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657■■ 川
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震災でまだ釣りの自粛を続けている。
そんな中、日曜日にタイニングマテリアルの片付けをした。

片付けを終えると一年以上振りにタイニングもやってみた。
やはり手順も巻き方もすっかり忘れていた。

仕方なく誰もが最初に挑戦するカディスを巻いてみた。
一つ目は必要なマテリアルさえ使い忘れた。

プロポーションも良くなかった。
だが、何個か作るうちに次第にカンも戻って来た。

句会から家人が帰宅し、巻くのを終えた。
8個のフライができていた。

今日、北に向かう。
被災地の上空を真直ぐ北に取るコースと景色が目に浮かぶ。

とうとう福島と岩手の川に入ることはなかった。
その川は上空から見えるだろうか...。

by finches | 2011-05-27 05:41 | 嗜好
656■■ これより、ここまで
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ひーさんの散歩道





三日前の朝、出掛けに始まった国会中継での自民党総裁と首相のやり取りに聴き入った。
巧みな質問、噛み合わない答弁、発端となった斑目発言の本人による事情説明、どこに嘘があるにせよ、顔色や表情ひとつ変えず答弁し同じ説明を繰り返す両者にやり場のない焦燥感を抱いた。
その日はそんな朝の出だしの悪さのせいか、終日気分のすぐれない一日を送った。

さて、巨大津波発生から何日か経ったある日、次々に目にする被災地からの写真の中で、津波に呑まれた津波警戒区域を表示した標識に目が止まった。
その折れ曲がった標識の写真を見ながら、複雑な気持ちになったことが忘れられない。

  2010年2月チリ中部沿岸地震 3メートル ⇒ 1.2メートル
  2009年9月サモア諸島地震 0.5メートル ⇒ 0.36メートル
  2008年9月十勝沖地震 0.5メートル ⇒ 0.17メートル
  2008年7月福島県沖地震 0.5メートル ⇒ 0.15メートル
  2007年ペルー沖地震 0.5メートル ⇒ 0.15メートル
  2007年1月千島列島東方地震 0.5メートル ⇒ 0.27メートル

これらは気象庁が公表している津波データの岩手県における値で、左の数字が予報値、右は実際の測定値を表している。
これまでの筆者の記憶にある気象庁の津波警報の結果は、いつもその測定値が予報値を大きく外れ、これでは本当の大津波が来た時にどれだけの人がその数値を信用するのだろうかと訝っていた。

その気象庁も今回の被害にはさずがに肝を冷したようで、正確な津波警報の為に有識者らによる勉強会を設置するというのだから、まさに開いた口が塞がらない。
いくら観測機器を充実させても、スーパーコンピューターで短時間での解析が可能となっても、最後にそれを発表する人間が旧態依然とした組織の仕組の中で、杓子定規にしか判断が下せないのであれば、その存在自体不要と思えてくる。
それなら、これから勉強会を開くくらいなら、観測データをNOAA (National Oceanic and Atmospheric Administration) のスパコンに同期させて、分析と予報もNOAAに委ねた方が確かだろう。

気象庁は地震発生後3分後に大津波警報を出した。
だが、津波規模を小さく予測したのに加え、最初に観測した1メートルに満たない津波の高さを発表したことが、住民の避難判断を誤らせた。
具体的に時系列でみると3月11日、地震発生3分後に大津波警報を発令し、4分後に岩手県に3メートルの津波の襲来を予想している。
そして、28分後には6メートルと切り替え、45分後には10メートル以上とその予想値を大きく訂正している。
しかし、その時には停電により、被災地は既に気象庁からの情報を受け取れない状態に陥っていた。

まるでイソップ童話の『オオカミと少年』そのままで、オオカミが来たといつも嘘をついていた羊飼いの少年が、本当にオオカミが来た時には、誰もそのことばを信じる者はなく食べられていまうという話、これと同じだと思う。

津波警戒区域を表示した標識に『これより先、津波浸水想定区域』と『津波浸水想定区域、ここまで』という二つがある。
『これより』はここまでは安全だと思わせ、『ここまで』はこれより安全だと思わせる。
だが、現実には、ここまでは大丈夫だった筈の標識(写真左上)が津波の瓦礫の中に傾いて立っていたのが、最初に書いた被災地の写真だった。
一方、過去の津波の名を挙げて、ここまで来たという標識(写真左下)もある。
また、避難場所を具体的に示し、暗闇でも分るようにした標識(写真右)もある。

『これより、ここまで』の表示は国によって、それ以外は市によって設置されたもので、同じ津波掲示においてもこれ程の差がある。
前者にはなく後者にはあるものは、何が必要か、何を伝えなければならないかという、その相手を見据えての思想の有無だと思う。

『これより、ここまで』の表示は気象庁の当らない予報と同じく、住民に先入観と安心感と自己判断を植え付け、それらが避難の最終判断を遅らせ誤らせた結果、助かった筈の被害者の拡大を招いたことを、国による一方の人災として見過ごしてはならないと思う...。

by finches | 2011-05-26 04:52 | 無題
655■■ 炉心溶融
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東京電力は原発事故から2ヶ月が経過してようやく炉心溶融を認めた。
炉心溶融には二つの原因が考えられ、その一つである冷却不能だけが取沙汰されているが、もう一つの制御棒挿入不能について触れられることはない。

もう一つ東京電力は原子炉格納容器の水棺作業を水漏れを理由に中止すると発表した。
これにも二つの問題が考えられ、一つは注入した水はその構造から必ず海に流れ出るリスクが予想されること、いま一つは原子炉格納容器を水で満たした場合、当初の耐震設計条件を遥かに超える荷重になることで再び地震が発生した場合、更なる大ダメージが各所に及ぶ可能性が予想されることだ。

3号機の原子炉格納容器で実際に計算してみると、例えその容器が満水になったとしてもその水量は5,000トンに届かず、それを遥かに超える注水の継続は漏水の可能性を予測するに十分であった筈で、どのように考えればこれだけ水棺を中止する決定が遅れるのか理解ができない。

原発における耐震対策に係わる東電レポートは数多存在する。
その中の一つ、福島第一原発3号機の耐震安全性について昨年7月に作成されたレポートに目を通したが、東電は炉心溶融の可能性を事故発生後短時間の内に予測できていたと思われる。
因みに事故発生から5日後には既にメルトダウンが始まった可能性が報じられている。

そのレポートは180ガルの地震動を既往波とした上で、参考としてその1.5倍に当る270ガル時の値も示しながら基準地震動との比較が行われている。
その中で筆者の目を止めたのは制御棒の挿入性についての考察で、燃料集合体の間に挿入されることで原子炉を停止させる制御棒と燃料集合体の地震振動時のクリアランスについて触れられている部分だった。

それによると、制御棒は3.5秒以内に90%以上が挿入されることが求められることへの検証と、制御棒が挿入可能な燃料集合体の最大変位40mmに対して、求められた相対変位が15mmであることから安全評価が下されている。
更に同レポートの添付資料を見ると、新潟県中越沖地震時の柏崎刈羽原発で観測された地震動による評価結果からその相対変位を28mmと算出し、その結果をして許容値40mm以下と安全評価を下している。

ただ、東電は福島第一3号機に関しては507ガルであったことを公表しているが、1、2号機に関しては地震計の針が振り切れて測定できなかったことが分っているし、だとすればその最大値をもって相対変位を計算することで、冷却不能だけではなく制御棒の挿入不能によるメルトダウンの可能性を早期に予測できたと考えられる。

このガル値については1,000ガル以上を想定する必要性を指摘している真の専門家もいるが、東電の想定値は実に不可解で原子炉基礎下端における既往波ガル値と、開放基盤面における基準地震動の比較で安全評価を行うやり方で、しかもある特定部位に特化した方法による、◎の評価しかない、最初から結果ありきの報告書がひとつの意図をもって作られてきたと考えられる...。

by finches | 2011-05-21 04:49 | 時間
654■■ コミュニティと差別
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行きつけの店で、やっとゴミ問題が解決したという常連の一人の話を聞いた。
それは、自宅前にゴミは置きたくないという住民エゴと、他所からこっそり捨てに来る不法投棄に対し、たまたまゴミ置き場となった住人の長い戦いが終わったという話だった。

ところで、都会のそれは人間の身勝手はエゴに起因するが、自治会が管理する地方のごみ出しにはもっとドロドロとしたものがある。
この自治会組織、まさに戦争中の町内会・部落会・隣組を彷彿とし驚かされる。
実家を例に挙げると、自治会ごとのゴミ集積場が決められていて、そこに行くには分離帯まである4車線の道路を信号まで迂回して渡らねばならず、ゴミ袋を抱えた高齢の足では10分近くもかかる。

そして、これにはごみ当番が回ってくる。
このゴミ当番、きちんと分別されているか、不法投棄ではないか、これらを早朝から数人で監視し、ごみ袋の中身まで改める。
まさに戦時中の検閲に等しい行為が、自治会という行政の末端に似た組織体制で今も行われている。
だから、実家では住民税を払っているにも係わらず、有料のゴミ回収業者に頼んでいる。

震災と津波被災地の報道を見ていて考えることがある。
被災地には先祖代々そこに暮らす住民もいれば、部屋を借りて暮らす他所からの住民もいると思う。
それらの人たちが避難場所の割り当てや仮設住宅の申し込みなど全てにおいて、果たして平等に扱われているのだろうかと。
被災地の市町村にもきっと旧態依然とした自治会があるだろうし、それが旧住民と新住民の間に差別を生んではいないだろうかと。
コミュニティと差別、これらが紙一重に思えてならない。

写真には「これより先、許可なく進入禁止」と書かれている。
扉の内側の安全な場所に身を置き完全防備で立ち塞ぐより、扉の外に放射線計を持って迎える発想がどうしてできないのかと思う。
このような人が人を差別する心ない行為がどれほど被災者の心の傷に追い討ちをかけるか、どうして気付かないのかと思う。
写真を見ながら自治会という組織体制が心ない差別を生み、同じ被災者の心を傷つけて欲しくないと願う。
そして、復興に向けて常に平等であることを願う...。

by finches | 2011-05-18 04:25 | 時間
653■■ 牛久沼ー五月
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知り合いから一通の手紙を受け取った。
そして、その送り主は脳梗塞で倒れ入院していると聞かされた。
虫が這うような字で書かれた便箋の文字は読み難く、その字はそのまま今の状況を伝えているようだった。
封筒に印刷された病院名から、それは都心から少し離れた専門病院であるらしいことがわかった。

家人と二人で見舞った。
窓いっぱいの大きな桜はこれからが見頃という頃だった。
ことばが出ない、文字が書けない、そのために頭にあることを思うように伝えられないもどかしさに、彼は体をくねらせ机を叩いた。

こちらが文字を書くと相手側にも同じ文字が表れる、筆談パットを駆使して遣り取りを行った。
そして、どうにか得られた3つの地名を、その都度書き留めた。
3つの地名とは牛久沼の傍にある別荘の場所を特定するためのものだった。

一ヶ月以上が経っても、3つの地名から場所を特定することはできなかった。
一度だけ訪れたことのある記憶を頼りに航空写真でその地名の辺りを探した。
だが、それだけでは広過ぎてお手上げだった。

そんな中、兎に角出掛けて探してみることにした。
行ってみようと決めた後で、改めて3つの地名の中の一つを探していると、地図であれ程探して見つからなかったその名をバス停の一つに見つけた。
後は、その周辺にある記憶の中の景色を航空写真で探した。

日曜早朝の高速道路は順調だった。
高い生垣に囲まれた農家の脇に車を止め、中に入るとその奥にその小さな建物はあった。
農家の夫婦に事情を話し鍵を借りて家の中の状態を写真に収めた。

室内は3月11日の地震で散乱していた。
それらの本やレコードを筆者に託そうとしている申し出は、病院を見舞った時に丁重にお断りしてあった。
そして、筆者たちにできることは現状を写真に収めて渡すことだと考えていた。

切って欲しいと頼まれた竹薮は既に農家の夫婦によって手が入れられていた。
筍が畳を持ち上げていたが、室内のものに手をつけることは一切避けた。
顔を出していた筍を自分たちと彼を知る人たちの分に頂いて帰路についた。

岸辺はあの地震による地割れを残していた。
だが、牛久沼をわたる五月の風はことのほか爽やかに感じられた...。

by finches | 2011-05-16 06:39 | 時間
652■■ 落書き
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写真は3月23日に一旦は掲載したものの数時間後に表示を消したものだ。
記事を読み返してみると、その日は津波で被災した宮城県雄勝町で作られた雄勝硯のことを書いていて、所持している三面のうちの一番小さな硯で墨を磨ったこと、小さな硯の小さな海の墨が次第に小さくなっていったこと、その小さな海に残った墨で新聞紙に落書きしたこと、その落書きを額に入れて飾ったこと、そんなことを書いていた。

考え過ぎかもしれない、自意識過剰と言われるかもしれない。
だが、その時はこのただの落書きが突然、津波の波濤や燃える海に見えてきて思わず表示を消した。
それはちょうど『津波想定高さ』を書く準備をしながら、それをどのように書こうかと考えていた時期で、書くことで人の心を傷付けたり、人を責めたりしてはならないと思っていた時だった。

批判する、追及する、責める、そのことだけが主眼になると、その文章の深いところにある本当に伝えたい神髄に人の心は届かないと思った。
一人一人に正しい情報を基に正しく考えてもらうには、私感を退け事実だけを正確に、そして客観的に伝えることしかないと考えていた。
今朝はそんな気持ちでの再出発に、この一旦は伏せた写真を使おうと決めた...。

by finches | 2011-05-12 05:16 | 無題
651■■ 移住計画 -五月
『津波想定高さ1~17』はessay bibliophobia nuclearにまとめました。
原発関連については津波想定高さだけではなくまだまだ不可解なことや、知っておかなければならない事が多くあることを今回調べてみて改めて感じました。
それらについてはこれからも、essay bibliophobia nuclearという新しいカテゴリーの中で加筆を続けたいと思っています。

essay bibliophobia nuclearへの入口は、■■Prologueの写真右側にあります。
ここには現在essay bibliophobiaとは分けて扱いたい下の3つのカテゴリへの入口があります。

   essay bibliophobia hakodate
   essay bibliophobia annex
   essay bibliophobia nuclear



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五月の連休は東京を離れた。
そして、東京脱出と移住計画の第2ステージに忙殺された。
日曜の朝から次の日曜の夕方まで、首も肩もコリコリのパンパンになりながら動き回った。

それでも五月の風は爽やかで何とも心地よかった。
柿の若葉は日に日に大きくなるのが分った。
ツツジ、コデマリ、ハナミズキは今正に満開で、種類の違う蝶がフワフワと舞っていた。
ツバメも戻って来て、巣作りの場所探しをはじめていた。

オリーブの木が欲しくて、この時期に行われる祭りにも行った。
温泉には六回通った。
かつてのひなびた湯治場も宅地化が進みすっかり変貌した。
温泉への足はもっぱらマウンテンバイク、行きの長坂にも大分慣れた。

友人の釣ったばかりのチヌ、クロ、アジは美味だった。
貝には七輪が活躍した。
爽やかな風、若葉、花、ゆっくりと流れる時間、それらが何とも心地よい連休だった...。

by finches | 2011-05-10 05:18 | 無題