<   2012年 11月 ( 8 )   > この月の画像一覧
964■■ 気を活ける
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ワラ、ススキ、クマザサ、ベニバナ、フヨウ、ナナカマド、これらが大小の甕や皿や花瓶に活けてある。
どれも枯れているのだから活けてあるというのは正しくないかもしれないが、気に在って気に於いて、それらは未だに活き続けている。
それは、あくまでそれをそう思う側の主観的な感性の問題であり、そこにはそう思う側が思っている程の客観性も不変性もないのかもしれない。
だから、そう思わないそう感じない側からすると、それらに価値を見出したり愛でたり歓びを感じたり癒されたり、という繊細な感情を抱くこともないのかもしれない。

それらとは別に、隣家からもらった実付きの蜜柑の枝は大甕にそれこそ活けてあるし、友人宅に実った蜜柑は一見雑に見えるが台の上に活けてあるのだし、庭の柿の木からもいだ実もこれも一見雑に見えるが机の上に蜜柑と呼び合うように活けてあるものだ。
庭石の上にも実付きの幾枝かを配置し、もぐ時に竹竿から落ちた実も適度に土の上に残し、庭に設えてあるガラスのテーブルには沢山の実が置いてあって、熟れてきたらそこから一つ二つと食すことを楽しんでもいた。
前稿の小さな旅に持参した蜜柑は大甕に活けた蜜柑の枝からのものだし、柿はガラスのテールからのものだ。

昨夕出先から戻り灯りを点けると、先ず机の上の柿に何となくだが異変を感じた、何かが違う、と。
暫くして、ガラスのテーブルの上の柿が全て消えていることに気付いた。
写真は昨日の昼間二階の窓から柿の木とガラスのテールの柿の実を撮ったもので、いいものだと感じ入った正にその景色だ。
それらが、何の前触れもなく、ましてや何の断りも無くなくなっていることに、厭な強い衝撃を覚えた。

柿がなくなった理由は直ぐに分かった。
もらいに来られた隣人に差し上げた、それはそれでいい、それに文句はない。
だが、活きて気を創っていた柿たちを、ただの物として処分した母の心根と配慮の無さに強い憤りを覚えた。

机の上には小さい実だけが残され、ガラスのテーブルからは根こそぎ柿は消え失せ、そのテーブルは拭かれることもなく、雨に打たれた柿の跡だけが残されていた。
実を採った酢橘の木には30以上の実を残してあり、根こそぎその実を取ることはしない。
そんな心遣いが少しでも感じられたら、あんな厭な気持にはならかったと思う。

両親との同居には多くの我慢を強いられる。
だが、両親もきっと多くのことを我慢をしているのだろうと思いながら、重苦しく一日が終った...。

by finches | 2012-11-27 06:38 | 無題
963■■ 旧道往還を歩く
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このところ日曜日になると決まって読みたい本持参での温泉通いを続けてきた。
温泉だと晴れだろうと雨だろうと関係なく、日曜の午後を楽しむことができることが妙に気に入っていた。
だが、昨日の日曜はちょっと行き先を変えてみた。
なだらかな照葉の原と林を歩いた子供の頃の強烈な記憶、その美しい記憶の場所はダムの水底に沈んでしまっていたが、その原を抜けた出口にあたる辺りを探している時に、偶然にも旧道往還跡を見つけていたからだ。

この旧道往還があの照葉の原に通じる入口かも知れないという期待から、二段の日の丸弁当、二本の京番茶、そして柿と蜜柑を二つずつ入れたバックを背負い、靴を長靴に履き替えると徐に林の道へと入って行った。
かつて参勤交代も通ったのであろう道は狭く、人家の横を抜けて暫くすると直ぐに木々に覆われた小道は前を見るとその先に、後ろを振り返るとその先にトンネルのような小穴が視界の後先に開いている以外は、下界の景色も空も木々で隠れていた。

途中、墓地で道を見失い別の道を暫く下ったが、おかしいと感じたら迷わず道を見失った起点まで引き返す冷静さえ持っていれば道は自ずと開かれるもので、次に選んだ道もこれが本当にその道なのかと不安を感じながらの下りではあったが、何とか視界が開け小さなお堂の脇に出ることができた。
そして、ちょっと苦目の京番茶で喉を潤し、お堂の脇の椎の木の下で日の丸弁当を広げた。

昨日は地名や地勢について考えながら長い距離を歩いた。
そして、そこから得られた新たな知見はまた新たな疑問を生み出しだ。
だが、これまで何か不思議な因縁に導かれるように集めたそれぞれの知見が、大きな歴史の織糸となり繋がっていくのを感じる、それは小さいが大きな旅だった...。

by finches | 2012-11-26 08:16 | 記憶
962■■ 柿-十一月
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週末には枝にまだ多く残っている柿の実をもごうと思っていたが、突然のカラスの襲来に急遽柿の実の間引きを行った。
庭の柿の木は一昨年は沢山の実を付けたが、昨年はほとんど実がならず、そして今年はまた沢山の実を付けている。
庭の柿の木に一昨年は沢山のメジロがやってきて柿の実を綺麗に楽しそうに食べていたが、昨年は実のない柿の木に小鳥は寄り付きもせず、そして今年は雀とヒヨドリがやって来て熟れた実を食べている。

メジロと違い雀もヒヨドリも好きではない。
一昨年はヒヨドリ撃退用のパチンコを木の枝で作って、ヒヨドリがやって来ると様々な大きさ重さの木の実を集めた弾から一つを選んで撃った。
精度が悪いために弾がヒヨドリに当たることはないが、近くの枝に上手く着弾するとヒヨドリは慌てふためいて飛び去る、その不毛の行為を飽きもせず繰り返した。

東京ではベランダにヒヨドリが来るのを楽しみにして餌まで置いていたのに、今はそのヒヨドリが大嫌いだ。
それはカラスには及ばないが、兎に角その食べ方が汚いのが嫌で嫌でしようがない。
メジロは一つの実を綺麗に丁寧に食べ尽くし、一つを食べ終わってから次の実に移る。
だが、ヒヨドリは次から次へと熟れた実をつついては、食い残しを下に平気で落とす。
その初冬の風情を壊す粗雑さが嫌でたまらない。

今朝も早朝からヒヨドリの鳴き声が煩い。
それに引き換えメジロの姿はまだ一度も見ない。
こんなに実があるのにと思うが、その実が一昨年程甘くないのをもう既に知っているのだろうか...。

by finches | 2012-11-22 08:33 | 季節
961■■ 楓-十一月
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筆者には好きな大楓の木が三つある。
一つは写真の楓で、毎日曜日に通う温泉への道中にそれはある。
もう一つは、これも月曜から土曜日まで毎夕通う温泉への道中にある三本大楓だ。
最後は、長い東京暮らしの中でも紅葉の頃になると必ず思い出していた子供の頃に遊んだ里山の、その斜面に聳える大楓だ。

前二つの紅葉の具合を確かめながら、最後の大楓の紅葉を見に行くのを今から楽しみにしている。
その里山が真っ赤に染まる紅葉の記憶は年を経ても消えることがなく、毎年その時期が来る度にその記憶は鮮やかに蘇り、「あの紅葉を見に帰りたい」と、思い続けたものだ。
だが、こうして日ごとに遅遅早早と微妙に変化して行く紅葉を見ていると、その最も美しい瞬間を見ることは遠くに暮らしていては所詮無理で、日々の暮らしをその中に置いていてこそ、その一瞬の出合いに立ち会うことが許されるのだと思った。

二日前の日曜日、写真の楓の木の下で川面を見ながらサンドイッチの昼食をとった。
杣の森へと続く川、その流れに沿うように鉄道が北へと延びている。
そして、その鉄道の向こうにはこの写真の道が完成するまで使われていた旧道が北へと延びている。
そんな景色を眺めながら、この旧道がかつての人々の暮らしの中にあった道だということを改めて考え、これから訪れようとしている温泉の地名の由来も初めて理解できた気がした。

その日もその温泉には読みたい本を持ってでかけた。
十二畳の部屋には筆者一人、そこから湯殿に行き、戻ると本を読む。
そんなことをいつも3、4回繰り返す。
この日は真昼の日射しが南から射し込み、立ち昇る湯気の粒子がまるでミストサウナにいるように一粒一粒輝いて見えた。
それを見ていると、湯煙ではなく、今正に生まれたての微細な水の粒子がピチピチと弾けるように空間を覆い尽くし浮遊し逆光に輝く様がよく分った。

帰り道、大楓は薄暗くなり始めた中に色を失いつつある周りの色と同化するようにポツンと立っていた。
川風がこの大楓の紅葉の出来映えを支配していると思いながら、「今年は葉が落ちるのが早いなあ」と、思った...。

by finches | 2012-11-20 06:36 | 季節
960■■ メダカも寒かろう

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ここに来て朝晩めっきり寒くなりストーブを点けることも多くなった。
柿も随分と葉を落とし、梢の実もどれから取って食べて頂いてもいいという頃合いになってきた。
日曜には今年の初収穫の手始めとして、150個ばかりの実をもぎ隣家四軒に配った。
もぐ時に傷ついた柿は庭に設えたガラスのテーブルに並べ、ナイフと水を入れたバケツを用意した。
そう、食べたくなったらテーブルの柿をバケツの水で洗い、ナイフで剥いて剥いた皮はテーブルの横に掘った穴に投げ込み、ナイフで実を切り分けながら立ったまま食べる。
この野趣溢れる食べ方が実に美味い。

柿を食べながらふと足元の水鉢のメダカに目をやると、何だかとても寒そうに恨めしそうに見えた。
これまで越冬の準備などしてやることはなかったが、柿の木の下に風除けもなく置かれた水鉢の辺りは海からの風の通り道で気温が下がるようだ。
だから、今年は用意周到、防寒対策の為の藁縄を準備して寒さの訪れを待っていた訳だ。

インプラントの手術をして抜糸を待つ身の一人寂しさからか、メダカたちの水鉢に藁縄を撒いてやろうと突然作業を始めたのが昨日のことだ。
心なしか、今朝のメダカたちはみんな嬉しそうに泳いでいるように見えた。
そして、もっと寒くなれば風除けも作ってやろう、と思った...。

by finches | 2012-11-16 08:12 | 無題
959■■ 読売朝刊コラム
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読売朝刊の『編集手帳』に、「巧い」と唸った。

11月8日木曜日はこんな風に展開する。

お笑いの世界には、<出落ち>という業界用語があるらしい。(中略)◆「登場した直後に落ちを迎えること」だそうで、それ以降は盛り上がることがない。(中略)◆小泉内閣のあと、安倍、福田、麻生、鳩山、菅、野田…(中略)“出落ち内閣”がつづく。4年の任期を終えようとしてなお、熱気のなかで次の4年を国民から託されたオバマさんを見ていて、彼我の違いに気分がふさいだ。(中略)◆歌舞伎に由来する<屋台崩し>というオチがあるという。(中略)不誠実な「近いうち」発言で柱が1本倒れたと思ったら、「不認可」大臣の暴走でまた1本...◆<出落ち>のほうが、まだしも、である。


そして次に日、11月9日金曜日はこんな風に展開した。

(前略)石川啄木の歌に(筆者加筆)<気の変る人に仕へて/つくづくと/わが世がいやになりにけるかな>◆程度の差はあれ、気の変わる上司はどこにでもいるが、この役所にはかなうまい。「不認可」―「新基準を設けて再審査」―「現行基準のまま認可」。田中真紀子文部科学相が迷走させた3大学の新設問題は、ようやく落ち着くところに落ち着いた。(中略)◆少子化で学生は減り、大学の数は増えていく。「それでいいのか。認可基準を見直す方向は正しい」と、擁護する声もある。そうは思わない。車の運転で左折や右折をするときは、方向指示のランプを何十メートルも手前から点滅させるのがルールである。合図もなしにハンドルを切って事故を引き起こし、「方向としては正しかった」は通らない。(後略)

この先この国が衰退していくとすれば...、それは公共心と『恥』を捨てた企業人と、『principle(主義、信条、節操、道義)』を持たない政治屋と、そして...、物言わず群れる国民全てのせいだろう...。

by finches | 2012-11-10 08:10 | 信条
958■■ 16世紀の遺構

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史跡発掘調査の報道関係者向けの現地説明会に参加する機会を得て、いそいそと出掛けて行った。
それは室町時代の館跡で行われてきた発掘調査で新たに見つかった庭園跡で、当時の館の空間構成や儀式・生活などを知る手掛かりとなるもので、まだ断定はできないものの枯山水の遺構ではないかとの説明があった。

当たり前のことではあるが、出土した事実だけから当時のことを推測する訳で、そこに想像力は不可欠だが創造力を足すことがあってはならない。
そこのところに自制が求められる分、いくら確信があっても断定を急いてはならないところが辛抱の為所だ。

遺構のあちこちにマークされた紐や、地層に細く描かれた線や、所々掘り下げられた四角い穴や、台地状に残された地山など、発掘現場でよく見かけるそれらの意味するところも教示を得られた。
地表から90センチ下に500年近く眠っていた遺構が見られるという貴重な体験は、そこで得られた知見も然ることながら、改めてそこに封印されていた歴史の記憶を毛穴に感じることができた。

次の日、その日紹介された研究者から、出土品から再現した食文化について纏められた資料が届いた。
そこには実際に再現された料理の写真などもあり、文字や図とはまた違うリアル感を持って往時の儀式・生活に思いを馳せることができた。

数年前までは大正も明治も遠い過去の時代だった。
だが、今は大正も明治は直ぐ其処、江戸もそして今回の遺構の時代も決して過去のものとするには得がたい教示が詰まっている...。

by finches | 2012-11-08 08:19 | 遺産
957■■ 突然の訃報

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喪中につき新年の挨拶を遠慮する旨の葉書は毎年何枚か届く。
ただ、そのほとんどがまだ一度も会ったことのない親族の逝去に伴うもので、悲しいというより、「ああ、お亡くなりになられたのか」という静かな感慨を胸に抱きご冥福を祈って終わる。

だが、昨日穂高に住む友人から届いた「妻永眠」の訃報は、重く悲しく冷たい知らせだった。
もしあの世への順番があるとすればそれは長く生きた順の筈で、人生の途中で突然あの世に旅立たれては残されたものが堪らない。

東京を離れる前に一度訪ねておきたいと思いながら叶わず、今年に入ってからも何度も訪ねてみようかと思う気持ちが頭を掠めていた。
そう思わせたのは、すでに半年前に逝去されていた「彼女」からのメッセージだったような気がする。

初めての結婚式も彼らだった。
雪が降っていたのを鮮明に覚えている。
前日入りして友人とその友人たちと祝いの酒を夜遅くまで飲んだ。

京浜急行の弘明寺(ぐみょうじ)にあった新居にも何度か行った。
友人は父親の急逝で東京から故郷に戻り会社を継いだ、その時の苦労も頑張りも見てきた。
結婚前に家人を連れて訪ねたこともあった。
その時は友人、その母、筆者、家人、その四人で燕岳(つばくろだけ)に登り、「彼女」は呆れたようにそれを見送った。

数え上げれば切りがない山程の思い出がある。
もっと話をしておけば良かった、話を聞いておきたかった。
一夜明けその突然の訃報はまだ重い...。

by finches | 2012-11-06 08:24 | 無題