<   2012年 03月 ( 23 )   > この月の画像一覧
861■■ 春の恵み-海

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四日間いい天気が続き、四日目の朝、久し振りに市場に出掛けた。
オイルサーデンに持って来いの小鰯を二笊、塩焼きに良さそうな中鰯を一笊、何に使おうがオールマイティな小海老を一まとめ、干物に良さそうな小鯖を五本、〆鯖にしてくれと言わんばかりに目を輝かせている中鯖を一本買った。

鰯と小海老は家人に任せた。
オイルサーデンに初めて挑む家人はその重責からか、ちょっと緊張気味で、作り方をあれこれ調べ始めた。
筆者は三枚に下ろした中鯖を塩に埋めて冷蔵庫に仕舞うと、小鯖の干物作りにかかった。
余りの活きの良さに、五本の内三本を干物に、二本を焼きと味噌煮用に下ろした。

小鯖と言っても盆笊の直径は70センチだから、それ程小さい訳ではない。
色艶とも完璧で、こんな鯖が一本百円で手に入るのだから堪らない。

太陽と風と塩が美味い干物に仕上てくれた。
昨夜早速その一枚を食したが、思わず笑みがこぼれ自然の恵みに感謝した...。

by finches | 2012-03-31 04:24 | 季節
860■■ 春の気配

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季節は地球上皆平等にあって、四季も地球上皆平等に巡って来るものだと、大人になってからも思っていた。
それが当たり前だと思っていた。
だが、いつの頃からかこの国ほど四季に変化があって、そのそれぞれが美しい国は世界に二つとないと思うようになった。

よもを海に囲まれ、森は深く、川も多く変化に富む。
冬は寒く夏は暑い、雨も降れば雪も降る、乾燥もすれば多湿でもある。
負を克服することで知恵が生まれ、知恵が文化を育み、その知恵は連綿と伝承され受け継がれて来た。

四季の中でも、自然が新しく生まれ変わる、自然が自らをリセットする、そんな創生の季節が静かに動き出している。
これまで生きてきて、その間断なく続く自然の営みの始まりを、こんな風に感じ視るのは初めてだ。

それは、全てがけなげで、繊細で、いとおしく、そしてことばがない程に美しい...。

by finches | 2012-03-30 04:39 | 季節
859■■ 夜空
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もう直ぐ四月になろうというのに、いつもの年よりも中々寒さが抜けない。
小鳥の囀りは陽春のそれだが、芽吹きを待つ木の芽や蕾は間違って開いたら大変と、カプセルを閉じたまま慎重に気温の変化を伺っている。

それでも風さえなければ日中は随分と暖かくなって過ごしやすくなった。
夜空を見上げるとついこの前まで寒々とした冷気が頬を刺したが、それもいつしか心地よい夜の冷気に変わった。

そんな夜空を見上げると、月が二つの星に上下を挟まれそれらが一直線に並んでいた。
それは初めて見るような不思議な光景で、なんだかとても嬉しくなって何枚も写真に撮った。

庭に立つと満天の星が輝き、闇の中に天球の丸さを感じた。
それがまたちょっと楽しい気持ちになって、石灯籠の中に蝋燭を点した。

星明りと蝋燭だけの闇の世界。
夕食の片付けを終えた家人が庭を歩いてやって来た...。

by finches | 2012-03-29 04:33 | 無題
858■■ サクラとイペー
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観光客のいない生まれたての朝の街は清々しくて好きだ。
そんな朝の街をゆっくりと新神戸から北野に向けて歩いた。
途中、港に向けて下る幾つもの道を通り過ぎた。
その度に港に下る道の先を見たが、先にあるはずの海はどの坂からも見ることはできなかった。

北野通りは何処も同じ観光地の通りの風情で、もう直ぐやって来る観光客の群れを受け入れる準備に余念がなかった。
そんな通りを避けるように北野坂を下り、異人館通りを更に西に向かった。
途中、懐かしいローズガーデンに立ち寄った後、写真のシュウエケ邸横の細道を下り、更に細い路地を抜けてトアロードへと出た。

トアロードを越えて異人館通りを真直ぐ進むと件の旧国立移民収容所、トアロードを下ると件の旧北野小学校がある。
北野散策の最終目的地はこの旧北野小学校だった。
時間が許せばもう一つ神戸で調べたい場所があったが、あっという間に3時間が過ぎた。

GPSのデータからその日のトリップを見てみると、記憶を頼りに懸命に探して見つからなかった場所が直ぐ近くだったり、遠いからと諦めた場所が意外と近かったりと、その思わぬ発見が面白い。

旧国立移民収容所には日本の木『サクラ』とともに、ブラジルの木『イペー』が植えられている。
もう直ぐイペーが黄色い花をつける本当の春がやって来る...。

by finches | 2012-03-28 04:25 | 記憶
857■■ 神戸市北野小学校
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大阪での待ち合わせの5時間も前に神戸を訪ねたのにはそれなりの訳がある。
それは、神戸は日本で最初に鉄筋コンクリート造小学校が誕生した地で、京都に続いて大阪のそれを視る前に、神戸に残る同時代の小学校建築の姿を目に焼き付けておこうと思ったからだ。

大正9(1920)年に神戸に完成した日本で最初の鉄筋コンクリート造小学校は須佐小学校と言った。
だが、同じ年には横浜で寿小学校が産声を上げており、当時の大都市に於ける小学校建築の不燃化の流れの中にあって、何処が最初かということはさして重要な意味は持たない。
余談だが、大正9年の人口から都市の規模を推し量るならば、神戸は東京,大阪に続く第三位、横浜は第七位だが、大正14年には神戸第五位、横浜第六位と横浜の人口増加が著しいことが見て取れる。

さて、現在は『北野工房のまち』として保存再生されている北野小学校は昭和6(1931)年に完成したもので、前稿のトアロードという坂道に面して建っている。
北野小学校を書くに当り先ず前稿で『国立移民収容所』を取り上げたのは、このトアロードを登った先を左に折れて更に登るとその収容所があり、その先は更に細民街に続いていたことを背景として書いておきたかったからだ。
一方、トアロードを真直ぐ登った先にはトア・ホテルと言う高級ホテルが建ち、この北野小学校も移民として日本を離れなければならなかった人々とは天と地程も差のある人々の子どもたちが通う、まるで夢のような超近代的な建物だったに違いない。

両者の間にはその時代の光と影が交錯し、長い時の流れの中で今は共に姿を変えて対峙する様に、言い様ない歴史への深い憎悪を感じるのは筆者だけだろうか。
前稿の石川達三の『蒼氓』の中に、「突堤には見送りの小学生が三、四百人も整列していた。彼らは港にちかい小学校の生徒たちで、移民船が出る度毎に交替で見送りに来るのであった。」という件がある。

間違いなく港への坂を下る移民たちはこの北野小学校の前を通り、間違いなく見送りの旗を振る小学生の中にこの北野小学校の生徒たちがいたと思う。
国立移民収容所と北野小学校の建築の記憶を更に上回る街の記憶の中に両者が存在し、それらが長い時を経て対峙する姿に、改めて日本の歴史の深淵とこの街の歴史の深さとを感じる思いがした。
そして、改めて歴史ある建築をそのままの姿で次代へ継承することの意味を、深く深く思わずにはいられなかった...。

by finches | 2012-03-25 05:35 | 近代モダン小学校
856■■ 蒼氓

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 一九三〇年三月八日。
 神戸は雨である。細々とけぶる春雨である。海は灰色に霞み、街も朝から夕暮れどきのように暗い。
 三ノ宮駅から山ノ手に向う赤土の坂道はどろどろのぬかるみである。この道を朝早くから幾台となく自動車が駆け上がって行く。それは殆んど絶え間もなく後から後からと続く行列である。この道が丘につき当って行き詰ったところに黄色い無装飾の大きなビルディングが建っている。後に赤松の丘を負い、右手は贅沢な尖塔をもったトア・ホテルに続き、左は黒く汚い細民街に連なるこの丘のうえの是が「国立海外移民収容所」である。


これは石川達三の第一回芥川賞受賞作『蒼氓(そうぼう)』の書き出しの一節だ。
そして、写真に写っている建物が昭和3(1928)年に完成し、中南米諸国へ25万人の移住者を送り出した「国立移民収容所」、その改修なった今の姿だ。
因みに『蒼氓』ではこの収容所に集まった千人近くの移住希望者が出帆までの8日間を共に暮らし、彼の地に向けて船が離岸するまでを描いている。

赤土の坂道はアスファルト舗装の道路に、黒く汚い細民街は住宅地に、贅沢な尖塔をもったトア・ホテル跡地は神戸外国倶楽部に変わっている。
トア・ホテルの名はトアロードという坂道の名に残り、その先はかつて移民船が出帆した第三埠頭へと繋がっている。

当時国策として推進された海外移住には棄民という負の側面が否めない。
それを思うと、「海外移住と文化の交流センター」として保存整備された建物の明るさに違和感を感じずにはいられないにせよ、きちんとその歴史を後世に伝えようとする姿勢には深い感動を覚えた。

北野から山手にかけての朝の散策が思いもかけず幾つかの建築と街との歴史の深層を教えてくれた。
これまで何度神戸を訪れたか知れないが、こんな風にこの街を歩くのは初めてだった...。

by finches | 2012-03-24 07:26 | 遺産
855■■ いざ大阪

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京都に続く今月二回目の研究旅行は大阪、そこに残る戦前に建設された鉄筋コンクリート造の小学校を視るのが目的だ。
これまで、函館、埼玉、滋賀、東京、京都、と戦前に建設された鉄筋コンクリート造の小学校を視てきたが、今回の大阪は実に興味深い対象で、今から胸の想いは高まっている。

思い返せば東京の復興小学校について調べを進めている時、一人の研究者の複数の論文に出合った。
それは京都と大阪の戦前に建設された鉄筋コンクリート造小学校を研究したもので、東京とは全く生い立ちの異なることに驚嘆しながら読んだものだ。
その内の京都は前回視て、番組小学校と言われる京都特有の成り立ちと各校の個性誕生の秘話も興味深く聞くことができた。

大阪は京都とは異なる生い立ちを持っていて、現存一校でそれを読み取ることが可能かどうかは分らないが、兎に角感性を研ぎ澄ましてその建築が発する『建築の記憶』をしっかりと視て感じて来ようと思っている。

待ち合わせ時間までには十分な余裕をみている。
日本で最初に鉄筋コンクリート造小学校を造った神戸にも行ってみようと思っている。
今回の旅で、日本に於ける鉄筋コンクリート造小学校の大きな流れが摑めそうだ。

そろそろ出発の準備をしなければ。
今回もいい旅でありますように...。

by finches | 2012-03-22 04:21 | 無題
854■■ 春分の日の湯

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高校の同期生7人で飲んだ。
東京から母親の介護に帰省した一人が声を掛けその日のメンバーは決ったらしい。
顔や名前こそ知っているが東京からの友人以外はみんな初めて会うメンバーだった。
どうやらクラスもまちまち、長い時間がそのメンバーの友情を育んだようだ。

町一番の神社の神主、地元駅の駅長もやったことのある奴、抜群に理数の頭が良かったという船会社の社長、高校からコーラス部一筋の鍼灸治療院の先生、高校の文化祭でドラムを叩き喝采を浴びた奴、そして東京からの帰省者で白ヌタやら牛蒡の煮付けやら天ぷらやらの支度をして来たという奴、そんな連中と楽しい夜を過ごした。

三軒のはしご酒の結果は二日酔い、だが、不思議と爽やかな二日酔いだった。
そんな訳で春分の日は日がな一日ボーと過ごし、夕方、いつもの温泉に出掛けた。
そこは熱い湯で、常連が言うには昨日は46度、熱からず温からずのいい湯とのこと。
熱くなると48度くらいになり、こうなると湯が少し動いただけでもうじっとしてはいられない。
飛び出して、隣の28度の掛け流しに飛び込む。
噂を聞いて折角訪れても、中には熱くて湯船に入れず帰る人までいるらしい。

写真がその温泉だ。
すべてが春に向かっていて、芽吹きを待つ美しい光景が広がっている。
木々の日々の変化が分るから、毎日その変化を見るのがまた楽しい。
普段は我慢する豆腐屋のソフトクリームを、祝日だからと立ち寄って食べた。
すると、火照った体が心地よく冷めていった...。

by finches | 2012-03-21 07:17 | 無題
853■■ 温泉巡り

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楽しみにしていた日曜日は雨、これじゃあ自転車は無理と諦める。
少し思案して、温泉巡りをしようと決めるや、早速出発。
先ずは近場の温泉で全身を洗い、髪も乾かして準備を整えた。
これで残りの温泉はタオル片手の素浴を楽しむ算段だ。

地図を取りに一旦帰宅し、スーパーに寄ってチョコ2つと水2リットルを買った。
次に街一番のフルーツ店に寄り、一番美味いバナナを所望して買った。
途中の朝市では、夕食のための野菜6種も買った。
これですべての準備は完了、進路を更に北西に取った。

2番目の温泉は市内300円、市外500円。
地元の人が通う小さな内風呂の温泉は隠れた美人湯らしい。
3番目は知る人ぞ知る名湯、お目当てはその中で一軒だけの掛け流しの湯。
泉質の良さは両肘で感じた。
4番目も知る人ぞ知る名湯、正真正銘掛け流しの湯だ。
泉質は勿論言うまでもない。

写真は3番目から4番目の温泉に向かう山道に入る所で、この国道は次第に細くなり仕舞いには車一台がやっと通れるだけの細い林道に変わった。
Uターンのできない前に進むしかない山の中の細道に霧まで出て来るものだから、正直不安で心細くもあった。
時折杉木立の間から見える下界もスッポリと霧に沈んでいて、こんな所で車が故障しようものならとゾッとなった。

GPSは出発した9時半から帰り着いた5時過ぎまでを5秒おきに正確に記録している筈だ。
地図の上でそのルートを確かめるのが楽しみだ。
そして、まだ走ったことのない山道を思うと、これからの季節が楽しみになってくる。
自然の中でのフィットネス、やはりこれに勝るものはない...。

by finches | 2012-03-19 04:39 | 無題
852■■ 階段の静物

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広い階段もいいが、通常の昇り降りだけを考えると、階段を自分好みにアレンジするのも楽しいものだ。
筆者の場合は階段が本棚のようになっていて、小さい文庫や新書などは横一列で150冊は並べることができる。
これを本棚に置こうとするとサイズの小さい文庫や新書は収納効率が悪く、二重に置こうものなら奥の本は忘れ去られてしまう。

写真はその階段の踊場を撮ったものだが、踊場と言ってもフラットになっていないから本は置き難い。
いろいろ工夫してチャレンジはしてみたが、どうも見た目が今一なのと、掃除がし難いことから、今のところ本以外の静物を置いている。
何を置くかは気分次第で、今は花器を置いている。

本棚の本というのは下になるほど探し難い。
だから筆者の本棚は3、4段に最も使う頻度の高い本を置いている。
ところが階段を本棚にすると、自分が上下に移動することで目の高さが変わり、本を探すことが容易になる、これが滅法いい。
取り出した本を階段に腰掛けて読むこともできるし、飲み物を持って来れば即席の小机にもなる。

そのうちにもう少し手を入れようと思っている。
狭いが最も楽しい場所だ。
否、狭いところがいいのだ...。

by finches | 2012-03-18 06:11 | 無題