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923■■ 気温を観る

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今日は爽やかな風が吹いている、いい朝だ。
柿の枝に吊るした温度計は27度、まだ六時過ぎだが太陽はもう濃い影を作っている。
蝉の鳴き声はマルチに響き渡り、隣家のトラ猫は朝のパトロールに出掛けて行った。

気持ちのいい朝だが今日も暑くなりそうだ。
このところの夏の暑さは半端ではない。
それでも汗を掻きかきの一日は五感が刺激され代謝も人間本来の生理にあったもので、冷房に頼らなければおれなかった東京とは、ヤンキースに移籍したイチローの言ではないが、「180度ではなく、540度違う」、正にそんな感じだ。

木陰とはいえ柿の枝の温度計も最高35度まで上がった。
それを観て、涼しいからと安心出来ないことを実感した。
体感温度は30度を切っていても、気温はちゃんと35度あるのだということを。

水分は小まめに採る。
ハーブ水、紫蘇水、麦茶、煎茶、焙じ茶、番茶、京番茶、どれも手ずから作るのがいい。
暑いが、暑くても、それでも今日もいい汗を掻けそうだ...。

by finches | 2012-07-31 07:16 | 季節
922■■ 蜂の水飲み―七月

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このところメダカの水鉢の傍に小さな椅子を置いて観察するのが毎朝の日課になっている。
それはだいたい五時から六時の間で、時間にすれば数分から数十分とまちまちだが、とにかくメダカは見ていて飽きない。

昨日余りの暑さに水鉢の上の柿の枝に温度計を吊り下げた。
驚いたことに木陰で風が抜けるそんな涼しい場所でも、温度計の目盛は31℃を指した。
道理で、暑い、はずだ。
風があるから涼しく感じてはいても、気温はしっかりと夏のもので、道理で手に汗が滲むはずだと得心した。

暑くなって仕事場を二階から一階に移動し、庭に面した扉も全部外しているために視界は良好、風通しもすこぶるいい。
疲れると水鉢の傍に座り水分補給をしながらメダカを観察するのだが、疲れも取れその上癒される。

七つある水鉢の左から二つ目の、それも決まった位置に蜂がやって来る。
椅子に座ってそれを見ていると、たまたま通りがかりに水を飲んでいるのではなく、どうやら巣へ水を運んでいるようで頻繁にやって来る。

水鉢の縁の定位置にとまる前のホバリングでワイヤープランツが揺れる。
それはまるで密林に降り立つ怪鳥のようで、普段は感じない蜂の羽圧の力強さに驚かされる。
こちらが何もしなければ蜂は何もしない、だから筆者の周りを旋回して水鉢の定位置にとまり、器用に体を支え、水に顔を近付けて美味そうに飲む。

暑い、暑いが、その暑い夏の片隅で蠢く虫たちの世界はすごい。
虫たちには一分の無駄とてない、その一つひとつがこの地球を育んでいるのだから、何ともすごい...。

by finches | 2012-07-28 06:09 | 季節
921■■ 梅雨明け
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治療中の歯の違和感に加え夏風邪までひいてしまい、その上このところの暑さでこの数日はなんとなく気の重い憂鬱な気分で悶悶と過ごしていた。
だから、書きたいと思った梅雨明けの瞬間もタイムリーではなくなってしまった。

突然の蝉の一声で梅雨が明けたと思った。
日射しもその日からジリジリとまるで音がするように焼けつくように肌を射る。
突然の雨も鬱陶しい湿った梅雨の雨からサッパリと乾いたような夏の雨に変わった。
梅雨の間は少しの雨でも傘をさしたが、夏の雨はなんとなくその中を歩きたくなるから不思議なものだ。

脱ぎ捨てられた蝉の抜け殻が至る所に置き去りにされている。
こんな土の中にどうやって生み付けたのだろうと思うような場所にもそれはあったりする。

抜け殻からの初飛行に出くわしたこともある。
一瞬のうちに音もなく体をかすめて飛んで行ったものが蝉だと分かったのは、そこに蝉の抜け殻が残されていたからで、まだ鳴くことを知らない若蝉はきっとまだ柔らかい体で、羽だけがやっと乾いた状態で突然の人の気配に逃げるように飛び立った、それは決死の初飛行だったに違いない。

初蝉の一声を合図にそこら中から蝉の大合唱が始まった。
それははっきりと分かる梅雨明けの合図だった...。

by finches | 2012-07-26 06:54 | 季節
920■■ 図書館の日
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別に決めているわけではないが、我が家には図書館の日がある。
それは気が付くと月二回、二週間おきの土曜日で、今のところこのペースがちょうどいいと思っている。
図書館の日というのは母に借りて来た本を図書館に返し、新しい本を借りて来る日で、このところやっとこれが軌道に乗ってきたと感じている。

高齢の母はほとんどの自分の蔵書を処分し、目も悪くなったことで本を読みたいと思う気持ちも萎えていた。
ところがある日、筆者が図書館から借りていた古事記を読んだことで、元来の本好きの血が騒ぎ出した。
ならばと、次は日本書紀に関する本などを数冊借りてみると、それを楽しそうに読み終えた。

その日を境に、母の読む本は筆者の図書館カードで借りるのを止め、早速母専用の図書館カードを作った。
杓子定規な書類や手続きや無理な決まり事は全て図書館員と談判してクリアーした。
本を借りるときは図書館に行くことができない母の代行を筆者がすることで、母の図書館カードには小さな星印が付けられている。

次は、家人の手を借りて借りたい本を自分で検索する練習を繰り返し行った。
習うより慣れよ、何も難しいことはないのだと分かれば、自らの意思で自由に航海できる本の海が待っている。
今はまだ無理だが、母のiPadで自分の読みたい本を検索し、予約を入れるところまで自分でできるようになることを目標にしている。
カウンターで母の図書館カードを差し出し、母の予約した本を受け取って帰るだけというのが筆者が考える最終形だ。

母の本を借りた日に筆者も自分のカードで一冊の本を借りた。
芥川賞全集・第五巻の中の一作を読みたかったのだが、ついでに何作か読んだことで筆者が苦手意識を持っていた二人の作家への敷居も幾分低くなった。
我が家の図書館利用、それはこんな風に自由に、そしてスローにすすむ...。

by finches | 2012-07-21 05:13 | 時間
919■■ 蜘蛛の巣
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何日か前の朝霧の小さな水滴が蜘蛛の巣のシルエットを鮮やかに浮き上がらせ、それが余りに綺麗だったので写真に収めた。
それは言葉に出来ないくらい幻想的で、霧滴は蜘蛛の巣の糸の一本一本をまるで透明な空間に浮遊するオブジェのように浮き上がらせていた。

これまで蜘蛛の巣は、二次元の網糸を空間上に広げた状態で保持するために、その最外周の糸を何点も周囲の枝や葉から引っ張っているものだと思っていた。
勿論、もっと複雑に入り組んでいるものもあったが、それは破れの補修を繰り返す中でそうなるのだと思っていた。

一重の蜘蛛の網が風に揺れているのを見ても、風が抜ける構造、糸の粘り、そしてしなやかな柔軟さが風に抵抗し風の力を吸収しているものだと思っていた。
だが、霧滴が作り出した蜘蛛の巣のシルエットは一重の単純な網ではなく、それが面外方向のどちら側への変形に対してもメインの網を保持するために、垂直に張られたメインの網をそれと直交する面外方向に吊り構造で引っ張っているメカニズムがそこにあることを知った。

蜘蛛の糸についてはマサチューセッツ工科大学の研究がある。
蜘蛛の糸は絹のように見えても実は鋼鉄や強靭な炭素繊維よりも強いそうだが、引き裂かれた後も巣全体が落ちずに済むのはどうしてなのかというものだ。
その研究によると、蜘蛛の糸には2種類あって、1つは巣の中心から外へ向かって螺旋状に張られている粘着糸の横糸で、伸縮性が高く湿り気があってベトベトして獲物を捕らえる役割を果たし、一方、車輪のスポークのように巣の中央から放射状に伸びる縦糸は、乾いていて堅く巣の構造を支えているそうだ。
そして、クモの糸の分子構造は不定形タンパク質と秩序立って並んだナノスケールの結晶という独特の組成をもっていて、ここに外圧がかかると弾性変形の範囲を超えると次にたんぱく質の変性が起こり、これらが複雑に作用し横糸と縦糸が衝撃吸収の際に異なる役割を持つことで巣の一部が破れても穴が広がらないということだ。

蜘蛛の糸の優れた組成はこの研究で分かるが、それより何よりその成分の異なる糸を巧みに操り、頼るものは最初の始点しかないにも係わらず、空中の空間に三次元の網を掛け渡し、更にそれが三次元に補強されているのだから凄い。
お陰で、筆者の自然観察に蜘蛛の巣が加わった。
だが、ほどほどにしておかないと歩き難くて仕方がない...。

by finches | 2012-07-20 08:21 | 空間
918■■ 明和の石仏
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筆者が分校跡に辿り着いた細道はかつてそこを行き来していた交通の方法とそのスケールとを物語っているように思えた。
写真の石仏も今では草生したかつての道の傍に人知れず寂しく立っているが、そこは海辺の港のある村から更に山の奥の村へと通じる只一本の道であったのだろう。

石仏の台座には、正面に漢字四文字が、側面には年号が刻まれていた。
正面の四文字は最初の「三界」は読めたが、後の二文字がどうしても分からなかった。
筆者は、「衆生のこの世は励めば光が射す」というような意味ではないかと推測した。
この石仏は細道から少し上がった山の斜面に置かれていたが、それは道標のようなものではなく、恐らく谷を隔てて対角に対峙する寺と一対になって、道を行き交う人々や谷底の田畑で働く人々や、山に寄り添うように建つ家々の暮らしを見守ってきたのだと思った。

年号は明和三年と読めた。
明和3年は今から236年前の十代将軍・徳川家治の時代で、その石仏が立てられるもっと昔から、ここでは人々の暮らしと営みが静かに連綿と続いていたことが窺えた。
新しい道路から見ると、この石仏は草生した山肌にまるで取り残されたように立っている。
そして、それが何であるかに思いを寄せる人もいないだろう。

石仏を右端に置いて写真を撮ったのは、左端の平らな部分がかつての道の跡だと思ったからだ。
この草生した道はその先に造られた新しい道で途切れていたが、かつてその途切れた道の先はあの鯉のぼりが泳いでいた土手に繋がっていた筈だし、もう一方の先は件の分校に続いていた筈だと思った。

いつも新しい発見の歓びの裏で、いつもこの寂しさを味わい虚しさが込み上げてくる。
そして、今の自分に何ができるのだろうかと、今更のように考える...。

by finches | 2012-07-19 06:14 | 時間
917■■ ある分校跡
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毎日温泉に通う道は中央分離帯と両側に歩道を持った四車線の立派なもので、それは山を削り谷を埋めて造られた、自然の地形を無視し傲慢に机上の地図の上で線引きされた血の通わない太い線だった。

その道からは山を削られた崖の上にまるで取り残されたように建つ家々や、道が出来たことでかつて分校しかなかった地に大きな小学校が建てられていたり、コンクリートに覆われた小川がその道と右に左に交差しながら上流へと続いていたり、五月にはかつてその道のなかった頃の長閑な光景を彷彿とさせる鯉のぼりが風になびいていたり、ほんの時々だが木々の間から青々とした昔の姿を残す田んぼが見え隠れしたり、かつて人々が行き来した山道の跡らしき所に石仏が立っていたりした。

その中で一つ強烈に引き寄せられる景色があった。
そこには石の柱らしきものと神社の鳥居と大きな楠の木があって、何かその由来の説明でも書かれていそうな白い板が小さく見えていた。
それが通る度に気になっていて、いつかそこに訪れたいと思っていた。

当時の筆者は知らなかったが、筆者が通っていた小学校には分校があって、梅雨の晴れ間にその場所を探して自転車で行ってみようと考えた。
当時、小学校から北に向かうと鬱蒼とした森の中に八幡様があって、そこから更に奥へと進むと湯治場の温泉があった。
小学生の筆者にとっては八幡さまから更に奥など立ち入ろうとも思わない未知の場所で、その湯治場の更に奥にある分校など例え知っていたとしても興味すら持つこともなかったと思う。

不思議なもので自分が興味を持ち探そうとするといつもこんな風に導かれる。
強烈に引き寄せられる景色、その場所こそが正にその分校の跡だった。
そして、その分校へと続いていたかつての道を辿ってそこまで行ってみたいと思った。

起点は小学校と決めた。
そして、その脇の道を八幡様に向けて走り、かつて鬱蒼とした森に消えていた道を抜け、今では見る影もなく宅地開発されたかつての湯治場の裏道を通り、かつての道は川沿いにあった筈だという予測を基に立派な道路で途切れたその先の道を探した。
宅地を抜けその立派な道路が小川を跨ぐ巨大な橋の下を潜ると、そこにはそれまでとは全く違う開発の手の入っていない昔ながらの里の景色が緩くカーブを描きながら奥へ奥へと続いていた。

小型車一台がやっと通れるくらいの細道をひたすら進むと突然その分校跡は現れた。
そこから見ると崖の上にまるで取り残されたように建つ家々が眼下を流れる小川と繋がっていたことも、五月の風になびいていた鯉のぼりが分校に通う子供たちからよく見えたということも、ひっそりと草むした中に立つ石仏も子供たちが通う小道にあったことも、今では一本の道に断ち切られているが、それら全てが関わりを保ちながら途切れることなく繋がっていたことも良く分かった。

かつて美しかった頃の里の景色を想像しながら、高く埋め立てて造られた道路を行き交う車を眺めた。
そして、便利さの裏で忘れている、便利でないものの中だけにある豊かさを思った。

かつての分校は立派な小学校に変わった。
だが、その小学校の沿革史にその地区の子供たちを育て続けた分校の記述はない...。

by finches | 2012-07-17 05:49 | 時間
916■■ 紫蘇水
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筆者にとってお茶は年間を通して水分補給の必需品だったが、抜歯をした後の口内消毒にもなると家人が作ってくれたハーブウォーターが甚く気に入ってしまった。
ハーブはレモングラスとレモンバームを使い、これらをミネラルウォーターのペットボトルに入れて冷蔵庫で冷やすと、爽やかな香りと仄かな甘みがあって爽快な気分にもなれる。

ところが、レモンバームの方は豊富にあるのだが、レモングラスの方は希少品で、一回に使える量にも制限が課せられている。
そこで、筆者は資源保護の観点からビーフステーキプラントウォーターを作ってみた。
名前が面白いのでわざと書いたが、beefsteak plantとは紫蘇のことだ。

紫蘇なら豊富に生えているから、新しい葉を毎日摘んでやった方が却って紫蘇の為には良いかもしれない。
紫蘇の葉をそのまま入れると緑が綺麗で目に優しく爽やかなのがいい。
また、紫蘇の葉を箸で潰してやると、濃い紫蘇の香りが立ってこれもいい。

今朝は雨も止み霧が立ち込めている。
霧がつけた無数の小さな水滴は蜘蛛の巣のシルエットを浮かび上がらせ、それはそれは幻想的な光景を作り出している。
そんな朝霧の中で飲む冷えた紫蘇水はまた格別だ...。

by finches | 2012-07-15 04:56 | 無題
915■■ 山津波
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今朝も目を覚ますと、激しい雨音と音のしない稲光りとが眠っている間の外の様子を暗示するかのように思えた。
部屋に灯りを点けカーテンを開け激しい雨の滴が伝うガラス越しに外の様子を見ると、煉瓦で造った件の排水溝には濁った水が勢いよく流れ込んでいた。
玄関から外に出ると、そこは長靴を履かなければ歩けない程の濁った水の海で、離れはまるで秀吉の備中高松城の水攻めの様を呈していた。

気象庁はこの雨を「これまでに経験したことのないような大雨」と表現した。
かつて同庁が新造した「戻り梅雨」という表現には苦笑したことがあるが、この度のこの表現は感情移入の入った文章構成になっている分、状況が素直に伝わる的確な表現だと感心した。

だが、九州ではこの「これまでに経験したことのないような大雨」の為に未曾有の災害が起きている。
その大雨を大地震だとすればその後に襲う洪水や土石流は大津波と重なる。
土石流を山津波と呼ぶのも先人たちの時代にもきっとあったのであろう、「これまでに経験したことのないような大雨」による自然の畏怖を、「山津波」と呼んで後世に言い伝えて来たのではないかと思う。

地球が生き物であり人間がその上で暮らさねばならない限り、いつ襲い来るか分からない天変地異をも受容するしかないだろう。
それが今か先の時代なのか、自国か他国でか、我か他者へか、それらは誰にも分からない。
だが、いつ、どこで、だれに、それが起きても受け留めて来たのが人間の歴史ではなかったろうか。

自然を畏怖し自然を畏敬することを忘れるな、このところそんな鉄槌を自然が下しているように思えてならない...。

by finches | 2012-07-14 05:40 | 無題
914■■ 梅雨への備え

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水捌けが悪く長年気になっていた場所に排水溝を設えた。
タイトルは「梅雨への備え」としたが、実際は雨を待って水捌けを確認しながらの調整を要する作業となった。
だから、梅雨と同時進行の「梅雨への備え」と言った方が正しい。

どうすればよいか随分と考え迷った。
穴を掘ってみると既設の配水管が顔を出した。
その配水管が貫通するように煉瓦を積んで枡を造り、最後に枡の中を渡っていた配水管を切って流路を枡に開放した。
それと同時に今まで閉じていた流路に集水枡が加わった。

この簡単なことが思わぬ難工事になろうとは予想もしなかった。
既設の配水管の周りに煉瓦を積むやり難さ、掘った穴の底で枡を建物と平行に造る精度の出し難さ、狭い穴の底で煉瓦を水平に積む難しさ、モルタルを詰める困難さ、どれ一つをとってみてもスムーズに行ったものはない。

出来上がると土で勾配をとり、煉瓦に水が集まるようにした。
そして雨を待った。
梅雨の激しい雨は土の勾配を雨水が最も流れやすい自然な形に削り直してくれた。
そして、雨による洗礼が終わった土に薄く散砂を撒き、枡に割竹を敷き並べた。

苔の生えた汚い煉瓦を洗って使った。
あるものだけでそれを工夫することで何とか造れるものだと感心した。
そして、それは何か不思議な庭のオブジェになった...。

by finches | 2012-07-12 06:20 | 無題