っていた。
倉庫では濡れ縁に使われたという栗板の厚さに驚かされたが、実際にそれが使われているのを目の当たりにすると、その強度から求められる厚さより、全体を構成するバランスやプロポーションからそれが決っているように感じられた。

拙稿・八幡宮の心柱の八幡宮でも、随分と無造作に秩序もなく木の種類を変えて使っているものだと思ったが、この国分寺の主要柱をしても幾つもの種類の違う木が使われていたと聞かされ驚いた。
中には今ではそんな使い方はしないような柔らかい木も混じっていて、先人たちはそれらを巧みに配置することで全体としてのバランスを保ち、結果として千年以上の歳月にも耐えている。

そのしなやかな考え方は現代人も見習わなければならないとつくづく感じた。
節や傷一つあっても受け入れない許容性の無さ、この木でなければならないという狭義の先入観、使えるものまで古いというだけでそれより劣る新しいものに取り替える無知蒙昧さ。
古い建物から学ぶべきことは山ほどある、現代人はそのことに先ず気付くことから始めなければならないのではなかろうか...。

by finches | 2010-08-28 08:13 | 時間
459■■ 蟻の迷惑

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電気蚊取りは体が嫌がる。
蚊取り線香も窓を開けっぱなしに使っている分には然程気にはならないが、この夏の猛暑には冷房なしでは仕事にならない。
そうなると窓を閉めてから少しの間は蚊取り線香を消さずに、もしかして残っているかも知れない蚊を退治しておかなければこれまた仕事にならない。
だが、この数分の繰り返しが朝夕二度続くと、その臭いが気になってしようがない。

昨日、注文しておいた天然の除虫菊を使い合成着色剤など一切使わない、蚊遣り線香が届いた。
蚊を殺すのではなく、除虫菊がもっている忌避効果によって蚊を寄せ付けないもので、発想からして違っている。
香りも全く違う、そういえば昔の蚊取り線香に近いのかも知れない。

改めてジャンボ蚊取り線香の成分を見た。
合成ピレスロイド系殺虫成分アレスリンという農薬成分や、ソルビン酸カリウム、安息香酸ナトリウム、着色剤等々、まだまだ入っている。
そして、特徴として「涼やかな天然の香りがただよいます」、効能として「蚊成虫の駆除」と書かれている。

繊細にして敏感な筆者の体がこの農薬環境にとうとう悲鳴を上げ始め、それを察した筆者の脳の購買機能が即座に反応して、この蚊遣り線香を注文したことに気付いた。
人工調味料などを使わない食生活を中心に据えたスローライフを心掛け、無農薬ブドウ園での体験から農薬を使った土から採れた果物がベッタリとした甘さを持ち苦味が残ることも知っていた筈なのに、今回は迂闊だった。
電気蚊取りが発する有害化学殺虫成分に対して、蚊取り線香は余りに無防備に受け入れていた。

ジャンボ蚊取り線香の最初の灰を蟻の巣にかけたら、蟻がその巣を放棄するかと思われるくらいの大騒ぎ、大パニックに陥った。
筆者はほんの悪戯のつもりだったが、こうしてみるとあのパニックは灰の中に残る農薬成分に反応していたのかも知れない。
悪いことをした、明るくなったら今度は蚊遣り線香の灰で試してみよう。
天然成分が燃え尽きた灰はきっと無毒だろう、だからパニックにはならない筈だ...。

by finches | 2010-08-27 06:00 | 嗜好
458■■ 残暑

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酢橘の木が二本ある。
一本は丸々とした濃い緑の実をつけているが、一本は粒も小さく色も薄い。
粒の小さい方は新しく出てくる葉を摘み、思い切って葉陰になっている実の周りの葉も切って太陽の光が十分に当るようにしてみた。
その甲斐があってか、少し実の色も良くなってきたように思う。

毎晩欠かさずに晩酌は楽しんでいるが、昨夜はこの小さい方の酢橘の実を間引いての調査捕鯨ならぬ調査酢橘を試みることにし、珍しく芋焼酎を買いに走った。
帰るや否や、色の悪いものや密集している部分の実を選んで13個を摘み取った。

濃い緑の実をつけた方は先般友人たちとの酒席でその味見は終わっているが、その厚く硬い皮と違い昨夜の小さい方の実は皮も薄く随分と搾り易かった。
今まで少し不良品扱いしていたことを詫びながら、悪いものを選んだにも係わらず白い皿に置くとこんなにも涼しげで目を楽しませ、飲むと清涼な香りがグラスから仄かに香り、残暑の中束の間の涼を満喫した。

そして、見た目で判断してはいけないとつくづく反省した。
一本の木なら思わなかったことが、二本の木があることで、比較をして優劣をつけてしまっていた。
だが、そこには全く違った個性があり優劣をつけるなど傲慢の極みだったと恥ずかしく思った。
勿論、このことは人間社会にも当て嵌まることは言わずもがな...。

by finches | 2010-08-26 04:24 | 嗜好
457■■ 地図にない橋

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ある大都市を流れる一級河川の上流にこんな珍しいアーチ橋があった。
隅田川で見慣れた鋼鉄製のソリッドリブ・タイドアーチ橋のコンクリート版とでも言えようか、分厚く力強いコンクリートアーチがピン・ローラーで橋脚に垂直力を流した後、更に恐竜の尾のように水平に伸びて左右対称な両径間部分を形づくっている。

引張力が働く垂直部材がコンクリート製だったか鉄製だったかを確かめることはできなかったが、どちらにしても関東大震災の復興事業で飛躍的な進化を遂げる我が国の橋梁技術に於いて、幾つもの挑戦的な試みがなされているのは知っていたが、その一つをこんな山奥で見ることになろうとは思いもしなかった。

船で鋼材を運ぶことができなかったこの山奥では、鋼鉄をコンクリートに置き換えての挑戦が行われたのだろう。
橋名を確認できなかったが、もし町史にある橋だとすれば大正13年にこの一級河川の上流域に架橋された永久橋としては第一号となる。

橋の下に回ってみると、何十枚という分厚い鉄板で補強されていることが分かった。
その補強がそれ程違和感なく感じられたのは、この橋の持つ潜在的力強さに後からの多少の付けたしや小細工など、痛くも痒くもないといった頼もしさからだろう。

その時代を代表するような建築土木遺産はまだまだ全国には残っている。
そして、それらを後世にそのままの形で受け継いでいく責任が今の時代を生きるものにはあるとつくづく思う。

現在に於いてこれ程のものは二度とつくれないという歴史遺産が不条理に壊されていく。
筆者にはこれからもそれらの持つ価値をただ静かに伝えるしか方法がないのだろうか。

  難しいことを易しく
  易しいことを深く
  深いことを楽しく

この三行を忘れずにこれからも日本の美しい文化を発信していきたい...。

by finches | 2010-08-25 08:16 | 時間
456■■ 地図にない小学校

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町史によるとこの小学校は昭和31年の竣工とある。
筆者が興味を持って調べている戦前(昭和13年まで)に建設されたものではないが、今でも現役の小学校として使われている。

草創期の木造小学校には、どこか西洋建築の様式を見様見真似で実現しようとした野心的な挑戦の跡が見られ、そこには古さを超越した力が宿り、そこに強い興味を惹かれる
それは現在の本来の意味と目的を履き違え硬直化した教育委員会制度に支配されたものとは懸け離れた、子供の教育へのひたむきで真摯な取り組みが教育者も為政者も町の有力者も一丸となって行われた、そんな古き佳き時代、正しかった時代の小学校だ。

それに対して戦後の木造小学校は、戦中の建設資材の切り詰めを目的とした小学校建設規格の改善を戦後十分に行わないまま、全国で似たような木造校舎が増産されていった。
だがそれでも、その素材が持つ温もりや優しさに、経年による味わいや風合いが深い皺のように刻まれ、この時代の木造小学校をして戦前の木造小学校を髣髴をさせる程の魅力に溢れている。

この町も予算があればこの小学校も直ちに鉄筋コンクリート校舎に建て替えられるのだろう。
建て替える予算がないことで古い校舎が残っていても、そこにそうしようとする意志も信条もなければ、それは文化として継承されることはない。

きっとこの木造校舎の冬は寒いだろう。
だが、そこで赤々と燃えるストーブを囲んでの授業や給食のことは子供たちの掛替えのない思い出として記憶に刻まれることだろう。
不便なこと我慢すること、その中で子供たちが身に付けることは余りに計り知れない、と思うのだが...。

by finches | 2010-08-24 04:31 | 時間
455■■ 渓流-共存と破壊

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出掛ける用意をしながら、夕焼けが美しい海岸にしようか、それとも渓相が美しい渓流にしようか迷った。
だが、車に積み込んだ荷物はどれも渓流釣りのものばかりなのが可笑しかった。
8時を回っての遅い出発だった為に、高速道路を使って山奥のある町まで一気に向かった。

向かった場所はダムのない一級河川として知られる清流の上流域で、幾つもの支流がその本流に流れ込んでいる。
気温が高くとても釣りにはならないと分かっていながらも一通りの準備だけはしてきたが、次回の為に美しい渓流探しに目的を切り替えて、二つの支流に絞って奥の源流域まで行ってみた。

鮎のいる清流を謳っている本流もダムこそないが、幾つもの堰堤と延々と続くコンクリート護岸によって、かつての美しさは見る影もない。
先ず一方の大きい方の支流に入ってみたが、幾つもの砂防ダムと途切れ途切れではあるがコンクリート護岸は奥の奥までなくなることはなかった。
一方の小さい方の支流に入ってみると、上流に向かうにつれて美しい渓流が顔を出し始め、期待に胸を弾ませながら更に奥に進むと、さっき通って来た高速道路がその渓流に沿って走っている場所に着いた。

林道を渓流に沿って造るのは最も自然に逆らわないやり方だが、林道の場合その地形が持つ等高線に沿うように無理なく造られている。
その自然に逆らわないやり方が最も安全に工事を進める方法だったのだだろうし、見方によっては林道と渓流が共存していると言えなくもない。
少なくとも渓流を傷つけるのは必要最小限に留められている。

一方の高速道路は地形も自然が持つ等高線も一切お構いなし、机上で引いた一本の線の通りに、谷を埋め渓流に橋脚を建てトンネルを掘り、自然との共存など微塵も感じないその横暴さに思わず息を呑んだ。
写真の渓流に沿って右側に走っているのが林道だが、少なくともこの道があることによって自然が寸断されているとは思えない。

だが、高速道路は違う。
もし、川の上ではなく山肌に高速道路ができたら、その山は上と下、右と左に分断されてしまい、動植物の生態系を寸断するだけでなく、例えば植林された山林の片側には永遠に立ち入れなくなる可能性すらある。
そして、何より違和感を持ったのが山村を切り裂くように走る高速道路だ。
高架ならまだその下を通れもするが、万里の長城のように村や農地や山が分断されたら、かつては何処からでも行き来ができたものが、何箇所かに設けられた薄暗いトンネルに迂回しなければ、自分の畑にも山にも川にも隣りの家にも行けない。

そんな光景に悶々としながら、分水嶺を越えて別の渓流に足を延ばしてみた。
するとそこにはほとんど手付かずの美しい渓流が流れていた。
それを見て、ここまでは随分と距離はあるが、必ずキャストしてみたいと思った...。

by finches | 2010-08-23 06:05 | 持続
454■■ 廃船-夏

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海岸には自分だけの秘密の場所があるものだ。
水平線の彼方まで見渡せる岩の上、そこに渡れば再び潮が引くまでたった一人で過ごせる小島、決まって魚のいる干潟の水溜り、浅蜊の取れる小石混じりの砂地、不思議と其処だけで火薬が見つかる砂だまり、縄文の洞穴、台地の草むら、どこまでも続く砂浜の先に赤い灯台と黒い屋根のお寺が見える岬、とまだまだいくらでもきりがない。

もしかしたらこんな廃船も秘密の場所として記憶の片隅に残るのだろうかと、廃船の傍で遊ぶ子供を見ながら思った。
彼は廃船に興味がある訳ではなさそうで、その周りの砂を掘って遊んでいる。
きっと陰になった砂の中には乾いた砂とは違う生物がいるのかも知れないと思った。

子供たちが外で遊んでいるこんな情景をとんと見なくなった。
彼も都会からやって来て、もの珍しさから廃船の周りで遊んでいたのかも知れない。
兎に角一人で黙々と遊んでいた。
それをまた黙々と観察している筆者は、それを見ている誰かがいたら、きっと怪しい人攫(さら)いに見えていたかも知れない。

茹だるような暑さが続き、外より部屋の中に居る方が熱中症になりそうだ。
今日は日曜日、ちょっと県境を越えて遠出してみたくなった...。

by finches | 2010-08-22 07:02 | 記憶
453■■ 旧道-八月

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ある町の旧道を歩いた。
真っ青な空の下、太陽が容赦なく照り付け、球のような汗が留処(とめど)なく噴き出す暑い午後だった。
国道から少し入った旧道には人影もなく、ほとんどの家が昔の佇まいのままカーブした狭い道沿いに並んでいた。

郵便局、雑貨屋、理髪店、味噌屋、酒蔵、旅館、煙草屋、材木屋、魚屋、食品店、洋服屋、医院、そんな店がこの道の両側に並び活気に溢れていた時代もあったのだろう。
鮎釣りの長い竿が時折見られた本流から分かれた支流には小さな橋が架かり、その更に奥では山女が釣れると聞いた。

この旧道沿いにある建物で最も大きいのは旧酒蔵で、その規模からしてもかなり広範囲に酒を出荷していたことが伺える。
そして、二軒の旅館がこの旧道のかつての活気を今に伝えていた。

初めて国道から旧道の家並みを見た時、大きな屋根を持つ酒蔵の向こうに、洋風の屋根を持つモダンな建物が見え、きっとあれは昭和初期に立てられた役場だろうと思った。
その建物は新しくなった医院だったが、かつての屋根の形とその屋根に開けられた丸窓だけは、往時の姿を後世に残そうとしているかのように思えた。

かつて、この町の中央を流れる川を利用して多くの大木が海まで運ばれた。
そして、その大木は筏に組まれ船に曳かれて海を運ばれ、奈良の都の造営に使われた。
そんな由緒ある長い歴史をこの旧道で思い返した。
少し落ち着いたら、この町の資料館と図書館を忘れずに訪ねてみたい...。

by finches | 2010-08-21 07:21 | 時間
452■■ 帰る-夕日

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帰って来た時は、これから回り始めようとしている時計には十分な時間の蓄えと余裕があった。
帰って行く時は、蓄えを全て使い果たしてしまった諦めがあった。

帰って来た時は、朝陽が高く昇りもうジリジリと暑い夏の一日は始まっていた。
帰って行く時は、もう少しづつ日が短くなっていることを夕焼けが教えてくれた。

空港まで見送った後、360度の見晴らしがきく芝山に登った。
東の空の入道雲は夕日に染まりながら、さっきまでの雄大な姿から只の雲に戻ろうとしていた。
西の空は夕焼けに染まり、二本の工場の煙突から立ち昇る煙が上に延びていた。
そして、出発を待つ飛行機の尾翼が暮れ残った南の方角に黒く浮かび上がっていた。

出発がかなり遅れた上にいつまでも離陸しないもどかしさに、滑走路近くで次の便の離陸を見ていた人に声をかけた。
「ANAはまだ離陸してませんよね?」
「もう5分前に飛び立ちましたよ」
「えっ、どっちに向かって飛び立ちました?」
「あっちに向かって」

ずっと見ていたのに、音も聞こえなかった。
虚空を眺めながら別のことを考えていたのだろうか、辺りはもう闇の中、筆者には何とも中途半端な一つの夏の終わりだった...。

by finches | 2010-08-19 06:14 | 時間
451■■ 講堂-最後の夏

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ある町の小学校を訪れた。
その小学校では現在体育館が建設中で、それが完成すれば写真の講堂は壊されることになっている。
この昭和11年に建設された木造の講堂では、今月の28日に卒業生を交えてのお別れ会が予定されている。

青々とした田圃が広がる向こうの少し小高い場所にその小学校はあって、鉄筋コンクリート造の校舎の端に何とも可愛らしい木造の講堂があることに気付き訪ねてみた。
見学を請うと女性の校長先生自らが快くその講堂に案内してくれた。

大正末から昭和初期に建設された鉄筋コンクリート造の小学校で幾つもの講堂兼屋内体操場を見てきたが、扉が開けられた瞬間目に飛び込んできた屋内の様子は、正にそれらと寸分違わないものだった。

大正9年に我が国初の鉄筋コンクリート造の小学校が神戸に誕生し、その後日中戦争の物資統制が厳しくなる昭和13年まで日本各地で鉄筋コンクリート造の小学校が建設される。
それらの鉄筋コンクリート造校舎の建設に平行して、その何十、何百倍もの数の木造小学校が建設されたが、それらは構造の違いこそあれ、同じ理念に立って全く力を抜くことなく建設された。

この小学校の講堂がそうであるように、市町村ではそのほとんどは木造で建設された。
だが、講堂兼屋内体操場は鉄骨造で屋根がフラットであるか、木造で瓦屋根であるかの違いはあっても、その柱のない長スパンを実現させるために天井裏にはトラス構造が隠れていることで共通しているし、何より御真影を掲げる場所として最も力を注いだ場所であった。

こんな掛替えのない歴史遺産がまた壊される。
この木造の講堂は74年を経て今尚健在、新しくできる体育館はその半分で寿命が尽きるだろう。
勿体ない、どうして全国各地で同類の無駄が繰り返されるのだろうか。
これは決して偶然ではない、この全国一律に蔓延する無駄を辿ると、そこには信念も理念もない文部行政と、硬直し膠着した教育委員会体制が僅かな可能性にまで蓋をしている現実だ。

勿体ない...。

by finches | 2010-08-18 06:41 | 時間