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778■■ 大晦日

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2日続けて市場に行き欲しい魚も手に入れた。
確か、競りが行われるのは昨日までで、今日大晦日は漁師たちが直接魚を並べ売る日だったと思う。

去年まではこの晦日の喧騒の中に東京から飛び込み、季節の一瞬を点のように感じていた。
だが、今年は途切れることなく三月(みつき)で訪れる新しい季節を肌で感じ、過ぎ行く季節の流れの中の一こまとして晦日の喧騒を体験した。

そんな喧騒の中で目当ての魚を求めようと思えば、人を押しのけ我先にでは駄目だ。
こんな時はわざと一番遠くに車を止め、船溜まりに並ぶ漁船や空を染める朝日を眺めながらゆっくりと歩き、ゆったりとした気持ちでその喧騒に向かうのがいい。
魚は逃げはしない。

今年は未曾有の災害が多くの命を奪った。
そして、傲慢な人間たちが引き起こした原発事故がそれに追い討ちをかけるように、豊かな自然とそこでの穏やかな暮らしを奪い去った。 
それは、人を押しのけ我先にと生きてきた人間による、明らかな人災に違いない。

さて、南と北の神社では門松を立て初詣の客を迎える準備を終えていた。
その新しい門松を見ながら、この南の神社も刻々とその装いを変える季節の中を、何度訪れただろうと考えた。
東北を襲った大津波、そして原子力発電の大嘘、これらは筆者に生き方、暮らし方、考え方を見直させた。
そして、筆者にとって今年は、大きな大きなリセットの年になった...。

良いお年をお迎えください。

by finches | 2011-12-31 03:59 | 時間
777■■ 市場の買物
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昨朝は久し振りに市場に出掛けた。
勿論この時期、市場は人で溢れ活気に満ち満ちていた。

いつものようにザッと一回りして品定めを終えると、徐に買物を始めた。
最初に小海老を買った。
続いて、鰯、海老、そして赤貝を買った。
次に場所を替え、蛸とカワハギを買った。

蛸とカワハギはこの日市場に並んだ中で一番大きなものを選んだ。
家人は市場の周りに並んだ露店で、重く身の締まった白菜やその他の野菜をドッサリと、正月用の枝物を買った。

朝食を終えると、先ず四本の包丁を研ぎ、買って来た魚を下ろし始めた。
カワハギは三枚に下ろし、肝も丁寧に取り出した。
カワハギの粗は甘辛く煮詰めると美味い。

鰯は軽く鱗を取ると、丁寧に包んでチルドに仕舞った。
鰯は刺身もいいが、脂ののったこの時期は焼くのが美味い。

蛸は塩でヌメリを取ると、番茶を入れた熱湯で茹でた。
この茹でる時間が蛸の味と、様々な料理に姿を変える下地をつくるのだから気が抜けない。
この時間は蛸の大きさや活きの良さ、締まり具合などの身の感じで変わるから、一概に何分が良いとは言えない。
このあたりの曖昧さこそが大事で、そこいらの役に立たない数多の料理本との違いだ。

昨夜はそんな中から、カワハギは肝合え、赤貝はネギぬた、蛸は刺身で食べた。
面倒だった赤貝の下処理の苦労も、美味い一品に変わると忘れてしまう。

さて、そろそろ7時、今朝も市場に出掛ける。
今朝の目当ては鰤と鯛の大物と、赤海鼠といったところだろうか。
出発は7時15分、昨日と同じ真っ赤な朝日が今日も見られるだろうか...。

by finches | 2011-12-30 04:48 | 嗜好
776■■ 竹の記憶
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『⭕-冬十二月』というタイトルで2日間の東京滞在を書いている。
見たもの、感じたこと、考えたこと、そして、それらについて書きたいことはまだまだあるが、晦日、正月の情景なども書きたいし、今朝は東京での最後に選んだ場所に一気に飛ぼうと思う。

南青山の閑静な住宅街に一軒のフラッグショップがある。
そこはフラッグショップと言っても、大きな住宅という感じで、数奇屋を完璧に我がものにしている京都の設計者と、それを完璧に仕上げる指折りの職人たちが作り上げた上質な空間が露地の奥に展開している。

初めてそこを訪れてから早いもので十年以上が経った。
六本木通りに面し目印にしていたエスニック料理店は姿を消し、朧げな記憶だけを頼りにその建物を探した。
そこは休みだったが、職人たちが正月を迎える竹垣作りに勤しんでいた。

その中の一人に声をかけ訪問の訳を話すと、快く中に案内してくれた。
筆者が特に見たかったのは2階の天井に組まれた竹だった。
十数年前に筆者を案内してくれた左官職人の、その手仕事が最近よく頭を過ぎり、どうしても再びそれを確かめたかった。

快く案内をしてくれたのは、実際その工事に携わった責任者で、その左官のことで話が弾んだ。
記憶の中にあった天井の竹と、実際に目にしたものは、随分と違ったものだった。
だが、改めてその仕事の手順の説明を聞き、本物が隠し持つ技と美しさに心が震えた。

少ないが今年も良い出会いがあった。
そして、ここでの偶然の出会いも、自分にとっての貴重な財産だと思った...。

by finches | 2011-12-29 04:39 | 時間
775■■ 冬を暮らす
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早朝派にとって、このところの寒波は流石に厳しい。
ランプ形の灯油ストーブとアラジンのブルーフレームの2台に火を点け、向き合うように足下に置いた電気ストーブで何とか寒さを忍んできた。

北海道のように室温25℃の世界で半袖で過ごそうなどと、そんな夢のような環境をつくろうとしている訳ではない。
防寒体制は我家仕様のレベル2に加えて、2重に防寒コートを重ね着した上でのことだ。

二つの灯油ストーブを点けた部屋で友人と話をしていて、アラジンの別のストーブの存在を知った。
それまで筆者はアラジンといえば、ブルーフレーム、これ以外に興味はなく他のストーブの存在を調べることもなかった。
だが、友人の家にあるというそのストーブの話を聞き、その日のうちにそのストーブを注文した。

設定温度は15℃、今朝の室温は5℃、一時間経った室温は8度、ストーブまでの距離は凡そ60センチ、なんだかこの位置関係はあの『向き合うように足下に置いた電気ストーブ』に似ている。
コンクリートの部屋で16畳を温める能力はあるのだが、筆者は相変わらず寒さに耐え、寒さと闘っている。

現在の過剰な程の住宅環境への実験的試みではあるのだが、昔の人の冬の暮らしを改めて考える。
取分け、北海道の博物館で見たアイヌの絵に描かれていた、雪の中を裸足で獲物を追う姿とその装束が頭に浮かんだ...。

by finches | 2011-12-27 06:19 | 記憶
774■■ 旧東急文化会館跡-冬十二月
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渋谷駅と東急文化会館が竣工したのは昭和29年(1954年)のことだ。
共に建築家・坂倉準三の作品で、前者は改修を繰り返しながらも現存し、後者は2003年に取り壊された。
その旧東急文化会館跡地に来年竣工する渋谷Hikarieを見た。

東急文化会館の取り壊しが発表された時、何とか保存の道はないものかと思った。
だが、渋谷駅前の一等地での再開発は、今や時代の流れ、避けられないことと感じたことも事実だった。。
それはそこで行われようとしている開発計画が優秀な組織により、且つ高レベルで遂行されている予感を、その完成予想写真から感じたからに他ならない。

そこからは、そこに新しく建てられる建築に対する好き嫌いの問題ではなく、自己顕示だけが目に付く渋谷・青山・原宿一帯の建築の中にあって、表で主張する形態やデザインの裏で、洗練された高質の技術の蓄積が、兎角走りがちなデザインの安易な暴発への手綱をギュッと引き締めているように感じられる。

渋谷駅を見ていると、建築家・坂倉準三の思い描いた、都市と街づくりの起点としてのターミナルに対する設計思想が思い起こされる。
そう思うと、建築家・隈研吾による渋谷駅の改修などは、坂倉準三の大きな懐の中での小手先の飯事のようにさえ思えてくる。

渋谷Hikarieの次は地下鉄銀座線高架も美しい橋にして欲しと思った。
渋谷のターミナルとしての秀逸さは、バスとJRと地下鉄銀座線を空中で重層させた都会的なストラクチャーにあり、それを象徴するのがこの高架線なのだから...。

by finches | 2011-12-26 05:40 | 時間
773■■ 松丸本舗-冬十二月
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東京にいる時も本を求めて丸の内オアゾの丸善に行くことが多かった。
ネットで注文した方が速いこともあって、例えば新聞の書評や誰かがブログなどで紹介して興味を持った時などは、こちらを利用することが多い。
今回も一冊の専門書をネットで買おうか迷った挙句、結局急がずに現物を確かめてからにしようとオアゾに足を運び、その結果別の本を選んだ。

ネット注文の、欲しい本が直ぐに手元に届くスピードと手軽さは、確かに便利で捨て難いものがある。
だが、既に買おうと決めていても、欲しい本をじっくり自分の目で確かめて買いたい時もある。
それはブラウジングの楽しみがあるからで、ついついいつ読むかも分らない本を買い溜めてしまったりすることもある。

自分のための一冊と、家人へのクリスマスプレゼントに二冊の本を買った。
後者の一冊は『美しい季語たち』、もう一冊は『春夏秋冬 暦のことば』で、丸善4階の一角にある『松丸本舗』でこれらを選んだ。

『松丸本舗』は編集工学者・松岡正剛と丸善が共同で設立した『実験的書店空間』で、出版社別や分類別などの垣根を越え、文脈別に書籍が配置されている。
この二冊も三箇所に分けて置かれていた書棚の一つから選んだ。
厳選された本の中から、余計な解説のない読み手の創造力を引き出すもの、客観的で多角的に類例を網羅し読み手の成長に伴って色褪せることのないもの、そんな本を選んだ。

十年以上前にクリスマスプレゼントとして送った電子辞書を筆者が落として壊した。
だから、今年のクリスマスはこの二冊に新しい電子辞書も加わった。
そして、家人からは錫の杯と下駄用の靴下をもらった。

寒い夜だったが、昨日歩いた落葉の石畳のこと、温まった温泉のこと、大岩を見に行って食べた真っ赤な木苺のこと、友人が釣った黒鯛の締め方の上手さのこと、などなど話は尽きず、温度を変えない錫の杯で長野の美味い地酒を堪能した...。

by finches | 2011-12-25 06:13 | 時間
772■■ 東京駅-冬十二月

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東京駅が竣工したのは大正3年(1914年)のことだ。
設計は辰野金吾、900万個の赤煉瓦を使い、駅舎の長さは東京タワーの高さに匹敵し、高さは戦艦大和に近い。

その堅牢さ故に関東大震災にも持ち堪えたが、東京大空襲で3階部分とドームを焼失し、戦後の修復で3階建だった駅舎は2階建に、二つのドームは簡素な八角形の屋根に架け替えられた。
その東京駅を元の形に復元する工事が2007年から開始され、予定では来年には完成する。

その復元なった二つのドームを初めて目にした。
筆者は戦後の人々の原風景として既に定着している東京駅を、わざわざ竣工当時に復元する必要があるのかと内心思っていた。
だが、冬空に凛と聳えるドームを目にし、そのレプリカなどではない本物の復元に思わず息を呑んだ。

ドームに使われている材料も色も、筆者のこれまでの想像を遥かに超えていた。
逆光の中それを見詰めながら、まだシートに覆われた駅舎本体は3階建としてどのように生まれ変わるのだろうと想像した。

東京駅と同じ時代を生きた由緒ある建物が、次々と超高層のガラス建築に変貌する丸の内にあって、目の前で行われている復元という違う次元のベクトルは、筆者の復元への疑問の思いを一気に吹き飛ばしていた...。

by finches | 2011-12-24 05:02 | 時間
771■■ 東堀留川跡-冬十二月

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かつて日本橋川の江戸橋左岸下流には西堀留川と東堀留川という二つの川が合流していた。
前者は関東大震災による瓦礫を処分するために埋められ、後者は戦後の瓦礫処理で埋められた。
この写真は東堀留川の跡で今は児童公園になっているが、随分と広い川幅だったことが窺える。
また、江戸時代はこの川の両側に二つの河岸があり活気に満ち溢れていた。

堀留とは堀を掘っていって止めたところという意味だ。
筆者も最初は河岸をつくる為に、日本橋川から開削していった堀割だと考えていた。
だが、これら二つの川の一つはかつて江戸湾に流れ込んでいた旧石神井川の川筋の名残で、旧石神井川の付け替えや神田川の開削により、元の川から切り離され埋められ、辛うじて残った下流の一部がこの川の所以だ。

ところで、日本橋川も太田道灌が開削した道三堀の川筋だが、この道三堀は当時江戸城まで入り込んでいた日比谷入江と江戸湾とを結ぶためのもので、その途中で江戸湾に注いでいたのが旧石神井川となる。
つまり、この写真を撮った立ち位置から後ろを振り返ると、かつては入江の先に広大にな江戸湾が広がっていたことになる。

清洲橋に向かう途中のちょっとした寄り道から今朝も多くのことを勉強した。
江戸は世界に類を見ない、水の都。
江戸は世界に類を見ない、都市計画でつくられた街。
いや~、江戸は知れば知るほど、分れば分るほど、面白い、楽しい、すごい...。

by finches | 2011-12-23 04:12 | 時間
770■■ 清洲橋-冬十二月
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東京2日目の朝、清洲橋までの散歩を楽しんだ。
隅田川は清洲橋左岸上流で小名木川と出合い、そこには変わらぬ萬年橋の姿があった。
清洲橋左岸下流には隅田川との出合いを絶たれた仙台堀川の水門だけがあった。
清洲橋から下流を望むと、高速道路によってその上下を切り取られた永代橋があった。
清洲橋から上流を望むと、隅田川は右岸に向けて大きく曲がり、正面にはスカイツリーが聳えていた。

手元に清洲橋の写真は何百枚とあるが、やはり臨場感が覚めやらぬうちに書く方が楽しい。
それは、そこから見たもの、考えたこと、感じたこと、そして、空気の冷たさ、朝日の光耀、様々な音などの記憶がまだ鮮明に残っているせいだと思った。

行きは上流側を中洲から清澄に向けて渡り、帰りは下流側を渡った。
行きは逆光の中、帰りは順光の中、鉄の厚い板やリベットがつくり出す無数の光と陰、その一つ一つがアーチの美しいシルエットをつくり出していた。

右岸下流の橋詰からテラスに下りた。
そして、橋の下を潜り上流に向かって歩き、新大橋から浜町公園へと抜けた。
復興大公園の一つ浜町公園は開園当時とは随分変わったという印象を持っていた。
だが、紅葉した大木を見ていると、あの『昭和大東京百図絵』にある小泉癸巳男の『日本ばし区浜町公園・春雪』の景色と重なるようにも思えた...。

by finches | 2011-12-22 04:36 | 時間
769■■ 日本橋-冬十二月
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半年振りの東京は13年振りに乗るモノレールで始まった。
約束の待ち合わせまでは9時間、たっぷりある時間、そんな心の余裕が朝の車窓の景色をより新鮮なものにした。

JRに乗り継ぎ有楽町で降りると、先ずは新しい眼鏡の注文を済ませた。
次に復元工事の進む東京駅の雑踏を擦り抜け、地下ホームから快速に乗り千葉に向かった。
千葉に着くとモノレールに乗り換え二つ目の駅で降りると、その日二つ目の用を済ませた。

東京に戻りチェックインを済ませると、日本橋から銀座まで寄り道を楽しみながらゆっくりと歩いた。
明治44年(1911年)に竣工した日本橋は今年架橋百年を迎えることで、昨年全面に亘る改修工事が実施され見違えるように綺麗になっていた。
日本橋は毎年夏に橋洗いが行われており、それも今年で41回目となるが、洗われるのは歩道や道路や高速道路に取り付けられた『日本橋』の橋名プレートなどで、橋全体は黒く汚れた印象を拭えなかったものだが、それも先の改修により当時の色を取り戻していた。

さっぱりと綺麗になった日本橋は右岸上流の橋詰の黄色く色付いた大銀杏とどこか会話を楽しいんでいるかのように見えた。
そんな光景を眺めながら、他の数多の橋たちにもこの橋と同じ愛情を注いで欲しいと思わずにはいられなかった。
否、愛情とまでは言わない、自分たちの身近にあるそれらの美しい橋の存在に、先ずは気付いて欲しいと思った...。

by finches | 2011-12-21 05:16 | 時間