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933■■ 祝の島
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前稿の写真は本命の島へと向かうフェリーの後部デッキから撮影したもので、取り上げた島はこの真反対の方向に位置している。
では何故この写真を使ったのかと言えば、遠ざかる島影を見ながらある映画のポスターに描かれた島の形を思い浮かべたからだ。

その映画のポスターに描かれた島の名は「祝島(いわいしま)」、映画の名は「祝の島(ほうりのしま)」という。
「祝」は音で「シュク」、訓で「いわう」、と読むのは周知のことだが、「はふり(ほうり)」と読み、それが本来の「祝」の意味だと知っている人は少ないのではないだろうか。
「ほふり」とは神官や巫女など、神に仕えて祝詞(のりと)をあげる人のことで、「シュク」や「いわう」は、神にめでたいことばを告げる意が転じたものだ。

その「ほうり」がいる島が祝島と呼ばれるようになったらしい。
古代より祝島から姫島、国東への航路が九州へ渡る主要且つ最短のルートで、祝島はその最後の中継寄港地として航海の平安の祈る為の島であったことが島の歴史にも書かれている。

その祝島の対岸4kmに建設されようとしているのがあの上関原発で、「祝の島」はそれに反対する漁民の闘いを描いたドキュメンタリーだ。
原発が出来ればこの海は死ぬ、この海が死ねば瀬戸内海が死ぬ。
それは西日本全域が死滅することを意味している。

現在、上関原発予定地の公有水面の埋め立ては新しい知事により免許失効の措置が取られた。
このまま、祝島とその海が、かつて「祝(ほうり)」がいた頃の静けさを取り戻すことを、心から祈る...。

by finches | 2012-08-27 05:44 | 信条
932■■ 戦争遺産のある島
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次の日に東京での仕事に戻る家人をある島へ連れて行った。
そこは戦争遺産として特攻基地跡が残る島で、そこを訪れたのは、二つの産業遺産を名も所も明かさずにどう書き進めようかあぐねていて、突然行ってみようと思い立ってのことだった。

海原が見える駅まで歩き電車に乗った。
電車は途中一度乗り継いだ。
島へのフェリーは途中二つの港に寄港し、人と荷物を下ろしながら最後の港へ入った。

30年という歳月は記憶と現実とを随分と違うものに変えていた。
だが、それは島までの記憶の中の景色や港の風景であって、その特攻基地跡は30年前と同じように真っ青な空と、ジリジリと焼け付くような真夏の太陽と、どこまでも続く光り輝く大海原を背景に、暑い昼下がりの逆光の中に濃い静寂の影を作っていた。

記念館での家人は予想と想像を超えた場所に突然連れて来られたことに当惑しながらも、熱心に真剣に資料を目で追っていた。
自ら鐘楼の鐘を打ったのも、この夏一番の、否、これまでの人生で一番の衝撃的な過去との遭遇だったからだろう。

心に深く焼き付いた場所を再び訪れることには意味があると思った。
再来にして深い感動を喚起されるのだから、初めてそれらを目にする衝動と感動は如何許りであったろうと思う。
重かったが、決して風化させてはならないこれも歴史遺産だと、お互いが心に感じたことは確かだろう...。

by finches | 2012-08-24 06:10 | 遺産
931■■ 電車が案内してくれた産業遺産
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昭和3年(1928)に完成したこの古い建物は今でも現役の事務所として使われている。
84歳のこの建物は純白の衣装を纏い、車寄せを挟んで正面に植えられた蘇鉄が建築の意匠とよく合っていた。

焼成窯を見るために工場の外周沿いに設けられた細道を歩いたことで、敷地内に残る古い建物をフェンス越しに遠望することができた。
それらは明治から大正期に煉瓦を積んで造られた組積造建築で、ドイツの技術を導入した明治期の官営工場共通の建造技術を今に残す貴重な産業遺産であることが分かった。

この建物を見たのは日曜の暑い昼下がりだった。
どこにでもあるような漁港の山手に、どこか周辺とは違う家並みの存在に気付き散策を試みたことで、普段ならば先ず出くわすことのない一両編成の電車と遮断機を介して踏切で出合った。
行き過ぎた電車を目で追いながら、電車に出くわさなければ曲がることはなかったであろう交差点を電車の消えた方角へと曲がり、古い駅舎越しに停まっている電車を再び見つけた。
そして、再びコトコトと走り始めた電車を追っていて、この白い建物と出合った。


かつての漁港の輪郭を感じ取った家並みと町名に残る歴史、一両編成の電車の思わぬ道案内、焼成窯と煉瓦造建築と白い近代建築、それらとの思わぬ出合いを楽しんだ。
それは、何か無性に得をしたように思える、日曜の暑い昼下がりの出来事だった...。

by finches | 2012-08-22 08:58 | 遺産
930■■ 産業遺産・焼成窯

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六月に行った北海道が一足早い夏休みのつもりでいたが、30度を超す連日の暑さは流石に堪らない。
そこで世間の盆休みに便乗して、半夏休みモードで過ごしている。
だから、朝の8時を回ったこんな時間に、家人が運んでくれたアイス抹茶を飲みながら、のんびりとブログも書いている。

昨朝咲いた布袋葵の花も今朝はもう凋んでいた。
一番大きなメダカの水鉢の中のクレソンの内鉢の浅いプールには子メダカが一匹増えていた。
布袋葵にジッとしている怪しいショウリョウバッタが、実はクレソンの葉を食べていたことが今朝分かり、木陰の涼しい水辺から灼熱の大地に放り投げてやった。
落ち葉を埋めた5つの小穴にかけた土はまだ湿っていて、今朝も辺りの土の色とは明らかに違っていた。
其処彼処に撒いてある雑穀の実を番いの雉鳩と数羽の雀が啄ばんでいる。
そんな平穏な一日の始まりを静かに眺めながら書いている。

さて、今朝書こうとしている本題は産業遺産の焼成窯だ。
ある特定の目的に使用された国内に現存する最古の焼成窯で、明治16年(1883)に建造され後に改造大型化されたものだ。
それでも明治30年代前半の由緒正しい産業遺産として今も保存されている。

今朝、件の水鉢の前の小椅子でこの焼成窯について書かれた4ページの資料を読んだ。
ドイツの技術を導入して造られたもので、屋外に無造作に並べられていた機械には全てドイツ語の社名が刻まれていた。
我が国近代産業の草創期、ここがまぎれも無く一つの基幹産業の始点の地であることに静かな感動を覚えた。

故郷の歴史と文化の濃さをここでも感じた。
次代に継承すべきもの伝承すべきもの、その大切さを改めて思う...。

by finches | 2012-08-16 07:49 | 遺産
929■■ 布袋葵咲く―八月
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このところ毎晩のように雨が強く降っていたが、今日は久し振りに快晴の清々しい朝だ。
そんな中、毎日のように見ていた筈の布袋葵が淡紫色の花をつけていることに気付いた。
今朝の今朝までその前兆には全く気付かなかったこともあって、突然の花の存在には初め我が目を疑い大いに面食らった。

花を付けた布袋葵は三種あるうちの一番大きな種類のもので、これまで我家の布袋葵は花を付けないというジンクスを見事打ち破って咲いただけに、その驚きと喜びはまた一入だった。
花が咲いたことを家人に告げると、朝食の支度を止めて水鉢に走ったことからも、その驚きたるや如何許りであったかが知れようというものだ。

花が咲いた布袋葵は一番大きな水鉢にあって、他には水草代わりにクレソンを植えてある。
クレソンを植えている内鉢は水深が浅く、子メダカの絶好の遊び場でもある。
この大鉢の前に小椅子を置いてメダカを観察するのを楽しんでいる身としては、そこに布袋葵が花を咲かせたことでその楽しみも倍加するというものだ...。

by finches | 2012-08-15 09:56 | 季節
928■■ 立ち火鉢
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前稿で炭壺と消し炭のことを書いて、ある立ち火鉢のことを思い浮かべた。
筆者の朧な記憶の中にも、それが診療所であったか、バスか駅の待合であったか定かではないが、確かに立ち火鉢の映像は残っている。
ただ、それらはこれまで火鉢として一括りにされていて、立ち火鉢という独立した呼び名で考えてみることはなかった。
なぜなら、それらは火鉢自体の高さが高いか低いかの違いであって、どれも動かすことが出来て、冬の間だけ持ち出して来て、それは置いて使うものだった。
そして、それは立って使うものというより、椅子に座って使う、そんな冬の調度としての記憶だった。

六月と雖も函館ではまだストーブが手放せない。
そんな函館の千歳坂の傍に出来たギャラリーでこの不思議な立ち火鉢と出合った。
土間に固定されたその不思議な物体に、思わず「これは何ですか」と訊ねた。
そして、その建物が旧質屋であり、この立ち火鉢は質屋の待合というか受付の土間にあったものだと分かった。
質屋の待合には椅子などは必要なく、そこは立ったまま手早く用を済ませる場所であったのだろうと想像した。
床に固定された立ち火鉢も、そんな場所の使い勝手を反映しているように思えた。

質入れの時は手を焙りながら質屋店主の値踏みを待ち、質出しの時は火箸で灰を均したり炭を立てて暖を急いたり炭を寝かせて灰を被せたり、そこにはそんな情景が見えるような気がした...。

by finches | 2012-08-09 06:01 | 記憶
927■■ 消し炭

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この二日、朝食のために七輪で鰯の干物を焼いた。
干物は自分で作ったものだ。
昔から火熾しにはこだわりがあって、楽をして熾してはならないと思っている。

小さく丸めた紙に点いた火が藁に移り、それが小さく割った竹を燃え上がらせると、タイミングを計って炭をそっと縦にして並べていく。
炭の重さに加え空間を狭められ空気を遮られた割竹は、もうもうと白煙を上げて燻り始めるが、この時丁寧に炭の向きを整えてやらないと炭に火は移ってくれない。

棚引く白煙が風の流れの帯を作る。
それはカーブを描きながら開け放した開口に吸い込まれ北側に抜けていく。
その美しさに見惚れる間もなく燻る割竹を再び燃え立たせるために全ての力を集中して団扇で風を送る。
これが美味い干物を食べたいがための我がこだわりの朝の儀式だ。

市場で一尾150円で買った鰯を干物にする手間、美味い朝飯を食べたいと思う細やかな欲望からたった一枚の干物を焼く手間、そのために時間をかけて炭火を熾す手間、どれも苦ではないが、そのために三個の炭を使うことには些かの後ろめたさもある。
焼こうとする干物よりも炭の方が高いこと、熾した炭を使い切っていないこと、それを勿体ないと思う後ろめたさだ。

あれこれ考えていて、炭壺のことを思い出した。
炭壺で消し炭を作っておけば、突然火を熾す必要に迫られても柔軟に対応できる。
何より朝の火熾しは断然早く楽になるに違いない。

勿体ないという思いから、ふと忘れていた道具を思い出した。
そこには忘れてはならない先人の知恵があった...。

by finches | 2012-08-07 06:22 | 記憶
926■■ 朝の涼―八月
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昨夜水を撒いて寝たせいか、柿の枝に吊るした温度計は今朝25度を示していた。
出しっ放しだったホースを片付ける前に追っ掛けで水遣りをすると、木も草もメダカもみんな喜んだが、水遣りを終えた途端にあちこちで蝉が鳴き始め、涼しく爽やかな夏の朝の涼は一変して、騒がしい暑い夏の一日が突然始まった。

朝こうして景色を見ながら書くのは楽しいものだ。
水を打った涼気に加え濡れた石は目にも涼しさを運んでくれる。
今朝点けたばかりの新しい蚊取り線香からは一筋の細い煙が上がっている。

一つ難があるとすれば右の耳と左の耳に否応なしに入ってくる蝉の大合唱だ。
その音たるや半端ではない。
夏の朝の束の間の涼、それを蝉が無下にも奪い去った。

八月の蝉は煩い。
うるさいは「五月蠅い」とも書くが、気分は「八月蝉い」というところか...。

by finches | 2012-08-04 06:18 | 季節
925■■ 青柿と柿渋

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摘果した青柿で柿渋を作ろうなどとその発案は良かったが、それはそう簡単に作れるものではなかった。
何より使う柿からして渋柿でなければならず、例え渋柿があったとしても柿渋を作る恐ろしい手間を考えると、早々に手を引く方が賢明と判断しただろう。

漆と並んで柿渋は古くから作られてきた塗料で、防水防腐効果があると言われている。
青柿の横のボトルは筆者手持ちの柿渋だ。
その横の板はその柿渋を塗った杉板で、雨風(あめかぜ)に当ててその経年変化を観察している。

さて、昨日摘果した青柿を数えたら凡そ70個あった。
それらは手の届く範囲で摘果したもので、脚立を持って来て本腰を入れてやれば500とは行かないまでも300くらいにはなるだろう。
今朝も涼しいうちに少し摘んでおこう。

因みに筆者は柿渋にベンガラを入れて使っている。
とは言ってもまだ試験的なもので、屋内で色がどのように安定して行くのか、その変化を観察している段階だ。

それにしてもこの青柿の使い道はないものか。
忍びなく摘果をしたのだから、せめて数日は目を楽しませてもらうことにしよう...。

by finches | 2012-08-03 06:16 | 季節
924■■ 柿の実の数
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自然摘果が正しいのか、自然落果が正しいのか、それは知らない。
自然摘果だと、柿の木が適正な量の実を残すために自ら摘果を行う現象のように聞こえる。
自然落果だと、雨風(あめかぜ)天候などの自然現象によって弱い実が淘汰される現象のように聞こえる。

柿の蕾は無数と思える程に付いた。
その蕾が開花した後には同じく無数と思える程の小さな実が付いた。
暫くすると、その小さな実はパラパラと落ち始めたが、これが自然摘果なのではないかと思う。

そして梅雨の頃には実も一回り大きくなったが、この梅雨の時期に今度は自然落果が進むようだ。
不思議なもので梅雨が明けるとその落果も落ち着き、今はほとんど落ちることもなくなった。

その自然落果を地上に落ちたガクの数で数えてみたのだが、その記録が写真の『正』の字だ。
単位は百だから、『正』の一字で五百、それが六つだから全部で三千となる。
これに自然摘果の数を仮に千とすると、自然摘果と自然落果を合わせると四千、否、それ以上となる。
そして、枝に残っている実の数を一枝十個と仮定し、その枝の数を仮に百枝とすると、残っている実の数は千となる。

実際にはこれ以上の実がなっているだろうから、柿は一本の木に五千以上の実を付けたことになる。
もし五千の一割くらいが適正な量だとすればその数は五百となり、その五百を残して摘果してやれば、木にも優しく実も大きい美味い柿の実を秋には楽しめることになる。

そう、柿の木自らが行う自然摘果、次に自然の力を借りた自然落果、そして最後に人の力を借りた人工摘果、この三位一体の連携プレーが美味い実を残す理に適った方法ではないかと一人合点した。

数えにかぞえた三千という数には驚いたが、その数から総量を予想し、そこから適正な収穫量を想定するとは、何と科学的だろう。
そうだ、これから摘果する五百個の実から柿渋を作ってみよう。
柿渋は自然塗料であり薬でもある、正に循環型エコの実践だ...。

by finches | 2012-08-02 07:28 | 季節