<   2012年 01月 ( 31 )   > この月の画像一覧
809■■ 一月みそか
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今年は拙稿を一年通して書き続けてみようかと思っている。
それには精神の安定が一年通して保てるかにかかっている。
書きたくない時も書くのが面倒な時もあるが、それらは何とか克服できる。
だが、心が書くのを拒む時はもうどうにもならない。
そんな時は1日が2日、2日が3日、1週間になっても書く気が起きないこともある。

書き続けることに無理をしていると思った時もそこで止める。
何日か前にもそんな日があったが、その時は書きかけのものを全て捨てて新たなテーマで書き直すことで辛うじて頓挫を免れた。
続けることで出来の悪い日もあるにせよ、もし一年を通して続けることが出来たら、一皮剥けた世界が開くような気がする。

書くという行為の中で必ず行うことに辞書を引くということがあり、これは毎回必ず行っている。
書こうとする内容によっては時間をかけて調べる必要も生まれ、それは膨大な情報を取捨選択し、次にそれらを短く分り易く纏める行為へと繋がっていく。
その一連の流れは、考える、探す、調べる、読む、選ぶ、捨てる、判断する、纏める、そして、考える、書く、そして、再び捨てるという行為で終結するように思う。

ここまで書いた字数を450字くらいと予想し、実際は484文字あった。
これも時々行ってみることだが、テーマに対してある適当なボリュームというものがあると考えていて、字数を見るのは纏めに入るタイミングを計る意味もある。

書こうとする内容を半分で表現することをイメージしている。
種を明かせばこれはある映画から学んだことだ。
今日で一月も終わるが、一日一日が刻々と変わる季節と共にあったように思う。
季節の移ろいを見守り続けること、それも今年のささやかな目標の一つだ...。

by finches | 2012-01-31 05:51 | 無題
808■■ 樋門が伝える歴史
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隣接する市が刻んで来た貴重な歴史について多少知ってはいても、そこをじっくり歩いてみることはなかった。
だが、偶然に見つけた標識に誘われるままに川伝いの細い道を進むと、江戸時代に造られた小さな遺構が現れた。

その五連の樋門は干拓の為の排水門で、その内側に広がる広大な農地は当時藩が行った最大規模の干拓事業によるものだと知った。
それは広大な干潟を利用しての干拓であったにせよ、その土地の高さは海よりも下で、堤防を築き干潟を海から切り離した後の干拓工事が、どれ程過酷でまた年月を要したことかは想像だに出来なかった。

この樋門は硬い岩盤を刳り貫いて造られているそうで、344年の時を経て当時の土木技術の高さを今に遺していた。
それは基本となる石積みに見ることが出来、江戸時代の石積みがビクともしていないその横で、近代の堤防が波に破壊されている姿は何度となく目にしたものだ。

この樋門は300年以上に亘り実際に使い続けられた。
この古い樋門の外に新たな堤防を築き、そこに新しい樋門を造る必要がどこにあるのかと言いたい。
遺構として葬るのではなく、先人の遺した遺産を生涯現役として使い続ける発想がどうして出来ないのかと言いたい。
ここにも国と県が行う無駄な終わりなき自然破壊の悲しい犠牲者の姿があった...。

by finches | 2012-01-30 04:22 | 遺産
807■■ 竹を削る
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竹は同じものが二つとない上に一本一本その癖も異なる。
筋のいい真直ぐなものは少なく、ほとんどが節で向きを変える。
そして、先にいくほど細くなるのは木と同じだが、根元も細くなっているところが木とは異なる。
肉厚は根元が最も厚く次第に薄くなっている。
だから、長い竹であっても目的に応じてその使える部分は自ずと限られてくる。

竹は竹鋸を使えば切るのは易く、割るのも少しこつを摑めば気持ちよくできる。
だが、削るのはそのこつを摑むまでに幾分時間と労力を要する。
上手く削るには材料としての竹を知ることと同時に、削る道具である刃物のことも分らなければ、力が入るばかりで全く思うようには削れない。

慣れた頃には仕事も終るもので、数をこなす中で少しずつそのこつを会得していく。
不思議なもので、ちょっとしたこつさえ摑めば無理な力を入れずに済むようになる。
力が入っている時は無理をしているのだと分れば、力を入れずに削れる向きに刃先を入れてやれば自然と流れるように削れる。
竹細工職人の仕事を見ていても、刃物を添えるだけで竹が割れたり削れたりするように感じるのは、竹の目に正確な角度で刃先を当てているからで、力はほとんど入っていないと思う。

どうやれば楽に出来て時間をかけずに済むか、その答えは意外なところにあった。
それは竹と刃物、その両方をよく観察し知ることにあった。
そして、竹を削るためだけの刃物の形や大きさや刃の角度の訳も分るように思えた...。

by finches | 2012-01-29 04:38 | 無題
806■■ 硬骨魚

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魚の骨は実にユニークな形をしている。
魚によってその特徴は異なるが、概して骨の硬い魚にユニークで美しい骨が見られるように思う。
硬骨魚に見られる『鯛の鯛』などは正にそうで、形が鯛に似ていることからその名があるように実にユニークで面白い。
まあ、骨の硬い魚の代表は何と言ってもこの鯛だろう。

カワハギも皮が硬いだけではなく骨まで硬い。
そして、頭には鋭い角まであるものだから捌くにも一苦労する。
しかし、食した後の写真で甚だ恐縮だが、写真のカワハギの頭などはまるでアールデコを彷彿とさせる美しさがある。

ところで、骨の硬い魚の身はこれが締まっていて、煮付けると噛むほどに深い味わいを堪能できる。
そして、この硬い骨からはいい出汁が出て、薄味の吸い物にしたら上品な味が楽しめる。
魚売場の片隅に鯛の粗を見つけたら、一度甘辛い煮付けと吸い物を作られることをお勧めする。
値段は安くても味は絶品だから...。

by finches | 2012-01-28 03:47 | 無題
805■■ 海-一月
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曇った窓を通して降りしきる雪を見ながら、これはもっと積もると子どものように心が躍った。
傘をさし長靴を履いて、一面真っ白に雪化粧した庭を横切って朝食に行ったことがそれ程楽しかったのか、雪の降る海を写真に撮ろうといそいそと準備を始めた。
膝までの長靴もこんな日の為にあるのだと云わんばかりに、次なる出番を待っていた。
だが、10センチ程も積もった大寒の雪も太陽が顔を出すとみるみる解けていった。

室温はこの冬一番の低さを示していたが、季節は確実に春に向かっているのだろう、当分は解けないと踏んでいた雪をたった一日で綺麗に消し去ってしまった。
寸時の差で海に降る雪を撮る絶好の機会は逃したが、あの雪と寒さがまるで嘘だったような明るく穏やかな海で昼食後の散歩を楽しんだ。

空の色が次第に春に向かっているのは感じていた。
冬の澄んだ青から空色に変わり、そしてこれから朧に霞んだ春の色に変わって行く。
だが、海はまだ澄んで透明な一年で最も綺麗な水が静かに寄せては返していた。

誰もいない海はいい。
丸い水平線の上の貨物船はまるで停まっているかのように小さく、漁をする船はまるで点のように小さくそれぞれが光って見える。
冬色に輝く海、高く広い空、凛とした空気、それらが澄んだ心を取り戻させる。

昔から海は考える場所だった。
埋立が海を奪い、小島が消滅し、堤防が砂浜を覆い、消波ブロックが景色をどれほど痛め付けようが、人間が手を付けようのない大海原と遠くの景色はちっとも変わってはいない。
そして、その海が考える場所であることも、ちっとも変わってはいない...。

by finches | 2012-01-27 05:07 | 時間
804■■ iPod nano
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所持していた第1世代のiPod nanoが第6世代の最新モデルになって送り返されて来た。
それはAppleの行っている無償交換プログラムによるものだが、当然愛着のある第1世代が新しくなって戻って来るものと思っていただけに、それについてのコメントもなく一方的且つ機械的な代替品の送付に憮然として放り投げていたが、数日後何とか気を取り直して使うことにした。

いざ使い始めてみるとこれが良く出来ていて、流石に6世代目ともなると随分と進化を遂げていた。
仮に人間社会で1世代を80年としたら6世代前というと、2012年-80年×6世代=1532年となる。
1532年は和暦に直すと天文元年に当り室町時代の終わり頃になる。
室町時代から現代にタイムスリップして感じる驚き程ではないにせよ、このiPod nanoの進化には驚かされた。

マッチと比べてもこんな小さな筐体でありながら加速度センサーを内蔵していて、歩いた距離や時間なども正確に計測できる優れものだ。
だから、これを胸に付けている姿を例えウルトラマンのようだと言われようが、ひたすら無視を決め込んでいる。

そういえば、時計を見ないことはないが、時計をあまりしなくはなった。
それは江戸時代のように一日を日の出入りで考え、一年は季節の移ろいで考えようとしているからかも知れない。
そんな風に時間を捉えると、見えなかったものが見えてきたり、見ないでいいものを見なくてすんだりする。
そして、そんなアナログを暮らしのベースに据えると、選りすぐったデジタル機器は逆にその便利さや有難みが増してくる。
そうだ、忘れないうちにこのことは『私家版共存同栄』の一章に入れておこう...。

by finches | 2012-01-26 04:06 | 無題
803■■ 大寒の雪
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流石に大寒は寒さの底と観念し、只々防寒に最善を尽してきた。
一方、山道を走ると木々が既に芽吹きの準備を始めている気配を、そこはかとない微かな色の変化から感じていた。

昨日は朝食のため外に出ると、雪が降り始めていた。
柿の木の下の一番大きなメダカの水鉢にも氷が張り、大寒を過ぎ寒さも和らぐとの甘い思いも一蹴された。
そんな寒い日は外には出ないで過ごそうと決めた。
だが、二度の灯油運びと三度の外出が待っていて、朝の小さな決心を一蹴した。

夜のうちに雪が降ったのだろう、外に出ると雪が積もっていた。
室温5℃、今朝がこの冬一番の寒さであることをストーブのデジタルが示していた。

今朝、いつものように暗い庭を歩き部屋に上がり灯りを点けると、目を疑う光景が飛び込んできた。
いつも電子辞書とiPadを置くスツールのすぐ傍に盛り塩のように雪が積もっていた。
何処かから吹き込んだのであれば盛り塩の形状にはならない。
盛り塩の形状になるには、上から砂時計の砂のように真直ぐ正確に落ちて来なければならない。

正にミステリーだが、雪の妖精が置いて行ったと思っておこう。
何か縁起のいいことがあるのかも知れない、そんな春が待ち遠しい...。


[追記]
写真は今朝2階の窓を全開にして撮った柿の木と雪景色
by finches | 2012-01-25 04:41 | 無題
802■■ 帝都復興美観
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一冊の冊子が手元に届いた。
それは、『聖上陛下御巡幸記念 帝都復興美観』で、昭和5年3月24日の天皇巡幸を記録したものだ。

筆者は関東大震災後に建てられた復興小学校の研究を続けていて、それに繋がる資料に出合うと、それが余程高額でない限りは手元に置くようにしている。
関東大震災の復興事業関係の資料は国会図書館や東京都公文書館を始めとして、幾つかの公立図書館で所蔵されている。
筆者は調べる内容によりこれらの図書館を使い分けていて、時々は古書店に出物を探して立ち寄ったりもする。

余り知られていないのが、意外やこれらの資料を地方の思わぬ大学が所蔵していて、それらをデジタルアーカイブで公開していることもある。
逆に、東京都下の某図書館のように、どこで手に入れたのかは知らないが、それらの貴重資料を閉架書庫の奥に仕舞って一般に公開していない図書館基本理念にももとる例もある。

さて、予想した通り先の冊子にも二つの復興小学校が載っていた。
それらは既に手元に所持している写真だったが、一冊の纏まった冊子の中で天皇巡幸の順序と合わせて見ていくと新たな知見に繋がるものだ。

その一つ千代田小学校については『日本一の千代田小学校』、『その構想設備等は実に日本一、世界にもその類が少ないと云われるくらいの出来栄え』と賞賛されていた。
千代田小学校の完成は帝都復興事業の終わる昭和5年の前年の12月、正に出来たてホヤホヤで、隅田川の傍に建つ千代田の屋上からは新大橋を始め、両国、蔵前、厩、駒形の復興橋梁が望め、川向こうには復興の象徴である復興小学校が点在する光景が広がっていたことだろう。

これまで、どうして天皇巡幸に千代田が選ばれたのだろうと考えていた。
日本一と言えども他校と比較して特に建設費が高いわけでもなかった。
だが、この冊子を見て、復興の象徴であった復興小学校にあって、帝都復興を一望する場所としてそこが選ばれたことが分った。
それは新たに分った小さな知見ではあるが、その積み重ねが新たな知見へ向けての想像力を養っていく...。

by finches | 2012-01-24 05:44 | 復興
801■■ 用水が消える山
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闇雲に道もない山の中を踏査することは不可能で、だからこれは筆者の推測でしかないが、拙稿『姿を現した用水』から本稿『用水が消える山』、この間が完全な隧道であることにほぼ間違いはないと思われる。
地図の上ではこの隧道から先の表記が突然と消えているが、これまではそのことを地図が未完故だと考えていた。
だが、地図が未完ではないとするなら、開渠ではない部分を全て隧道として表記が統一されているとするなら、ここで地図から姿が消える意味も理解ができた。

T用水は田んぼの中に一瞬姿を現した後は鯨が深海に潜るように再び地上から姿を消し、次は揚水施設が見当たらないにも係わらず数メートルも高所に姿を現し、その次に再び現れる隧道出口は更に数倍高所に位置している。

T用水は全行程でサイホンと自然流下を併用したものであろうことは最初から想像出来た。
そして、筆者に強い興味を抱かせたのは、それが逆サイホンを駆使していることだった。
だが、筆者が頭に描くその断面は、最も高所に位置するダムの取水口からその流路は閉じたものでなければならなかった。

なのに、低い地上に平然と口を開けたかと思うと、揚水施設も無しにその水を高所へ高所へと揚げている。
どうしてそれが可能なのか、ポンプに頼らず水を高所に揚げるには、大気圧と水の自重による圧力差を利用するしか思いつかない。

シンポジウムの翌日は終日小雨模様だった。
そんな天気の中で見つけた隧道出口は筆者の疑問を更に増幅させた。
水をどうやってここまで揚げているのだろう、隧道はほぼ水平と予測したのに、何故登っているのだろうか、何故登れるのだろうか。
これではまるでエッシャーの騙し絵のようだ。

これまでもそうだったが、分ってしまえばそれで終わり、さして面白くもない。
だが、分るまで、疑問が解けるまでは実に面白い。
次は逆サイホンの模型実験にでも挑戦してみようか...。

by finches | 2012-01-23 05:57 | 遺産
800■■ 大寒のシンポジウム
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一月二十一日土曜日、二十四節季で最も寒いとされる大寒を迎えた。
だが、寒さの底に向かっての心身共に怠りない構えに対して、幾分寒さの和らぎを感じる穏やかな一日となった。
筆者はカツサンドと紅茶の軽い昼食をとると、シンポジウムが始まるまでの時間を図書館で郷土資料を見て過ごした。

当初100キロ先で上映される原発関連の映画を観る予定だったが、知人の大学教授がパネラーの一人ということもあって、地元のホールでのシンポジウムの方を選んだ。
子どもの頃から慣れ親しんだそのホールに、暮らしの同一線上でコンサートや講演に出掛けられること、それを筆者は至福の悦びと感じている。

そのホールについて隅々まで理解でき、愛していて、訪れる度に新たな出合いと発見があり、細やかだが安穏な充足が得られる。
写真は休憩時間に撮ったものだが、こんな狭間の空間にも同じものは一つとない折々の季節があり、季節がホールと呼応するように囁き合っている。

シンポジウムは江戸時代から明治、大正、戦前までの先人の遺業を紐解きながら、その礎の上に発展した現代を考える形で進行した。
それらは筆者の目に霞んで見え始めていたものへ、明確な道筋を指し示してくれるものでもあった。
また、先人の偉業ではなく遺業としたことに、頭の良いメッセージが込められていると思った。
そこには有限から無限を生んだ原点を学び知ることで、偉業として称えるのではなく、遺業としてその精神を学び再認識し、自らが考え行動することが我々に備わっている気質でありDNAであることを伝えようとしているように思えた。

シンポジウムの後、パネラーの知人とも話ができた。
知人の紹介で市の教育委員会幹部とも名刺の交換をした。
そのホールを設計した建築家の下にいた旧所員を紹介され、旧所員が描いた熊本水道局の施工原図の説明を受けながら、その建築家の仕事への姿勢を直接聞くこともできた。

筆者は東京を離れ故郷に戻ったことで、研究したいと思っている幾つかのテーマがある。
その一つがこのホールを設計した建築家がこの町に残した数々の建築とその足跡の調査で、既に調べを始めている。
だが、昨日は先人の遺した『共存同栄』という言葉を知ったことで、自らが進んでこの建築家の足跡を後世に伝える会を立ち上げ、これまでのように一人ではなく協同でそれをやっていきたいと思っている。

外にでると日は暮れようとしていた。
再会を約束して知人と別れると、既に人気の絶えた道を駅へ向かって歩いた...。

by finches | 2012-01-22 04:18 | 遺産