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535■■ 柿とバジル
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東京に戻る家人を柿の木の下に呼んで、「どれがいい?」と聞いた。
手の届く場所にあった一つを、グルグル回して枝からもぎ取り、片手に持っていた小出刃で皮をスルスルと剥き、手の平の上でそれを四等分し、三つを手渡し一つを味見のために食べた。
食べ終わるのを待って再び、「つぎはどれがいい?」と聞いた。
すると、もうすでに一個おばあちゃんの柿を食べていて、「もう食べられない」と返事がもどってきた。

筆者は柿の木に登ると、美味そうに熟れた実をつけた枝を引き寄せて、その中で一番良さそうなやつを片手でグルグル回してもぎ取り、木の下から伸びる両手に向けてそっと落とした。
そして五つの実を採り終わると、最近なんとなく身軽になったように感じる体を意識しながら、器用(?)に枝に足を掛けながら下に下りた。

柿のお供にと他の木の実もそれぞれの木から一個づつをいただいた。
鞄の中にはすでに先行者がいたようで、これらを詰めるともう一杯のようだった。
そして、車に乗る手前で枝ごと切って持ち帰らそうと思っていたバジルを見たら、すでに一本を残して綺麗に切り取られて鞄の中に納まっていた...。

by finches | 2010-11-30 07:18 | 無題
534■■ 吊るし飾り
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この飾りの風習は元々この町にあったものではなく、ここ十年とまだその歴史は浅い。
だが、明治17年に建設された住宅の中に吊るされていると、江戸時代に端を発するその飾りが何とも自然に思われた。
このような吊るし飾りの風習は柳川のさげもん、伊豆の雛のつるし飾り、酒田の傘福などとして伝わっているようで、江戸時代の奥女中の嗜みごとが彼女らの里帰りを通して庶民にも伝えられたものだと知った。

初めてこの旧廻船業者の住宅を訪れた時からこの吊るし飾りには強烈な個性を感じていて、恐らく江戸時代からこの町に続く風習だろうと勝手な想像を巡らしていた。
だがこの度その歴史の浅さを知って些か驚いたが、継承されてきた手本とする伝統を真摯に正統に受け継いだものは、その歴史に関係なく本物としての光彩を放っているように感じられた。

裕福な家は雛壇を更に豪華に引き立てるために部屋中にこの飾りが吊るされ、雛壇を用意できない家では端切れを縫い合わせて心を込めて作られたそうだ。
そして、前者はいくつもの行灯に照らされたきらびやかなもので、後者は魚油の灯りに照らされた粗末なものであったかも知れないが、共に変わることなく輝いていたことだろう...。

by finches | 2010-11-29 06:17 | 無題
533■■ 窓の中の景色

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ここでの生活も余すところあと一週間となった。
ここを離れる日まで筆者の予定は埋まっているが、そんな中最後の手助けに東京から家人が来てくれた。
一緒に今まさに紅葉が美しい古都まで出掛け用事を済ませた帰り、白壁と海鼠壁が残る夕方の港町に立ち寄った。

筆者もここを訪れるのはまだ数回目だったが、その時その時で違った時間が流れているようで、他に客のいない座敷に座ってゆっくりとその中を静かに流れる空気と時間を楽しんだ。
家人も古い調度を一つ一つ興味深か気に眺めたり、さげもんに似た飾りの謂れを尋ねたりしてゆったりとそこでの一時を楽しんでいた。

三分石を敷き詰めた庭の柿の木は隣家の白壁に薄い陰を映し、音のない静寂が支配しているかのような空間には凛とした趣があった。
そして、庭を後にして人気のない通りに出ると、鄙びた海鼠壁が続くその通りには来た時とまた違う、夜に向かって時間が流れ始めているような気がした...。

by finches | 2010-11-28 06:53 | 時間
532■■ 探検

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昼食の帰りに偶然見つけた近代化産業遺産についての興味が日に日に増している。
その用水について推論を展開している記事を見つけ、そこではこの写真をその用水路の一部として掲載していたが、地図に示された用水のルートと矛盾することから筆者もあれこれと調べてみることにした。

写真は子供の頃からずっと水道橋だと思っていたし、側には確かに水路橋という文字が書かれている。
この水路橋が架かっているのは川と鉄道と国道が平行して走っている上に片側は山の崖になっている場所で、国道からは水路橋の上半分が見えてはいるが、車を止める場所も近付くための道もない。
更に悪いことにこの手前で国道は大きくカーブしていて、そこを大型トラックがスピードを上げたまま引っ切り無しに通るものだから、車をちょっと止めることなど危険でとてもできない。

この日はどうしてもこの水路橋の下半分がどうなっているのかを確かめたくて、離れた所に車を止め歩道もない車の行き交う国道を逆戻りして線路に下りることができる場所を見つけた。
下に下りると線路も大きくカーブしていてその先は見えず、今にも来るかも知れない列車に注意しながらバラストで高くなった複線を一気に渡るのに先ず勇気を必要とした。
そして、列車が来ないか注意しながらバラストと川側との細い隙間を上流に向かって歩いて行くと、突然藪が開けあの水路橋が顔を現した。

初めて眼下に見る水路橋の足下には不思議な形の構造物が付属していて、恐らくここからポンプで水路橋まで水を揚げているのだろうが、川が増水すれば間違いなく水の中に沈んでしまうその亀のような構造物の内部の仕組を短い時間で読み解くことはできなかった。

一つだけ分かったことは、地図に描かれたルートと異なるからと言って、この水路橋が近代化産業遺産の用水の一部ではないと言い切ることはできないことだ。
何故ならそれはわざわざ水路橋と書かれているからだ。
水道施設なら水道橋と書けばいい筈で、それを水路橋としているところが解決に導く手掛かりだと直感した。
だが、一人で調べるには余り気持ちのいいものではない。
今回はいつもと違って机上調べを中心にしよう...。

by finches | 2010-11-27 05:54 | 時間
531■■ 光-十一月
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冬・冬木立、春・若葉、夏・深緑、秋・紅葉、と季節ごとに森は変化する。
そして、そのそれぞれには前と後ろの姿があって、その前と後ろにはそのまた前と後ろの姿がある。
こうして決して途切れることなく、四季を巡ってそのそれぞれの一年を繰り返す。

秋・紅葉で例えるなら、次第に葉が赤や黄色に変わっていく姿と、それが終わり次第に葉を落とし始める前と後ろがある。
そして、葉がサラサラ・カサカサと落ち始めると、森の中には陽の光が射し込んで来て、森の木々や落葉でいっぱいの地面を優しく照らし始める。
十一月も下旬となると秋から冬に季節は変わっているが、この葉が舞うように降り注ぐ中に幾筋もの光が射してくる様は木洩れ日とはまた違った静かな美しさがある。

何年で土に戻るのかは知らないが地面を覆う落ち葉は靴を通して土の感触も届かないくらいフワフワだ。
この落葉に射し込む光も時時刻刻変化するが、筆者は夕日に照らされる頃が最も美しく好きで、子供の頃だとその美しさに帰るのを忘れていると、怖い夜の闇がすごい速さでやって来て、慌てて山道をまっしぐらに駆け下りただろう。
そして、大人の今もきっとそうするだろう...。

by finches | 2010-11-26 07:29 | 無題
530■■ 木守柿

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木守り(きまもり)とは来年もよく実りますようにと、木に取り残しておく果実のことを言う。
蜜柑などにも当て嵌まるが木守蜜柑では語呂も悪く聞いたことがないが、木守柚という風習などは残っているようだ。
だが、やはりこの言葉に一番相応しいのは木守柿(きまもりがき、こもりがき)だと思う。

柿の高枝の先に二つ三つ実が残っているのは風情のあるもので、葉を全て落とした枝と柿の実の対比は何とも美しいものだ。
子供の頃からこの年になるまで、枝先に残る柿はどうしても取ることができなかった実が残っているのだろうとか、もう十分に取ったからいいだろうと残したのだろうとか思っていたが、日本にはこんな木をいたわる心優しい風習があることを、この半年以上に亘る庭の柿の木の観察を通して知った。

日本人のこんな風習は、縄文時代の採取社会から弥生時代に始まる稲作を中心とした農耕社会に変わったことがそのルーツだろう。
自然から奪い取る社会から自然と共存して育てる社会に変わったことで、このような風習も自然と育まれ、日本人の中に本質的に備わっている美意識と呼応して、こんな穏やかで優しく美しい風習と言葉を生んだのだと思う。

写真は筆者が訪れる温泉で見つけた木守柿だ。
ここでの残された後僅かの時間の中で、こんな美しい光景を目に焼き付け写真に撮り溜めたいと思っている...。

by finches | 2010-11-25 06:26 | 時間
529■■ 小学校-十一月

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小学校に桜は付き物だが、この小学校にはそれ以外に大銀杏と大カエデまである。
大カエデは学校園になっている山にあるが、大銀杏は校庭の桜に対して校舎の裏側にある。
とかく学校の裏側は殺風景なものだが、そこに黄葉した大銀杏があると季節がパッと華やいで良いものだと思った。

訪れた日は隣地の旧小学校だった場所で地域の触れ合いイベントが行われていて、小学校の校庭が駐車場となってたくさんの車で埋め尽くされていた。
昔と違って今は小学校の中を勝手にウロウロすることは憚られるが、こんな日は思う存分大銀杏のある裏側までゆっくりと見て歩いた。

ところで大カエデがある山は旧小学校の校庭から登れるようになっていた。
筆者がピカピカの一年生として桜が満開の校門を入った時、ここには木造平屋の校舎があって、カエデのある山の校庭を見下ろす場所には一台のブランコと大きなコデマリの木があった。
そう、校庭もこの山も繋がっていて少年筆者は両方に跨って飛び回り、好奇心は山頂へと向かわせ山の反対側の世界を初めて知り、眼下に見える幾つかの溜池がなんだかとても不気味だったことを覚えている。

そう言えば今もあるが当時からこの山には沢山の梅ノ木があった。
梅の実はきっと先生が山分けしていたのだろうが、そんなことを何とも思わない許される長閑な時代だったのだろう。

大銀杏の傍には金網のフェンスが巡らされ、作ることを止めた田んぼは草茫茫に荒れていた。
かつての記憶だと、この田んぼの土手は丸く曲線を描くように手入れされ、そこを歩くのが目と足に優しく気持ち良くて好きだった。
フェンスとその向こうの田んぼの址を見ながら、今の子供たちにあの手入れされ生きている土手と、それらが重層するように連なる美しい光景を見せてやりたいと思わずにはいられなかった...。

by finches | 2010-11-24 05:39 | 時間
528■■ 旧道-十一月
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現在の道路と旧道との間に十本のカエデの高木が残る場所がある。
この高木は遠くからも眺められ、この季節そこだけが紅葉して期間限定のランドマークのように輝いていた。
旧道に車を止め近付くと、サラサラ、カサカサと互いの葉が擦れ合いぶつかり合いながら、クルクルと舞うように落ちて来て、舗装されてない土のままの旧道を覆い始めていた。

この木のことは覚えていないが、この辺りは子供の頃ボロ自転車で遊びに来た記憶だけは鮮明にあって、10歳足らずの子供の行動圏が半径5キロにも及んでいたことに改めて驚かされた。
この辺りは両側を山に挟まれた道から視界が開け、道沿いに小川が流れ、鉄道が大きくカーブを描きながら道路と小川に近付いて来て、開けた斜面には田んぼが広がり、それに沿うように茶色の瓦を載せた農家が点在している。

ここで見たもの起こったこと、また5キロの道すがらに見たもの感じたこと、それら全てが今の自分の原風景にあって、今見るもの感じるもの考えるもの作るもの、それら全ての底辺となり下地になっているように思えてならない。
下地と言えば昨日お茶を飲みながら三人で漆の話で盛り上がった。
内容は割愛するが、要は下地が何より大事だということことに話は及び、その中の一人は実際に京都の漆職人の仕事を目の当たりにした時の気の遠くなるような話まで披露してくれた。
育った環境も職種も年齢も違うが、もの作りに対する真摯な姿勢は共通したものを持っていると感じる二人との会話は、短い休憩のお茶ではあったが楽しいものだった。

さて、十本のカエデの下には一台の軽自動車が木の間に頭を突っ込むように止まっていた。
助手席には毛糸の帽子が覗き、何て良い時の過ごし方をしているのだろうと羨ましく思った。
写真を撮り終え邪魔にならないように落葉の道を一気に走り過ぎたが、助手席にあったのは毛糸の帽子だけで人影はそこにはなかった。
それを横目で見ながら、なんとも微笑ましく穏やかな時間がこの木の下には流れているのだろうと思った...。

by finches | 2010-11-23 04:50 | 無題
527■■ 照る山-十一月
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日曜は昼までに仕事を片付けると、夢に見るくらい繰り返し思い出す里山へと車を走らせた。
思い出すのはその里山を染めた真っ赤な紅葉で、小さな心にその美しい世界を独り占めしている喜びを噛み締めたことを昨日のことのように覚えている。

記憶に焼き付いたその山はもっと開けていて、なだらかな斜面の一方は頂上への細い道に続き、一方は里を一望するパノラマが広がっていた。
しかしその山の木々も随分と大きくなりかつての斜面は森の一部となり、頂上への細い道も里を一望できたパノラマもみんなみんな隠していた。

細い道を頂上まで登り、落葉に覆われた木のベンチとテーブルの木の葉をそのままに、持参したおにぎりを頬張り火照った体に冷たいお茶を流し込んだ。
周りは鬱蒼と木々に覆われていたが、差し込む陽の光に全ての葉が照り輝いているようで、静かな音のない世界にひとり浸った。

こんな近くにいても山が最も美しく燃える瞬間にはなかなか立ち会えないものだ。
だがその名残の中でも十分に穏やかで幸せな気持ちを味合うことができた...。

by finches | 2010-11-22 07:45 | 時間
526■■ 海-十一月

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好きな場所なのに行かなくなった所は多い。
一番に思い付くのは尾道で、筆者が最も好きな街だった。
尾道には好きな木造の旅館があって、一階の海に面した部屋からは引っ切り無しにフェリーが目の高さで行き交う様子が眺められ、船の音や造船所から聞こえてくる音などが街の音として心地良く響いていた。
ある時その部屋から行き交うフェリーをスケッチしていると、頼んだビールを運んで来た女将が大林宣彦監督も映画の撮影でこの部屋に泊まられた時、その同じ場所からスケッチをされてましたよと話し掛けられたことを懐かしく思い出す。

当時は映画「転校生」や「さびしんぼう」に描かれた世界が尾道にはあって、何とも言えない美しい街が静かに息をしていた。
今千光寺からの眺めは余り変わらないように見えるかも知れないが、海岸線に沿うようにあった古いものが姿を消し、あの木造の旅館も佇まいを変え、露地が広い道に変わり、そこから聞こえてくる街の音も変わり、気が付くと筆者の足も遠退いていた。

写真の場所も筆者の足が遠退いた場所の一つで、かつては年に一度は訪れて変わらない景色を確かめ、港の石の堤防の美しさに時間を忘れて見蕩れたものだ。
しかし今は、海岸には塵が打ち上げられ、美しい石の堤防は消波ブロックで囲われ、沖には全く必要を感じない消波ブロックが積み上げられ、何もかも台無しにされた景色が痛い。

前稿で「筆者たちの世代がまだ日本が美しかった時代に生まれ、生きて来られたことに細やかに感謝した」と書いた。
それは正に失われたこれらの風景を回想して出た言葉だったが、同時に今はその中で磨かれる感性も失われているのではとの危惧に対して、筆者たちは良い時代を生きてきたと素直に思え出た言葉だった。

久し振りに訪れた海、ここで切り取った景色だけは昔のまま変わらない...。

by finches | 2010-11-21 07:11 | 時間