<   2010年 12月 ( 17 )   > この月の画像一覧
552■■ 翡翠シーサー

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朝起きて雪が積もっているかとカーテンを開けたが、乾燥と寒気で硬くなった土粒の上には雪が氷のように固まったかのような結晶が、庭一面まるで撒いたように広がっていた。
この季節、庭からは生けるものの色が消え、枝に残った蜜柑や餌を探す雉鳩の羽色が寒々とした庭にあって、僅かにその景色に色を添えてくれる。

実家の玄関の横と庭の入り口には一対の小さなシーサーが置いてある。
このシーサー、かつて父が中国から買ってきた翡翠シーサーの類だと思われるが、これが家の中で置物として鎮座していた時は趣味の悪い安物にしか思えなかったが、ある日母が塵として捨てるために出しているのを見て、捨てられるのなら新しい使命を与えてやろうと考えた。

家の中では悪趣味な安物の置物でも、外に置くとそれなりの景色をつくるものだ。
玄関脇から奥、庭の入り口から奥、それらの境界を筆者は結界と呼んでいるが、その結界に一対の小さな翡翠シーサーを置くと、場所を得てなかなか様になる。

時折外は粉雪が舞っている、年が明けたら本格的な雪に変わりそうな気配だ。
雪が積もったらこの小さな翡翠シーサー、結界を守る使命も威厳も何処へやら、溶けた餅のように雪の中に姿を消すことだろう...。

by finches | 2010-12-31 10:40 | 無題
551■■ 市場-十二月
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今朝は少し早いかと思いながら7時に市場に行くと、既に大勢の人だかりができていた。
天気は悪く、寒い上に小雨までが降っていた。
この時期の市場の他の季節との一番の違いは鰤がやたらと目立つことだ。
市場の入口にテントが張られ鰤だけを並べて売っている店が出るのもこの時期だけのものだ。

正月値段で随分と高目だが、取り敢えず鰈と蛸と赤海鼠を確保した。
勿論どれも生きている。
後、欲しいのは鯛と鰤で、やはり天然ものを手に入れたい。
鰤は養殖ものに混じって何本か天然ものも並んではいるのだが、どれも一本ものでちょっと我が家の人数では大き過ぎて手に負えない。
鯛もほとんどが養殖ものの中に数匹だけ天然ものも並んではいたが、少し小振りに思えた。

時間はまだ7時半を回ったところ、隣りの漁港まで行ってみた。
こちらはまだ人も疎らで、魚の準備もこれからというところ。
仕方なく昨日と同じかやくうどんで朝食を済ませ、魚を並ぶのを待った。
人の数も次第に多くなり魚も全て並べられたところで、今年は天然の鯛はないのかと尋ねると、一匹だけあると言うので透かさずそれを押さえた。

車に戻ると雨脚も激しくなってきたが、天然鰤と車海老はどこかで手に入れようと思いながら朝の市場を後にした...。

by finches | 2010-12-30 13:35 | 無題
550■■ 海-十二月
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4時起床、5時出発、6時羽田着、そして、9時には故郷の海に立っていた。
空港に着くと当座の足となるレンタカーを借り、実家を素通りして市場の立つ漁港へ行ってみた。
買物の本番は明日の朝だが何か出物でもあればと、既に片付けが始まっていることは知りながらも市場へ直行した。
一回りして、買うのはやはり明日にしようと決め、外を小雨が降る寒い市場の中で温かいかやくうどんで朝食を済ませた。

空には今にも小雪が舞いそうな妖しげな黒い雲が低く垂れ込め、遠くの海岸も目の前の港の堤防も朝日の逆光に鈍い黒さを湛えていた。
片付けが進む市場を眺めながら、明日買う魚のことを考えた。
明日からは正月価格の上に、天気が悪く漁にも出ていない最悪の条件の中、鯛、平目、鰈、車海老、赤海鼠、サザエ、鮑、鰤、蛸、鯖などが頭に浮かんだ。

寒い上にバタバタと気忙しい一日だったが、凛とした風景、一つのことに共に取り組んだ人々、懐かしく変わらない味を守る店、街は裏寂れても堅実な味のコーヒーを淹れる店、そんな触れ合いに心は和んだ...。

by finches | 2010-12-29 21:20 | 無題
549■■ 年賀状
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この時期いつもぎりぎりになって年賀状の印刷が終わる。
毎年少なくしていこうと思っているので、こちらが出しても来なかった人は次の年からは数を減らす側に入っていただくが、逆にこちらが出さなかった人から来たりするから、なかなか思うようにその数を減らすのは難しい。
そんな訳で今年も二人合わせて250枚ほどの年賀状を用意した。

ここ数年、正月に帰省する間際に出来上がることも多く、そうなると帰省先で年賀状を書く破目になる。
それも年内に書いて投函できれば気分もすっきり正月を迎えられるが、諦めて年が明けて書く羽目になったりすると、正月から急かされるようで妙に落ち着かない。
そんな年賀状も毎年最低一枚は絵柄だけのものが取ってあって、それを見るとその年その年の一年を振り返ることができる。

だが、今年は宛名だけでも少し書いておこうと、仕事場の片付けをしながら宛名書きを始めた。
最初中太の万年筆で書き始めたが、インクジェットの紙質のせいか何度もインクが途切れ、これでは時間がかかって仕方がないと断念した。
あれこれ辺りを探して、数種類の特殊なペン先の中から中太のものを選び、インク壷を傍らに置いて徐に宛名書きを再開した。
今度はペン先の走りも良く、インクが途切れることもなくスムーズに書けた。

今日も何枚か書けるだろうか。
だが、宛名書きはそこそこに、少し言葉を添え仕上たものを少しでも投函して帰省したいものだ...。

by finches | 2010-12-28 07:33 | 無題
548■■ 竹田組百年史とCD
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クリスマスの夜帰宅すると、一通の郵便が届いていた。
それは明石小学校の保存に誰よりも早く取り組んだ一人の女性からで、筆者にも彼女の保存活動を自らの方法論で全力で支えたという小さな自負がある。
その彼女が自ら保存活動の為に立ち上げたホームページを終えると言う。

一つの小学校の保存活動を通して疲れもしたし傷つきもしたことだろうと思う。
父兄という立場で子供たちの未来の為にという強い信念を持って保存活動を続けた長く切ない苦労を思うと、これまでよくぞ頑張ったと心から言いたい気持ちだった。
封を開けると送り状と共に明石小学校の建設に携わった竹田組の百年史とCDが入っていた。
彼女は果敢にも竹田組の百年史を手に入れた上に、明石小学校の建設当時の情報を更に得ようとその百年史の編集に係わった人と直接会う約束まで取り付け、三人で銀座で会って話をしたことがまるで昨日のことのように懐かしく思い出された。

そして、その日の別れ際に彼女が言った言葉を思い出した。
「この百年史が自分に必要なくなったら、その時は差し上げますから」、と。
CDと共にその百年史を見た時、やはりこれで彼女の保存運動は終わったんだと実感した。

筆者は壊されていく明石小学校について書く気にはなれなかった。
だが、明石小学校が解体され消滅した今、CDの中の、在りし日の姿、無残にも解体が進む姿、彼女が自らの足で集めた貴重な資料などを、改めて筆者は取り上げてみようと思っている。
自らのホームページを終える彼女の決断を受けて、彼女から届いた資料と未だ公表していない自らが持つ全資料を使って、もう一度明石小学校を通して復興小学校という当時最新鋭の小学校建築を捉え直してみようと考えている...。


[注]
明石小学校についての新しい記事は来年よりessay bibliophobia annexに加筆予定です。
by finches | 2010-12-27 06:04 | 時間
547■■ クリスマス

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年賀状の図柄を描き、コンテと色鉛筆で着色し、それをスキャナーで取り込み、いつものスタイルに加工し試し刷りをしてみるとなんだか赤っぽい。
どうにもそれが気に入らず、カラーバランスでシアンをマイナス70に設定し直して赤味を少し抑えた。
そして、年賀状の印刷が全て終る頃には時計は5時半を少し回っていた。
ちょうどいい時間、行きつけの店でのクリスマスは6時から、歩いて10分とはかからない。

席に着くといつものように先ずはビールから注文し、何品かの料理も見繕って注文を済ませた。
何せ料理には時間がかかり、いつでてくるか分からない料理のことを考えながら酒も飲まねばならない。
だが、一品一品心の篭った手の込んだ料理はどれも美味く、気の短い筆者をして虜になったその雰囲気と料理のせいで、今では開店以来の常連客の端に家人共々名を連ねている。
昨夜はそんな気心の知れた気の良い常連たちとのクリスマスを楽しんだ。

店主が用意したシャンパンやチキンも良かったが、不思議なことにその場にいない常連からの立派なケーキ、これがまた滅法美味かった。
心温まるクリスマスを満喫して我が家に着くと、障子紙が綺麗に毟られた組子を通して外の灯りが部屋に射し込んでいた。
明日は新しい障子紙が貼られ年越しの準備も万端整うだろうがと思いながら、障子紙のない窓からの冬の冷気に耐えながら眠りに落ちた...。

by finches | 2010-12-26 05:13 | 時間
546■■ 聖夜
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巷の喧騒を他所に昨夜がクリスマスだということを失念していた。
だがそんなことは他所に今年も蝋燭に火が点され、グロッケンで「清しこの夜」が弾かれ、赤ワインとささやかな手料理で聖夜の祝いは静かに始まった。
だがしかし、クリスマス自体を失念しているのだから、プレゼントはおろかカードの用意もない。
まずいと思いながらも咄嗟に今朝のブログをクリスマスプレゼントにすると、何とかその場を凌いだ。

目が覚めると枕元にはプレゼントが置かれていた。
まずいと思いながら、早くブログを書こうにもいつもとは要領が違う。
かなり内輪の主観的なことをどう客観的に纏めるか、そんなことをつらつらと考えた。
そういえばクリスマス礼拝にも随分と行っていないことにも気が付いた。
若い頃はクリスマスは外で楽しむものと思い込んでいたが、年を取ったせいか本当に気心の知れた人(たち)と過ごすのが一番だと思うようになった。

それは我が家でもいい、友人や知人の家でもいい、馴染みの店でもいい、旅先でもいい、それぞれの場所の空気や会話を背中に感じながら、その空間に身を置き静かに心を溶け込ますことが何より楽しいと思うようになった。
無理をしないこと、自然体であること、それさえ守れば誰にも迷惑をかけず何処ででも誰とでも楽しむことができる、そんな気がする。

今夜は馴染みの店でのクリスマス、自然体で、そして楽しもう...。

by finches | 2010-12-25 08:36 | 無題
545■■ 地図

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関東大震災の復興事業で建設された復興小学校を調べ歩くうちに、新たな疑問や興味が湧いてきた。
その疑問や興味は大正から明治へと時代を遡り江戸へと広がり、更に葦原の湿原が広がる開府前の江戸へと広がっていった。
何故そこまで興味の糸が繋がるのかと言えば、それは埋立と開削で人工的に造られた江戸という街の地勢的骨格が現在も東京という街の礎となる骨格を形づくり、今も随所に残っているそれらを古地図や現代の地図の上で発見することが何とも興味深く面白いからだ。

江戸と現在の街は随分、否、全く変わっているように思われがちだが、その骨格となった道や川などは大きくその姿を変えていたとしても、よく見ると薄くではあるが当時の面影を残していることが多い。
地図から現在のレイヤーを捲ってみると、その下には江戸の街並みや暮らしが浮かび上がってくるから面白い。

写真は筆者が持ち歩く地図だが、小さく軽く情報が豊富という意味でとても気に入っている一冊だ。
この地図の中には復興小学校や橋やかつての川筋などが無造作且つ気儘に書き込んであり、橋などは震災復興事業で建設された当時のままのものか、新しく架け替えられたものかが分かるように、また構造形式なども分かるように記号化して書き込んである。

高熱からは開放されたがまだ完全な復調とまではいかず、出掛けて行きたい気持ちを抑えて昨日の天皇誕生日は久々にこの地図を広げてあちこちと散策を楽しんだ...。

by finches | 2010-12-24 11:37 | 時間
544■■ 原っぱ
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給水塔を見ての帰り、確かこの給水塔の近くだったと、ある公園を探した。
その公園の名には「緑」と「泉」の二文字が付けられているが、給水所ができた頃この辺りは豊かな樹木に覆われ、なだらかな丘陵がどこまでも続き、その先には丹沢の山々を従えた富士山が望めたことだろう。

その公園の広場には地から噴き出るような噴水があって、暑い夏は子供たちの絶好の遊び場となる。
広場に続く深緑の木々に覆われた場所は打って変わって静かで、ゆっくりと散歩を楽しむのにもってこいの場所で、この季節真っ赤に紅葉したドウダンが美しく午後の陽を透かしていた。

この公園にはもう一つの顔があって、狭い道路を隔ててもう一つのユニークな公園へと続いている。
そこは子供たちが自由に遊べる原っぱで、遊具を自分たちで作るも良し、水を流して川を作り泥んこになって遊ぶも良し、落ち葉を集めて石焼芋を焼くも良し、木や小屋の屋根に昇るも良し、草花を育てるも良し、兎に角この公園で遊ぶ為のルールさえ守ればここは子供も親も自由に思う存分遊びを楽しむことができる。

昔はこんな原っぱがどこにもあって、そこに集まっては遊んだものだ。
原っぱに行くと学校に上がる前の子供から高学年の子供たちまでが一つの場所を共有していて、それぞれが自分たちの場所を見つけては思い思いの遊びを楽しんだものだ。
そこには暗黙の子供たちのルールがあって、強いものが弱いものを追い遣ったり苛めたりすることなど決してなかった。

原っぱで泥だらけになって遊ぶ子どもたちを見ながらそんな昔の原っぱを思い出した。
乗り捨てられた三輪車、何となく全体が泥で汚れている。
次に興味を持った子供がこの三輪車にまたがり、泥の斜面を颯爽と下る姿が目に浮かんだ。
そんな泥に汚れた三輪車が妙に輝いて見えた...。

by finches | 2010-12-23 06:06 | 空間
543■■ 給水塔-十二月

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この給水塔は我が家から西の方角に今も見ることができる。
かつてはそれより少し右側に富士山も見えていたが、古い木造の住宅が取り壊され新しい建物になってからは、もう西の空に富士山を望むことはできなくなった。
都会で望める景色というものは、こんなにも危うく脆く弱いもので、ほんの少しの隙間を通して遠くの景色や近くの木々を借景にして、日々の暮らしを楽しんでいる儚さがある。

日曜日の午後の暖かい時間を見計らってこの給水塔まで散歩に出掛けた。
高熱で寝込んでいた体への軽い運動が目的の散歩は、時間をかけてゆっくりと細い露地を選びながら給水塔へと向かわせた。

大正12年に完成したこの給水所の目玉は、一対の給水塔とそれを繋ぐ鉄のブリッジで、その球形をモチーフにした造形が何ともユニークで、筆者は好きで好きで溜まらない。
何度ここを訪れたかは覚えていないが、住宅が迫りフェンスに覆われている為に、なかなかこの良さを伝えるいい写真が撮れずにいる。

だが、そんな撮り残した風景をひとつひとつ写真の収めていかなければならない。
今の時代、いつまでも残っている保障はないのだから...。

by finches | 2010-12-22 07:25 | 時間