<   2010年 09月 ( 26 )   > この月の画像一覧
486■■ 思いっきりの休日-築港の跡

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朝日を眺めながらの深呼吸に始まった思いっきりの休日は、三つの県を走り到着した山奥から更に幽谷へと踏み入り、分水嶺を越えて渓流から川へと下り、更にその川を下って海へと出た。
そして、その海を右に眺めながら更に走り、小さな町の歴史資料館で車を止めた。

訪れる人の少ないこのような場所に入ると、決って職員が展示室の灯りを付けてくれる。
灯りを付けてもらうと、人気のないまるで昨日のまま止まっていたような冷やりとした空気の中を、一つ一つその町の歴史を見て歩いた。
その中で明治42年に落成した石造りの波止場が目に留まり、職員に尋ねると今も残っていることが分かった。

港に着くと、そこが数年前に友人たちと民宿に泊まり、夕食前に釣り糸を垂れた港だと分かった。
その場所を横目に見ながら更に港沿いに進み小さな岬を横切ると、かつての港だった別の入り江が目の前に広がった。
そして、そこに玉石を積み上げた百年前の波止場があり、今も現役で使われていた。
(この小さな波止場の築造によりこの港は更に繁栄し、近くの鉱山からの鉱石搬出にも大いに貢献したことが添えられていた。)

写真に入らないように苦労したが、この波止場に繋がるように新しいコンクリート堤防が造られていて、その堤防にはあの海の景観を台無しにする消波ブロックがご丁寧にこれでもかと並べられていた。
昔の築港の跡と比較して、現在のこの手の堤防と消波ブロックの全く不要な二重構造について、いつもいつも思うことがある。
それは、昔のままに石を積み上げて造れば、百年、二百年、否それ以上もって、尚且つ美しいではないかと...。

by finches | 2010-09-30 04:45 | 時間
485■■ 思いっきりの休日-山は幾何模様

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日本の山は深山幽谷に至るまで杉や檜の植林が見られる。
その歴史は人間が森を継続的に管理し利用するようになった16世紀頃に遡り、鳥取県智頭町には慶長杉と呼ばれる樹齢300年以上の人工林が現存している。
それにしても九州から北海道の山奥まで、よくぞこんな所にまで人の手が入っているものだと、それらを見る度につくづく感心させられる。

杉や檜などの針葉樹の森の中は陽が射さず薄暗くて気持ちのいいものではないが、広葉樹の森の中は明るい日差しに溢れ、その陽を受けて様々な低木や草花が地を覆い、土に戻る前の落葉の上を歩くのは「これぞ森林浴」という気分で、とても気持ちがいいものだ。

余談はさておき、写真は普段見慣れた針葉樹の人工林とは何だか雰囲気が違うような気がして撮ったものだ。
色もそうだが形が何とも可愛らしく、見慣れた杉林にはどこか整然とした秩序を感じるのに対して、こちらはどこか穏やかで整然と言うより、幾何模様のように繰り返される配列のように感じた。

一本一本の杉がつくるの三角形の頂角が僅かだが広い気がしたが、それが全体の形を柔らくまるでディフォルメされた切絵のように感じたのではないかと思う。
現実は恐らく間伐を行っていないせいではないかと、勝手な想像を加えながら繁繁と考えを巡らせた。

しかし、まるでその部分だけコラージュしたかのように面白く愉快で、禁漁に入っていた川を尻目に、思いっきりの休日を楽しもうと気を取り直させてくれた...。

by finches | 2010-09-29 04:49 | 時間
484■■ 思いっきりの休日-垂涎の渓流

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朝日を後に走ること160キロ、高速を降りてからの25キロの一車線の狭い山道は二度と走りたいとは思わない道だった。
食糧を調達した小さな店でその山道への道順を聞くと、「どんな道か分かってますか」、と駄目押しのように聞かれ、思わず、「分かっています」、と答えて店を後にした。
遊魚券を扱うガソリンスタンドに立ち寄りそこで再び道順を確かめると、わざわざ道路を隔てた向こう側の人に声を掛けてくれ、そしてその人曰く、「車の免許を持っていれば走れる、スピードは出さないように」、との助言を受けた。

高所恐怖症でもある筆者にとって、その車幅2メートル以上は通行不可と書かれた道を走る気持ちは、只々対向車が来なければいいがとの思いだけで、その薄暗く狭い道に車を止めて景色を写真に収めるなどの余裕も、そんな気持ちにもなれなかった。
その山道を抜け初めて出会った人にその道沿いに流れる川の名前を聞いた。
すると、その川が正に目指していた川の渓流だと分かった。

山道に入る前のガソリンスタンドでこの辺りは八月末で解禁期間が終わり禁漁期に入っていると聞いたが、12月末までの年間パスを持っている身としては、山を越した向こう側では9月末までは禁漁になる筈がないと思い、正に気分はルンルンだった。

しかし、その川も幾山の向こう側と同じく九月から禁漁期に入っていた。
そして、吊橋から渓相も満点の美しい流れを空しく眺めながら、垂涎の溜息をついた...。

by finches | 2010-09-28 05:36 | 時間
483■■ 思いっきりの休日-朝日

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この二ヶ月、あることで悶々としていた。
この一ヶ月、もう切れそうなくらいに、その悶々は頂点に達していた。
この一週間、その悶々を角度を変えて考えられるようになった。
一日前、その悶々は穏やかに収束した。
次の日、思いっきり休みたくなって釣りに出掛けた。

少し遅い出発だった為に車を走らせていると朝日が上るのが見えた。
先を急ごうかと迷ったが思い直してハンドルを右に切り、小さな踏切を渡り、墓の脇の小道に入り、今も一棟残るかつての炭住の脇に車を止めた。
かつて長い砂浜だった場所は長い堤防と道路に変わり、それでもまだ細長く残っていた砂浜にこれでもかと消波ブロックが積み上げられ、海には防波堤が遠くの景色と朝日を邪魔するように黒く横たわっていた。

だが、海と朝日は昔と変わらない、朝日は新しい朝の光をこの海に映し続けている。
まだ始まったばかりの休日の最初の一歩は、その雄大で美しい朝日を眺めながらの深呼吸から始まった。
少し冷たい朝の空気は気持ちよく、まるで体を浄化するように体内を巡って外に出ていくようだった...。

by finches | 2010-09-27 06:42 | 時間
482■■ 綿雲

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あの猛暑が嘘のように体の順応が追い着かないほど気温の下がる日があるこの頃、空に浮かぶ雲の形も夏のもから秋のものへと変わった。
真っ青な空にモクモクと聳える夏の入道雲も好きだが、一年中を通してどの季節の雲が好きかと問われれば、迷わず秋の雲と答えるだろう。

写真は小学校の校庭の上に浮かぶ雲を撮ったものだが、この校庭で筆者は10歳まで走り回っていた。
時々懐かしくなって訪れるのだが、取分け秋の野や山の美しかった記憶が鮮明に脳裏にあって、この日も昼食を済ませた後気が付くとこの場所へと向かっていた。

雲の形はどんどん変わる。
この日も小さく丸い里山のような雲が幾つも浮かんでいてそれを撮ろうとしたのだが、カメラケースからカメラを取り出しているうちに雲の形は見る見る崩れ、それに急かされるようにシャッターを押した。

この雲、お硬く言えば積雲、柔らかく言えば綿雲と呼ばれる。
固まり状で綿のように空に浮かぶ雲で、侮ることなかれ、秋の雲と言っても生長すると積乱雲にもなって雷や夕立を降らせることもある。

雲はカメラを構えていても中々好きな形になってはくれないし、好きな形に出合っていざ撮ろうとすると見る見るその形を変える天邪久な難物だ。
そんな雲のことを考えながら、雲の写真と小文だけのブログも良いな、と思った...。

by finches | 2010-09-26 04:16 | 時間
481■■ 給水塔

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稲城・多摩・八王子・町田市にまたがる多摩丘陵に多摩ニュータウンが都市計画決定されたのは1965年のことだが、その2年前の1963年から69年にかけて建設された地方都市の市営団地を訪れた。
訪れた時この市営団地の一部では建て替え工事が進められていた。
この市営団地が建設された当時は、都市計画法の制定前で開発行為の規制がなかった為に、さまざまな問題を起こしていることへの抜本的対策をなおざりにしたままの工事を見ながら、行政の行う仕事というものをつくづく考えさせられた。

都市計画法の制定前とは言え、山林や水田などを宅地化したにも関わらず雨水対策が取られておらず、道路幅員も狭く歩道もないなど、お粗末の限りがここを訪れなければ決して分からなかった小山の上で行われていたことを初めて知った。
それは団地の中を走るバス道路をただ車で通り過ぎるだけでは決して見えないもので、その道路から山の斜面に沿って展開している団地群の中を歩いてみて初めて見えたものだった。

一度目に訪れた時はそこに漂っている哀愁に、この団地で流された歴史のことを考えた。
二度目に訪れた時は車を止め歩いてみたが、一度目とは違って空き部屋の目立つ今の暮らしが見えてきた。
平屋の建物は4世帯、二階建ての建物は6世帯で、その狭小な建物には長年の暮らしの中で増築が行われているものもあったし、空き部屋だけではなく住む人がなく廃屋となって放置されているものもあった。

ここに団地が存在していることは幹線道路からこの団地へと繋がる道に足を踏み入れなければ気付くこともないが、遠くからも木々の上に給水塔が頭を覗かせているのは見える。
給水塔は団地の中の更に一番の高台にあり、ここからは遠くに海が見える。
そして、木々の間からは、ここに足を踏み入れたこともない人々の暮らす街並みが見えた...。

by finches | 2010-09-25 05:20 | 時間
480■■ 十六夜

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十五夜の中秋の名月は雲に隠れて見ることができなかった。
月見団子の作り方を調べ、ススキも取りに行こうと思っていたが、生憎の天気に断念した。

一夜明けた十六夜、月は見た目にはまだ真ん丸な形をしていた。
十六夜はいざよいとも言う。
十五夜や十三夜は月見の行事を行う風習があるようだが、その他についてはその名前すら余り知られていないように思う。

家人と電話で、十六夜なんて言うのだろうかと話していたら、メールが届いた。
 十六夜 いざよい
 十七夜は立待月 たちまちづき
 十八夜は居待月 ゐまちづき
 十九夜は臥待月 ふしまちづき
 二十夜は更待月 ふけまちづき
と、歳時記にあるそうだ。

昨夜一日遅れとなった差し入れを楽しんだ。
七輪に炭をおこし、秋刀魚と茄子も焼いた。
夜空には十六夜の月が明るく照っていた。
そして、送られてきた月の美しい呼び名の見ながら、「待」の一字を入れた万葉人の感性を思い、雲を照らす月を見上げた...。

by finches | 2010-09-24 07:33 | 時間
479■■ 差し入れ

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昨夜差し入れが届いた。
筆者は中身の事前情報からゴーヤとズッキーニをいそいそと買い求め到着に備えていたが、指定の到着時間から遅れること4時間、とうとう夕餉には間に合わなかった。

中身を並べ3枚の写真に収めたが、どれも今一ピントや露出が合っていない。
そこでPhotoshopのエッジ光彩というフィルターを使って画像の加工をしてみた。
元は露出オーバーの写真だったが、ほのぼのとした絵のような面白い画像に変身した。

これらの品々を選び出し、それらを詰め、わざわざ出しに行ってくれ、開けた時にどんな顔をするだろうかと楽しそうにワクワク・ニコニコしている送り主のことを想像すると、只の写真よりこの方がずっと開けた時の気持ちを代弁しているように思う。

ところで、裏を明かすと毎朝使う写真はPhotoshopで画像処理をしている。
一番は画像サイズを揃える作業だが、色調補正などは頻繁に行い、次にトリミング、たまに水平・垂直の補正などを行うこともあるが、フィルター機能を使うのは今回が初めてかも知れない。

一枚の写真と小文で送り主への感謝の気持ちが伝わればよいが...。

by finches | 2010-09-23 04:09 | 嗜好
478■■ 家

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住宅の造成地は山の中を切り開くというイメージがあった。
都市近郊は別として農地も例えそこが休耕していても、確実にそこが農地として存在しているという印象を持って見てきた。
農地も大きく畑地と田地とに分けるとすれば、前者は高く後者は低い場所というイメージがある。
だから、畑地に家が建つことを不思議とは思わなかったが、近年田地に辺りを凌駕するように建つプレハブ(prefab)住宅を見ていると、かつて都市近郊を絨毯を広げるように破壊していったスプロール現象以上に、その安易な宅地化とそこに建つプレハブの家々に、風土や自然環境と全く呼応しない絶望的な違和感を感じる。

車を走らせていても筆者の目と神経は全方位型レーダーで、興味や不思議に思うとそれを確かめてみたくなる。
その日も水害の傷跡が生々しい川沿いの国道を走っていて、大掛かりな幾重もの砂防ダムが建設されたばかりの山肌をむき出しにした工事現場の隅に、微かにガラスの屋根が覗いているのに気が付いた。

何だろうと近付いてみると、それは国道側からは石に埋まってガラスの屋根だけが見えていたが、歴とした住宅で、水害の跡が残る川に向かって開いているらしく、さぞ美しかったであろう場所にその環境を取り込み呼応するように考え抜かれた住宅であることが分かった。

この家の川に面したデッキは、ライトの落水荘さながらに考えられているのではないかと想像された。
そして、その家は荒涼と化した辺りの景色の中にあって、その環境に埋まり静かにだが強く自然の再生を待っているように感じられた...。

by finches | 2010-09-22 05:25 | 空間
477■■ モックアップ

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少し変わった場所に置くかなり変わった目的を持った家具の製作を依頼する為にモックアップを作ってみた。
モックアップ(mockup)とは実物大の模型のことを言う。
実際の材料は厚さ25ミリの桐で、それを更に軽くするために穴をあけている。

イメージを何枚スケッチしてもこれだけシンプルなものになると中々感じを摑むのが難しい。
そんな時は模型でみると無駄な部分、不要な部分、弱点となる部分、意味のない部分、そんなマイナスの部分が一目瞭然となる。
それらが見えてくればそんなマイナス部分を削ぎ落とすことと、そうする意味を考えていけばいい。
考えることでその形が説得力を持ってくる。

だが余り難しく考えても面白くない。
そこにはプラスα(アルファ)の遊び心がなければそのものに余裕がなくなる。
余裕がなけれは楽しくない。
楽しくなければ飽きてくる。

この家具はカシューで仕上げようと考えている。
以前に使ったぶどう色の缶が手許にあるが、今度はもっと鮮やかな色でもいいと考えている。
そんなことを考えていたら北大路魯山人の朱色文机が頭に浮かんだ。

朱色もいいがあさぎ色や若葉色もいい、銀ねず色や青ねず色も落ち着いていてこれまたいい。
自分があたかも漆職人であるかのようにその出来栄えを夢想したが、果たしてDIYは成功するや否や...。

by finches | 2010-09-21 03:59 | 嗜好