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516■■ 真鍮と銅と鉄と木

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人間の脳というものは本当に良くできているものだと感心することがある。
例えばこんなに厚くペンキが塗りたくられたものを見て、その下に隠された素材が何であるかが分かる。

手で持つことはできない訳だから重さでそれが何であるか判断することはできない。
これだけ厚く塗装がされるとそれそれの質感の違いも分かり難い。
そんな状況で脳は目からの情報をあれこれ分析して結論を導き出す。

先ず、分厚く塗装されていてもエッジに丸みがあるか直角か小さな面が取ってあるかなどを読み取るだろう。
次に、曲がりや潰れ具合から硬さや柔らかさや厚みなどを読み取るだろう。
その次に、形から材料の特性と加工性の整合などを読み取るだろう。
そして、それらの目からの情報を組み合わせてそれが何であるかを特定する。

だが、幾つもの情報を複合しなくても瞬時の消去法で結論付けることもあるだろう。
例えば木は金属とは質感が違うし、塗装の乗りや剥がれ具合から次のステップに行かなくても特定が可能だろう。
鉄はそのエッジの形状と錆などから、例え錆の上に塗装がなされていても、木と同じく次のステップに行かなくても特定が可能だろう。
銅は上の情報の第二ステップくらいまでで特定が可能だろう。
真鍮だけは上の全ての情報を複合して特定に至るだろう。

さて、今日は待ち侘びた八幡宮の秋祭りの日だ。
筆者の脳は昔あって今はない秋祭りがそこにはありそうだと分析していて、その脳の瞬時の直感を今日は確かめに行くことになる...。

by finches | 2010-10-31 06:44 | 無題
515■■ 海鼠壁

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なまこ壁は全国各地に残っているが、外壁に方形の平瓦を貼りその目地を漆喰で蒲鉾形に盛り上げた壁のことだ。
この蒲鉾形の盛り上がりが海鼠に似ていることからその呼び名がある。

平瓦は菱形に貼ることがほとんどだが、中には水平に貼り目地を芋や馬にしているものもある。
随分と昔のことだが、江戸末期から明治にかけて活躍した左官の名工・入江長八を輩出した静岡県の松崎を訪れた時、偶然にもこのなまこ壁を修復している所に出くわしたことがある。
最初は随分細く厚みもなく貧弱だと思ったが、あの盛り上がった目地にするには何度も目地を重ね塗りしながら作ることをその時に初めて知った。

筆者はそれまであの目地は蒲鉾形をした左官鏝があって、それを使って作るものとばかり思っていた。
だが、重い漆喰を最初からそんなに厚く盛り上げて塗ることは出来ないし、綺麗にも仕上がらない。
徐々に太く厚くしながら最後にあの絶妙の巾と肉厚のなまこ壁が生み出される訳だ。
残念なのはその時に瓦と目地巾の比率を尋ねたことは覚えているが、肝心のその比率を失念してしまったことだ。

さて、写真のなまこ壁は瓦の色にグラデーションがあって面白い。
ここまで来るともはや瓦の焼き斑ではなく、明らかな意思を持って色の異なる瓦を混ぜているのが分かる。
ベースとなる灰色の色調の中に黄土色の色調の瓦を混ぜることで、そのなまこ壁は一層花やいで見え、その遊び心が何とも心憎いと思った。

この小さな壁の面白さはまだまだ尽きない。
それは横に回った時の貼り方の違いと、コーナーの漆喰の面の取り方だ。
瓦の向きを水平にしその周りの漆喰飾りは何ともユニークで、なまこ目地からこの漆喰飾りに切り替える為に、その角の漆喰は潔くスパッと45度に落とされている。
ところが、その上の漆喰壁同士の部分になるとその角は丸くなり、更にその上は直角に仕上げられて終わっている。

何ともユニークで筆者がこれまで出合ったなまこ壁の中で最も好きかも知れない...。

by finches | 2010-10-30 06:26 | 空間
514■■ 板壁

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見るようで見ないような気がして全体、近景、詳細と、三回シャッターと押した。
何の変哲もないような縦羽目の板壁だが目板で押さえてあるから、縦羽目板目板貼りとでも呼ぶのだろうか。

興味を持ったのは縦羽目板に目板が使われていることと、縦羽目板のジョイントの扱いだ。
横羽目板を目板で押さえたものはよく目にするが、縦羽目板を目板で押さえたものは珍しい気がする。
そこには二つの理由が思い浮かぶが、他の可能性などもあれこれ考えながら見るのは楽しいものだ。

次にジョイントだが、セオリー通り下の板に上の板が重ねられている然りげ無い扱いが何とも良い。
今の模型のような住宅では、この当たりの処理は全てコーキングということになり、ディテールの欠片もないどころか、耐久性に於いては何倍も古くからのものの方が勝っている。

材料に内在する弱点、避けられないジョイントの弱点、水切りと乾燥への考え、それらへの深慮が造形となって表れているところに説得力があり、だからこそそれを美しいと感じる。
こんな本物がどんどん失われていく、何とも淋しくもったいないことだ...。

by finches | 2010-10-29 06:33 | 時間
513■■ 温もり

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今朝も起きるとストーブに火を付けた。
腕時計は14℃と表示し昨日の朝より寒い。
ところが今朝目覚めた時に不思議な体験をした。

寒さ対策から掛け布団と毛布の間にもう一枚入れ補強しているが、毎朝目が覚めると大抵その内の一枚が綺麗になくなっていて肌寒さを感じるが、今朝はそれが違った。
布団の状態を手と足で確認すると確かに毛布がなくなっている。
ところが、お腹の辺りに微かだが不思議な温もりを感じた。

一昨日の夜ストーブに火を付けたのは、その日誕生日の荷物が届き、その中のワインを楽しむために自分で料理を作り、いつもと違う場所で一人このストーブの灯りでその夜を楽しみたいという思いもあった。
そしてその届いたプレゼントの中に風変わりなものがあった。

それはこれまで使ったこともなければ、これから先も使うことはないと思っていた、腹巻だった。
そして、初めてEM効果と言う言葉を知った。
早速付けてみたが初めてのせいか馴染みが悪く、別に暖かくも感じられなかった。
次の日に確かめてみると腰痛にも良いということで、半信半疑こんどは肌に直接触れるように付けてみた。

それが今朝の不思議な体験に繋がった。
それを付けていることを忘れていた無意識の瞬間に感じたあの温もり、これか、と思った。
今朝お腹に感じた微かな温もり、それを、火の温もり、料理の温もり、人の温もりの写真に替えてみた...。

by finches | 2010-10-28 06:23 | 無題
512■■ ストーブ-十月
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昨夜とうとうストーブに火を付けた。
五月に磨き上げピカピカだった真鍮のストーブはこの半年の間にまた元のくすんだ色に戻り、突然引きずり出され火まで付けられたことに慌てたように黒い煙を上げた。

今朝もストーブに火を付けた。
昨夜よりスムーズに芯を炎が回った。
腕時計は16℃と表示したが、気温より体感温度が低く感じられ寒い。

十月の下旬にストーブを必要としただろうかと考えた。
季節の緩やかな移ろいに変化が見られる昨今、秋の日に突然冬が押しかけて来てもおかしくはない。
だが、体が順応していない分、その変化についていくのが難しい。

実はこのストーブ、ちっとも暖かくない。
だから、ストーブを付けても一枚羽織ることはあっても脱ぐことはない。
だが、ゆっくりメラメラと燃える炎の灯りは、目で暖を感じることができる。

今朝は寝坊し30分で仕上げた小文だが、昨夜ストーブに火を付けたことをどうしても書いておきたかった...。

by finches | 2010-10-27 07:44 | 無題
511■■ 八幡宮裏参道

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前稿の浄水場に面してこの八幡宮の裏参道はある。
この日は戦国時代に武士の傷を癒す寺湯を起源とする温泉に向かう途中、たまたま予てから気になっていた脇道に入ったことで、あの浄水場もこの裏参道も発見することができた。
そして、今朝この八幡宮のことをあれこれと調べていて、この八幡宮だけではなくこの辺りの長い歴史を知った。

この八幡宮がこの地域に建てられた神社の中心的な存在であること、近くの山上にあった城の鬼門に当る位置に建てられたことなども分かった。
これまで気付くこともなかったが、改めて地図を見ると確かにこの辺りは神社や寺が多いことも分かった。
先の温泉の名にも寺がついていて、かつてその名の寺があったのだろうかと疑問には思っていたが、それら全てが歴史の糸で繋がっていることに初めて気付き、今朝は不思議な感動を覚えた。

もう一つ長年の疑問が解けたことがある。
それは、先の温泉名の後に上乃湯と続いているのだが、ならば、かつては下乃湯があったのだろうかと疑問に思い続けてきた。
ところが今朝、この辺りの歴史を調べていて、全くの偶然からもう一つ温泉が存在していることが分かった。
そして、この下(しも)に位置する古い温泉に対して、後からの温泉を上乃湯としたのだということも分かった。

だが、この下の湯の方は表札も出ていなければ地図にもない温泉、だが地図にブックマークは付けた、近いうちに必ず行ってみよう。
そして、もう一つ行きたい所がある。
それは先の八幡宮の秋祭り、今月末が待ち遠しい...。

by finches | 2010-10-26 04:53 | 空間
510■■ 地図にない浄水場

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興味のある場所に出合うと帰ってその場所を地図で探し名前を記したブックマークを付ける。
この浄水場もその一つだが、地図にその名前は書かれてはいなかった。
通常浄水場には名前があるものだが入口にはただ所管する自治体の連絡先だけが書かれていた。

県道に沿って一方には川と鉄道が走り、他方のこんもりとした森の中には八幡宮があった。
八幡宮の手前で県道を逸れ脇道に入り、八幡宮の森を右に刈り入れの終わった田んぼを左に見ながら緩い坂道を上ると八幡宮の裏側の参道に出た。
少し小高くなったその場所からは県道と鉄道と川を見下すことができ、県道からでは気付かなかった浄水場があった。

浄水場は鉄道・築港・疎水などと同じく明治政府によって早くからそのインフラが整備されたもので、明治期から昭和初期にかけて造られた施設には見応えのある建物が多い。
その構造は明治期の煉瓦造から時代とともにコンクリート造に変わっていくが、水と言うものに何か特別な思い入れがあるかのように、その造形には独特な趣がある。
この浄水場に気付いたのも、道から更に高くなった土手の上から僅かに覗いた建物のお蔭で、石段を昇って見ると、閉ざされた扉の向こうに芝生に囲まれた浄水場が広がっていた。

それぞれの水槽の脇には八角形をしたポンプ小屋が並び、その中には錆びたポンプらしきものが見えた。
そして、このポンプ小屋を見ながら隣り町の、あの八角形の配水計量室を思い出した...。

by finches | 2010-10-25 03:19 | 空間
509■■ 消火栓-女形

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男形とくれば女形も書いてみたくなる。
とは言っても、肩コブに対して撫で肩のようなデザインを、筆者が勝手に面白がってそう呼んでいるだけだが。

女性的な消火栓と言えば五箇山の相倉集落のものをその一番手に揚げる。
その肩から裾にかけての流れるようなデザインは、江戸の浮世絵の撫で肩と着物の裾を連想させる。
とは言っても、こちらも筆者が勝手にそのように見えると面白がっているだけだが。

男形の方は昭和43年から45年にかけて建設された団地に、女形の方は昭和38年に建設された旧図書館に残っている。
肩コブで男形とした方は小径の送水口が左右対称に付いているのに対し、撫で肩で女形とした方は大径と小径の送水口が左右に付いている。
パワーからすると前者を女形、後者を男形と呼ぶのが正しいかもしれない。

しかし、このようなものを擬人化してあれこれ考えるのは楽しいもので、パワーがあって強いのが女形、強そうに見えるが実は弱いのが男形、と言う見方もまた面白い...。

by finches | 2010-10-24 06:29 | 無題
508■■ 消火栓-男形

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男性的な消火栓を見つけた。
肩コブのように見えるデザインが何ともユニークに思える。

男性的な消火栓と言えば白川郷のものを思い出すが、こちらも筋骨隆隆にも見えるが、どこか赤ん坊の体のようなモコモコとした印象もあり、それがまたユニークに思えた。
そして、白川郷の消火栓にはこの肩コブの部分に開閉ボルトが付いていた。

写真の肩コブには開閉ボルトもなく、この肩コブはなくても消火栓としての機能に支障はないように思える。
だが、良く観察すると送水口はこの肩コブの上側でもなければ中央でもなく、下側に付いている。
そんなところに疑問を抱くと、もう筆者の内部透視の想像エネルギーは全開へ向けて働き出す。

だが、諦めて深入りするのは止めておこうと思い直す。
敢えてこうしたところにデザインの遊び心があって楽しいと、ここで止めておこう...。

by finches | 2010-10-23 05:57 | 無題
507■■ メジロの死

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柿の実に群がっていたあの愛らしい柿泥棒の一羽が死んでいた。
その小さな体はまだ生きているかのように柔らかくて温かかったが、白い縁取りの中の小さな目はもう生き返ることがないことを告げていた。

柿の実を器用に食べるメジロは何とも愛らしく、その小さな姿を見つけるのには苦労したが、そのかわいい鳴き声は木全体から聞こえてきて、枝から枝へ実から実へこれもまた器用に移動する時にそこにいることが分かった。

一度その姿を見つけると、今度はじっとそれを観察するのに時間を忘れた。
実を食い散らす様に片っ端からつつく鳥もいるが、メジロは器用に嘴の先で実を丁寧にきれいに最後まで食べてくれる。
食べ難くなると別の実に移るが、熟れた実の数には限界があって再び先行者のいた実に移ると、今度は頭全体を実の中に入れながらも嘴以外は全く実に触れることなく器用に食べる。

柿の実が食べ尽くされてしまう勢いに些か心配したが、いつの間にかその木に集まる数も減った。
恐らくここ以外でも熟した実を思う存分食べられるようになったのだろう。
今では「チー、チー」と鳴くかわいい声が時折聞こえるくらいになった。

目白押しという言葉がある。
メジロが押し合うようにピッタリとくっ付き合って枝に並ぶ様子から生まれた言葉のようだが、今度は是非その姿も見てみたい。

今その小さな体は酢橘の木の下に眠っている...。

by finches | 2010-10-22 05:17 | 無題