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631■■ 安曇野の屋敷林

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信州の友人から冊子『安曇野の屋敷林』が送られて来た。
穂高、豊科、明科の三町と、堀金、三郷の二村が合併して生まれた安曇野市の屋敷林を調査しまとめたものだ。
改まって安曇野市などと言うのはどうもよそゆきでピンと来ないが、やはりここは安曇野という呼び名がピッタリと来る、そんな場所でのすばらしい取り組みだ。

送り状には、8年前から屋敷林を調査していて、やっとグループで資料化したので送ると書かれていた。
ページをめくると、巻頭の挨拶文でこのプロジェクトのリーダーを務めた友人が『先人の知恵が息づく屋敷林』と題して一文を添えていたが、それを読むとこれまでの8年間の取り組みを通しての思いが心地よく伝わってきた。
そして、そのお礼のメールでは思わず、すばらしいしごとをしたこと、それを羨ましく思うことを素直な気持ちで伝えた。

巻頭の別の挨拶文には次のように書かれていた。
「(前略)屋敷林は、陰影のある景観のためには欠かせない構成要素です。もしこれがなかったら、安曇野は平板な一盆地に過ぎないでしょう。北アルプスの峰々を背景にし、川や堰に沿う緑の回廊、その空隙を埋める屋敷林と寺社林、これらがあってこそ安曇野だと思います。(後略)」

各ページには様々な説明が添えられ、屋敷林と合わせてその近景や遠景には様々な安曇野の構成要素が溢れていた。
有明山と常念岳、蝶ケ岳など北アルプスの山々、土蔵、繭蔵、土塀、本棟造、雀返しなど独特の地域性を持つ築造物、風景にそっと置かれたようにある道祖神や火の見櫓、そんな安曇野をつくる構成要素が豊かに溢れていた。

お世辞は言わない、得心しない限り褒めもしない。
だが、このしごとはすばらしい、すばらし過ぎる。
筆者は焦る、自分も何かを始めなければ、何かをやらなければと...。

by finches | 2011-03-31 04:29 | 時間
630■■ 極早稲玉葱の味
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東北関東大震災が起きた後、西の方に住む友人が心配して連絡をくれた。
その数は一府二県から五人に及んだ。
東京にいても太平洋沿岸の津波被害が連日報道される中、仙台をはじめ内陸部の地震被害の状況はなかなか摑めず、具体的な被害の状況を知ったのは随分と後になってからだった。
況して地方から報道を見ていると、東京での様子などは直接その状況を聞かない限り、その時の地震の程度や被害の状況などを知る術は皆無と言っても過言ではないだろう。
だから、あんな恐怖は初めてでもう駄目かと思ったとか、本棚の本が全て落ちたとか、倒れそうな本棚や机から滑り落ちそうな物などを必死に押さえたとか、あらゆる物が散乱して足の踏み場もなかったとか、そんな様子を話して初めて東京での状況が伝わった。

連絡をくれた多くは、何か送るものはないかと聞いてくれた。
何人かはどうやら既に東京にトイレットペーパーなどを送った様子で、それらが窮乏して困っていると思ってのことだった。
東京のスーパーでミネラルウォーターが売り切れという報道がされると、水は大丈夫か、困っていないか、送ろうか、と聞いてくれた。
こちらから地方の様子を逆に聞いてみると物流連鎖に因るのだろう、地方でもミネラルウォーターが潤沢にあるわけではなさそうだった。

毎年五月の中旬になると早稲の玉葱を送ったからと、送った後で電話があった。
だが今年の電話はその時期よりも早くそして送る前にあり、水など他に困っているものはないかと尋ねられた。
普段はミネラルウォーターを買って使っているが、こんな状況の中でそれが手に入らなければ水道の水で事足りると思っている。
だから別に大丈夫ご心配なくと答えたのだが、届いたいつもの年よりやや大き目の箱を開けるとミネラルウォーターが入れられていた。
極早稲の玉葱、ピチピチのサツマイモ、キュッと締まったキャベツ、旬のイカナゴのくぎ煮、そして2本のミネラルウォーター、何ともありがたくその心遣いに心から感謝した。

いつもより早いそれも極早稲の玉葱を見ながら、これは玉葱を送ることを口実に水を送ろうとした心遣いではないかと考えた。
そして何とも奥ゆかしくシャイな夫婦の笑顔を想像した。
一昨日の夕食から早速その玉葱を堪能しているが、極早稲の玉葱は足も速い。
怖い目にあった東京の友人たちにも、この早春の甘い味のする極早稲玉葱を早くお裾分けしてあげよう...。

by finches | 2011-03-30 05:46 | 無題
629■■ 輪番停電
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輪番停電ということばを初めて知った。
広辞苑を引いてみると、輪番は大勢の人がかわるがわる順番にすることとあった。
だが、輪番停電は直ぐに計画停電ということばに改められた。
こちらの方が何やら計画的に物事を行うように聞こえるが、計画にははかりごと(謀)という意味もある。
輪番停電とはあくまで東電の符帳であり、対外的には計画停電と言うのだろう。

言われるまでもなく節電には努めているが、この輪番停電の対象エリアではなく電車にも乗らずに済んでいるせいもあって、幸いにも特段不便を感じることなく生活は送れている。
そんな中コンサートの中止を知らせる葉書が届いた。
その葉書には、東北関東大震災が起きたことで、収益を全額義援金として寄付するチャリティーコンサートに切り替えて行う予定だったようだが、計画停電の影響で会場のホールが当日閉館になったと書かれていた。

葉書の主であるピアニストにはコンサート中止の連絡からチケットの払い戻しへの対応まで、本来やる必要のない仕事の負担がのし掛かり、ピアノデュオのために準備したチケット、ポスター、プログラム、そして費やした時間など、その全てが徒労に終わった悔しさが残る。
しかしそれよりも、被災地に収益の全てを義援金として送ろうと、チャリティーコンサートに切り替え取り組もうとしていた気持ちまでが断ち切られ、それこそが断腸の思いとして心に深く残る。

大勢の人がかわるがわる順番にする輪番とは、皆が痛みや不便を負う意味を理解し、それを共有してこそ受け入れられるものではないだろうか。
だが、この度の原発事故による計画停電は、そもそも東電の傲慢体質がその発端にあることを、国民は決して許しても忘れてもならないと思う...。


[注記]
不眠不休、劣悪危険、そんな状況と環境の中で決死の思いで復旧作業に携わっておられる東京電力社員の方々には頭が下がる思いでいます。
拙稿で言うところの「東電」とは経済産業省からの天下りを含めた東京電力経営陣を指すのであって、一般の東京電力社員を指してのものでは決してありません。
by finches | 2011-03-26 03:51 | 無題
628■■ ポストと津波の高さ
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今朝も着衣はもとより、肩掛けを首に巻き、腰から足先までを毛布でくるんだ防寒対策をしている。
しかし、しばらくは我慢していたが今朝の寒さには堪えられずエアコンのスィッチを入れた。
被災地の生活を思う時、出来る我慢はし出来る不便は自らにも課そうなどと、偉そうなことを言いながら何とも情けない体たらくだ。
求めてもそれが叶わない環境に置かれている者と、その環境を自由に変えることができる中で我慢をしている者との違いを改めて考えさせられる。
ところで昨日やっと義援金を日赤に振り込んだ。
こちらの方は我が家にもポストを用意し、毎日の生活の中で少しづつではあるが溜めて、微力だが継続することで被災された方々のお役に立てればと思っている。

さて、いつかこのテーマで書く日が来ると、過去の津波の高さを調べて待っていた。
津波の被害で原子炉を冷却する為に必要な電源と、更にはその非常用電源までもが全て失われた福島第一原発とは、一体どれくらいの高さの津波を想定して設計されていたのかを知りたかった。
昨夜の報道で初めて福島第一原発での津波の高さが14メートルであったことと、それは想定した津波の高さの2倍以上であったことを知った。

 アリューシャン地震(1946年、M7.8)ではウニマク島の海抜40メートルの灯台が破壊。
 十勝沖地震(1952年、M8.2)では厚岸湾で6.5メートル。
 チリ地震(1960年、M9.5)ではチリ沿岸で18メートル、三陸沿岸で6メートル。
 十勝沖地震(1968年、M7.9)では三陸沿岸で5メートル。
 スマトラ島沖地震(2004年、M9.3)ではインド洋で平均10メートル、地形によっては34メートル。
 チリ地震(2010年、M8.8)ではチリのティルア沿岸で30メートル。
 これらは皆津波の高さだ。

日本沿岸の津波の高さだけを見ても福島第一原発の7メートルという津波の想定高さが有り得ない数値であることが分る。
原子力施設であることから仮に安全率を200%と想定すると、14メートル以下の部分に原子炉の運転に障害を来たすような主要設備を配置することは万が一にもあってはならないことになる。

津波被害を繰り返して来た歴史を持つ東北に立地する原発をしてこの甘い想定からすると、福島第二をはじめ問題の多い静岡県の浜岡原発などは活断層との関係も含めてどうなっているか空恐ろしい限りと言う他はない。
少し時間をかけてこの問題の本質にあるものを考えてみようと思う...。

by finches | 2011-03-24 05:54 | 無題
627■■ 春分の日
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春分の日は終日雨だった。
ちょうど19年前の春分の日に婚姻届けを出した。
当時は仕事がもう自分の限界を超えていて悲鳴を上げるくらい忙しく、それでも何とか時間を工面して等々力駅前の区役所分館の夜間受付に二人で届けを出しに行ったことをよく覚えている。

もっと感動するものかと思った届けはあっけないもので、何だこんなものかと思った。
その後バスに乗ったか歩いたかは覚えていないが、予約を入れておいた深沢にあった藤の家という店でささやかに祝った。
深沢は東京でも緑の多い所で、藤の家をはじめ感じの良い小さな店や、和食器での食生活のきっかけとなった小さな焼き物店などは自分の嗜好にピタリと合った。

ところが毎年その日を筆者は失念し、家人の今日は何の日との問いかけに、その日を思い出してきた。
昨夜もそんなやり取りを経て、ささやかに19回目のその日を祝った。
そして、今ここに生きてあることに心より感謝した...。

by finches | 2011-03-22 06:03 | 時間
626■■ 想定外と放射能汚染
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SPIEGEL ONLINE





日曜日は外出を自粛して過ごした。
自身が今回の地震で強い恐怖を体験したこともあって、まだもとの鞘におさまってしまう気にはなれない。
とは言っても世間が共有している情報からそれらを取り上げ、あげつらうのも気が重い。
だが、頭の中ではっきりと見えているもの、それを何とか整理しまとめなければ、どうも鞘にはおさまりそうにない。

想定外という言い方が鼻に付いてならない。
想定外ということばを使うことができる津波による被害と、想定外ということばを使うことは許されない原発事故とが混在し、これらがまるで一つのことのように扱われているが、ここは分けて考えるべきだと思う。
後者の方は津波による冷却装置への電源供給のストップなどの被害にしても、決して想定外として前者側に入れてはならないと考える。
そのあるまじき想定外が生んだ甚大な人災の責任は重い。

地震が起きてからずっと想定外ということばについて考えている。
そして原子力安全保安院という組織を注視するとともに調べも進めている。
日曜の朝もこの保安院の緊急会見を見たが、今だに原子炉の図解もない分かり難い説明に終始する様は、正にこの組織の体質そのものを表していると感じた。

分かり難いと言えば、放射能の飛散状況の説明など測定値に一喜一憂するのではなく、広域にその影響をシュミレーションし発表する義務があると思う。
それこそ原子力安全保安院がやるべきことだろう。

そんな中、ドイツのメディアSPIEGELによる福島第一原発の放射能汚染拡散についての3Dシュミレーションが発表された。
その他にも鮮明な写真、原子炉の模式図、ビデオなども用意されているので、是非下のリンクを確認していただきたい。

 http://www.spiegel.de/wissenschaft/natur/0,1518,750835,00.html

そして、測定データを示しながら相変わらず人体には影響ない、と言い続けるこの国との違いも考えて欲しい...。

by finches | 2011-03-21 02:43 | 無題
625■■ 雄勝硯
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男鹿半島があるのは秋田県で「おが」と読む。
牡鹿半島があるのは宮城県で「おしか」と読む。
中学生の頃この二つがよくこんがらがって、そのたびに地図を広げて確かめた。

その牡鹿半島は古くは遠島(とおしま)と呼ばれ、今では民謡の遠島甚句にその名が残っている。
江戸時代のはじめにこの遠島に鹿狩りに来た伊達政宗に二面の硯が献上され、政宗はそれをいたく喜び褒美を授けたという言い伝えが残されている。
恐らく牡鹿半島の名の由来は当時の遠島に多く生息していた牡(おす)鹿と思われるが、牡(おす)は雄(おす)と名を変え雄勝(おがつ)という地名を生んだのだと思う。
今も雄勝は硯の名産地として知られているが、鹿と硯が取り持った縁が雄勝硯の名に残されている。

この牡鹿半島の西には石巻、付け根には女川町、雄勝町はその少し北に位置する。
共にこのたびの津波では甚大な被害を受けている。
筆者の友人がこの雄勝の出身で、これまでいくつも硯をいただき今も大切に使っている。
その友人の家は東京にあるが正月に雄勝に帰ると、入れ替わり立ち替わり親戚の人たちが集まって、何日も宴会が続いて大変なのだと嬉しそうに話していた。

その雄勝の被害を目にしたが、友人への連絡はまだ取っていない。
あの明るい叔父さんのこと、親戚の方々のこと、とても「大丈夫でしたか」などと聞けはしないからだ。
あの公民館の屋上に観光バスが載り、小学校の屋上に家屋が載る被災地が無事であろう筈がない。

もっと早く深い入り江が美しいその友人の故郷を訪ねておけばよかった。
話に何度も登場した温かい人たちともっと早く会っておけばよかった。
硯を作ってくれた叔父さんにもっと早く会ってお礼を言えばよかった。
だが、今できることは一人でも多くの無事を知らせる友人からの電話をただ待つことだけ...。

by finches | 2011-03-20 03:58 | 無題
624■■ 花
2011年3月11日午後2時46分に発生した東北関東大震災から一週間が過ぎました。
改めて、罹災された方々へのお見舞いと、亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
そして、ことばにするのもはばかられるこの難局を何としても乗り切られますよう心より願い祈っております。


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三陸を訪れてから早いもので20年が経つ。
釜石製鉄所が高炉を停止し一度その工場を見ておきたいと思ったのだが、訪れた時溶鉱炉は既に解体され一本の高い煙突が聳えていたことが印象に残っている。

この時のもう一つの目的は三陸鉄道に乗ることだった。
盛岡を悠然と流れる北上川にひとしお感動した後、バスで久慈に向かった。
その途中にあった「別れ」というバス停が今でも記憶に焼き付いている。

海側の景色を楽しもうと久慈から三陸鉄道を南下したのだが、海が近くに見えたという記憶は一箇所だけで、後は海から離れているかトンネルばかりだった。
後で考えてみると、リアス式の切り立った海岸近くに鉄道を通すことなど不可能だと思った。

釜石に降りたことは確かだが、その先どう回ったのかは覚えていない。
というのはこの時の旅は記録がまったく残っていないからだ。
いつもはカメラを手に出掛けるのだが、この時はカメラを持たず旅やその思い出を俳句に残そうと出掛けた。
 [注:記録がないのはその時の手帳を紛失したため]

季節がいつだったのかも覚えていない。
だが、そばの花が咲いていたから秋口だったのかもしれない。
他にも庭先や畑や畦道などに、色とりどりの素朴な花が咲いていたことだけは鮮明に覚えている。


  貧しさに克てとばかりにそばの花

その時詠んだ句でこれだけを覚えている。
色とりどりに咲く素朴な花がこの地方の風土と暮らしを代弁しているようで、何だかもの悲しく感じられた。

あの時三陸鉄道から見た景色がみんな津波に消えた。
だが、そこにももう直ぐ花が咲き始める。
そして、その花が人の心を癒し支えになることを祈ってやまない...。

by finches | 2011-03-19 06:20 | 無題
623■■ ことば
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朝は暖房を入れない。
朝食まで灯りは点けない。
暖房便座の電源も切っている。

別に節電に協力してのことではない。
罹災地の生活を思う時、できる我慢はし、できる不便は自らにも課そうと始めたことだ。
義援金も今日にでも行動に移そう。

大声で怒鳴りたい。
政府、原子力保安院、東電、大学教授、その危機意識の低さ、鈍感さ、無責任さ、隠蔽体質、回避と保身、本当はそれらを糾弾したい。
しかし、大声を上げたいのは罹災者であり避難を余儀無くされている人たちの方に違いない。
だから、大声ではなく静かに、この現実から見えてくる、この現実が語る、その中にある本質をしっかりと見据え考えなければならないと思う。

被災地以外での買い漁り、買い溜め、近くのスーパーでも幾つもの商品がなくなっていると聞く。
復興へ向けての円投入を見越した円買い、そのハイエナのような投機マネーによる円高、大きい小さいはあれどこれらは同じ、背景にある人間のエゴに何ら差はない。

東京都知事の石原慎太郎はこの人間のエゴを我欲と言った。
「我欲に縛られ政治もポピュリズムでやっている。それが一気に押し流されて、この津波をうまく利用してだね、我欲を一回洗い落とす必要がある。積年たまった日本人の心のあかをね。これはやっぱり天罰だと思う。被災者の方々、かわいそうですよ」 (3月14日)

石原慎太郎の言葉からは、上に書いた人間のエゴ(我欲)と、その人間がつくり出した社会(ポピュリズム)そのものへの批判と、今こそそれらを是正するチャンスだと読むことができ、その我欲を戒めポピュリズムではない良き日本人の姿をこの機会に取り戻そうと言いたいのだと思う。
しかし、視点の中心にある指摘は間違っていなくても、天罰などと被災者を鞭打つような、大いなる誤解を招く加虐的な表現はよろしくない。
 [注記:天罰発言は3月15日に撤回]

一方でこんな報道も目を惹いた。
ワシントン時事:
 「なぜ日本では略奪が起きないのか」
 「災害に付き物の略奪と無法状態が日本では見られないのはなぜか」
 「それは、敬意と品格に基づく文化だから」

米ロサンゼルス・タイムズ紙:
 「非の打ち所のないマナーは、まったく損なわれていない」
 「巨大な災害に見舞われたにもかかわらず、思いやりを忘れない日本人たちを称賛」

この未曾有の大災害、高潔で思いやりのある日本人を取り戻す最後のチャンスかもしれない...。

by finches | 2011-03-18 04:54 | 無題
622■■ 折れた色鉛筆
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書棚の本は書棚から落ちただけ。
机の上のものは机から落ちただけ。
物入れの中のものは棚から落ちただけ。
床に置いてあったものはそこに倒れただけ。
壁に立て掛けてあったものは床に倒れただけ。
机や重い書棚も動いただけ。
壊れたものは立て掛けてあった模型だけ。
折れたものは色鉛筆だけ。

たったこれだけのことの片付けを昨日も続けた。
そして、今日も続ける。
片付けながらラジオを聞いている。
安否を気遣う伝言、無事を伝える伝言が流れている。
聞きながら一方では余震のこと、罹災地のこと、原発事故のことを考えている。
ふと気付くと虚空を見詰め、片付けの手が止まっている。

官邸対策室のこと、原子力保安院のこと、東京電力のこと、東芝原子力事業部のことも考える。
保安院と東電のことは何度も頭を巡り、その発表会見から見える体質が頭から離れない。
また、会見に望んだ人間を通してその後ろに隠れている、安全な場所に身を置く人間のことを考える。
それらの人間と暗闇の中で被曝の恐怖と闘いながら決死の作業を続ける何百人もの人のことが重なってくる。
そして、事故現場に行くこともない原子力保安院と東電のことを再び考える。

ここは電気も点くし、水も出る。
情報もあるし、電話も通じる。
食べ物もあるし、暖房もある。
そんな安全な場所で考えている。
最後にそんな自分のことを考える...。

by finches | 2011-03-16 03:16 | 無題