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752■■ 吊るし飾り

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穏やかな小春日和の日曜日、二ヶ月前に予約してあった吊るし飾り作りを楽しんだ。
楽しんだと書いたが、針と糸で縫い物をするなど小学校の時の雑巾作り以来で、悪戦苦闘を通り越しての長いようで短い三時間の貴重な体験だった。

作り方を指導していたのは80を過ぎたおばあちゃんと70過ぎの二人を合わせた三人で、ご婦人方に混じっての黒一点の筆者の席はそのおばあちゃんの隣りだった。
作ったのは三つの玉と、ヒヨコとイチゴで、筆者だけはおばあちゃんが先に先に縫い始めていてくれて、前の玉ができ上がると、途中まで縫ったヒヨコの羽を手渡され、半返しなど初めて耳にする縫い方を飲み込みの悪い筆者に手取り教えてくれ、羽が出来上がるとヒヨコの体が途中まで縫ってあり、それが縫い終わると綿を詰めてくれるという具合に、どうにかイチゴまで辿り着き、最後にそれらに糸を通し位置を決め固定して終わった。

筆者の席は庭が正面に見える座卓の小辺で、土蔵の前の柿の木は小粒の渋柿をたわわにつけていた。
床の間には色のない水墨の軸が掛けられ、手水鉢に添えられた赤い南天の実が縁側のガラス戸越しに見えていた。
畳に胡坐をかき、持参した赤い老眼鏡をかけ、一心に小さな端切れと格闘する筆者は、時々思わず「あっ」「うっ」と呻き声を上げた。

散砂を敷き詰めた庭のテーブルで休憩中のおばあちゃんにお世話になった挨拶をして会場を後にした。
そして、白壁と海鼠壁と黒瓦の家に囲まれた、来た時と同じ細い露地を戻った。
潮が引いているのか、川面は朝より下に思えた。
穏やかな小春日和の日曜日、半日が夢のように過ぎていた...。

by finches | 2011-11-30 05:54 | 時間
751■■ 最後の運動会

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写実の絵にはいろんな情報が素直に埋め込まれている。
『小学校で最後の運動会』という題からも、六年生の女の子の作品ということからも、様々なことが想像できる。

また、背景からは山に囲まれた学校なのだろうと分かるし、今時の小学生はテントの中で観戦するのかといことも、テントに書かれたハーモニーヒルズ自治会という文字から、この学校は新設校ではないかと想像したりすることもできる。
早速調べてみると、想像通り前稿の小学校ともう一校から20年近く前に分離して新設された小学校だと分った。

展覧会で上手いと思って最初に目に留まったのがこの絵だった。
ウェーブする動作の一瞬を切り取った構図と、その動きを的確に描ける表現力に目を見張った。
そして、この少女はある特定の漫画家が好きで、その漫画を自分でも描いているのではないかと、その絵の描写を見ながら思ったりした。

小学校の高学年になると、授業で描いた上手い生徒の絵は展覧会用に改めて描き直すことがある。
筆者にもそんな思い出があるが、筆者の場合は、実物を前にせずに新たに描き直したものは元の絵より見劣りしたが、もしこの絵が描き直されたものなら、写真を見て描いたものかもしれないと勝手な想像を巡らした。

それは描かれた顔の表情がどれもよく似ていて、だから一人の漫画家に傾注しているのではないかとまで想像を巡らしたりもしたのだが、この絵で一つだけ気になるのはこの顔の表情だけだ。

まあ、勝手な想像をして余計なお世話だろう。
『小学校で最後の運動会』、上手い絵だと思う...。

by finches | 2011-11-27 05:18 | 時間
750■■ 教室の窓からの風景
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随分と年は離れてしまったが、筆者の後輩の絵に目が留まった。
小学校六年生のその絵には、ひょうたんの背景に教室の窓からの風景が描かれていた。

筆者は五年生の時、川が流れ田んぼと山に囲まれた小学校から、海が見えるその小学校に転校して来た。
筆者の五年五組の教室は正面玄関のちょうど上の2階で、東西に六つ並んだ中央の教室だった。
一番南側の校庭に面した白い校舎には2階に五年生、3階に六年生の教室があった。
筆者は六年生になったら海が見える3階に行けることを楽しみにしていた。

その校舎は西の端にトイレ、東の端に階段があり、その間に六つの教室があった。
当時は一学年六学級だった。
筆者の六年一組は階段を上がって最初の教室だった。
そこからは2階とはまるで違う海の見える風景がパノラマのように広がっていた。

今は新しい校舎に建て替わり、昔とは随分変わったなあと思っていたが、この絵を見て六年生が3階という伝統が受け継がれていることに一人微笑んだ。
その絵に描かれた風景からは醤油屋の煉瓦の煙突は消えていたが、安普請の改修で昔の重厚な趣はなくなったが西光寺の黒い屋根や漁港やその向こうに広がる海は、筆者の記憶とぴたりと符合した。

筆者はこの漁港が美しかった頃を知っている。
石積みの船溜まり、西光寺の白い壁と大きな黒い瓦屋根、石垣の上の醤油屋の大きな瓦屋根と煉瓦の煙突、黒瓦の家々、それらは見事に調和し美しい日本の風景をつくり出していた。

時々、それらを見ることのできない今の子供たちはかわいそうだと思うことがあった。
だが、この絵を見て、そこに描こうとした風景に美しさを感じた心に、どんな時代でも、またどんなことからでも、何かを感じ摑む感性と澄んだ心は消えることはないのだと嬉しくなった。

この絵の題は『ひょうたんと教室の窓からの風景』、六年生の女の子の作品だ。
モナリザのあの遠景を背景にした構図を思い出しながら、この絵の構図も中々のものだと感心した...。

by finches | 2011-11-26 03:40 | 時間
749■■ 窓の景色

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何気なく見ている窓からの景色だ。
一昨日、寒々しい錆納戸色と書いたあの同じ海が、昨日は明るい光を放っていた。

同じ海でもこの南の窓と東の窓ではその眺めは微妙に異なる。
東の窓のある壁は、初め書架で全面を塞ぐ計画だったが、そこから見える海の眺めも捨て難く、随分と悩んだ末に書架を置くのを止めた。
お蔭で随分と明るい部屋になった。

以前にはよく行ったその海にもとんと行かなくなった。
長い砂浜が続く遠浅の海では、かつては浅蜊が湧くように取れた。
砂浜が堤防に変わり、それでもまだ海は生きていたし、そこからの眺めも変わらなかった。
だが、小島が消え新たに突堤が造られ、堤防に沿って二重に消波ブロックが並べられた海からは、浅蜊はもとより干潟の生きものたちも消えた。

そんな海でも窓からの景色は当時のままだ。
だから窓からその海を見ていると、あの活気に溢れ生きていた頃の海が目の前に現れる。
普段障子を閉めている窓は障子を開ける度にその色を変えている。
その色を見ながらその海との無数の記憶に遊んでいる、そんな自分にふと気付くことがある...。

by finches | 2011-11-25 05:04 | 無題
748■■ 冬の星座
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昨日の雨は朝方には上がったが、寒い一日で、風の音は夜まで消えることはなかった。
そのせいか早朝空を見上げると星が綺麗で、いつもは街の灯りのせいか西の星ははっきりとは見えないのだが、今朝は天空の星すべてがクッキリと見えキラキラと輝いていた。
だが、残念ながらその中で筆者に分るのは北斗七星ただ一つだった。

早速iPadのアプリで『星座』と検索し、これだと思う一つを購入した。
GPSで位置を検索すると、この場所の星座が画面に現れた。
早速、今し方見た北斗七星の方にiPadを向けてみたが、どれだか皆目分らない。
そこで、『北斗七星』と検索し、それがおおぐま座の腰から尻尾を構成する7つの明るい恒星を指すことを知った。

悪戦苦闘の末やっとおおぐま座を見つけたものの、そのどこに北斗七星があるのか分らなかったが、上手くおおぐま座にポイントが合うと、大熊の姿が浮かび上がって来て、それを頼りに腰から尻尾に当る位置にその七つ星を見つけることができた。
気が付くと外は白白と明けていて、慌ててもう一度確かめようと空を見上げたが、もうそこから星の姿は消えていた。

雨と風と寒さが満天の星を取り戻してくれたのかも知れない。
それはいつもとは違う綺麗な星空だった...。

by finches | 2011-11-24 05:40 | 空間
747■■ 柿色と錆納戸色
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十一月二十三日、勤労感謝の日、雨。
珍しく朝まで爆睡。
朝食はメザシ焼、南瓜煮、大根おろし、白菜サラダ、漬物、新米ご飯、味噌汁。

枝に一つだけ残っていた柿の実も二日前にカラスが銜えて飛んでいった。
柿の葉もこのところの雨と風で随分と落ちた。
その枝の間から見える海は寒々しい色をしている。

その海の色を何と表現すればいいだろうと『日本の伝統色』を引っぱり出し、海の色と見比べながら探してみた。
そして、筆者の選んだ色の名は『錆納戸』で、ダル ブルーグリーン、つまり鈍い青緑色だった。
休日のそんなどうでもいいような遊びが楽しい。

竹屋に行く途中の野菜市で買った二十ばかりの柿も残り四つになった。
柿はガラスのテーブルに置いてあり、食べたくなったらナイフを持って来て剥いて食べる。
いくらカラスが垂涎の眼差しで上空から狙っていても、まだ熟してはいないから銜えて行かれる心配はない。
食べてもいいし、目で楽しむだけもいい。

休日、外は雨。
何だかいつもと違う時間を過ごしてみたくなってくる。

by finches | 2011-11-23 08:20 | 時間
746■■ 余韻
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建築の余韻なのか、はたまた講演か映画の余韻なのか、不思議な後味が今も消えない。
かつての賑わいはとっくの昔に消滅し寂れた印象を拭えない街にあって唯一誇れる音楽ホールに、あれだけ多くの人々が集まったことからの高揚なのだろうか。

そんなことを考えながら、その音楽ホールが載っている作品集第三巻を開いた。
図面を目で追いながら、当時少年だった講演者がこのホールでの藤原歌劇団のオペラ公演を聴きたくて自転車を走らせ、チケットなど買えるはずもない少年は当時ホールから直接外に避難できるようになっていたという扉越しに中から聞こえてくるアリアに聴き入ったという話を反芻していた。

筆者の記憶ではその扉の外側には低い天井を持つ広い通路がある筈だった。
子供の頃その扉から出入りしていたと思い込んでいたが、その扉の向こうは外だったとは。
確かに、その通路の客席に合わせた緩い傾斜と、妙に無理のある捩れた床の納まりが不思議でならなかったが、それらが後の改修によるものなら理解できる。
それにしても、筆者の記憶は全くの誤りであり、錯覚であったとは。

不思議な余韻とは、扉越しに聴いたというアリアの記憶と、筆者の記憶との乖離による矛盾によるものだと分った。
一つの思い出話から一つの真実を知ることができた。
これまで気付かずに見ていたが、作品集第三巻の図面は当時のものと改修時のものが混ざっていて、改めてその図面を見ると確かにホールから直接外に出られるようになっていた。

次にこのホールを訪れる時は、頭の中で改修前の姿に戻しこの建築を観る楽しみができた。
まだまだ謎の多い建築だが、どこ一つとっても削ぎ落とすもののない潔さ、それに加えられた改修も見事と言っていいだろう。
何故なら、筆者をして子供の頃の記憶に新たな記憶を接木され、今の今までそれが古い記憶と錯覚させられていたのだから...。

by finches | 2011-11-22 03:27 | 記憶
745■■ 講演と上映会
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日曜日の朝は二十本一回勝負で昨日に続き竹を洗った後、急いで買物を済ませ、11時7分の電車に乗るために駅に向かった。
駅までは歩いて5分程、ホームから見える海はキラキラと輝き丸い水平線の彼方まで続いていた。

この町で多感な思春期を過ごしたある映画監督の講演と上映会には、車でもバスでもなく電車で行きたかった。
会場の市民会館は電車で5つ目の駅の傍にあった。
久し振りに乗る電車は二両編成のワンマンで、思ったより各駅での乗客の乗り降りもあり活気があった。

開場は12時だったが、30分前にはもぎりに並ぶ長い列ができ、駐車場も車で溢れていた。
その様子を見ながらバス停一つ分を戻り、昔のままのうどん屋に入った。
筆者はラーメンを、家人は肉うどんを注文し、それを待つ間におはぎを一つづつ熱いお茶を飲みながら口に運んだ。

ブラブラ戻ると、もう長い列はなくなっていた。
席はすべて自由席、筆者は2階の桟敷席と決めていた。
会場に入る前に横の文化会館で開かれていた小中学生の作品展を覘いた。
筆者たちのグループ展の時より活気があるのを羨ましく思いながら一巡し、好きな作品は写真に収めた。

予定通り2階の桟敷席から一時間の講演と二時間の映画を堪能した。
1300を越える席もほぼ一杯の盛況振りで、その一人一人がそれぞれの思いで話を聴き映画を観、それらを悠然と抱き包む重文の記念館も、本来の使い方に戻れたことを悦んでいるようだった。

すべてが終わり2階のホワイエに下りると、そこはこれから夕日の色に染まろうとしていて、当時のままの灯りも本来の色を取り戻しつつあった。
外は十一月の風が少し冷たかったが、ゆっくりと駅まで歩き17時5分の上り電車に乗った。
途中、車窓からは工場の煙突の彼方に沈みゆく夕日が見えた。
そして、五つ目の駅で下りると、あの輝いていた海は色のない灰色の十一月の海に変わっていた…。

by finches | 2011-11-21 04:19 | 空間
744■■ 竹を洗う
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土曜日に届くかも知れない竹の受け入れの為に木曜日は2トントラックをレンタルした。
そして木曜日はこんな風に一日が過ぎた。

  8時21分、トラック受取。
  9時28分、スクラップ工場に鉄ゴミ持込、締めて380キロ。
  10時1分、同じくアルミゴミ持込、締めて28キロ。
  10時51分、市焼却場に可燃ゴミ持込、締めて110キロ。
  11時33分、市リサイクルプラザに不燃ゴミ持込、締めて60キロ。
  13時47分、市埋立場にコンクリート系ガラ持込、締めて620キロ。
  14時47分、スクラップ工場にアルミブラインド持込、締めて15キロ。
  14時57分、港で散砂1㎥購入。
  15時15分、散砂下ろし、凡そ2,000キロ。
  17時1分、トラック返却、温泉に一直線。

土曜日の昼前に竹は届いた。
そして土曜日はこんな風に過ぎた。

  束を切って荷下ろしの場所から玄関先まで竹を移動、締めて400キロ。
  山出しの黒く汚れた竹を二人で洗う、締めて46本。
  片付けを終え温泉に一直線。

二人の息も合っていて、竹の黒い汚れが落ちて瑞々しい青竹に変わっていく様は実に気持ちのいいものだった。
残りの竹はあと90本、昨夜は気さくな主人の握る寿司で家人の労をねぎらった。
料理も寿司も酒も主人との会話も堪能し、筆者はいつものように最後に河童を口に放り込んだ...。

by finches | 2011-11-20 05:06 | 無題
743■■ 木六竹八塀十郎
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用意ができたという連絡を受け昨日注文の竹を確認に出掛けた。
竹を切るに当って周到な指示がなされたと思われる粒揃いの良い青竹だった。
これで10束、総数は120本になる。

半割りを頼んだ竹は倉庫の中にあった。
割竹は割った後一日放置し、捩れなどの癖がでないことを確認するのだそうだ。
こちらは全部で16枚になる。

その竹屋を初めて訪ねたのは七月の暑い盛りだった。
地元の竹屋は全て廃業という今のご時世、ネットで検索してみると東京や京都の店ばかりがヒットした。
そこでその竹の出所を調べてみると九州の地名が挙がった。
どうして九州の竹を東京や京都に注文しなければ手に入らないのか、それでは地元の魚をわざわざ築地や錦で買うようなもので、そんな馬鹿なことがあるものかと熱くなり、県内の竹屋を探し片っ端から電話を掛けた。

結果、数軒の竹屋を見つけることができたが、面白いことにそれらはある地域に偏っていることが分った。
そこで、置いている竹を直に確かめようと訪ねたのがその竹屋だった。
そして、その時言われたのが「今の時期の竹は良くない、稲刈りの頃に伐る竹が良い」、この一言でこの竹屋から求めようと決めたのだから縁とは不思議なものだ。

竹伐りは陰暦八月頃がよいとされていて、今の九月頃に当る。
竹屋が言っていた、九月の終わりの稲刈りの頃と符合する。
そこで、十月になるのを待って電話をすると、もう少し待って十一月の方がもっと良いと言われた。
十一月に入ると再び電話をし、数量を送り見積を依頼し、そして注文から待つこと二週間、これが待ちに待った竹かと、その青々とした粒揃いの竹束に嬉しくなった。

『木六竹八塀十郎』ということばがある。
これは木は陰暦の六月に、竹は八月に伐るのが良く、塀は十月に塗るのが長持ちするということだ。
今の歴に直すと木は七月、竹は九月、塀は十一月となる。

木は現在では細胞の活動が停止する冬に伐るのがよいとされているが、その昔は梅雨の明けた七月が木の皮を剥ぎやすく乾燥も速かったのだろう。
竹は現在もこの時期が伐り旬として変わらない。
土で造る塀もこの時期までに塗って仕上を終えておかないと、凍みて剥がれたり崩れたりするという戒めとして通ずるものがある。

『木六竹八塀十郎』もだが、この度竹屋を探したことでもう一つ勉強したことがある。
それはもう一つ同じ県内に竹の産地があることを知ったことだ。
そこの竹は京都の庭師がわざわざ求める逸品で、次はその産地も訪ねてみたいと思っている。
そして、あらためて捨てたものではないと我が故郷を再発見し、四季のある国日本の懐の深さに感動した...。

by finches | 2011-11-16 03:02 | 時間