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701■■ デッサン木炭
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小学生の時最初に買ってもらった机は木製の高さが上下するもので、子供心にそのデザインがとても気に入っていたが、小学校も高学年になると身長の伸びに終に机の高さはついて来れず、新しい机を買ってもらった。
新しい机は高さは固定されていたが、今度は椅子が上下した。
だが、この机の高さは75センチもあり、いくら椅子が上下してもその高さには馴染めず、以来ずっとその高さには違和感を持ち続けた。
その机もついに解体し処分した。
机の両脇にあった合板を曲げて成型した引出はモダンなデザインで、この部分だけは捨て難く再利用できないかと取ってある。

机を解体するにあたり7つの引出の中を整理した。
引出の中はまるでタイムマシンのようで、ある時から時間が止まっているようだった。
その中から石膏デッサンに使う5種類の木炭が出てきた。
そんなに使い分けていた記憶もないし使い分ける腕もなかった筈だが、その煤けた箱からはそれらを手に入れた時の少年筆者の情熱が伝わってくるような気がした。

調べて見るとそのほとんどが今でも同じデザインの箱で存在しているが、値段の方は今では当時の5倍以上になっていた。
一番使った記憶にあるのは黒い箱で、アルミ箔を巻いた柔らかいヤナギ炭の中軸が3本入っていた。

これらの箱は4つがヤナギ炭で、1つがシナノキ炭だった。
ヤナギ炭は軟らかくて濃く、シナノキ炭は軟らかくて淡くきめ細かいという特徴がある。
これら以外にもクワ、ハン、カバ、クリ、トチ、ウコギ、ホウ、ミヅキなどの炭もあるが硬軟,濃淡から自分好みの炭を選ぶのもまた楽しいだろう。

何十年も机の引出に眠っていた5つの箱も今ではちょっと楽しい机上のオブジェになっている。
モンブランやペリカンのインク壷が机の上にあるだけで何だかちょっと楽しいように...。

by finches | 2011-09-30 04:15 | 時間
700■■ 音の正体
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屋根の小屋組のどこかから聞こえて来る微かな音は、その翳の部分から聞こえる乾いた音で、水が滴っているような、カサコソとものが蠢いているような、そんな微かな音だった。
早朝と言ってもまだ辺りは真暗な中一人で部屋に入り灯りを点けて、音のする筈のない屋根のどこかから消え入るような微かな音が聞こえて来るというのは余り気持ちのいいものではない。

音質(おとしつ)としては水音のように聞こえるのだが雨が降っている訳でもなく、これは錯覚だろうと否定した。
後唯一考えられる音源(おとげん)としては、天井の梁に付いていた何だかは分らない昆虫の卵を取り除かずに放置しておいたことで、それが闇の中で孵化していることが考えられた。
その場合、もっとも考えられるのは守宮(やもり)が闇の中で殻を破り蠢く音ではないかとその光景が頭に浮かんだ。

早速その正体を確かめるために梯子を架けるにしても一人では危険だし、恐る恐る覗き込んでその翳の部分から何かが飛び出して来ようものなら、それこそ恐れ戦き梯子から落ちてしまわないとも限らない。
怖い怖い、気にはなるもののもう少しこの状況を静観しようと心に決めた。

ところが思わぬことからその音の正体が判明した。
日中も聞こえることから、それは闇の中だけの音ではないことが分った。
改めて耳を澄ますとやはり水滴の音に聞こえてならない。
思わず障子を開け窓を開けて下を見ると、庭隅の立水栓から滴るように水滴が零れ落ちている光景が目に飛び込んで来た。

水滴の音が下に反射しその上に絶妙な角度で突き出た屋根の軒に当たり、それが天井を外した小屋組に伝わりあたかもそこが音源のように聞こえていたのだ。
だから、屋根のどこからその音がするのか分らなかった筈だとひとり合点した。
今朝は屋根からの音は消え、北からは国道を走る車の騒音、南からは時折小鳥の鳴き声が聞こえている...。

by finches | 2011-09-29 06:07 | 空間
699■■ 微かな音

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正面の書棚を見詰めじっとしていると様々な音が聞こえてくる。
その中で昨日から気になり始めたのが天井を外した屋根の架構のどこかから聞こえてくる微かな音だ。
壁も外し剥き出しになったコンクリートブロックには全面に石灰が塗られ、かつて仕上材に覆われていた頃その裏や間を自由に行き来できていたルートは断ち切られている。

今ここで生存できるのは既にここに住み着いていた守宮(ヤモリ)の子孫と小さな蜘蛛くらいのもので、それも守宮が全ての蜘蛛を捕食し終えた時点でこの空間での食物連鎖も終わりを向かえる筈だ。
そして、最後に守宮の共食いによって全ての生き物は絶える筈だと考えていた。

守宮にとって蜘蛛以外に食糧はないように思うし、蜘蛛に至っては何を食べているのか不思議でならない。
だが、守宮は時々真新しい障子の上に見かけるし、糸を張ることのない小蜘蛛はピョンピョンと床を跳ねている。

上から聞こえてくる微かな音が何なのか不思議でたまらない。
そんな不思議な音に耳を澄ませていると、外から小鳥の鳴き声が聞こえた。
そして、弱かった朝の光が障子を卵色に染め始めた...。

by finches | 2011-09-28 06:35 | 空間
698■■ までいの力
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次第に片付いていく書棚に収まることなくテーブルの上に一冊の本が置いてある。
この夏に読んで以来、拙稿に取り上げようと部屋が片付く毎に持ち回っている一冊だ。
それは、福島第一原発の人災事故による放射能汚染で、国が定めた想定圏外でありながら高い放射線量を維持している飯館村から出版された『までいの力』という一冊だ。

ニュースで飯館村の名を聞いても分らなかったが、この本を読んでいて昨年図書館のない村に全国から絵本の寄贈を募集し、思わぬ反響から数万冊が集まったあの村ではないかと思った。
そして、調べるとやはりあの時の村に間違いなかった。
しかし、この本を読んでみて絵本の寄贈を募集するという取り組みは村で行われている様々な創造的な取り組みのほんの一つで、話題性だけをピンポイントでニュースにしその背景にまで言及しない報道からは決して見えてこなかった多くのことを知った。

それはこの村が豊かな自然に囲まれていること以上に、こんなに心豊かなコミュニティが存在しているという驚きだった。
その村が今もそしてこれからもそれこそ想定外の放射能汚染に苦しみ、守ってきた自然や築き上げたコミュニティを壊さないように崩さないようにもがいている。

さて、昨日山口県上関町の町長選挙の結果が出た。
福島第一原発事故、その後の国の対応、やはり同心円になどなる筈がない放射能汚染の分布実態、それらの現実を知りながらも原発推進の町長の再選が果たされた。
新聞によると『反対派に大差』とあるが、数で見ると当選票1,868に対して落選票903、合わせて2,800票にも満たない建設地域住民だけの意思で、万一事故が起きれば瀬戸内海全体を死の海に化す原発建設推進を是としてよい筈はなかろう。
これは瀬戸内海全域住民の意思の反映でなければならない筈だ。

この上関の選挙結果を見て飯館村のことが頭を過ぎった。
一方は豊かな山々,一方は豊かな海という共に恵まれた自然という分母を持つが、共に過疎という分子を持つことで共通している。
上関は1974年のNHK連続テレビ小説『鳩子の海で』で、多くの視聴者がその美しい自然に魅入った町で、かつては観光を中心に地域起こしに励んだ正に飯館村のエネルギーを持っていた。
また、原発予定埋立地の目と鼻の先に浮かぶ祝島はかつては天まで続く段々畑からの豊かな恵みと、魚が湧くように獲れた海からの豊かな幸に、誰もが羨む豊かで身の丈のコミュニティーが形成されていた。

だが、一方の飯館村は過疎に対して村だけの村こそのアイデンティティを逆手に生かした創造的で活力あるコミュニティづくりに励み、一方の上関町は過疎だからと諦め原発建設が齎す補助金を当てにする町へと歳月が変えてしまった。
上関町は飯館村に学ぶところが大きいと思う。
創造を放棄して未来を担う人を育てることはできないし、目の前にぶら下がった補助金という美味そうに見える餌は食べきったら最後、今と同じ否今以上の不毛の渇きが待ち受けている。
上関町の原発建設問題、その是非は日本人全体の問題として考え結論を導き出さねばならない問題だと思うが...。

by finches | 2011-09-27 05:14 | 信条
697■■ 灯りの復活

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このスタンドを買ったのは勤め始めて3年目の頃だから、もう随分と一緒にいる。
何度も落としたのだろう、傘も反射板も変形して歪み、塗装も所々剥がれ、クロムの鍍金には錆も浮いている。
だが、自分が好きで選んだものというのは、古いからと言ってその愛着が薄れることはない。
古いスタンドだが、真新しい障子や作り立てのデスク、iPadなどと並べても見劣りするなどということはない。

このスタンドは当時ヤマギワで買ったもので、アームの先に付いた黒いバランサーと、傘の頂部に開けられた六つの熱抜きの穴がデザインに効いていて、当時きっと安くはなかったと思うが手に入れたものだ。
ところが使い始めてみると、直ぐに幾つかの欠点に気付いた。

バランサーだと思った黒い錘は傘の部分とバランスしておらず、締め付け部のディテールの悪さから高さを変えようとすると締め付け部が直ぐに緩み、結果、頭がデスクまで下がってしまう。
傘はこれも取り付け部のディテールの悪さから回転が途中までで止まり、向けたい角度への自由な設定ができない。
そして、ランプが眩しくて熱くて、実用性からはかなり懸け離れた所謂デザイン優先の典型的な"ヤマギワブランド”だった。

だが、新しい部屋に再びその出番は回って来た。
汚れを綺麗に落とし締め付け部にワッシャーを入れ、ランプも36Wのシリカ球から蛍光ランプの電球色に替えた。
今筆者の手元を照らしているスタンドに比べると少し古臭くも感じるが、その時代の新鋭の意地が新しい空間の中で平等に対峙している様は何とも心地よい...。

by finches | 2011-09-26 06:07 | 空間
696■■ 鬼やんま
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オニヤンマは日本最大の蜻蛉(トンボ)だ。
緑色の複眼と黒と黄色の体のコントラストにトンボ世界の王様としての威厳がある。
子どもの頃からオニヤンマは垂涎の的だったが、他のトンボのように後ろから近付いて、または前から近付いて指でクルクルと円を描いて捕まえようとしても、羽を摑んだ瞬間噛みつかれそうでどうしても手を伸ばすことができなかった記憶がある。
それは大人になった今も同じで、羽を摑むと何だか噛みつかれそうな、そんな気がする。

子どもの頃によく捕ったトンボとしてはシオカラトンボ、糸トンボ、赤トンボなどを思い出す。
だが、それらに比べて群を抜いてデカかったのがこの鬼ヤンマだ。
成虫になるまでには2~3年もかかるそうで、水中での生活が長い分そこらの駆け出しのトンボ達とは違う大人の見識を備えているようで、一見動じず沈着冷静に思えるその悠然さが何とも頼もしい。

だが、この鬼ヤンマ、たまに部屋に飛び込んで来ては出口を探してバタバタしている慌てものでもある。
写真の鬼ヤンマも外から入って来て、窓とブラインドの間でバタバタと騒いでいたものだ。
他の窓や出入口は開いていて、入って来たところから出て行けば良さそうなものを、光に強く反応するようで窓とブラインドの間から抜け出せず、写真のようにブラインドにとまっているトンボと目が合うと、その姿が何だかサーカスの空中ブランコに摑まって休んでいるようで、それが面白いから早く逃がしてやろうと思いながら夕方になるとそのことを忘れ、結局数日間その様子を観察して面白がっていた。

トンボはあんなに上手く風をコントロールできるのに、外から風が吹いてくる方向や外の風の臭いなどは感じないようで、ただただ光だけに反応して一番明るいこの窓辺から離れられないでいたんだろう。
これがブラインドにとまって外を見ていたらその後姿に郷愁を感じたであろうし、強い逆光の中で内を見ていたその姿にはどこか哀愁が感じられた。

窓を全開にしてやっても中々飛んでいかなかったが、暫くバタバタした後、今までのことが何でもなかったように、トンボの王様としての威厳を取り戻して悠然と青空に消えていった...。

by finches | 2011-09-25 06:23 | 時間
695■■ 法師蝉

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今朝は灯油ストーブだけでなんとかなりそうな寒さだ。
だが、防寒対策はしていてのことで、暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものだ。
さて、書き残しておきたい夏が二つある。
一つは法師蝉(ツクツクボウシ)、そして、一つは鬼ヤンマのこと。

盛夏にうるさく鳴いていた熊蝉(クマゼミ)が何時の間にかツクツクボウシの鳴き声に代わって久しい。
ツクツクボウシは盛夏でも鳴いてはいるが、やはり秋八月の季語が示すように秋風とともに鳴くのが似合っている。
秋八月と言えば蜩(ヒグラシ)もそうだが、鳴き声こそ違うが両者ともどこか哀愁を感じる気がする。

木で鳴いているツクツクボウシを捕まえるのは中々困難だが、ひょんなことからこの蝉を捕まえることができた。
深夜就寝中突然ツクツクボウシが鳴き出し、窓の外の簾で鳴いているものと思い足で窓を蹴飛ばしたが一向に鳴き止まず、ますます大きくなるその音にただ事ではないと飛び起き、部屋の灯りを点けると、なんと洋服掛けで絶頂の美声を張り上げていた。
よくぞこの小さな体からと思いながらも、その音たるやけたたましく、それが部屋の中だから壁や天井に反射して半端ではなかった。
だが、手を伸ばすとおとなしく捕まり、取り敢えず箱に入れて眠りについた。

翌日、逃がしてやるのが遅れ箱の中で動かなくなっていたが、早く木に戻して思いっきり鳴かせてやればよかったと後悔した。
写真は筆者手作りの栗のカウンターの上で撮ったもので、その後柿の木の下に埋めてやった。
その小さくて美しい姿、その強烈な鳴き声、まだ時々遠くで鳴いている法師蝉の鳴き声を聞くと、あの夜の不思議な出来事を思い出す...。

by finches | 2011-09-24 05:21 | 時間
694■■ 薄-九月

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今朝も灯油ストーブを点け更に膝掛けまでして書き始めたが、流石に寒さには耐え切れず思わず温風ヒーターを持ち出し足下に並べて置いた。
温風ヒーターは膝に載せたノートパソコンのモニターに隠れ音はすれども、暖は視界の左にあってメラメラと燃えている灯油ストーブからのように装った。

さて、九月十二日は中秋の名月、十五夜だった。
初め月は空を覆う雲に隠れ雲間だけが明るく輝いていたが、月見の宴に合わせたように次第にそのまん丸な姿を現した。
薄(ススキ)の横に月見団子をお供えし、思い思いの石に腰を下ろして東京では考えられなかった本物の月見を堪能した。

このことを書くのが遅れたのは風邪のせいだが、その日は品川ナンバーを某県ナンバーに取り換えたことで、やっと東京から離れたことを実感し感慨にふけった日でもあった。
そのプレート交換に出向いた道すがらススキを探しながら数十キロを走った。
昨年ススキ探しには苦労したお蔭で、どこにその群生があるかの目星はつけていたものの、ススキもどきは数箇所にあれども肝心のススキはどこにも見つからない様相。
仕方なくそのススキもどきを手に帰路についたが、昨年採った道沿いにほんの小さなススキの群生を見つけ何とか月見の体は事無きを得た。

昔のススキの原っぱは風情があった。
今では帰化植物が繁茂し、農薬・除草剤を撒き散らす近代農業は連鎖した生態系を破壊した。
そして、昆虫も魚も自生植物もレイチェル・カーソンの『沈黙の春』さながらに、一つまた一つと静かにその姿を消していった...。

by finches | 2011-09-23 04:14 | 時間
693■■ ストーブ-九月

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台風の接近に伴って気温も下がり、ほぼ直りかけていた風邪をぶり返したが、一日を完全養生と決めたおかげで何とかひどくならずに済んでいる。
ところで、体を暖かく保つには肌着選びが何より大切で、筆者の場合、第1ステージはユニクロのヒートテック、第2ステージはミズノのヒートテック、第3ステージはダマールのレベル5、これらを使い分けている。

二日前の完全養生の日には第2ステージのミズノを着用したが、昨日と今朝は第1ステージのユニクロを選んだ。
その性能は完全にその値段に比例しているが、中でもダマールはその着心地と性能において群を抜いていて、日本からダマールが撤退する前にレベル5以外も全て揃えておけば良かったとつくづく後悔している。

完全養生の日、先ずHoneywellのカーボンヒーターを引っぱり出したが、その暖かさに1時間ばかりウトウトして目を覚ますとヒーターは止まっていて、その後二度と蘇ることなく壊れてしまった。
目が覚めたら暖かい飲み物や食事ができていたとか、目が覚めたら枕元にプレゼントが置いてあったとか、そんな経験はこれまでにもあったが、目が覚めると理由も分らず壊れていたという経験は初めてだった。

仕方なく次は小型の温風ヒーターを引っぱり出し、噴出し口の前にブラックシリカを積み上げ遠赤外線との相乗効果を狙ってみたが、その効果の程は定かでない。
そして、今朝はとうとう灯油ストーブに火を点けた。
ところが、このストーブ、今も足下近くに置いているのだが余り暖かくない。
ストーブというより大型のランプと言った方が近い代物だ。

物選びは難しい。
先ずは、使って、置いて、見て、触って、楽しく安全なものでなければつまらないが、それが性能に一致しないから困ってしまう。
そんなことを取留めもなく考えながら冬の寒さを乗り切る方法が頭を掠める、まだ9月だというのに...。

by finches | 2011-09-22 04:31 | 時間
692■■ 睡蓮

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秋の気配と書いた途端に風邪をひき、日中はまだ暑いというのに冬布団をかけて数日間寝込んだ。
体の方が普段通りに回復した後も依然咳は止まらず、傍からは胸を患っているように見えるような有様が続いた。
その間にも三つの引出付きカウンター机だけはなんとか完成させた。

もっと簡単に考えていたが、カウンターに引出を付ける吊り桟ひとつにしてもこれが中々大変で、正確に測って付けていてもそこには微妙な誤差が生まれ、引出の方はそれに合わせて調整を重ねながら作らなければならない。
仕上がり間際に怪我をした大工の応援に来てくれた大工が先日立ち寄った時に部屋の完成形を見せると、これは自分より上手いと世辞を言ってくれた。

去年と違って今年の柿は不作で、去年何十羽とやって来ていたメジロたちも今年は期待できそうもなく、柿落葉にはまだ早いが随分と落葉だけは目立つ。
柿の木の下に置いてあるメダカの五つの水鉢の中にも柿の落葉は勿論、時には実までが沈んでいたりして驚くこともある。

その柿の木から少し離れた縁先に別の水鉢が二つ置いてあり、こちらには東京から遥々やってきたメダカたちと睡蓮が入れてある。
今年は花が随分と遅くもう駄目かと思っていた矢先、水鉢の中から小さな蕾が日に日に伸びてきて、我が家の睡蓮は今年も無事に可憐な花を咲かせた。

睡蓮の花はまるで極楽色に輝くように美しく、早速虫たちを虜にしている。
そして筆者はというとその花の、開く、畳む、包む、この不思議なメカニズムを飽きもせず観察している...。

by finches | 2011-09-19 06:34 | 時間