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582■■ 鈴本演芸場
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日曜日、図書館に行こうと浅草に向かっていたのを、急遽変更して末広町でメトロを降りた。
末広町から寄席のある上野広小路まではメトロ一駅分、12時の開場に間に合うように二つの公園と一つの小学校を見て歩いた。
二つの公園はかつて復興小公園として造られたもので、それぞれには芳林と練成という復興小学校が隣接していた。
一つの小学校とは黒門という今も現役の復興小学校で、これら三つはほぼ300mの間隔で並んでいる。
当時の復興小学校と復興小公園が500mくらいを理想として計画されたことからしても、この三者の間隔が随分と近いことに興味を覚えながらゆっくりと歩いた。

鈴本演芸場に着くと列の最後に並んで開場を待ち、前から六列目の通路側に席を取ると、弁当とビールを買い求め再び席に着いた。
開演までの間にと弁当を開き、稲荷寿司と海苔巻きをつまみながら冷えたビールをグビッと飲んだ。
そして、途中一回の中入りを挟んでの前座から取りまでの四時間を多いに笑い楽しみ堪能した。

取りは金原亭伯楽、演目は何だろうと思っていると、話は「井戸の茶碗」に吸い込まれるように入っていった。
古今亭志ん朝の「井戸の茶碗」が一番と思って何度も聞いていたが、直に高座で聞く話はそれとはまた一味違って思わず話芸の世界に吸い込まれていった。
今夜鈴本では「鈴本余一会 初笑い 金原亭伯楽落語会」が開かれる。
取りは「芝浜」、立見だが聞きたいなあ...。

by finches | 2011-01-31 05:17 | 嗜好
581■■ 旧入谷小学校
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旧下谷小学校を訪れた同じ日に旧入谷小学校の中にも入ることができた。
後者に入るのは二度目だったが、奥まで隈無く見るのはその日が初めてだった。
少し説明しておくと、前者は昭和3年の竣工で復興小学校のグループに入り、後者はそれよりも早い大正15年の竣工だが改築小学校のグループに入る。

筆者が東京の復興小学校を調べ始めてから早いもので3年近くになり当初は20校が現存していたが、一昨年港区の旧南桜小学校(昭和3年竣工)、昨年台東区の旧福井小学校(昭和4年竣工)と中央区の明石小学校(大正15年竣工)、そして今年に入って中央区の旧鉄砲洲小学校(昭和4年竣工)が次々に解体され、現在その数は16校に減っている。
その内実際に現役小学校として使われているのは半数の8校で、その中の1校(中央区明正小学校)は既に解体の予定に入っているのが現状だ。

さて、旧入谷小学校の内部は階段や廊下や普通教室の一部に昔の面影を残していた。
教室の3つの窓からの明るい日差しは廊下側の窓と扉まで届き、竣工当時から変わらない木製の黒板二つと廊下側の回転窓が、まるで静寂の中に置き去りにされたように残っていた。
黒板や窓や扉の枠からは今のものより数段上の仕事振りが伺え、85年という長い時を経て狂いもなく、寧ろ使い込まれた中に気品と美しささえ感じる先人たちの仕事を温かい気持ちで眺めた。

二つの校舎にはそれぞれに趣があった。
だが、それは過去や古いものへの郷愁などではなく、一つの思想に貫かれて造られたものが時を経て決して色褪せないことへの尊敬の回顧であり、今こそこれら本物の空間に沁み込んだの建築の記憶を未来に継承し、その思想を伝承していかなければならないと思った...。

by finches | 2011-01-30 03:54 | 近代モダン小学校
580■■ 旧下谷小学校
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待ち合わせ場所の旧下谷小学校は上野駅の近く、待ち合わせ時間には十分な余裕があり二つ手前の神田でメトロを降りた。
そこから旧下谷小学校までの間には3つの復興小公園があり、それらを見ながら行こうと思ったからだ。
初めての道を通勤の人の群れに逆行するように歩き、普段なら絶対に気付かないと思うような場所にある狭い階段を上がり神田川に架かる歩道橋を渡った。
歩道橋の上からは朝の光に輝く震災復興橋梁・美倉橋(昭和4・スチールアーチ橋)も望めた。

3つの公園を見ようと歩き出したものの、思いの外上野までは距離があり、結局御徒町公園を一つ見ただけに終わったが、かつてこの公園には復興小学校・御徒町小学校が隣接し、今は中学校に変わってはいるが、当時の公園との繋がりを想像するには十分だった。

さて、旧下谷小学校を訪れるのは昨日で3度目だったが、初めて校舎の中を見る機会が訪れた。
中に入るとかつての昇降口は薄暗くひんやりとしていたが、柱や壁に腰高より少し上まで貼られた桜色のラスタータイルがほんのりと浮かび上がり、漆喰が塗られた柱や梁は角のない柔らかな幻想的な翳をつくり、板張りの薄暗い廊下は往時の面影を残し奥へと続いていた。

学び舎の建築の記憶、そんな凛とした空気を毛穴の奥まで感じながら、軋み音を立てる木製の階段をゆっくり、静かに上った...。



[補記]
下谷小学校は改めてessay bibliophobia annexの方で取り上げます。
by finches | 2011-01-29 05:45 | 復興小学校
579■■ 東京スカイツリー

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昨夜、とある倶楽部の総会に出席し、その後の特別講演で「東京スカイツリーの今」と題する話を聞くことができた。
話をしたのは工事を行っている大林組建設本部の副本部長で、今までただ街の中の風景の一つとして捉え眺めていたものを、実際の工事の様子やそこにある超高レベルの技術などを交えながらの話となると、もう釘付けになり思わず身を乗り出して聞いていた。

極度の高所恐怖症の筆者は350mと450mにある展望台に昇れるか全く自信はないし、分速600mのエレベーターにも余り乗りたくもないが、上から縦横に走る江戸の川筋を眺め、利根川、江戸川、隅田川の水運ルートを地図と見比べながら探り、人工河川荒川と中川、隅田川の河川改修の歴史を資料を見ながら辿り、などなどやってみたいことは山ほどもある。

さて、そんな東京スカイツリーを撮った一枚を今朝の写真に選んだ。
手前の橋は永代橋で、振り向くと見えたから撮っただけだが、これからはこの巨大なタワーへの関心も今までとは変わりそうだ。
今までは坦々と上へ上へと伸びていくタワーをただ当たり前のように眺めていたが、高性能レーザーやGPSを駆使しそれらをリアルタイムにコンピューター解析しながら進む建設工事の生の姿を知り、何よりそこに係わる人と触れることができたことで、それは急速に身近な存在に思えて来た。

そして、次にこのタワーを見る時は、そこで働いている人、全国でこの仕事に係わっている人、この工事を様々な場所から眺めている人、きっとそんな人のことを頭に思い浮かべながら眺めるだろうと思った...。

by finches | 2011-01-28 05:36 | 無題
578■■ 音無橋灯具
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初めて音無橋を訪れたのはちょうど桜が散る頃で、水面を桜の花びらが埋め尽くしていた。
川面と書かず敢えて水面と書いたのは、そこで見たものは水の流れこそあれ川とは程遠い、石を敷き詰め公園として整備された不思議で異質で、何とも不自然な空間だったからだ。

橋自体は昭和5年に完成した三連のコンクリートアーチ橋そのものに違いなかったが、アーチ部分以外には石が貼られ、橋中央部には両国橋で顕著な近年の橋改修に多く見られる半円形に突き出た展望バルコニーが増設され、コンクリート製の欄干はプレキャストと鋳物に変えられ、それら全てが不似合いな衣装を無理やり纏わされているようで、何ともその不自然さが橋の下に広がる不自然な空間と共に、強い違和感を抱かせたことを覚えている。

さて、竣工当時の写真を見ると、垂直線を強調するように伸びた三連アーチの橋脚部分にコンクリート製の欄干がぶつかり、この橋脚上部に4個のカプセルのような灯りがレリーフが施された鋳物の柱に御用提灯のように付いている。
また、竣工当時の写真には現在のような外灯は写っていない。

写真に写るこれらの灯具は鋳物の柱を含めて当時のものではなく、新しく作り変えられている。
古い物のように見せかけているが鋳物の柱のレリーフ模様は当時のものとは違っているし、灯具もカプセル状の形や大きさは当時のものを踏襲し写し取ってはいるが、金物部分の手の込んだ意匠などは全て簡便なものに変えられている。

この灯具、竣工当時の写真を見つけるまで、当時のものを直し再生させたものだとばかり思っていた。
だが、新しくなったとは言えこれらの灯具と往時のままのアーチは、間違いなく音無橋の面影を今に伝えている...。

by finches | 2011-01-27 05:04 | 時間
577■■ 愛宕隧道
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これまで何度もこの隧道は通っているが、三つの印象を持っていた。
一つは写真に写っている坑門の正方形の意匠が近年の改修によるものだと思い込み好きになれなかったこと。
二つ目はかつてこの坑門側を西久保巴町、反対側を愛宕町と呼んでいたが、愛宕山を挟んで趣を異にする旧西久保巴町側の雰囲気が好きだったこと。
三つ目は隧道の形で、放物線とは珍しいといつも思いながら通り抜けていたこと。

愛宕隧道は震災復興事業により昭和5年に完成したものだが、筆者が好きになれなかった両坑門の正方形の意匠も実はその当時のものだ。
次に筆者を珍しいと唸らせた曲線だが、単純なアーチでないことは一目瞭然なのだが、果たしてそれが放物線なのだろうかと調べてみた。
楕円、サイクロイド、パラボラ(放物線)、カテナリー、と円以外で思い付く曲線について調べてみたが、可能性としては馬蹄形が近いようだ。

馬蹄形アーチ環という言葉から更にあれこれ調べを進めると、当時建設されていたトンネルの形状が馬蹄形であることが分かった。
だが馬蹄形だと円の中心線の少し下あたりから、その中心と直径を変えて下に向かう形になりそうだが、この隧道はどう見ても放物線、否、カテナリーに思えてならない。
カテナリーは懸垂曲線と呼ばれ両手でロープを持って垂らした時にできる曲線で、重力に逆らわない最も安定した形だ。
ガウディがサグラダ・ファミリアで行った懸垂線実験は有名な話で、実験で創り出された懸垂曲線をひっくり返したものがサグラダ・ファミリアの骨組みで、重力に逆らわない構造をガウディはこうして導き出している。

更に調べていて愛宕隧道の工事に関する論文を見つけた。
その中の図面を見ると円の組み合わせによってこの曲線はできていることが分かった。
しかし、円の中心を横にずらすことでカテナリーに近い曲線を作り出していることが分った。

いつも放物線とは珍しいと、心の中で呟きながら通り過ぎていた曲線。
今朝はそれを自分なりに解明できたことが喜ばしい...。

by finches | 2011-01-25 03:07 | 復興
576■■ 零戦と図書館
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零戦と苦闘すること3時間、気が付くと時計の針は午後の1時になろうとしていた。
昨年、半年以上東京を留守にしたせいで、今では作り終えた数より手付かずの数の方が多くなり、ずらりと並んだ未開封の40箱の零戦がプレッシャーをかけている。
日曜の朝、一箱分でも片付けようと始めたものの、結局主脚の根元にピンセットでもうまく摘めないくらいの極小部品を二つ付けただけで、その次の工程は何度やっても上手くいかず、結局説明書にある瞬間接着剤での固定を諦め、ネジ孔を加工しマイクロビスで固定する改造を決断して作業を終えた。

この日は復興小学校を調べに図書館に行く予定で、昼前には家を出て途中で軽く昼食も取ろうと決めていたが、その予定は零戦のせいで大幅に狂いに狂った。
虎ノ門でメトロから地上に出ると、いつもの道を東京タワーに向かって進み、愛宕山のトンネルを抜けると旧愛宕高等小学校を横に見て、次に愛宕小学校があった場所を歩道橋の上から眺め、六つの復興小学校が統合されて生まれた新参・御成門小学校の横を通り、芝公園の端を抜けて図書館に着いた。

この図書館での座る席はいつも決っていて、着くと事前に調べて来た本の検索をかけて書庫出納を依頼する為の出力を済ませると、それを持ってレファレンスカウンターに向かった。
昨日は結局7冊を書庫から出してもらい、書架からも同じ数の本を取り出してあれこれ調べた。
5時の閉館で少し暗くなり始めた館外に出ると、今は無き鞆絵という復興小学校の跡地に回ってみた。
ユニークな平面を持つ鞆絵の姿をその更地の中に思い描きながら、ここからは東京タワーが空に高く伸びていく様子も望めただろうと想像した。
そして、その場所を後にし暗くなった道を曲がり少し歩くと、ビルの間からオレンジ色に夜空に浮かび上がった東京タワーが、少し前想像した正にその方向に大きく輝いて見えた...。

by finches | 2011-01-24 07:12 | 時間
575■■ 数独
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朝起きると、スタンドを点け暖房を入れ膝掛けをし、椅子の左の肘掛に電子辞書を置き、右側のスツールの上にiPadを置き、そしてノートパソコンの電源を入れて床に置く。
その後で、去年のいつ頃からかは忘れたが、数独を一回することが習慣になっている。

寝起きが悪いわけでもないし、別にウォーミングアップのつもりもないが、勝ち負けのないこの一回の数独は朝のスタートにはいい。
勿論、寝起きから難しいのは真っ平で、そうかと言って余りに易しいのも朝からシャキッとしない。
だから、Easy・Normal・Hardの中からいつもNormalを選んでいる。

それが終わると床で出番を待っていたノートを膝に乗せ、ブログの下書きを始める。
そして、その日のテーマに関係ありそうなものは、思いつくまま興味の向くまま調べてみる。
調べていてどんどん横道に逸れることもあれば、面白いように調べが進んで時間を忘れることもある。

勿論、今朝の数独も調べてみたが、数独が「数字は独身に限る」の略だということも初めて知った。
数独に出合ったのはANAの機内誌「翼の王国」だったが、往きにやり終えてしまうと還りが物足りない思いから、文庫大のSUDOKUを買って持ち歩いていたが、だんだん難しくなっていつしか投げ出していた。

携帯電話の脳力を測るソフトを試してみると筆者の脳年齢は20才だそうだ。
このテストを毎日繰り返すことで脳の若さを保つことが出来るそうだが、どうも挑戦するという構えで臨んでしまうのが健康には悪い気がする。
その点、数独は背理法を駆使して解くような難解なものでなければ、頭と体の健康に持って来いだと思う...。

by finches | 2011-01-23 06:03 | 無題
574■■ 明日館
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いつもは直近またはその朝撮った写真を使うが、ここ数日のように何となく以前に撮った写真の中から引っぱり出して来ることもある。
それは何となく写真を見ていて、これを使ってみよう、これで何かを書いてみよう、と思った時にそうするだけでそこに特段の意味はない。

明日館はフランク・ロイド・ライトが設計し大正10年に完成した自由学園の校舎として余りにも有名だが、老朽化のために保存修理の工事が行われた。
とは言ってもそれはもう十年前のことで、写真はその保存修理を終えた明日館の見学会の時のものだ。

更に前のことになるが、改修前の傷んだ建物の中にも入った記憶がある。
また、ライトの弟子である遠藤新の設計で昭和2年に完成した講堂は、友人の音楽家のコンサートで一二度訪れたこともあり、知人のクリスチャンがこの学校の出身ということもあって、何となくこれらの建物には身近な親しみがある。

創立者夫婦の目指す教育理念に共鳴しライトはこの建物の設計を行うが、「簡素な外形の中にすぐれた思いを充たしめたい」、という夫婦の願いは重要文化財となった今も生き続けているように思う。
それは、この建物が動態保存というコンセプトに貫かれ、オリジナルの復原、恒久性を高める工夫、活用のための改善、これらの言葉に求め続ける理念を強く感じるからに他ならない...。

by finches | 2011-01-22 05:19 | 空間
573■■ ウツォンの集合住宅ーつづき
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前稿でウツォン(Jorn Utzon)について、シドニー・オペラハウスをデザインしたと敢えて書いたことと、括弧書きで辞任と補足はしたものの解任と書いたことが、果たして正しかったのかと少し気になった。
小文とは言え文を書くことの責任と危険(落とし穴)がここには潜んでいて、悲運の建築家とその建築家の誠実さが創り出した集合住宅とを、恣意的に結び付けた表現を無意識とは言え選んだ、作為的な言い回しだったかも知れない。
但し、自分なりにその背景を理解し考えた上で、自分の視点で見直し自分の言葉に置き換えたものを訂正するつもりはない。

今朝これを書く前にウツォンの辞任について書かかれた論文に目を通した。
そして改めて、ウツォンはシドニー・オペラハウスを創り出した建築家であり、ウツォンがこの仕事を途中で離れたのは建築家としての強い意志と信念を持っての辞任であった、とこの部分だけは正確を帰しておかねばならないと思った。

さて硬い話はここまでにして、写真は前稿と同じ集合住宅を別の角度から見たものだ。
敷地は左奥に向かって緩やかに傾斜していて、建物はその傾斜に合わせて下がっている。
程好いスケールと落ち着いた色彩の集合住宅が、地を這うように土地や自然に静かに溶け込んでいる。
世界文化遺産になったシドニー・オペラハウス、やはりウツォンの建築は誠実さに溢れ、優しく、そして何より人への温もりに満ちている...。

by finches | 2011-01-21 04:44 | 空間